未来の殺人自供
瀬川
未来の殺人自供
その手紙は、白いシンプルな封筒に入っていた。
「2020年の夏、人を殺しました。私を見つけてください」
便箋の大きさを有効活用することなく、むしろ余白にメッセージを込めているのではないかと考えてしまうぐらい、書かれていた文字の大きさは小さかった。
差出人の名前も、住所も何も封筒には無い。
切手も貼られておらず、直接ポストに入れられた手紙。
それをつまみ、目線の高さにまで上げると、手紙を受け取った主である、この事務所の所長兼探偵の
「この手紙、どう思う?」
ひらひらと紙を揺らす様は、手紙について好意的な印象を抱いているようだ。
「どう思う、と言われましても、ただのイタズラなのでは?」
対する西尾は、全く逆だった。
眉間にしわを寄せて、そう思うに至る理由を続けた。
「今日が何日だと思っているんですか? 3月28日ですよ。どう考えても、時系列がおかしい」
冷静に事実を言う彼に、東雲はニヤリと笑う。
「君は本当に現実主義者だね。全くもって面白くない。人生を楽しんで生きているのかい?」
「心配していただかなくても、満ち足りた人生を送っています」
「凄い凄い。それはとても羨ましい」
全くもって心のこもっていないのを無視して、西尾は東雲が持っていた手紙をとる。
「もしも本気で人を殺したというのなら、この人は未来から来たことになりますね。そんな非現実的な話は、全く信じられない」
「いやあ、ロマンがあるじゃないか。未来から来た殺人犯からの手紙か、それとも妄想癖でもあるのか、はたまた殺人予告なのか」
「私は妄想癖を推しますね。私を見つけてくださいって、どうみても構ってちゃんじゃないですか。付き合っていられないですよ」
まるで汚いものを扱うがごとく手紙を見ると、そのまま破り捨てようとした。
「はーい。ストップストップ。まだ破っちゃ駄目だよ」
「どうして? どうせ、差出人の名前も分からないんですから、必要のないものじゃないですか」
「破るのはちょっと待って。今日はどうせ暇なんだから、もう少しこの手紙について話をしようよ」
探偵、という職業を娯楽や趣味に近い形でしている東雲は、いくら閑古鳥が鳴いていたとしても、全く焦らない。
唯一の助手である西尾は、給料さえ支払われれば構わないので、積極的な営業をしていなかった。
そうなると自然に、客足は遠のいていく。
1日を通して、1人の依頼人も来ないことは、ざらにあった。
本日も今のところは、客が来る予定はなく、2人は時間を持て余しているのだ。
そのため手紙は、暇を潰す格好のアイテムとなった。
「……分かりました。少しだけなら」
一度言ったら、話をしないと諦めない。
それを長年の経験でよく知っているので、西尾はしぶしぶ破くのを止めた。
「それでは逆に聞きましょう。どういった意味を持っているのでしょうか?」
「うーん。そうだなあ」
東雲は手紙を取り返し、隅から隅まで眺める。
「未来から来た、というのはさすがに僕もおかしいと思うから、その説は却下だね。でも妄想癖で片づけるには、手が込んでいる。わざわざ事務所まで来て、手紙を置いて行ったんだよ。間違えたわけでもなく、僕を選んだというわけだ」
「あなたを選ぶなんて、酔狂な方ですね。少し変わっているか、頭がおかしいのか。どちらにせよ、選択を間違えていますね」
「ははは、酷いね」
助手とは思えない口の悪さだが、彼は全く気にしない。
これまでに二人は、普通の探偵と助手という関係では説明できない、色々な経緯があったのだ。
こういう風な会話をするのが、二人にとっては当たり前というわけである。
「私を見つけてください、か。もしも殺人予告なのだとしたら、止めなければいけない」
「しかし、どうやって? 誰だかも分からない、誰を殺したのかも分からない。何も出来ないじゃないですか」
「まあ、今はそうだね。でも、見つけてと言っているのだから、何かしらの手掛かりがあるはずだよ。それを真剣に探してみよう」
「分かりました。そうですね……どうして2020年の夏なのでしょうか」
手紙について真剣に考え始めた西尾は、口元に手を当てる。
「わざわざ2020年の夏と、時期を決める必要なんてありますか?」
「そうだね。そこに、差出人の強い思いがこもっているのは確かだ。2020年の夏。君は何を真っ先に考える?」
「……2020年の夏、ですか……」
彼の頭の中には、すぐに思い浮かぶものがあった。
「確か2020年の夏に、首都で何かイベントごとがありましたよね。あまり興味が無かったので、どういったものなのか覚えていないのですが」
「世間のことを知っておくのも、社会人の嗜みだよ。いろいろな知識を持っておかないと、いざという時に動けなくなるから、どんなことでも頭に入れておくべきだ」
「はあ、すみません。全く思い出せないので、教えてもらってもいいですか?」
ネットを使って調べるよりも、東雲に聞いた方が早い。
そういうわけで西尾が尋ねると、目を輝かせて説明をし始めた。
「この国に住んでいる以上は、さすがに知っておいた方がいいよ。2020年の夏にね、悲願だった2回目のスポーツ大会が開かれるはずだったんだ」
「はずだった? 何故、過去形なんですか?」
「それも知らないの? 延期になったんだよ」
「延期? どうしてですか?」
「まあ、事情があったんだよ」
その事情というのは色々とありすぎて、とても彼の口からは話せなかった。
いつもは饒舌な彼が口を閉ざしたので、西尾は察する。
「それでは、イベントは関係ないということですかね」
「そうとも限らないんじゃない」
「何故ですか。延期になったのでしょう? それなら、関係ないじゃないですか」
「逆に考えてごらんよ。延期になったから、関係があるのかもしれない」
東雲と話していると、話が見えてこない。
西尾はため息を吐いた。
「延期になったせいで、この手紙の主は不利益を被ることになったのかもしれない。だから延期にした関係者に、復讐を誓っているとか」
「そのような人は、たくさんいるでしょうね。探そうとしても、見つかるわけがありません。一体誰が、どのように、2020年の夏に人を殺そうとしているのか。ここでいくら考えても、見つかるわけがない」
「あーあ、本当に現実主義者過ぎて面白みがないよ」
「面白くなくて結構です。……そろそろいいですか?」
「何が?」
西尾はまた大きくため息を吐いた。
「この手紙、どうせあなたの暇つぶしなのでしょう」
突然のことに東雲は目を見開き、驚きをあらわにして、
「ばれちゃった?」
いたずらを見つかった子供のように、舌を出した。
「筆跡が全く同じです。もう少し、ひねって書けばよろしかったでしょう」
「隠す気は無かったからね。どう? 少しは楽しめた?」
「いいえ、全く。どういうおつもりで、こんなことをしたのかと、はらわたが煮えくり返っています」
「ああ、怖い怖い。そんなに怒らないでよ」
西尾の強い怒りを感じ取り、東雲は両手を上げて降参のポーズをとった。
「でもさあ、考えてもみてよ。この手紙が、全くの嘘だと本当に言えるのかな?」
「あなたが送ったんですから、嘘じゃないですか。それも質の悪い」
「2020年の夏に人が殺されない確率は、人が殺される確率よりも、ずっとずっと低いよね」
「……そうかもしれませんけど。しかし……」
「それじゃあ、君が人を殺さないって本当に言い切れる?」
「は? 何を言っているのですか?」
さすがの彼も、その言葉は聞き捨てならなかったようだ。
鋭く睨みつけ、あと少しでも何かを言えば、殴りかかりそうな雰囲気である。
「それだって分からないだろう。君が人を殺さないというのは、僕は分かっているつもりだよ。でも殺すにしても、直接的ではない場合だってある。バタフライエフェクトという言葉があるぐらいだからね。君のちょっとした行動で、人が死ぬかもしれない」
西尾は何かを言おうとして、しかし何も言えなかった。
「絶対に人を殺すことは無いって、言い切れる? 無理でしょ。だからさ、この手紙は誰にでも当てはまることなんだよ。2020年の夏にしたのは、ただの思い付きだけど、人はいつだって人を殺してしまう可能性の中で生きているんだ」
東雲は返事を聞くことなく、そのまま一人で勝手に話を続ける。
「私を見つけてください、その私っていうのは、この世界にいる全員のことさ。今道を歩いているあの女性だって、ビルの窓を拭いている男性だって、一歩間違えたら明日には殺人犯になる。いや、今日、今この瞬間かもしれない」
窓の方を歩き両手を広げた彼は、この世界の誰かに話しかけるように、笑顔を見せた。
「だから、精いっぱい今日を生きた方がいい。後悔なんてしたくないだろう。……殺すかもしれないということは、死ぬ可能性だってあるんだからさ」
そして言葉を終えると、とたんに興味を失う。
「はい。今日の暇つぶしは終わり。明日は、どんな楽しいことをしようか」
一連の様子を何も言わずに見ていた西尾は、顔をひきつらせた。
「……全く、性格が悪い人ですね」
その言葉は彼の耳に届くことは無かった。
明日もきっと、今日のように振り回されることは決定している。
事務所を辞めたい。
何度も思っているが、給料の良さに、いまだ実行に移されることは無かった。
未来の殺人自供 瀬川 @segawa08
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