第38話泥海終末期

夜の底で髪を梳かし、冷えた部屋で膝を抱えたまま、もはや顔を忘失してしまったあなたを思う。その怒声だけが耳の奥に残っているのに、あなたの顔は夢の中でも形を成さず、溶けてゆく。生みの母、育ての母、とうに失ったあなた方への愛惜も、いつしか枯れ果てて、遠く隔たった土地への、微かな思慕の念を残して消えてしまう。谺する声ばかりがだんだん声量を増し、轟音となって耳の奥から溢れてくる。遠く、鐘の音とともに聞こえてくる故郷の音と入り混じって、それも輪郭がぼやけてしまう。泥海と化した記憶の渦の中へと、わたしは溺れてゆく。すべてのものが無と帰したその海から、少しずつ手が伸び、足が生えて、やがて生まれなかったわたしの子供になってゆく。その心臓に向かって、月光は矢を射る。少しずつ芽吹きはじめた若芽が子供を覆い、泥海は陸地となって春を迎える。その野原で、わたしはようやく歩み出す。ふたたび大地が裂ける、その時まで、足取りは重く、一足ごとに草を踏みしだいて、二度と帰らぬ故郷に背を向けて。

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