第30話The Requiem for the Mermans
水底から生まれてきたおまえに託す言葉などない。無形の泡となって消えてゆく名前をもう一度呼ぶ。失われて久しいその響きにおまえのたましいの形を見るのだろう。傷は深く、癒えることはない。無窮の時が流れても、おまえは安寧を見出さない。ふるえる唇でかすかに発音された母音も、まもなく消えてゆく。生まれる前の感情だけを拾い集めて、わたしはそれを火にくべてゆく。やがて炎のうちから煙が立ちのぼり、おまえの渦巻いた感情は天へと運ばれ、雲となって雨をもたらす。そのやさしい雨に濡れながら、おまえは二度と帰ることのない故郷を思う。そこでは誰もが痛苦とは無縁の暮らしをしていた。母の腕に抱かれた乳飲み子たちのように、川のせせらぎがおまえたちを押し包んでいた。だがその川も濁りきり、おまえは海へと流されて、そうして浜辺へと打ち上げられた。息が、できない。おまえはわたしに取り縋って懇願する。もう一度、あのふるさとへと、おれを帰してくれ。他には何も望まない。わたしは丁重な手つきでおまえをなで、もはやそこがどこにもないことを告げる。おまえの同胞たちもすでに亡い。おまえは最後のひとりとなってここまでたどり着いた。その破れた夢を、今ようやく訪れる、おまえの死のやすらぎのうちに見なさい。わたしはそうしておまえの瞳を閉ざす。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます