クラスTシャツと背番号

祭影圭介

第1話

☆プロローグ☆


秋の体育祭が終わってから一日が過ぎた。

洗濯物を取り込もうと思って、私は居間の窓を開けた。

昨日と変わらない強い日差しが小さな庭に降り注いでいる。

スリッパからサンダルに履き替え、柔らかい土の上におりた。

汗をたっぷりと吸って湿っていた体操着だが、ちゃんと乾いているだろうか。

物干し台に歩み寄り、手を伸ばそうとした矢先――

後ろから吹いてきた風が長い髪を撫でる。

目の前で一枚のTシャツがはためいた。その裏には、彼の誕生日である背番号77が印字されていた。


第一章 優佳の嫌いなクラスTシャツ



緩やかな坂道が川の土手沿いに延びていて、真っ直ぐ丘の頂上まで続いていた。アスファルトで舗装された狭い道を、同じ中学の制服を着た生徒達が歩いている。

鷲尾星彦も、幼馴染と一緒に学校を目指してひたすら登っていた。背は高いほうだが、やや前のめりの格好で歩いている。

短めに揃えた前髪は額にぴったりと張り付き、暑さのため表情も歪んで、口も固く閉ざされていた。

スポーツで程よく鍛えた体は、制服の中で退屈そうにしている。ワイシャツのボタンは既に二つ外していて、今三つ目を外したところだった。

土手からはときおり、むわっとした風が吹いてきて――

「あつーい~」

彼の隣にいた少女が声を発した。

「この髪うっとうしいなー。切っちゃおうかな~」

織部優佳が、腰まで届きそうなそれを首の後ろへと跳ね上げる。わずかに揺れた黒髪の間から耳の輪郭が露になって、ブラウスの胸元に結ばれたばら色のリボンがだるそうに動いた。

「じゃあ、教室に着いたらバッサリ坊主頭にしてやろうか」

 鷲尾が、優佳めがけて指で作ったハサミを放つ。

頭ひとつ分、彼女の方が背が低い。しかし行動を読まれていたのか、難無く攻撃を躱された。

「そういえばサッカー部の試合に出してもらったんでしょ」

「ああ、補欠だから出番無いかなーと思ってたけど……」

「どうだった?」 

 今は触れてほしくない話題だ。

夏休み最後の記念として他校との交流試合に臨んだ。部活に入っていない身にはもってこいの暇潰しイベントだと思ったが――

「どうせ藍野から試合の結果聞いてるんじゃないのか?」

「ん?」

 きょとんとした表情で彼女は答える。本当に知らないらしい。

藍野というのは彼女の親友の名前だった。毎朝八時ごろ通学路の途中で待ち合わせをして一緒に登校している。朝からテンションの高いやつで、今日も太陽なんか吹っ飛ばすぐらいに、しゃべって、しゃべって、しゃべりまくるだろう。

 そいつとの合流場所は、もう少し歩くと見えてくる小さな橋の袂で、岸の反対側には交番やバス停があり、たくさんの生徒が利用するスポットだ。

 ところが――

 ふっふっふ。あーはっはっは。

 背後から、高笑いが聞こえる。しかも凄くわざとらしい。

「聞いたわよ! サッカー部の後輩に罵られたんだって!?」

 ドキッ

とした。心臓が一瞬で縮んだようだ。

優佳と揃って後ろを振り向くと、藍野純が土手から上ってくるところだった。顔から胸、腰から膝と徐々に姿が露になってくる。片手に鞄を持っていてバランスが悪いのか、少し危なっかしい足取りだ。不意を突いてちょっと後ろに押してやれば、斜面を転がり落ちて河原に倒れるだろう。

 ほどなく彼女は通学路に全身をのっけて、ふーと長く息をついた後、いつもお得意のポーズを取った。

 小さいくせに、腰に手を当て仁王立ち。特ダネを握っているという表情で、気持ち悪いぐらいニヤニヤしている。頭の両端で束ねた茶色がかった髪が自慢気に揺れていた。

「何でそんなところから出てくるかな・・・」

 鷲尾の問いに、藍野が答える。

「暑くて早く目が覚めちゃったから、河原で少しスケッチでも――と思って。もう! 気付かないなんてひどいじゃない優佳」

「ごめん、藍ちゃん」

藍野は美術部所属で部活が無い日は、学校帰りにそこらへんに腰を下ろして絵を描いたりしている。しかし、朝は珍しい。

 彼女は当然のように優佳の隣に肩を並べて歩き出した。

「でも、星彦のところにメールしておいてくれればいいのに」

「驚かそうと思って。それにせっかくいいネタ仕入れたのに鷲尾が逃げたら困るし」

ちなみに優佳は現在、携帯を持っていなかった。夏休みの間、海に遊びに行ったとき、調子に乗って波打ち際で遊んでいるうちに落としてしまった。新しいものを買うために小遣いを貯めている最中と言っているが、本人は部活や委員会などに所属していないせいかあまり不自由を感じていないらしく、藍野が早く買うよう急かしている。

「星彦、何やらかしたの? 寝坊はしょっちゅうだからニュースにならないし~自殺点か、対戦相手と乱闘騒ぎかな?」 

「ブー。全部外れ~」

「じゃあ、審判に抗議して唾ひっかけた! あとは・・・監督殴った?」

 藍野がTV番組の真似をして『ファイナルアンサー?』と尋ねる。

 優佳はそれに対して真面目な顔で頷いた。

「残念~」

「あちゃー。今日の昼のデザートは私のおごりか~」 

「毎度あり~」

 賭けは大抵、優佳の負けだ。

 藍野が負けるような勝負を自ら仕掛ける訳が無い!

「ダメじゃない鷲尾。帰宅部でなんの取り得も無いあんたをせっかくクラスメイトのよしみで試合に出してもらっているのに、キャプテンの顔を潰すようなことをしちゃー」

「星彦、郷矢君に何か悪いことでもしたの?」

二人の視線がキツかった。『さあ、優佳の前で白状なさい』と藍野が迫る。

「うるっせーなー。郷矢のとこの後輩がつっかかてきたから、頼まれて出てやっただけだ! って、つい……」

 それだけじゃよくわからないーーという顔をしている幼馴染みに対して、横にいた彼女の親友が『あたしもよく知らないんだけどね……』と説明を始める。

 弱小サッカー部に所属する郷矢斉の誘いで、控え選手としてベンチに入った。もちろん出番は期待していなかったのだが、試合中部員の一人が相手チームの選手と接触して怪我をした。まだやれると言い張る後輩をキャプテンである郷矢は大事を取って交代させた。それが気に食わなかったらしく、ことあるごとにそいつはやり場のない矛先を向けてきたのだった。

「試合自体はどうだったの?」 

「前半0対0で、後半戦に突入。郷矢のシュートが何度も敵のゴールを脅かすものの、相手キーパーのセーブに阻まれ、得点は挙げられず。苛立つ応援席の観客達。先に点を取った方が勝ちってムードの中、残り十分で鷲尾選手登場!」

「おおー。そこでキャプテンの郷矢君に代わってバシッとシュートを!」

「決めようとしたんだけど……。無理矢理ボールを奪おうとした結果、ファール喰らってレッドカード、一発退場!」

「えー」

「って、ゆーのは嘘だけど。だから負けたんだって優佳。鈍いなー。勝ってたら大事にならないわよ」    

「あっそっか、藍ちゃん」

 こいつら……

 二人揃うとめんどくさい。

 雰囲気を敏感に察したのか、優佳が当たり障りの無い話題を選ぶ。

「藍ちゃん、夏休みの宿題は全部終わった?」

「ううん、まだ――。それより二学期といえば体育祭に文化祭。我が学園の名物であるクラスTシャツが着られるイベント! あたし一回でいいからあれ作ってみたかったのよねー」

「ちょっと、また私の全部写す気なんでしょ。やめてよねー。バレたらこっちまで怒られるんだから……」

ぶつぶつと呪詛のように愚痴をこぼしているのがかなり怖い。

「しかし藍野、学園側でやめようって動きもあったみたいじゃないか。そんなことに予算を回さないで視聴覚室や古くなったプール設備を新しくしろってさ」

「もちろん全力で阻止した。一年のときからいいなー。早く三年になりたいなーと思ってたのに、よりによってあたし達の代で廃止にしようとするなんて! 他校に比べたらささやかな楽しみじゃないの」

「まあな。生徒会メンバーが中心に学校側に対して存続を求める署名活動もやってたしな。どうせお前も一枚噛んでたんだろう」

 彼女は答えずに、ふふっと笑った。

「良かったね、藍ちゃん。でも、私あれあんまり好きじゃないなー」

 優佳が口を開く。

「前に鷲尾から聞いたわ。小学校のときクラスで記念にTシャツを作ろうってことになって、優佳の描いた絵とほかのイラストが最後まで残ったものの、クラスでどちらの作品を採用するか意見が割れて先生が勝手に決めちゃったんでしょ。あたしなら頭にきて先生の机に火着けるわ!」

「お前と一緒にするな!」

 あははーと藍野が気楽に笑う。

「じゃあねー、表に絵があるだけで裏が無地じゃあつまらないからー、背中にマジックで『先生お願い。私に決めて』って書くかな」

「アホか! 大体、運動部のユニフォームじゃないんだから、そんなのねーよ! 卒業式にやる寄せ書きじゃあるまいし・・・。お前自棄で言ってるだろ」

「あら、バレた? でも、あたし達が卒業する前に女子バレーボール部の間であったこと知ってる? 二年生の子が憧れてる先輩のクラスTシャツがロッカールームに飾ってあったから、『好きです』って書いちゃったみたい」

「ああ、それ知ってるー。でも、本当なの? なんか女子校みたいだよね~」

 優佳が頷く。

「ホント、ホント。それとねー、今年はちょっと面白くなるかもね。体育祭にしろ文化祭にしろ、生徒会も新しいこと色々考えてるみたいなの」

「どういうことだ? クラスTシャツ以外にも何か作ろうってことなのか」

「まあね。今日か来週の初めにはホームルームで委員長から発表されるんじゃないかな。学園側にやられっぱなしじゃ、腹の虫がおさまらないでしょ!」

 藍野が力強く拳を握り締める。

 もったいぶってないで教えろよーと鷲尾が彼女に文句を言うが、

「秘密~」

 と短く答えて、舌を出した。


「みんな宿題やってきたー?」

 教室の中で鷲尾達がクーラーの風にあたりながら涼んでいたところ、黒板の前に立っている女が甲高い声を発した。

『まだー。これからやるー。終わんなかった~』

 クラスのあちこちから返事が飛び、窓際の一番前の席に座っていた鷲尾も

「俺も、俺も~」

 と手を挙げる。

彼の隣にいる藍野も『ふぅ~』と安堵の息を漏らし、その後ろで優佳がクスッと笑った。

二学期の始業式が終わり、蒸し暑い体育館から戻ってきてホームルームが始まった。

「ハイハイ。静かに! 今日提出のものはこれから集めて職員室に持ってくから。出すの忘れて帰らないように!」  

 壇上で手を叩いている生徒に再び視線が集まった。

 動きやすいように髪を頭の後ろでまとめ、きりっと引き締まった表情をしている。背も高く、長い手足が彼女の自慢だ。

 早(はや)谷(たに)莢(さや)。

 バレー部のエースで校内の女子からは絶大な人気を誇る。クラスの学級委員長も任され、今では欠員の出た体育祭実行委員も兼任していた。

「そうそう肝心なこと忘れてた。みんなも知ってる通り体育祭に向けて、各クラスでオリジナルのTシャツを作るから。夏休みの宿題にもなってたでしょ。課題の提出は、最初の美術の授業だから……えっと、ちょうど一週間後か。イイ? せっかく作ることになったんだから、手抜きして雑誌のイラストとか写さないでよ!!」

 彼女が注意を促すと

 ちっ

 と藍野が舌打ちした。しかめっ面をして小さな唇を突き出している。

何かモチーフにしたいお気に入りのものでもあったんだろうか。

 クラスTシャツ。

 この学園独自の行事だ。中学三年になると、各クラスでオリジナルのシャツを作り、体育祭や文化祭などのイベントで着用する。

みんなで絵を描いて、クラスの中で人気投票を行い、一位に選ばれるとシャツのデザインに採用される。

「鷲尾、あんた何かいいアイデアある?」

いいや、と彼が首を振ると、藍野が早谷に向かって手を挙げた。

「委員長、書いたの見せてー」

「残念でした。今日は持ってきてないの。おしゃべりばっかしてないで、ちゃんと聞いててよ。あ、もしかしたら知ってる人もいるかもしれないけど――」

 委員長はそこでいったん言葉を切って、あたりを見回した。

「生徒会の発案でクラスTシャツの後ろに背番号を付けることになりました」

 教室の中が、再び騒がしくなった。

『何それ? 知ってた? ううん。どう思う? いらないんじゃない? そうかな。よくわかんない』

 などなど、全体的に疑問の声が多い。

「えー、危うく廃止になりそうだったクラスTシャツですが、一学期の間は揉めるに揉め、夏休み前にようやく存続が決まりました。確かに費用を学園側の施設の老朽化対策に回すというのもわかりますが、今後一方的に行事の廃止を検討することがないよう、生徒会ではイベントを盛り上げていこうと思っています」

「それって委員長が考えたの?」

 藍野がまたも手を挙げた。

「残念だけど、違うの。でもクラスTシャツって、全員で絵描いてくるけど、数十人のデザインの中から一つしか選ばれないでしょ。みんなにもっとイベントに参加してもらおうと思って……。そこで運動部のユニフォームみたいに各自、背番号を入れてみてはどうかってアイデアに賛成したの」

 早谷は、最後に『みんな好きな数字考えといてね~』と伝えると、壇上から降り宿題を回収し始めた。

 ホームルームが一段落したところで途端に室内が騒がしくなる。

「鷲尾、あんたにはいいんじゃない。10番狙っちゃえば?」

 藍野がそっと鷲尾に耳打ちする。

「そっか、部活でサッカーやってる訳じゃないから、俺が10番背負ってもいいのか……」 

 朝、藍野が面白くなりそうって言ってたのはこのことか――

なるほど、と鷲尾が頷く。

「こういう話ならもっと早く教えてくれればいいのに……。なあ、優佳。いつもしょーがないことばかり言いふらしてるんだから」

 優佳が苦笑いしながら答える。

「ごめん、私……教室に着いてから、星彦がいないときにこっそり聞いちゃった」

「なんだ知ってたのか」

「でも藍ちゃん、欲しい番号が他の人と同じだった場合はどうするんだろうね。例えば……星彦と郷矢君が同じ10番だったら」

「くじ引きか抽選でしょ。ま、体育館の壁とかトイレのドアとか直して欲しいところたくさんあるけどさー、こっちのほうがあたしも面白いわ」

 そこでチャイムが鳴り放課後へと突入した。


寄り道しないでまっすぐ下校なんてもったいない。わざわざ始業式をやるためだけに、授業も無いのに学校まで来てやったんだ。

今日は暗くなるまで、ボールを追っ掛けてやるぞ!!

――鷲尾が暇なやつを集めて河原でサッカーを始めたら、みんな考えていることは同じだったらしい。呼んでないやつまで勝手にゲームに加わって、チームに別れて得点を競うことになった。

 おまけに誰にくっついてきたのか知らないが、女子のグループがしばらくの間、土手の斜面から黄色い声援を送ってきたりした。

 それまでちんたらプレイしていた連中が急に熱くなって、本気でゴールを狙い始める。展開もハードになって、ファールで揉めたりもした。

 しかし十人以上いた遊び仲間達は、陽が傾くにつれ一人また一人と鞄を引っ提げ帰って行った。

 暑さと疲労で身体がクタクタになった頃、ようやく全員の足からボールが離れた。最後まで残ったのはたった二人。

 鷲尾と彼の親友だ。

 そいつはサッカー部のキャプテンで、郷(ごう)矢(や)斉(ひとし)。

 髪の毛は短く刈り上げられ、広いおでこがよく目立つ。彫りの深い顔立ちに、角張った顎に濃いひげ、濃いもみあげ。 

 鷲尾よりもがたいは良く、今日はクラブの練習終わってからそのまま来たのでユニフォームの袖から、日に焼けた骨太の手足が伸びていた。

 彼らは喉を潤した後、火照った身体を休めるため、土手の斜面に寝そべって休憩タイムに突入。

 白いコンクリートの上に置いた鞄を枕代わりにして、少しの間、薄い紫色の空を眺めながらぼーっとしていた。

 だが郷矢は枕が合わないらしく何度も位置を変えては、ゴロゴロしている。鷲尾は、汗でびしょびしょのワイシャツを脱ぎ、上半身を露にしていた。

「郷矢、着替え持ってないか」

「あ? あるわけねーだろう。そのまま帰ればいいじゃないか」

「だいぶ前に一回やったことあるんだが……、土手を歩いているとき藍野に見つかって、しばらく変態呼ばわりされた」

「……ワイシャツもう一枚、余計に持って来い。それか体操服だな。俺様にはいざとなったらサッカーのユニフォームがあるけど」

「あとはクラスTシャツが出来るのを待つか。月末頃には完成するだろうし」

「恥ずかしくて着れないような代物だったらどうすんだよ。女子が考えたような可愛いキャラクターとかだったら」

「そんなの男子が票を入れないだろう」

「いいや。俺様達が入学した年に一クラスだけあったぜ。うちも他人事とは限らないだろう。藍野や織部とか文科系の女子どもがなんかやってきそうじゃないか」

 鷲尾が腕組みしながら唸る。

「うーん、早谷がどう出るか。俺もまだ何も考えてないんだよなー。他のも少し残ってるし」

「どうせ織部の写すんだろう。俺様はもう全部終わってるけどな!」

「いつも間違いだらけじゃないか。お前のは……。Tシャツのイラストはどんなのにしたんだよ」

「めんどくさいからうちで飼ってるブルドッグが、河原でサッカーボールで遊んでいる様子を描いた」

 得意気に話す郷矢だが、鷲尾は呆れていた。

「ひとのこと言えないじゃないか」

「だからよー、クラスTシャツなんかに頼らないで、高校入ったらちゃんと部活は入れよ。サッカーじゃなくてもいいからさー」

 私立の中高一貫校なので受験の心配は無く、高校にあがると校舎が隣町に移って、系列校と一緒になる。

 グラウンドも広くなるし、監督の指導の下しっかり練習して合宿にも行って、試合で活躍。新しい環境で部活動に打ち込むには絶好の機会だろう。

「大体、一年のときに途中からでもいいから入部すれば良かったんだ。入学早々、骨折なんかしやがって」

 郷矢の言葉に、鷲尾がむっとする。

「その頃はまだ、小学校の頃からつるんでいた連中と遊ぶのが楽しかったんだ。だから部活に所属してなくても気にならなかった。今はもうたまにしか会わないけど……」

「いつまでもつまんない意地張るなよ。大体プレイ見てて思うんだけど無茶が多いんだ。見てるこっちがひやひやする。この前の試合もそうだけどさ。気をつけないと、また大怪我するぜ」

「いちいちうるせーな。じゃあ出さなければいいだろう」

「ワリィ、ワリィ。鷲尾なら良くも悪くもなんかやってくれそうって、つい期待してしまうんだよ。入学したての頃みたいに、骨折したら怪我が治るまでの間、ずっと織部に付き添われてバス通学してくれるんじゃないかと思ってな!」

郷矢が目をスケベそうに歪めてニヤリと笑い、鷲尾は血相を変えて跳ね起きた。

「そんなにムキになるなよ。今まで知らないフリしてたけど、大抵のやつなら知ってるぜ」

「誰から聞いたんだ!? 藍野か。あいつめ~」

「女に付き添われて登校か。だっせ~」

 答えをはぐらかされた上、バカにされた鷲尾が掴み掛かる。

「この野郎!」

「お前なんかユニフォームいらないだろ! クラスTシャツで我慢しろ!」

 二人はとうとう立ち上がり、手を出し始めた。その間も互いを罵り続ける。

「たかが弱小サッカー部のキャプテンのくせに威張るな!」

「背番号が欲しいんだろ? 10番くれてやるよ。織部がデザインしたシャツでも着てろ!」

 しばらくしても決着がつかず、ぜえ、はあ……と息を切らしながら対峙する。

 殴られたときの体に残る鈍い痛み。噴き出る汗。

言いたいことは言いあったが、それでもすっきりしない気持ち。 

 彼らは拳をおさめ、再び地面に背中から倒れこんだ。手足を伸ばして、大の字を作る。

 二人とも呼吸を整えるのに夢中で、黙ったままだった。

 鷲尾の方は目を瞑っている。

「言い過ぎたよ」

 郷矢が彼の顔を見ずに呟いた。

「ああ 久しぶりにやりすぎたな」

 顔を上に向けたまま、ふう~と息を吐く。

そして、なにか思いついたというような表情で目を開けた。

「なあ……、たまには頭使おうか」

「ん? 何か面白いこと思いついたか」

 二人が目を合わせる。

「俺がこれから描くクラスTシャツのイラストと、お前の絵――、人気投票でどっちが上か競わないか?」

 体力勝負でなかったら勝てると思ったのか、鷲尾が口を開いた。

 彼の提案に、郷矢が興味を示す。

「いいねえ。当然、俺様のよりいいの作ってくる自信があるんだろうな」

「もちろんだ。お前のブルドックなんか死んでも着たくないからな」

「言ってくれるねぇ……。実は、俺様もなんだ」   

 彼らは腹を抱えて大笑いする。さっきまで喧嘩していたことなど忘れたようだ。

 やがて郷矢は描き直してくると告げ、荷物を持って一足先に土手を離れた。


 2


 日曜日。

 鷲尾と藍野は、昼過ぎ頃から優佳の家に集まり、三人で宿題の答えあわせを行った。

しかし、夏休み気分が抜けない彼らは、彼女の部屋でお菓子を頬張りながらテレビをみてばっかり。 

 早々に勉強に飽きた藍野は、漫画を読みながらふと親友に向かって、クラスTシャツのイラストを見せてと話を持ちかけた。

 すると、意外なことに「まだ出来てないの。ごめん」という答えが返ってきた。

 もう、とっくに終わってると思ったのに――

 言葉が出てこなくて呆けた表情の藍野に、優佳がしゅんとなってしまう。

 鷲尾が、クラスTシャツといえば、俺と郷矢で得票数を巡り人気争いをすることになったと打ち明けた。

 藍野が面白がってはしゃぐと、優佳が応援するねと一言。

そして月曜日の朝がやって来た。



鷲尾達は揃って登校すると、それぞれ自分の席へと向かった。

優佳は腰を落ち着けて雑誌を開き、鷲尾は遊び仲間からの誘いを断り、机に突っ伏して目を閉じた。

藍野は何をしていたかというと、クラスメイト達にシャツのデザイン考えたかと尋ねて回っていた。しかしめぼしい収穫は無かったらしく、やがてつまんないという顔をして席に戻ってきた。

「あーあ、今度は男子も聞いてみようかしら」

 彼女は椅子に逆向きに座り、親友を正面から見据える。

「みんなどんなの描いてるって?」

 雑誌を捲る手を休めて優佳は話に付き合う。

「んーとね、花・洋服・食べ物とか定番ばっかりかな。あと自分の家で飼ってるペットっていうのもあった」

「藍ちゃんの家もねこいたよね。まだ描くもの決まってないのならそれにしちゃえば?」

 藍野が腕を組んで難しい顔をする。

「うーん、考えてないわけじゃないんだけど……」

「莢ちゃんとかは?」

「秘密~って言って、教えてくれなかった」

「真似されたくないんじゃないの」

「ケチ。でも背番号は4を狙ってるんだって」

「バレーのエースナンバーだもんね。クラブのユニフォームと同じにしたいんだよ、きっと」

「せっかくだからTシャツのイラストだけじゃなくて、そっちもクラスでどんな数字が人気あるのか調べてみようかな~。そうそう、大事な用があるから昼休み学食に来るように鷲尾に伝えてって頼まれてたんだ」

 藍野が隣で寝ている鷲尾の肩を摑んで起こす。早谷から預かった伝言を耳元で教えると、彼は眠そうな目をこすりながら了解というふうに片手をあげた。

 

 昼休み。

 混雑がピークに達した学食の片隅で、早谷、郷矢、鷲尾の三人が体育祭のクラス対抗リレーのメンバーについて話し合っていた。

 テーブルの上には、三つの水が入ったコップと、早谷の弁当袋がのっかっている。

 郷矢と鷲尾は休み時間に早弁をしてしまい、さっさと遊びに行きたくてうずうずしていた。

「もうリレーのメンバー表には名前書いて提出しておいたから。よろしくね二人とも」

 委員長が用件を手短に切り出した。

「俺様達に任せな! な、鷲尾」

「勝手に決めるなよ。嫌だよ、俺は」

 鷲尾が首をぶんぶんと振って否定する。

「どうせ暇でしょ。私達にはクラブ対抗リレーとかもあるし。ホントは当日、実行委員の手伝いや、今も代理で会議に出席してほしいぐらいなんだから。うちのクラスには運動得意なやつを遊ばせておく余裕なんか無いの」

「だからって押し付けるなよなー」

「鷲尾~、高校に行って部活に入るのなら少しぐらい実績作っておいた方がいいんじゃないか? リレーのアンカーで一着だと気持いいぞ~」

「お前、何でそんなに乗り気なんだよ」

「鷲尾こそ、他のやつにいい格好したいとか思わないのかよ。俺様は弱小とはいえ、これでもキャプテンだからな。後輩の連中にみっともないとこは見せらんねーんだよ」

 早谷がわかるわかると頷く。

「そうそう。先輩、素敵でした――って、言われて卒業していきたいの」

「しかも今年は背番号付きだから余計目立つぜ。優勝してみんなで胴上げしようぜ!」

「鷲尾も、織部さんの前ではみっとも無いとこ晒せないでしょ。藍野さんにも」

 そう言われて、鷲尾も考え込んだ。

「確かに幼馴染の前で恥ずかしいまねは出来ないが、そんなに勝ちにこだわんなくても……」

「じゃあ、戦う理由を俺様が作ってやろう」

「どうやって?」

 郷矢がニヤリと笑う。

「お前が本気になるようにすればいいんだろう。簡単さ。俺様と賭けをしろ鷲尾。俺様とPKで勝負して、俺様が勝ったらリレーの選手になれ」

「お前が負けたら?」

「学食の食券、10枚綴りをくれてやるよ。金は早谷が出す」

「なんで私なの!? あなたが払えばいいじゃない」

 抗議をあげる早谷に交換条件を持ちかける。

「それじゃ面白くないだろう。俺様が負けたら代わりに委員長の会議に全部出席してやるよ」

「自信あるんでしょうねえ……。来週には隣のクラスと合同で体育祭の練習だってあるんだから――」

「鷲尾の足が欲しいんだろう。俺様に賭けてみろよ」

 早谷は少し考えてから、口の端を緩める。

「いいわ、男同士の勝負に預けるとするわ。あんた絶対勝ちなさいよ! 負けたら死ぬまでこき使ってやるんだから」

「任せな。さすが委員長、話が早い。あとは鷲尾、お前だけだ」

 二人は顔を見合わせて、

「郷矢、お前とは一度真剣にやりあってみたかったんだ。後悔するなよ。その面子、潰してやるぜ!!」

 こうして鷲尾と郷矢の二人は、PKで争うこととなった。


 放課後の校庭。

 鷲尾はライバルのシュートを止めるため、サッカーゴールの前で身構えた。

 さっき放った彼の五本目のシュートは、惜しくもパンチングで弾かれ、今までどちらも得点を許さず互角の勝負が続いている。

 郷矢がボールの前で、足を止めた。ちらっと観客のほうに目を向けたような気がする。

 サイドのベンチには、彼の後輩が数人と優佳や藍野の姿があった。早谷は委員会の会議に出席しなければならないらしく、立会いには参加していなかった。

 郷矢が助走をつけるため、後ろに下がる。

 右か、左か……

 その真剣な表情からは、どちらに蹴ってくるのか読み取れず。

一瞬だけ目が合った。

 行くぞ――

 来い!

 鷲尾が応じる。

 うおおおおおおおおおおおお

 と雄叫びをあげながら、郷矢が突っ込んできた。

 ボールの弾ける音がして、蹴りだされた球がゴール目掛けて向かってくる。

高い!

鷲尾は精一杯ジャンプした。

だが僅かにタイミングが遅い!

彼の両手の上をボールが掠め、ネットに突き刺さる。

郷矢のシュートが決まった。

観客達から声があがる。

負けた――

自分の背後に転がるサッカーボール見て、鷲尾は肩を落とした。

 一方、郷矢は奇声をあげながら、腰に手をあててダンスを始める。しばらくパフォーマンスを披露した後、親友のほうへ近づいていった。

「悪ぃな鷲尾。勝たせて貰ったぜ」

 偉そうに胸を張って、親指を立てる。

「最後の最後にやってくれるじゃないか」

「ということで、俺様と一緒に体育祭で走ってもらうぜ。もっとも途中、そんなことは忘れてたが」

「俺もだ」 

 二人が手を合わせ、ぱちんと音が鳴った。

「よし鷲尾、これから河原に遊びに行こうぜ。リレーの練習が始まるようになると、自由に遊べなくなるからな~」

「部活は出なくていいのかよ。今日、練習あるんじゃないのか?」

 郷矢はそれには答えず、後輩達がいる方に向かって、両手でメガホンを作り叫んだ。

「お前らちゃんと練習やっとけよー!」

 するとすぐに答えが返ってくる。

「先輩―! 土曜日も練習さっさと切り上げて、土手に行ってたでしょう! マネージャーが知ったら怒りますよ!」

 部員の声には背を向けて、ばれてたのか……と、舌打ちした。

「行くぞ鷲尾!」

 彼はそう言って、親友の肩を組んで歩き出す。

「あいつらお前のこと待ってるんじゃないのかよ。それに鞄はどうすんだ? 教室に置きっ放しだろう」

「家に持って帰らなくちゃいけないもんでも入ってるのか、エロ本とか」

 鷲尾が唇を尖らせる。

「ねーよ」

「じゃあ何も心配することは無い。決めるときだけ、バシッと決めればいいのさ。今のPKみたいにな。うるさいやつらが来る前に走って行くぞ!」

「だから弱いんだよお前のチームは……」

「うるせぇ」

 その後二人は学校を離れ、早谷からの着信を無視して日が暗くなるまで遊び続けた。


 4


 鷲尾が郷矢とのタイマンに敗れた翌日――

午前中、最後の休み時間。

鷲尾の机の上に一枚の紙が裏返しに伏せられていた。表には絵が描いてあるようだ。

持ち主はトイレにでも行っているのか席を外している。

藍野がそれを発見して、椅子を離れた。

「優佳~」

彼女は親友を手招きして呼び寄せる。

二人は鷲尾の机の前に並んだ。

「なあに、藍ちゃん」

「これ、あいつが描いた絵のイラストなんじゃない?」

藍野が机の上の用紙を指差す。

「ほんとだ……。いつも寝てるのに、珍しく起きてノート取ってると思ったら、内職してたのか」

「見ちゃおうかな~」

「やめなよ藍ちゃん、勝手に見たら怒るんじゃない?」

「そう言う優佳だって本当は見たいんでしょ。ほれほれ、素直に白状しろ~」

 藍野が肘で親友の胸をぐりぐりと押す。

「やめてってばー、もう~」

「こんなところに置いておくやつが悪いのよ」

「あ、藍ちゃん。ダメだったら」

 制止の声を振り切って、イラストを表にひっくり返す。

 シャツの真ん中には、炎に包まれたサッカーボールが描かれていた。黒い靴下とスパイクシューズを履いた足により、空高く蹴りだされている。ゴールを突き抜けてどこまでも飛んで行きそうだ。

「へえ~、鷲尾にしてはマシなの作るわね」

「昨日PKで負けたのが余程ショックだったみたい。今度は絶対負けない! って張り切ってたからね」

 そこへタイミング悪く作者が教室の外から戻ってきた。二人を見つけ、大声をあげる。

「何やってんだお前ら!!」

 振り向いた藍野が、しまった――という顔をして、イラストを慌てて元に戻した。

 鷲尾が派手な足音を立てながらやってくる。

「さっき出来たばかりなんだぞ! 昼休みのとき真っ先に郷矢に見せようと思ってたのに……」

 彼は怒ってイラストを引っ掴んだ。手がぶるぶると震えている。

「ごめんね、星彦」

 優佳が手を合わせる。

「謝る必要なんかないわ。どうせまた優佳からノート借りて写すつもりなんだから。絵を描いている間、授業なんか聞いて無かったでしょ」

「うるせーな! こういうのは、アイデアが浮かんだとき一気に片付けるのがいいんだよ! それに今度の人気投票だけは郷矢に勝たないといけないんだ」

唾が飛びそうな勢いで鷲尾がしゃべる。

「わかった。そこまで真剣だとは思わなかった。じゃあ、お詫びにあたしのノート貸してあげる」

「お前のは、何が書いてあるのか読めないだろう」

「なんですって」

 藍野が握り拳を作る。

「星彦! 藍ちゃん!」

 優佳が二人の名を読んで仲裁に入った。

 ほどなく鷲尾の方が折れる。

「見ちまったのはしょうがない。ちょっとそこで待ってろ」

 というと、彼は郷矢の席まで行き、机の中から一枚の紙を取り出して戻ってきた。ライバルの描いた作品だと言って、自分のと比べてどっちがいいか判断してほしいと藍野達に渡す。

「また喧嘩になっても知らないよ~」

 優佳の忠告には構わず、藍野は「どれどれ美術部のおねーさんが見てあげよう」と偉そうに言って絵を眺めた。

 サッカーボールに大きな目と口が可愛らしく描き込まれていて、小さな手足がちょこんと伸びていた。そのファンキーなキャラクターの横に、ブルドッグがおすわりしていて、互いに睨めっこをしているような格好だ。

 背景には河原が広がり、陽の光で草や川が金色に照らされていた。

「へー、随分独創的ね~。これはこれでいいんじゃない。票が集まるかどうかは別として……」

 藍野は笑いながら、親友に感想を求める。

「私は、星彦の方が断然いいと思うけどな」

「良かったねー。鷲尾。褒めてもらえて」

「おう。二人とも応援してくれ!」

 その声にうん、と優佳が頷いた。

「いいなー、張り合う相手がいて。毎日楽しくて元気出そうだね」

「えー、じゃあ、あたしは郷矢に期待しようかな。ユーモアたっぷりで意外と気に入ったわ。でも、鷲尾。郷矢って本当にそれを提出するの? なんか新しいの思いついたって言ってたけど……」

「なあに、大したことないさ。ブルドッグに毛が生えた程度だろ。それか犬がウンコでも垂れ流してるんだろうさ! 楽勝だぜ!」

 ライバルの作品を散々けなした後、鷲尾はこっそりそれを持ち主の机の中へと戻したのだった。

 

 学校が終わって、鷲尾達のリレーの練習を見学した後、優佳と藍野は土手の斜面に腰を下ろしていた。

 藍野がスケッチブックを膝の上にのせ風景をスケッチしている。

既に長かった日差しは傾いて勢いを失い、淡いオレンジの光が川面を照らしていた。ときおり吹く風が河原に広がる草を揺らし、その匂いを土手まで運ぶ。

 彼女の傍らで、優佳は河原で遊ぶ鷲尾達に視線を落としていた。

 彼らは時間も忘れてボールを追い掛け、シュートが放たれるごとに楽しげな声があがる。

「さっきからずっと見てるけど飽きない?」

「うん、ちょっと考えごとしてた」

「やっぱり。ずっと眺めている割には上の空というか……目が鷲尾のこと追って無かったし」

 優佳が少し困ったように笑い、二人は顔を見合わせる。

「藍ちゃんには敵わないな~。背番号のこと考えてた」

「ずっと?」

「そう。それも先週、藍ちゃんから星彦に内緒でこっそり教えて貰ったときから」

 藍野が目を丸くする。

「どうして……よっぽど欲しい数字でもあるの?」 

 うん、と小さく頷く。

「私ね、クラスTシャツってあんまり好きじゃないんだ。でも今度は嫌な思い出にしたくないんだ」

「絵は……描かないの?」

「ううん、そうじゃないけど――」 

 優佳は側に落ちていた木の細枝を拾って土をいじり始める。

「ただちょっと勇気を星彦に貰おうかなーと思って」

「いいんじゃないの。どんどん貰っちゃえば。そうしないと返してくれそうにないし、あのバカ」

「本人知らないところで勝手に使って怒らないかな~」 

 何を? と首を傾げる親友に向かって、優佳は黙って木の棒を動かす。たっぷり時間をかけて7という字を二つ掘った。

「まさか、それ――」

「ふふっ。気づいた?」

「うそ……」

「正解は、誰かさんの名前の由来になった誕生日でした」

 藍野の表情が驚きから戸惑いへと変わる。

「それ、着るの、本当に?」 

「着るというより……飾っておきたいかな。高校行っても、このままだとどうせ同じような毎日のような気がするから――特別な思い出にしたいの」

 男達の歓声が二人の元まで響いてきた。河原で走り回る彼らに目を向け、しばらく眺めている。鷲尾がボールを持って前線に上がっていくところで、藍野の方が口を開いた。

「いいんじゃない。Let‘s go だよ。」

「レッツゴーか。それいいね」

 優佳が枝でアルファベットを地面に刻んでいく。

「でも、あたしならもう直接、好きですって言っちゃうけどな~」

「私からは言わないよ。気づいて欲しいの」

「意外とワガママなのよね~」

「びっくりさせたいだけだよ。……藍ちゃんの方こそ、そのときは上手くいったの?」

「ん? 振られちゃった――」

「ダメじゃん」 

 藍野が小さく舌を出す。

 それから彼女達は、昔話に花を咲かせのだった。


 5


 二日後、木曜日の昼休み。

「あーもうだめ! 何も思いつかない!」

 藍野はノートに描いていたクラスTシャツのデザインを真っ黒に塗り潰した。優佳と一緒に弁当を食べてから、夏休みの宿題に挑戦しているが、さっきからボツにしてばかりいる。

「呆れた。まだ終わってないの?」

 弁当袋を持った早谷が、彼女の席の横に立った。

「あれ? 今日、体育祭のミーティングじゃなかったっけ。もう終わったの?」

 藍野が教室の壁に架けられた時計を確認する。次の授業まであと十五分ぐらいあった。

「プログラムをプリントしてみんなに配るはずだったんだけど……印刷機が途中で故障して、修理するから放課後に流れただけ。残りのコピー機は先生達が全部使ってるみたいで――。はぁ~、私まだお昼、食べてないんだけど……」

 早谷は愛しそうに弁当袋を胸の前で抱きかかえた。だが宿題の邪魔をする訳にもいかないので、諦めて帰ろうとしたところ――

「莢ちゃん、こっち、こっち~」

 後ろで二人の会話を聞いていた優佳が手招きする。

「椅子は星彦の使って」

「OK♪」

 早谷は鷲尾の席に回り、彼のチェアを優佳の机に向けて腰を下ろした。袋の紐をさっさと解いて水筒と弁当箱をそこに並べると、コップに音を立てながらお茶を注ぐ。

「あー、お腹空いた。頂きまーす」

 手を合わせた後、彼女は食べ始めた。

「ふぁ~、あたしも気分転換しようかな~」

 藍野が大きなあくびをしながら背筋を伸ばす。間の抜けた声が口から漏れた。

「人気のある背番号を今、調査してるとこなの。みんなにメール送ってアンケートしたから集計手伝ってくんない?」

 携帯を取り出して、後ろを向いた彼女は二人に向かって呼び掛ける。

「藍ちゃん、そっちはいいから先にデザイン考えなよ」

「そうそう。第一、原則携帯は学校にいる間は鞄の中にしまっとく! 見つけたら没収!」

 早谷が素早く藍野の手から端末を奪う。

「ぎゃー! 情報収集と噂をばら撒くことが、あたしの生き甲斐なのに!」

 返してと! 藍野が泣きつくものの、バレーで鍛えた腕力の前にあっけなく屈服する。

「もっとマシな趣味みつけなさい」

「莢ちゃん厳しい~」

「大体、終わってないのあなたぐらいじゃないの? 郷矢や鷲尾とかだって終わってるのに、信じられない」

「私も昨日、終わったー」

 と、優佳が報告する。

「う~、美術部員のあたしとしたことが……。こうなったら本当に飼い猫の手でも借りようかしら」

 自己嫌悪に陥り、優佳の机でうな垂れる藍野。

「織部さん、どんなの描いたの?」

「私はね~、莢ちゃんが教えてくれたら見せてあげてもいいよ」

「え~、秘密なの? いいじゃない。ちょっとだけ」

 早谷がお願い――と手を合わせて、優佳はどうしようかな~と笑いながらはぐらかす。

「そういえば織部さんって、小学生のときもやったんでしょ」

「え? うん。そうだよ」

「どんなの作ったの?」

「そうよ優佳! 写真とか残ってないの」

 藍野の声が弾み、瞳をキラキラと輝かせる。

「ええっと 確か探せば、あると思うけど……」

「前のならいいでしょ。見せて」

「サンプルは多ければ多い方が助かるわ」

 二人に迫られ、優佳が困る。彼女は小さく嘆息した。 

「もう。ただ見たいだけでしょう」

「いいもん。優佳が見せてくれないのなら鷲尾に頼むから」

「さすが学園一の情報通。冴えるわね」 

 藍野と早谷が手を組んで、お互いの目を見ながらがっちりと握手する。

結局、しょうがないなーといいながら優佳は頷いたのだった。


 深夜。

 ベッドの横にあるスタンドライトだけが仄かに灯っている小さな部屋で、優佳はお気に入りのパジャマに着替えた後、タンスの前に腰を下ろした。一番下の棚を開け、奥から古くてよれよれになったシャツを取り出し膝の上に広げる。

 もう何年もしまってあった、小学生のときに星彦から貰ったクラスTシャツ。幼稚園児が描いたようなオバケの絵で、シーツのような灰色の長い布が地面から浮き、黒い大きな目の真ん中が黄色く怪しげに光っている。

 でも、これが好きだった。

 自分のクラスで作ったシャツは着ないで、学校ではこれを頭の上から被ってお化けの真似をしてよく遊んでいた。校庭ではしゃぎ回っていたら、転んで怪我をしたこともあった。

大好きだった。

 大好きだったのに――

 丈が短くなってしまってもう着ることができないそれを、胸の前で抱き締めた。襟を指先でなぞっていく。とても狭いその部分は、いくら伸ばしても現在(いま)の自分が入りそうになかった。

 大切な思い出。

 それをくれた星彦は、自分のTシャツのことなんて――

覚えていないだろうな、きっと。


 6


 金曜日、一時間目が終わった後の休み時間。

 優佳の持ってきた子供の頃の写真が、藍野と早谷の目に晒されていた。

「これ、鷲尾!?」

「優佳、ちっちゃ~い」 

 二人は昨日の昼と同じように椅子に腰掛け、優佳の机を囲んでいた。写真は藍野が持っていている。早谷が肩を寄せて横から覗き込んでいるような格好だった。

「でも、優佳クラスTシャツ着てないじゃーん」

 藍野が親友に向かってクレームをつける。そこに映っているのは、鷲尾が河原で木の棒を剣のように構え、オバケの絵が描かれたクラスTシャツを被った同級生と戦っているところだった。優佳はオバケの後ろで、怯えたように地面にうずくまっている。

「織部さん、お姫様役だ。いいな~」

 早谷が羨ましそうな顔をする。

「鷲尾が騎士(ナイト)役なら、あたしはオバケを僕(しもべ)に従える悪い魔法使いで、優佳をさらっていこうかな。大きな三角のとんがり帽子に、全身黒ずくめの衣装で、手には魔法の杖ね」

「じゃあ、私は姫を助けるために隣国からやってきた王子で、弓が得意なの。そして騎士と姫をめぐって取り合いすんの」

 二人は妄想を膨らませながら、ギャハハハと大声を立てて笑う。

 優佳が頬を赤く染める。

「もう、恥ずかしいからやめてよ……。でも、この頃はよく一緒に遊んでたな~」

「いまも大して変わんないじゃん」

 と藍野が口を挟む。

「そうかな」

「そうだよ」

 親友に言われて優佳は、ふむと腕を組み、顎に手を当て考える仕草をする。

 そんな彼女に早谷が話し掛けた。

「ねえ、これ誰が撮ったの?」

「う~んと、誰だったっけ……。学校じゃないから、誰かのお父さんじゃないかな」

「あたしも撮っちゃおうかな~」

藍野が手にしていた写真を膝の上に乗せ、携帯を開きカメラをスタンバイする。

優佳が、あっ! と叫ぶが、

ガシャ

ボタンを押す音の方が僅かに早かった。

「あああああ! ちょっと藍ちゃん、何やってんの!?」

 優佳が身を乗り出して、携帯を奪おうとするが、藍野が上体を大きく反らしてそれをかわす。

「甘いわね、優佳。あたしの命の次に大事なものを奪おうなんて」

「莢ちゃん、取って!」

「任せな」

早谷は大真面目な顔で頷き、藍野の膝の上から取ったものを優佳に渡す。

「大事な写真が落ちるとこだったわ」

「そっちじゃない!」

 優佳が全力で抗議する。

「さすが、委員長! 後で撮った画像送っておくから」

 藍野の言葉に、早谷が親指を立てて応える。

「もう! 藍ちゃんが絵の参考にって言うから持ってきたのに――、二人ともあっち行って!!」


 7

 

 小学校からの帰り道、一人で家路を急いでいた私を星彦は走って追っ駆けてきた。

 私の描いたイラストがTシャツの絵に選ばれなくて、河原で泣いたあの日から、なんとなく彼を避けていた。

 朝は一緒に登校していたけど会話は少なくて、学校に着いてからはクラスが別々なこともあって顔を合わせずにそのまま下校することもあった。

 各クラスのTシャツが出来上がって、みんなに配られた日。

 私はそれを見るのが嫌で嫌で、逃げるようにさようならの挨拶をした後、教室を飛び出した。

 家に帰ったらランドセルの中に入れたTシャツを真っ先にゴミ箱の中に放り投げるつもりだった。いや、やっぱり川の中に捨てた方が確実かな……。

 だから、その日に限って星彦が大声で名前を呼んできたときには驚いたな。よくわからなかったけど怖かった。

 案の定、何で逃げるんだ! と彼は怒った。

 結局、足では敵わなくてランドセルを摑まれる。そのまま捕まった。

 私も星彦も汗だくで息があがっていたから、お互い顔を向け合った状態でしばらく立ち止まっていた。

 やがて彼はランドセルの中から、ビニールに包まれた新品のシャツを取り出し、私に渡した。

「え――?」

 こっちが事情を飲み込めないでいると、やるって言っただろうとぶっきらぼうに答える。

 確かに、ちょうだいって言ったけど本当にくれるとは……

「じゃあな!」

「ま、待ってよ!」

 今度は慌てて私が星彦を呼び止める。だが、彼は静止を聞かずにずんずんと歩いていく。

「返すよ。星彦、着るのなくなっちゃうでしょ」

「……大丈夫だ。母さんに頼んで実は二枚注文してもらったんだ」

 彼は悪戯っぽい笑みを見せる。私はそのウソを簡単に信じてしまった。ありがとうって伝えて、素直に喜んだ。

 翌日、何も知らない私は、学校で授業中に描いた絵と同じイラストを紙に描いてお礼の代わりに渡した。

 星彦は、ガムテープでそれを背中に貼り付けて、俺のオリジナルTシャツだ! と言い張って遊んでいた。


 8


二学期が始まってから一週間。

今日は夏休み最後の宿題である、クラスTシャツのデザインを提出する日だ。四時間目の美術の授業で全員の絵が発表されることになっている。

鷲尾達が登校すると、教室の中は朝からクラスメイトが描いてきた作品の話で持ちきりだった。イラストを見せびらかしたりしているやつもいれば、女子同士でダメ出しし合っていたりする。

「藍野、絵描いてきたんだろ。見せろよ」

 立ったまま鞄を机の脇に引っ掛けた鷲尾が、隣の席に座った女子に言った。えー、と彼女は一応嫌がる様子をみせる。

「今日の最後の授業まで我慢できない? そうすれば、先生がプロジェクターを使ってみんなの分を紹介してくれるわ」

「俺の勝手に見ただろ」

「藍ちゃん、私にはちゃんと教えてくれるよね」

 藍野は後ろを振り返り、一時間目の授業の準備をしている優佳に向かって、満面の笑顔で頷く。

「言われなくても」

「藍ちゃん、意地悪しないで星彦にも見せてあげなよ」

「男子には見せない。破られたら困るもん」

「じゃあ、どんなの描いてきたのかぐらい教えろよ」

 鷲尾がいらついた声を発する。

 藍野が観念したように、はぁ~とため息をついた。そして一言。

「ネコ」

「な~んだ、お前のとこ猫か」

 鷲尾が少しがっかりした声をあげ、優佳も不平を漏らす。

「せっかく、私が昔のまで持ち出したのに……。ちょっと損した気分」

「意外とつまらないものを題材に選んだな」

 彼の言葉に、ふふん、と藍野が鼻で笑う。

「何がっかりしてんの、二人とも。あたしがただのネコのイラストを描くわけないじゃない」

「なにぃ?」 

 鷲尾が顔を歪めながら続きを促した。

「あたしね描いている最中に、こんなこと思いついたの。世界のどこかに苺の海があるの。果汁の甘い香りが広がって、大粒の実が漂ってる。そこに、カラフルな飴のビンが沈んでいくの。一本、二本、三本っていうふうに。それぞれのビンの中には、子猫が入っていて手足を丸めて眠っているの」

「や~、可愛い~」

 うっとりとした表情の優佳は、ほんのりと紅潮させた頬を両手で押さえている。

「そう、どこまでも乙女チックな甘い少女の夢の中を表現してみました」

「ね、ね、早く見せてよ。あ、莢ちゃんも呼ぼう。いいよね?」

 優佳が親友の肩を揺らす。

「いいわ。鷲尾も見る? 今なら特別にあんたも仲間に加えてあげるわ」

「俺は遠慮しとく……。お前の妄想だけで、見なくても十分わかるし――」

 鷲尾の顔は真っ青だ。

「星彦、大丈夫? なんか気分悪そうだけど……」

「先週、郷矢が藍野なら男が着れないようなものを作ってくるんじゃないかと言ってた。俺は否定したんだけど、まさか本当にやってくるとは……」

「何? また賭けでもしてたの?」

「いや、違う。そういうことじゃなくて、お前らそれ着て校庭、歩けるのかよ――」

 藍野は目をぱちくりさせた後、優佳を見た。優佳はきょとんとした表情をしていたが、えへへと可愛く笑う。

「二人とも考えてなかっただろ……。はあ~」

 鷲尾は頭を押さえながら、その場を去った。

 

「おい藍野、優佳のことなんだけどさ」

 鷲尾が真剣な面持ちで、隣席の女子にそっと耳打ちした。

「なになに」

 藍野がちょっと腰を浮かせて、もっとよく聞こえるよう彼の方に身を寄せる。

「お前なら知ってると思うんだけどさ、優佳のやつ何を描いてきたか知ってるか」

「実はあたしも知らないの」

 二人は後ろの席に優佳がいないことを確認する。三時間目の授業が終わって休み時間になってすぐ、彼女は教室を出て行った。美術室に行く前にちょっと寄るところがあるそうだ。 

「大丈夫かな~。やっぱり聞いておけばよかったかも」

「心配してるの?」

「だって、描けませんでした――とか、言い出したらマズイだろう」

「確かに優佳は昔のことを引きずっていたみたいだけど……」

 藍野は、親友と背番号のことについて話し合ったときのことを思い出す。

「でも、この前、終わったーって言ってたから問題ないんじゃないかな」

「そうかなぁ」

 鷲尾は首を傾げる。どうにも腑に落ちないようだ。

「幼馴染のこともっと信用してあげたら。あんたなんかよりもよっぽど優佳の方がしっかりしてるんだから」

 鷲尾はう~んと唸った後、わかったと短く頷いた。

 そこへ郷矢がやってくる。彼は黒板の前で足を止めると二人に向かって口を開いた。

「おい、何をコソコソやってるんだよ。もしかして俺様の噂話か?」

「お前は呼んでねーよ」

 鷲尾が顔を上げて、犬を追い払うような仕草をする。

だが、それぐらいで大人しく引き下がるようなやつではなかった。彼は拳を握り締めて、演説口調でライバルに対して熱い言葉をぶつける。

「次はいよいよ俺様の新しい作品のお披露目だ! 怖気づくなよ、鷲尾! そうだ藍野、絵の人気投票っていつやるんだ?」

「何であたしに聞くの。HRの時間とかじゃない? そのうち委員長から発表があるでしょ」

 藍野が荷物をまとめて席を立つ。

「もうそんな時間か?」

 鷲尾が驚いた様子で、黒板よりも高いところにある壁掛け時計を確認した。あと二分しか残っていなかった。

 郷矢も同じく、やべえと漏らす。

 藍野がぐずぐずしている二人を促した。

「さっさと移動するわよ。チャイムが鳴る前にね!」


 その後、美術の時間に発表された優佳のイラストには、絵が描かれていなかった。シャツ全体は真っ黒に塗り潰され、ただそれが彼女によって添えられたメッセージを一層浮き立たせていた。

 Let‘s go

 胸に大きく深紅の文字が躍っていた。


 昼の学食で、クラスTシャツの話をしていたのは、優佳・藍野・早谷の三人だった。彼女達のテーブルには、パンや紙パックに入った飲み物が置かれている。

藍野の周りにはスナックやチョコレート菓子の袋が開けられ、隣に座っている優佳が手を伸ばしてつまんでいた。

「授業終わるのが遅かったからお腹空いちゃった」 

向かい側に腰を下ろしている早谷は、サンドイッチを頬張っていた。パリパリとビニールを摑む音が響き、香ばしい匂いが漂う。

「盛り上がったもんねー」

 優佳が頷く。

「本当に。一番最初の藍野さんの猫! 男子から凄いブーイングだったし」

「出席番号の後ろからやればよかったんじゃないの」

 藍野は堪えた様子も無く、ゲラゲラと思い出し笑いをしている。

「莢ちゃんのも良かったよねー。動物を扱った作品でも藍ちゃんのとはえらい違いだった。しかも影絵っていうのが想像力刺激するよね」

「そうそう。前脚を高く上げて、たてがみを靡かせたあの大きな馬のシルエット。疾駆していた草原から、いななきとともに大地を蹴って飛び出してきた!」

 優佳が頬杖を突きながら、親友の熱の籠もった説明にうっとりとした表情をする。

「しかも力強さを感じる。ああ、凛々しくて素敵だったな~」

「やめてよー、もう。そんなこと言いながら心の中では自分のが一番とか思ってるんじゃないの?」

 照れた早谷が頬を真っ赤に染める。

まさかーと、彼女達は互いに牽制し合った。

「あー、宿題全部終わったし、ようやく自由の身か。ねえねえ、いつ投票するの?」

藍野が大きく伸びをした後、委員長に向かって聞いた。

「いつにしようか。まだ決めてないんだけど……。やっぱり今度のロングHRの時間かな。また一週間後まで待っていたら間が空き過ぎるような気がするし」

「来週の水曜日か……」

 まだまだ先ね――と藍野が呟く。 

「投票といえばあの二人どっちが人気出ると思う?」

鷲尾と郷矢の勝負に、早谷も関心があるらしい。それはクラスの中でもよく話題になっていた。彼らを真似して、似たような賭けをする連中も多い。

 藍野は隣に座っている優佳にちらりと目を向けた後、口を開いた。

「あたし郷矢かなぁ。まさか、あえてサッカーを外してバスケを題材に持ってくるとは思わなかった。鷲尾も度肝を抜かれたんじゃない?」

「うん。ちょっと慌ててたみたい。楽勝だと思ってたから、びっくりしたんじゃないの。星彦のも悪くないと思うんだけど……、郷矢君の方が男子から人気出そうだよね」

 早谷がそうそうと頷き、

「ボールを喰ってるところが特に」

 と付け加える。

 彼女も鷲尾の作品よりも郷矢の方を気に入っているようだ。

優佳としては、もちろん幼馴染の鷲尾を応援したいところだったが――

暗幕が下ろされた美術室で、プロジェクターに映し出されたイラストは強く印象に残った。

 リアルなタッチで描かれた髑髏があんぐりと口を開け、かぷっとバスケットボールを噛んでいた。いまにも呑み込んでしまいそうで、歯の隙間から白い息が漏れていた。

墓場から抜け出してきたばかりという感じでとても不気味だった。


 校庭に残って暇なやつらと遊んでいた鷲尾は、夕方になって部活帰りの藍野と合流。真っ直ぐ家に向かうにはまだ日が高かったので、通学路の河原からちょっと横道に入ったコンビ二に寄った。

 クーラーの効いた店内には彼らの他にも多くの生徒達がいて、商品を片手にうろうろしていたり、マンガ雑誌を立ち読みしていたり、レジに並んでいたり様々だった。

 藍野は棒つきのアイスを買い、鷲尾は1リットルの紙パック入りのお茶を買って、外に出た。

 本当はコンビ二の前でゆっくりしたかったのだが、建物の一角で座り込んでいる連中がいるなど居心地が悪そうなので、仕方なく二人は狭い車道の脇を歩くことにした。

 藍野は舌先でアイスを舐め、鷲尾は冷たい飲み物で喉を潤す。

 近くに隣町に通じる大きな橋があるため、たまに彼らの横を車がゆっくりと通り過ぎて行った。

「鷲尾―、あんた優佳のイラストどう思う?」

「ん~? ああくるとは思わなかったな~」

「あたしも……。カッコイイといえばカッコイイんだけど、なんか期待はずれというか」

「絵を描かずに文字と背景だけで一瞬で宿題を終わらせる……、さすが優佳。いつまでもデザイン決まんね~と嘆いていた誰かさんとは大違いだな」

「バカ! 優佳を鷲尾と同じにしないで。相当考えてあれにしたんだろうから」

 冗談だよ、と鷲尾が笑う。

「優佳が自分から絵を描くようになるまでもう少しだと思うんだけどなー。あんた優佳誘ってどっか行ってきなさい」

「俺が突然そんなことをしたら熱でも出たのかと本気で心配されるだろう」

 彼女に言われる前に一度、鷲尾もやったことがあるのだが、全然効果が無かった。隣街にある大きな美術館が西洋絵画の特別展を開いたとき、偶然タダでチケットを貰ったのでもちろん優佳に声を掛けた。

 でも、展示品をぼーっと眺めていただけで興味なさそうにしてたら 『一緒にいてもつまらない』といわれ機嫌を損ねたことがある。

もう、二・三年前の話だ。

「じゃあ何か別の方法考えて。夏休みの間も画家の個展とか行ったけど、それだけじゃダメ。今と変わらない気がする。今回のクラスtシャツのことみたいに、優佳自身も参加して盛り上がれるようなの。あともう一押しだと思うんだけどなー。いい絵にはちゃんと反応するから、刺激は受けてるはず。今回の委員長のデザインも、気に入ったって言ってたから――」

「優佳にもライバルが必要だな。俺と郷矢含めて三人でやるか?」

「男同士の勝負に水を差すような野暮なことしないから」

 そこで藍野は何かよからぬことを思いついたのか、ニヤリと笑う。

「優佳が多くの票を集めれば、描くのが楽しいって思うかもしれない。さらに他のも創ってみようと思うかもしれない。でしょ?」

 彼女が大体、何を考えているのかわかった。

「おいおいお前一人で突っ走るなよ。あいつの傷はそれぐらいでなんとかなるほど浅くない。もっと根本というか元から元気にしないと」

「ええ、だからせめて女子の間だけでも。だから男子の票を集めた鷲尾か郷矢どちらかと、女子の票を集めた優佳の一騎打ちって対決になりそうね」

「そんなに都合よくいくわけねーだろ!」 


 小学生の頃、クラスでTシャツを作ったことがある。

学校行事の一環で図工の授業中、紙にぐっちゃぐちゃのおばけの絵を描いて先生に提出した。真っ先に課題を終わらせた自分に続いて、他の仲の良かった連中も次々とふざけて似たようなモノを生み出していった。

 友達同士で互いの作品を見せ合い、馬鹿にするのが楽しくって、クラスが違う優佳のも見せてもらった。

 そのときの彼女がどんな絵を描いたのか、もうすっかり忘れてしまったけど……。

覚えているのは、優佳の作品はクラスの代表には選ばれなかったということ。そしてそれが、彼女にとってよっぽどショックだったということにも、すぐには気付かなかった……。

 学校では何の素振りも見せなかったからだ。普段と変わらないように見えた。友達とも笑っておしゃべりをしていた。

 ただ、学校が終わったらすぐいなくなった。

いつのまに下校したのか――

 何にも言わないで先に帰るのは珍しかったので、用事があるのか、もしかしたら具合が悪くなったのかと思った。

気になったので、帰宅してから優佳の家に電話した。彼女のお母さんが出たけど、まだ戻ってないって言われたのを覚えてる。

通学路で使ってる道は大体同じで、優佳の足はそんなに速くない。

どっか寄り道でもしているんだろう。

家にいてもつまらないので、すぐに外に出かけた。

誰かが面白そうな遊びをしていたら混ぜてもらうつもりだった。

近所の公園に行って、そこにいた野良犬をからかった後、河原に向かった。仲のいいやつがいなかったら、友達の家にお邪魔すればいい。

誰が来てるかなー、何してるかなー

と足を弾ませながら河原に到着。

いつもは最低でも四~五人は同級生がいるのに、グラウンドはがらんとしていて、寂しかった。

無駄足になったと思ってブラブラしながら帰ろうとしたところ、土手の隅っこで地面に体育座りをして俯き、小さくなっている優佳を発見。 

 近づいて声を掛けると彼女は、はっと顔を上げたが、すぐにまた地面の方を向いてしまう。

 元気が無い理由を聞こうとすると、突然わっと泣き出した!

 彼女は手の甲で涙を拭うばかりで、なかなか止まない。

 どうしていいかわからなかった。

 何かあげれば機嫌治るかな?

 そう考えて「アイス」あげるとか思いつく限り、口に出してみたけど、首を振るばかりで結局最後に一言「いらない」って言われただけ。

 じゃあ、何が欲しいんだよ? と少しいらいらしながら尋ねると

「私の絵が描かれたクラスTシャツ」

 という答えが返ってくる。

 このとき初めて優佳がぐずっていた理由が分かった。

 だから、自分のクラスのTシャツが出来たらあげるとつい言ってしまった。

 最初は顔に?マークを浮かべていた優佳だが、ほどなく彼女の表情は笑顔にかわった。








































第二章 優佳が選んだ背番号の意味



月曜日の朝。

鷲尾達が登校すると、始業前のHRで早谷から発表があった。

 クラスTシャツのデザインと各自の背番号は、今週のロングHRの時間に決めるそうだ。

 水曜日の六時間目――

全員分のイラストを集めて人気投票を行うので、楽しみにしているようにとのこと。

また、その日の昼休みまでに、欲しい背番号を私のところまで告げに来て――という内容だった。

各自の希望するナンバーを書き留め、応募者が多い場合は、その人達だけを集めてじゃんけんやくじ引きで決めるという。絵の投票をやる前に、ささっと済ませるつもりらしい。

早谷の話が終わった後、さっそく何人かが席を立ち彼女の元へと集まった。

 優佳や藍野もその中に含まれていた。


 四時限目が始まる前の休み時間――

 残り数分となったところで鷲尾と郷矢は、教室の中ほどにある早谷の机の前で揃って足を止めた。さっきまで彼女の席の周りには女子が群がっていて、クラスTシャツの背番号のことで盛り上がっていた。

 そいつらがいなくなったのを見計らって、二人は近づいたのだった。

「どうしたの? 珍しく真剣な表情しちゃって……。いつもは早弁してるくせに」

 早谷が驚いた表情で目の前に立つ彼らを見上げる。

「背番号のことなんだ」

 鷲尾が単刀直入に用件を切り出した。

「ああ、決まったの。で、何番にする?」

 そう言いながら机の中に入れていたノートを取り出し、二人の希望を記す為にページを開げる。

「なあ、俺様達の他に10番を欲しがってるやつってどれぐらいいるんだ?」

「教えられるわけ無いでしょ。そんなこと……」

「じゃあ何人いるんだ? 多いか少ないか? 三人? 五人? 十人か!?」

 鷲尾の質問に早谷は全て首を振る。

「藍野さんにでも教えてもらえば?」

「あいつにも聞こうと思ったんだけどさー、なんか休み時間になる度に優佳とこそこそどっか行ってるし、メール送ったらいつもはすぐ返ってくるのに、今日に限って今忙しいから後にしてって言ってくるし――」

「変ね……。何か企んでるんじゃない? あの二人――。背番号のことか、それともイラストの人気投票の方か……。さっきの授業中も前でヒソヒソうるさかったから」

 さすが早谷。藍野のことよくわかっている。

 正直に話しても良かったのだが、鷲尾はなんとなく言葉をはぐらかした。

「きっと藍野のことだから優佳の作品をクラスのデザインに推そうとでもしてるんじゃないか? いかにもあいつらが考えそうなことだ。だからこのことは、早谷に直接聞いた方が正確な数がわかるだろうと思ってさ」

「なるほどねー。でも、ダメなものはダメ」

 ちぇっ、と鷲尾が舌打ちすると――

「いいからそれ見せろよ!」

 郷矢が無理矢理、早谷の手からノートを奪おうとした。だが彼女は素早く両手でノートを摑み机の中に隠す。

「いやよ! まったくもう。何するの!? 」

 追い払わんばかりの剣幕に舌打ちする郷矢。

「今までにもあんたみたいなアホが来たんだけど、全部追い返してやったんだから! これで三組目よ」

「やっぱり俺達以外にも10番を狙っているやつがいるのか!? 聞いたか郷矢?」

「ああ、10番は誰にも渡さねえ。それを背負ってリレーに出るって決めてるんだ!」

「もーうるさい! そんなに欲しいなら背中にマジックで大きく書いてあげようか!?」

「ダメだ! 俺様の気持がわからないっていうのか? わかった。自分のクラスで夢が実現できないときは、俺様は他のクラスに移籍する! 隣のクラスにだって魂売るぜ」

それを聞いていた二人が「出来るわけがない!」と口を揃えた。

 早谷が疲れきった表情で溜め息を漏らす。

「だったら勝手に予選でもやれば?」

「予選? いいねえ~。ナイスアイディア!」

 鷲尾が名案だとばかりに手を叩く。

「ただし鷲尾と郷矢、二人だけでやりなさい。方法は任せる。そして勝った方が私のところまで言いに来る」

「それじゃ意味無いだろう」

 男達が揃って首を振った。

「あんた達みたいな筋肉バカ主催の予選に、例えば織部さんみたいな女子がいたらどうすんの? 圧倒的に分が悪いじゃない」

 むう、と郷矢が腕組みをしながら唸る。鷲尾は無言で頷いた。

「いいじゃない、この前のPKみたいに男だけで存分に楽しめば。決着ついたらその段階でライバル一人消えてるし。おまけに他に誰も希望者がいなかったら、あんた達二人のうちどちらかのものになるんだから」

「どうする郷矢?」

 話を受けるか蹴るか、鷲尾が相棒に確認を求める。彼は乗り気のようだが、連れの方は依然として考え込んでいるようだ。

「なんなら私が女子代表でお相手するけど? できればPKよりもバスケの3ポイント対決とかにしてもらいたいんだけど……」  

「ふざけるな! 委員長だからって、なんでもかんでも勝手に決めるなよ! 男同士の勝負に割って入るな! 行くぞ鷲尾!!」

 郷矢は鼻息を荒くしながらライバルと共に、苦笑いしている早谷の前から去ったのだった。


 10


 火曜日の一・二時間目は、鷲尾達のクラスと隣のクラスとで体育祭の合同練習が行われた。

 早谷を始め体育会系のクラブに所属する面々は張り切っていたが、文科系女子には迷惑この上ない話だった。

 藍野は仮病を使って授業をさぼり、他の見学者達から一人離れて、校庭を見下ろせる場所で見学していた。暑さを避けるため木陰に入り、みんなの様子を眺めるフリをして隠れて携帯をいじっていた。最初は木にもたれかかっていたのだが、やがて疲れてきたので、仕方なく乾いた土の上に腰を下ろした。

 一時間ほどが過ぎてメールをするのに飽きてきた頃――

 彼女のところに、へばり気味の優佳と、汗だくだがまだぴんぴんしている鷲尾がやってきた。二人とも、もちろん体操服姿だ。

「藍ちゃん~」

 優佳は親友の名を呼びながら、藍野にもたれかかるようにして倒れこんだ。そのまま器用に相手の背後に回りんで両腕をクラスメイトの首に巻きつけながら、恨めしそうな声をあげる。

「自分だけ休むなんてずるい。ずるい、ずるい~」

 藍野が悲鳴をあげて、やめてくれるように訴えた。優佳は手を離したままだったが、依然としてムスッとしたままだ。

 鷲尾は彼女達のやりとりに苦笑しつつ、木の幹に背中を預けた。襟首を摑んで体操服の内側に風を送りながら、グラウンドで暴れ回っている郷矢に目を向けていた。隣のクラスの連中と集まって適当にボールを転がしている。彼がこちらに気づき、お前も来いと手招きした。

「星彦、行かなくていいの?」

「ああ、別にいいや。それよりあいつ、あんなに走り回ってたら、これからあるリレーの模擬練習のときバテるぞ……。さては手を抜く気だな」

「というよりは、彼のことだから何も考えてないんじゃない? 二人は水飲んできたの?」

 藍野が聞いた。

「ああ、ここ来る前に一緒になー」

「ねえ星彦、さっき莢ちゃんから聞いたんだけど、また郷矢君と勝負してるんだって? 藍ちゃんは知ってた?」

「うん。もちろん。でも結果までは知らない。どうなったの鷲尾?」

「何でいちいちお前に言わなくちゃいけないんだ」

「今日は朝から体育だからゆっくり話してる時間が無かったしね~」

優佳がさりげなく親友の味方をする。私も聞きたいtということなのだろう。

「サッカーの王様、10番の座を賭けて川の向こう岸までどっちが早く泳ぎきるか体力勝負をしたんだ!」

 鷲尾の力の籠もったセリフに、藍野が嘘だねと呟く。

「そんな目立つことしたなら結果とともにすぐあたしの耳に入るもの」

「ただの早食い対決だよ。放課後、郷矢と待ち合わせて隣町にある『ラーメンシロウ』に行ってさ。店のおっちゃんに立ち会ってもらってやったんだ。周りの客も結構盛り上がってたぜ」

「それなら星彦、楽勝だね。10番やったじゃん!」

 優佳の言葉に鷲尾が首を横にする。

「今度のは三回勝負なんだ。今日の放課後、バッティングの予定。あと一回はまだ決めてない」

「それに優佳、今の言い方だとスポーツでは郷矢に勝てないみたいな言い方だよ」

 しまった――という風に優佳は口を手の平で押さえ、鷲尾はただ静かに頷く。

「お前らの方こそ何番希望したんだ?」 

「あたし1番~! 出席番号と同じー」

 藍野がはしゃぎながら手を挙げる。

「そうきたか~。目立ちたがり屋のお前にはぴったりだな」

「なんですってぇ~」

 拳を握り締めて威嚇してくるクラスメイトを無視して、鷲尾は幼馴染に向かって聞いた。

「優佳は?」 

「え? わ、私は……」

 言いよどむ彼女に、鷲尾がむっとしながら唇を尖らせる。

「なんだ、なんだ。秘密なのか。くそお」

「ごめん星彦、出来たときにちゃんと見せるからさ」

 優佳が両手を合わせて頼み込む。

 依然としてふてくされた態度を取っている鷲尾に、

「幼馴染の言うことなんだから……聞いてあげなよ」

 藍野が口を挟んだ。

「どうせ藍野は俺より先に知ってるんだろう。ずるいぞ」

 彼女はふふんと自慢気に鼻を鳴らす。

「背番号が無くても目立つやつは目立つでしょ。ほら」

藍野が指差したのは、グラウンドからこちらに向かって近づいてくる委員長の姿だった。

早谷は途中で足を止めると、「いつまでだらだらしてるの!? 次はリレーの練習だって言ったでしょ!」と、声を張り上げた。 

「ちっ、もうお迎えが来やがったか……」

 鷲尾が渋々、行ってくると伝えると、二人が声援を送った。

「いいとこみせてよー!」

「星彦ファイトー!」

 そして休みの終わりを告げるホイッスルの音が鳴った。


 朝からぶっ続けで二時間体育の授業だったが、それが終わったあとでも教室の中は異様な熱気に包まれていた。模擬練習とはいえ隣のクラスとやったリレーで、大いに盛り上がったからだ。

 途中までは本当にいい勝負だった。しかも僅差で勝っていた。

でも……、アンカーの郷矢がバトンを落としたせいで惨敗してしまった。

そのとき観客席からは野次とブーイングの嵐だった。『何やってるんだ! しっかりやれ!』と。

このことが原因でクラスを束ねる立場にある早谷の闘争心に火がつき、怒った彼女は教室に帰ってきてからリレーのメンバーに向かって、部活をしばらく休んで特訓を始めると言い出した。 

困った郷矢は、冷静さを取り戻すよう促したが――

「こんなんじゃオリジナルTシャツ作っても、好きな背番号を手に入れたとしても、ちっとも面白くない!」

という発言と、それに同調するクラスの雰囲気に圧され、仕方なく諦めざるをえなかった。

昼休みになると、クラスTシャツの投票前日ということもあり、誰のイラストが一位に選ばれるか予想しあうようになった。

俺様のが絶対残る! と自信たっぷりの郷矢。

鷲尾は、まだわからないだろう! と怒鳴り返し、早谷が私も混ざろうかなーとさりげなく宣戦布告する。

 郷矢が怒ったので、彼女は冗談だと前言を撤回したが、本当は仲間に入れて欲しいみたいだった。

 優佳や藍野はそこには加わらず、クラスの女子と互いのイラストについて話あっていた。美術部員の藍野が偉そうに、各自の作品にケチをつけているようだ。

人気投票の話はヒートアップする一方で、そのまま放課後まで続いた。


 夕方、優佳は図書室で時間を潰した後、部活帰りの藍野と合流した。校門を出る頃には下校時間まで残り一時間を切っていたが、まだ十分陽は高く校庭に残っている生徒も多かった。

 二人は丘の上にある住宅街の路地を下っていった。朝は混むので抜け道としては使えないが、ひとの少ない時間帯には学校指定の通学路よりも早く帰れる。

「星彦達まだ河原で練習してるかな。どうせなら校庭でやればいいのに……」

「学校にいると後輩達に捕まるからでしょ。一時間ぐらい前に鷲尾にメール送ったんだけど、返事来ないのよねー。それにしても、まさか本当に部活休むとは――」

「コンビ二でも寄ってなんか差し入れでも買ってこうか?」

「いいんじゃない、別に。買うのなら鷲尾のだけにしたら?」

「ん、じゃあ……やめとく」

 藍野の挑発をさらっと優佳は受け流す。

「そんなことよりあたし達にとってはよっぽど大事なことがあるじゃない」

「う、うん……。みんなどんな背番号希望してるのかわかった?」

「もちろん。完全とは言えないけど……かなり近い数字は出せたと思う。委員長は結局最後まで口割らなかったから苦労した。事情話すわけにもいかないし」

「77狙ってるひとは多いかな」

「いいえ、あたしの知ってる限りでは優佳含めて三人。まあ、増えても五人ぐらいでしょ。7じゃないのが幸いね」

 優佳の表情が少し和らぐ。

「ちなみに他に人気ある数字は1、4、18。10も結構いるみたい。鷲尾達も大変ね……って、ちゃんと聞いてる優佳? なんかさっきより元気無いように見えるけど」

 俯いて黙ってしまった親友に向かって藍野が尋ねる。

 ほどなく、それに答えるように優佳が叫んだ。

「あー! もうどうしていいのかわかんない! 泣いても笑っても明日で決まっちゃうんだと思うと、負けたからってみんなの前で泣くことなんてできないし、獲得したらそれはそれで大変だし――」

 一通り言いたいことを言い終えた後、彼女は小さく溜め息をついた。

「優佳ぁ 負けたらそれで諦めちゃうの? がっかりだなあ~」

「――え?」

 藍野は親友を励ますように、明るい口調で答える。

「鷲尾をみて。バカみたいに郷矢と勝負ばっかり。でも、たまにはあんなバカにでも見習うことがあるんじゃない?」

 優佳が難しい顔で首を捻る。 

星彦から??? う~ん……

と、しばらく黙ったまま歩いていた。だが何も浮かんでこないようだ。

「そんなに深く考えないでよ。郷矢と鷲尾を比べてみて。単純に考えれば体力勝負だと鷲尾には不利。サッカー部で鍛えてる郷矢に分がある。だからあの手この手って勝負内容を変えてるんじゃない。クラスTシャツのデザインの出来栄えを競ったり、大食い競争やってみたり」

「なんだそんなことか」

「そう。簡単よ。今なんか自分達でTシャツにプリントする機械とか売ってるだろうから

買ってきて背番号自分で押しちゃうとかさー、いっぱいあるじゃん方法なんて」

「藍ちゃん凄い! さっすが!」

 当然よ、と言わんばかりに藍野が胸を張って答える。

「だから諦めないでね。相手が女子なら訳を話して交換してもらえるよう交渉してみたら?」

「うん。ありがと。そこまで考えてなかったよ~」

「ついでだから、シャツのデザインも人気投票で一位を取りにいこう~。そういえば……」

 と言いながら、彼女は鞄の中から携帯を取り出し、画面を開いて優佳に見せる。

「さっき美術室で優佳のイラスト写真に撮っちゃった」  

 そこには、赤い文字でLet‘s goと描かれた黒いシャツが映っていた。文字の部分は小さくて読みづらいものの、全体の雰囲気を感じるのには十分だ。

「結構よく撮れてるでしょ」

「そうだね。私が携帯買ったら画像ちょーだいね。あ、あと藍ちゃんのと星彦のも」

「了解。鷲尾のは保存してないから今度やっとく。あっ……、あたしいいこと思いついた」

「なに?」

 藍野はいたずらを思いついたような子供の表情になる。

「これ鷲尾に送ったら喜ぶんじゃない? いいえ、待って……鷲尾だけじゃなくてクラスのみんなに送ってみない?」

「ええ!? 何それ」 

「選挙でも掲示板にポスター貼るじゃない。似たような感じでイラストの写真送って一票よろしく! ってやるわけ。面白そうでしょ」

 優佳が笑いながらやんわりと断る。

「えー、いいよ~。恥ずかしいし。やるなら藍ちゃん一人でやりなよー」

「あたしのなんかやってもしょうがないでしょ。背番号だけでなく、Tシャツのデザインもも両方手に入れるの! あたしに任せなさいって!」

 藍野が親友の背中をポンポンと叩く。そして彼女は、あたしちょっと学校に戻るから! と、言って今来た道を引き返し始めた。

「ちょっとどこ行くの!?」

「ついでだから鷲尾のも写真撮ってくる! 早くしないと学校終わっちゃうから、じゃあね!!」

 こうなってはもう優佳でも止められない。遠ざかっていくクラスメイトの姿を見送りながら、はあ~と深く長い溜め息をついたのだった。


 11


 水曜日の朝、早谷はカンカンに怒っていた。

鷲尾達が登校して教室に入るとすぐに彼女はやってきて、入り口のところで三人の前に立ちはだかった。

人気投票が行われる今日の朝、藍野が宣伝のため自分と優佳のイラストをメールでクラス中に送りつけたことを問い詰めるためだ。

犯人がげっという声をあげて、咄嗟に鞄で顔を隠す。

「ほらやっぱり来た、藍ちゃん――」 

 優佳が心配そうな表情で、親友に向かって呟いた。

早谷は腰に手を当てながら、彼女達を交互に睨みつける。

鷲尾がニヤニヤしながら委員長に尋ねた。彼だけはその場にいながら、状況を楽しんでいるようだ。

「きっとあれだろ。良かった――。俺は、昨日やってみないかって言われたけど断ったんだ」

「ホント。びっくりしたわ、もう。朝っぱらからメール来たと思ったら、二人のイラストの画像が添付されてて、コメントに一票よろしく! ですって? 選挙じゃないんだから。大体そんなことしたら公平性に欠けるでしょう!」

「教室の後ろに全員分イラストを張ってるクラスもあるんだから。いいでしょ、それぐらい」

 藍野が不機嫌な声を発する。

「良くないわよ!! みんな真似してメール送るようになる前に、美術の先生には事情話して絵を借りに来るひとがいても貸さないようにって伝えられたからいいけど。よそはよそ。うちはうち! まったく、よく思いついたって最初は感心しちゃったじゃない」

「確かに。画像がもっとはっきり映っていればなおいいな」

 鷲尾がゆっくりと頷く。

「しょーがないじゃない。それぐらいは大目に見てよ」

「美術室にデジカメとか置いてないのかよ」

「メールで送るのにはサイズが大きすぎるでしょ。それにあのときは時間も無かったし……」

「もう! 鷲尾ったら! 大事な話をしてるのに口を挟まないで!」

 二人だけで盛り上がろうとするのを遮って、再び早谷は説教を始めようとしたが――

「ごめんなさ~い」

 一瞬の隙を突いて藍野は教室の外に逃げ出した。バタバタと廊下を駆けていく音がする。

「あ、藍ちゃん! 私だけ置いてくの!?」

 親友の後を追い、慌てて廊下に飛び出そうとする優佳。それを早谷が許すはずがなかった。

「ちょっとどこ行くの!?」

 逃げようとする相手の腕を摑んで、自分の方に引っ張る。

「莢ちゃん、お願い。見逃して~」 

 優佳も手足をぶんぶん振り回して必死に抵抗したが、部活で鍛えられた力には敵わず、ジリジリと引き寄せられていった。

「星彦、助けてよー」

「親友を見捨てていくとは……。あいつ、チャイムが鳴るまで他のクラスに潜伏するつもりだな。運が悪かったと思って諦めろ」

「さあ、昨日、藍野さんとどういう話をしてたのか、たっぷり聞かせて頂戴!」

 こうして一人取り残された優佳は、委員長の詰問の餌食となったのだった。


 六時間目のロングHR。

クラスTシャツのイラストの人気投票を行う前に、教壇に上がった早谷は、背番号の方を先に決めるとみんなに伝えた。一部のクラスメイトから、えーと非難の声が上がったが、お楽しみは最後に取っておくと説明すると、誰もが納得した。

 人気のある背番号は、希望者だけを教室の四隅に集めて、じゃんけんやくじ引きで選んだ。

 一回じゃんけんをするごとにクラスメイト達は一喜一憂し、誰かが選ばれるたびに歓声があがった。

藍野は1番を狙ってクジを引き当て、早谷自身も見事に4番を獲得。

 番号が確定したひとから委員長が記録をノートに取っていった。

「10番取ったぜ~!」

 希望者だけの集まりから意気揚々と自分の席へ引き上げてきた鷲尾を、優佳が小さな拍手で迎える。

「おめでとう~星彦」

「良かったじゃん、鷲尾。あたし達もついさっき決まったところ」 

 藍野も祝福の言葉を送った。

そこへ不貞腐れた表情の郷矢がやってくる。

「それは俺様のだ! 勝負はまだ終わってないだろう! 早谷の練習のせいでサシの対決が一回しかできなかっただけなのに、何を自分のモノになったような言い方をしてるんだ!」

 な~んだ、と優佳達は揃って肩を落とす。

「ちっ。俺が勝ったからそんなこと言えるんだぜ。聞いてくれよ、二人とも。こいつ弱いんだぜ~。最初、五~六人でじゃんけんしたんだけど、一人だけ負けたんだよ」

「うるせぇ。たかが大食いとじゃんけんで勝ったぐらいで大騒ぎするな!」

「何だと!? 負け犬の遠吠えみたいなこと言いやがって」

 彼らはいがみ合いを始めた。

はぁ~やれやれ、と藍野が溜め息をついた。

「星彦、しこりが残らないようにした方がいいんじゃない?」

「うーん。俺も実を言うとちゃんと郷矢とタイマンでやりたいんだ」

 鷲尾が幼馴染に忠告されて本音を打ち明けた。

「わかった。三回先に勝ったほうが勝ちでいい。いま鷲尾が二勝で、俺様がゼロ。それでいいだろ」

「大丈夫なの? 鷲尾の方が圧倒的に有利じゃない」

 藍野が口を挟んだ。

「こっから負けなしで挽回してみせるぜ! それに、あくまで今回のメインはTシャツのデザインで人気投票一位になることだ! 背番号なんてあっても無くても本当はどっちでもいいんだ。もし負けたらオマケはくれてやるよ」

「私はおまけの方が欲しかったけどな~。ちゃんとじゃんけんにも勝ったよ、星彦」

 鷲尾に向かって楽しげに笑う優佳に、鷲尾の表情も緩む。

「お!? 優佳も自分の欲しいの手に入れたのか。何を希望したのか知らないけど、結構集まってたから倍率高かっただろう。よし! 俺も頑張んないとな」

「とりあえず早谷のとこ行って、まだどっちが10つけるかカタついてないから、リレーの練習の前に少し時間くれって言ってこようぜ!」

「ああ」

 鷲尾は拳をぎゅっと握り締めて、それに応じたのだった。


グローブの中に納まっていた硬球を、空いているほうの手で摑みだし、郷矢は大きく振りかぶった。そのままバッターめがけて投げつける。

 ボールは、金網に当たって激しい音をたて、打者の足元に転がった。

 振り遅れた鷲尾が、それを拾ってピッチャーに返す。

 放課後、彼らは野球部に所属している知り合いから道具を借りてきて、ピッチング対決をしていた。場所は河原にある金網が張り巡らされている簡素な球場だ。今回、応援席にはギャラリーの姿は無かった。

鷲尾が集中したいからという理由でそれを断ったからだ。藍野はぶーぶー文句を言って、優佳はちょっと残念そうな顔をした後、頑張って! と笑顔で励ました。

 あと、一回だけ郷矢に勝てば念願の背番号10が手に入る。

鷲尾の気持はこの上なく昂ぶっていた。彼はバットを構えて、ライバルに向かって叫ぶ。

「さあ、来い!」

「今日は背番号10を手に入れて、俺様のイラストが選ばれる日だったはずだったのに――両方のびちまったじゃないか!」

 怒声とともに振りかぶった郷矢が、二投目を放った。

 迎え撃つ鷲尾。だがボールはバットを掠めただけで、またも金網に突き刺さった。

 ちっと彼は舌打ちしながら、ボールを拾って郷矢に返す。

「10は俺のモンだ! てめえなんか藍野の猫がプリントされたシャツでも被ってやがれ!!」

 郷矢は自分でそのシーンを想像して真っ青になった。

「やっぱ織部や藍野じゃないと似合わないな。あいつらなら、にゃんとか言ってても許せるし」

 そのセリフで鷲尾の頭に浮かんだのは、優佳と藍野がクラスTシャツを着てネコ耳つけて、鳴き真似をしている仕草だった。

「なに妄想してんだぁ、鷲尾? 顔が赤いぞ~。同じ女子でも早谷は無理だな」

 ニヤニヤしながら郷矢が振りかぶる。

 普段、口うるさい委員長が女の子らしいシャツを着て、可愛くポーズを決める。

鷲尾は頭の中にある優佳のイメージを早谷に置き換えてみたが、そのイメージを払拭するように慌てて首を横に振った。

「ぼーっとしてんじゃねえ!」

隙を突いて郷矢がストライクゾーンにボールを放り込む。

鷲尾の横を鋭い風が抜けていった。

「あ!? 汚ねぇぞ!!」

「勝負中によそ見する方が悪い! ほらバッター交代だ! 一球で仕留めてやるぜ!」

「ちくしょう!」

鷲尾はバットを投げ捨て、ボールを摑み渋々順番を代わったのだった。


背番号をめぐる鷲尾と郷矢の対決の結果は――

攻守交代を幾度と無く繰り返した上、鷲尾の方に軍配が上がった。序盤は郷矢がパワーで押すような形だったが、粘りに粘って後半戦になるにつれ精神面の勝負となっていった。

早食いとじゃんけんで先に2勝をあげている鷲尾に対し、郷矢はなんとか白星を取ろうとムキになった。そして力みすぎた投球がミスに繋がり、制球が乱れたところをノックアウト! プレッシャーに負けて自爆した形となった。

無事に背番号10をGETした鷲尾。

郷矢は負け惜しみで、名前にちなんで17番をつけると宣言した。

なんで17なのか気になったが、それよりも念願の背番号を手に入れた!

そのことが嬉しくて、つい優佳の家に電話を掛けた。

すると、どうせ明日学校で会えるのに……、と笑っていた。

電話が終わって土手から歩いて帰る途中に、藍野から「おめでと~」とメールが来た。

これで残すはTシャツのイラストの人気対決のみ。

でも、油断はできない。

郷矢もいいもの描いてきてるからな~ 

勢いに乗って連勝する妄想を膨らませながら、鷲尾は帰宅したのだった。


その夜、優佳は藍野の家に遊びに来ていた。夕飯を一緒に食べて、居間で猫とじゃれた後、二人は藍野の部屋へと移った。

藍野はベッドの上にあお向けに寝っ転がって、携帯をいじっている。

クーラーの風が、彼女の髪から顔、腕や足などの肌の表面を撫でるように吹いていた。

「鷲尾がとうとうやったか」

 10番GETの吉報は既に彼女達の耳に入っている。

「これで全員欲しかったものを手に入れたね。なんだかうまくいきすぎてないかな」

 優佳は、ふふっと口元を綻ばした。彼女は藍野の勉強机の椅子に体育座りをして、足をベッドの方に伸ばしている。

「なに安心してるの。まだまだこれからじゃない」

「ねえ藍ちゃん、さっきから気になってるけどこれなに?」

 机の上に、ボロ布がいくつも積んであった。赤や青、黒のインクでそれぞれ文字や数字が書かれている。

「ああ、それ。昨日、優佳と話してて思い出したんだけど、小さい頃あたしもバッグとか小物に色々描いて遊んだなーと思って。探してみたらすぐに見つかったから。引き出しの中に道具入ってるよー」

「さっすが藍ちゃん。ちゃんと失敗したときのことまで考えてくれてたんだね。ありがとう」

 藍野がベッドから身を起こして、親友に向かって唆す。

「無事取れたから無駄になっちゃったね。この際だからTシャツ以外にもやっちゃえー!せっかくだから、鷲尾LOVEとか持ち物に描いてきなよ」

「も~からかわないで」

 それから彼女たちは、白い無地のハンカチとかに好きな花の模様とかを描いて遊んだ。


12


木曜日の朝の授業中、鷲尾の携帯が震えた。机の中でガタガタと音をたてる。

教室の隅っことはいえ一番前の席だ。慌ててそれを摑んで止めた。

黒板に向かって数式を書いている数学のおじいちゃん先生は気付いていないらしい。

誰だ! 全く、ひやっとさせやがって……。

画面を開いて中身を確認する。

藍野からメールだ。



件名「隣のクラスのデザイン決まったって~」


本文無しのタイトルだけ。

打ってる途中で間違えて送信ボタン押したのか???

隣に座っている女子の方に顔を向けると、こっちに向かってピースサインを送ってきた。

何がやりたいんだ? こいつは……

さっぱり意味がわからず首を傾げると、藍野はこれを見ろというように、机の中から一枚の紙切れを差し出した。

どんなことが書いてあるのかと思ったら――

大小様々な四葉のクローバーが、湖面に見立てられたTシャツに描かれていた。真ん中の大きな葉には、王冠が被せられている。

見たことのないデザインだ。裏返しにすると、藍野と同じ部の女子の名前が、下の隅っこに書いてある。

これが隣のクラスのイラストか。多分、コピーだろうが、どっから入手したのやら……。

ピースサインの意味が分かった。

 用紙をそっと藍野に返す。

前の休み時間のときに入手して、授業が終わるまで待てなくて見せびらかしたかったんだろう。

優佳も後ろの席で笑っていた。そして藍野から携帯を借りていじり始める。

ほどなく彼女からメールが届いた。

「私達もこれに負けないの作らないと!!」


四限が始まる前――

教室の外から帰ってきた早谷は、鷲尾達のところまで真っ直ぐにやってきた。

「さっき聞いたんだけど、他のクラスのバスケ部員が、郷矢のデザインをパクって提出したって話題になってるの、知ってた?」

 鷲尾と優佳が首を横に振ったが、藍野だけはもちろん! と胸を張った。

「でも、安心して。ついさっき届いたメールによると、かなり人気は高かったものの代表には選ばれなかったみたい」

「さすがね」

「あたしも聞きたいことあったの。六限、自習でしょ。先生休みだから」

「ええ、そして多分、期待通りの答えになると思うけど、昨日出来なかったTシャツの人気投票をやろうかな~っと思ってるの」

「やっぱりね~。鷲尾、郷矢と決着をつけるときがきたみたいよ」

「おう、任せとけ!」

 鷲尾の声が弾む。気合十分ガッツポーズでやる気満々だ。

「でも最後に勝つのはあたし達。おいしいとこは優佳が頂くわ」

 藍野のセリフの優佳が照れる。

 そこに少しムッとした表情の早谷が口を挟んだ。

「ちょっと私の作品も忘れないでよ」

「そう怒るな委員長、間違っても藍野のだけは選ばれないから」

「星彦、ひどーい。言いすぎだよ」

「鷲尾、もしあたしが描いたシャツを着ることになったらどーすんの?」

「破く!」

 女子からの批判を突っぱねようとする鷲尾の返答に、一同が呆れる。

「ま、まあ卒業式や文化祭のキャンプファイヤーで燃やしちゃうひともいるらしいし……。あたしのそこまでイヤ?」

「星彦、せっかく作ったシャツ燃やしちゃうの?」

「さすがにそこまでしないよ~。欲しい背番号は手に入れたし、特に自分が好きな絵なら尚更だ」

 それを聞いた優佳がホッと胸を撫で下ろす。

「とりあえずシャツが出来たら美術室貸しきって、撮影会しようね優佳。照明、小道具、任せなさい!」

「文化祭じゃないんだから……」

 早谷と優佳が揃って突っ込む。

「鷲尾もやる? 優佳と一緒に撮ってあげようか」

「嫌、いらない」

 鷲尾はそっぽを向きながら断った。


 昼休みになって、クラスTシャツの人気投票を六時間目に行うことを早谷が発表。再び教室の中が昨日の背番号を決めたときのような熱気に包まれた。

 そして、投票前の休み時間――

 鷲尾と郷矢は校庭から早めに切り上げてクラスに戻ってきた。鷲尾は真っ直ぐ自分の席に行こうとしたのだが、それを早谷の席の前で足を止めた郷矢が呼び戻した。

「鷲尾、面白いものをみつけたぞ」

「お? それは……」

 郷矢が手にしているのは、クラスメイトの背番号を書き込んだ早谷のノートだった。

 二人は顔を見合わせて、目だけで会話する。

(見ちまおうぜ)

(ヤバイって。委員長にバレたらどうすんだ……)

 鷲尾が、さりげなく周囲に視線を配る。優佳や藍野はガールズトークに夢中でこっちに気付いてはいないようだ。早谷が帰ってくる気配は無い。

「もう決まったんだからいいだろ。カタいこと言うなって」

「お前……月曜日に聞きに行って、見せてくれなかったのをまだ根に持ってるだろ」

 鷲尾の制止を聞かず、郷矢はページを開く。彼はそれには答えず、二人は揃ってそれを眺めていった。

 藍野1番、早谷4番……と名前と数字の羅列が続く。

「俺のちゃんと10番って書いてあるか?」

「嫌味か、鷲尾。ぶん殴るぞ、てめえ。ほら次のページに書いてあるだろ」

 鷲尾が自分の背番号を確認し、ニヤついた表情に変わる。

「そういえば……優佳の番号が無いな」

「裏にでも書いてあるんじゃないか?」

「めくってくれ。ついでだから今こっそり調べてやろう」

「何だ幼馴染なのに知らないのか?」

「秘密だからって教えてくれないんだよ~。欲しい番号は手に入れたって言ってたけど」

「ふ~ん。なら、クラスTシャツが出来るまで黙ってて、驚かせてやれ。織部のことだ。鷲尾が一発で言い当てれば、何でわかったの!? って、凄く驚くだろうさ」

 郷矢がページを捲ると、77の希望者の欄に優佳の名前があった。他のクラスメイトの名前は二重線で消されているのに、彼女だけ赤色で花丸がついていた。

「77番か~。織部達みたいな文科系の女子には、1番や7番の方が人気あるんだろうな」

「わかりやすくていいな。藍野は出席番号と同じだし、優佳はラッキーセブンが二つだぜ。まったく……これなら別に隠さなくてもいいじゃないか」

 鷲尾が軽口を叩いていると、郷矢が急に真剣な顔に変わった。 

「――ちょっと待て、鷲尾。お前、誕生日いつだ??」

「ああ? 何でそんなこと急に聞くんだよ」

「いいからさっさと答えろ。というか、ちょっと来い――」

 郷矢が有無を言わさぬ口調で鷲尾に迫り、そのまま教室の外へと連れ出した。廊下に出て窓に寄り掛かりながら、声を潜めて話を続ける。

「あの数字……お前の誕生日じゃね?」

「まさか――」

 鷲尾は笑い飛ばそうとしたが、途中でその意味に気付き表情を変える。彼は困ったように頭の後ろを掻きながら小さく呟いた。

「俺もなんか引っ掛かってたというか、見たことがあると思ったんだ……」

「自分の誕生日忘れるなよな」

「まさか背番号にされてるとは思わないだろう」

「それなら秘密にする理由も納得だな」

 郷矢がうんうんと頷いた後、鷲尾の背中を叩いて「いよぉ、色男!」とからかった。

「てめえ、マジで殴るぞ」

 鷲尾が拳を握り締めてプルプルと震わせる。

「俺様ちょっと藍野にこっそり聞いてみようかな。あいつが知らないはずがないだろうし。ひょっとしたら早谷も関わってるんじゃないか? あのノートに花丸がくっついてるってことは……。いや~面白くなってきた」

「やめろバカ! 余計なことをするな!!」

 そのときチャイムが鳴った。

廊下に出ていた生徒達がドタドタと慌てて自分達の教室に戻っていく。

「何やってんの? あんた達……こんなとこで?」

 二人が向き合っているところに、早谷がやってきた。噂をすれば影……。

 にやにやした郷矢が、鷲尾を置いて離れる。

「わかったよ。そう怒るな。じゃあな~」

「てめぇ~、絶対だぞ」

 鷲尾がいまにも噛み付きそうな勢いで威嚇する。

「また喧嘩? 今度は何なの、もう~。何があったのか知らないけど、さあ投票始めるわよ。入って入って」

 さっさとクラスへと促す早谷に、鷲尾が口を開く。

「早谷、お前――」

「なに?」

「いや、やっぱりいい」

 首を傾げる委員長に背を向けて、鷲尾は足早に席に向かったのだった。


まったく……優佳のやつ、何を考えてるんだ!?

大声で叫び出したい気持を抑え、鷲尾は自分の椅子に座っていた。

背番号に俺の誕生日をつけるなんて、他に欲しい数字は無かったのかよ――

クラスの全員が見るんだぞ。いや、それだけじゃない。学校全体に広まっちゃうじゃないか。

恥ずかしくないのか!?

今すぐ彼女のところに聞きに行きたいところだが、現在ホームルームの真っ只中。

早谷が黒板を使いながら人気投票の方法を説明していて、みんなそれに夢中だ。

でも、背番号のことが気になってさっぱり頭に入ってこない。

優佳を見ると、こっちを向いてニコッと笑う。よくわからないが無性にいらいらしてきた。

視線を藍野に移すと、相変わらず携帯をいじっていた。

お前なぁ……

一体、どんな世話を焼いてくれたんだ? お節介にも程があるぜ。

あ~もう!!

 どうしよう……

だから、じゃんけんに勝ったって言ったとき、あんなにはしゃいでたのか。

藍野に話を通してやめさせるか。でも、早谷のノート見たのばれるし……。

優佳に対して今更そんなことをしたら藍野が激怒するだろう。あいつ無条件で優佳の味方方だからな~。

やめろって言って、泣かれようものなら、もっとやっかいだ。

はあ……

鷲尾が深い溜め息をついたところで、早谷が人気投票を始めるため、クラスメイトの名前を順番に呼び、各自が描いてきたイラストを返却し始めた。


ひとり二枚の投票用紙を持って、クラスメイトの席をゆっくり回りながら、その机の上に置かれている絵が気に入れば、票を入れる。

それが、早谷の考えた方法だった。

授業時間をたっぷり一時間使えるので、投票を予選と決選投票の二回に分け、じっくり選ぼうということらしい。

決戦投票の方は、予選の中から最も得票が多かった三人で争われる。

委員長が投票開始を宣言すると、みんな席を立ってわらわらと動き出した。

藍野、優佳に続き鷲尾もそれに倣う。

彼女達がはしゃぎながら作品を選び始めたのと対照的に、鷲尾は依然として背番号のことが気になったまま、教室の中をぶらぶらしていた。

誰かに話しかけられてもそっけない態度で、一人で考えたかった。

郷矢との勝負を忘れたわけではないが、むしろそれに気を取られすぎていた。いまはもっと大事なこと考えなくちゃいけないんじゃないか?

優佳を泣かせないで済む方法は―― 

いや、そんなネガテイブじゃダメだ。

もっと、もっと、こう、ぱーっといくような感じじゃないと。

なんか優佳も喜んで藍野も納得して、俺ってすごいって言われるような一石二鳥みたいなことないのか!?

頭使え!

優佳からシャツを奪って自分で着る。代わりに10番の背番号を渡す。

ダメだ。そんなもの貰ったって嬉しくないだろう。バカ!

何をあげたらいいんだ。優佳の欲しがっているものは何だ。どうすればいいんだ?

彼女は部活に所属していない。好きなスポーツ選手も聞いたことが無い。だから4とか10とか、こだわりのある数字は無いはずだ。

かといって出席番号と同じじゃあ、誰かさんと同じになっちゃうし……

さっきからずっと考えてるのに、一向にいいアイデアが浮かんでこない。

こうなったらもうお返しで、思い切って逆のことをしてみたらどうか。

そう。それいいかも!

10番ではなく、背番号を優佳の誕生日にしたと知ったら。どんな顔をするだろうか。

でもそんなことをしたら、今度こそ間違いなく学校中の評判になるだろう。

ただでさえ優佳のことがあるんだ。

後悔しないか?

「は~い。そろそろ予選会、締め切りまーす。まだ投票を済ませていないひとは早くして!」

いつの間にか早谷が壇上に登って、室内を見回していた。

まだ全然見終わってない。二枚の投票用紙を手に握り締めたままだ。

やれやれ――と思ったところで、ふと郷矢の机の周りにひとだかりが出来ている様子が目に入った。

本人はその中にいて、大勢の男達に囲まれ得意気になっている。

クソッ!

まざまざとライバル作品の人気を見せ付けられるとは――

俺のとこはどうなってるんだ!?

確認するため、慌てて自分の席へと向かう。

窓際の前方では、優佳がクラスメイト達に囲まれていた。男女半々ぐらいだが、やや女子の方が多い。

もう、票が集まっている場所とそうでないところに、はっきりと分かれていた。

あと盛り上がっているのは――

早谷か。

ある意味、前評判通りだ。

ちっ、面白くねぇ……

優佳のイラストをもう一度、目に焼き付けておこうと思って、彼女の絵の前で足を止める。

真っ黒なシャツに浮かぶ緋色の文字。

そこに書いてあるメッセージを心の中で読み上げる。

Let‘s goか――

いい言葉じゃないか。

優佳…… 

「なに星彦?」

 口に出したつもりは無いのに、彼女の名前を言ってしまったらしい。目の前で幼馴染が、顔に?マークを浮かべて首を傾げて佇んでいる。

 苦し紛れに手にしていた投票用紙を差し出す。

「プレゼントだ」

 突然のことに驚いた優佳だったが、ありがとうとニッコリ笑ってそれを受け取る。

 とっても嬉しそうな表情だ。大袈裟なやつだな~。

結局、そんな彼女の様子を側でいつも見ていたいんだと思った。

 もう、決まりだな。

 迷ってたけど、さっき思いついたことをやっぱりやることにしよう。

これからもっと凄いサプライズを用意してやる!

優佳に向かって、シャツが出来上がるのが楽しみだなと伝えた。


決戦投票に残ったのは、郷矢、早谷と優佳の三人で、予選と違って今度は一人一票で争われた。

 鷲尾はもちろん優佳の味方で、藍野なんか優佳本人よりも期待を膨らませていたが、惜しくも早谷と票を分け合う形となり、その結果――

郷矢が二人を大きく引き離してめでたく代表に決定した。

 これで郷矢と鷲尾の全ての勝負に決着が着いた。

 一勝一敗だ。

 自分で思っていたよりも得票数が少なかった鷲尾は、試しに藍野に何枚入ったか聞いてみると、たった三票の差しかなく余計落ち込むこととなった。

 一方、優佳は彼と違ってさほど落ち込んだ様子も無く、むしろ多くのクラスメイトから支持を集めたことが嬉しいようで、いつもより生き生きとしているように見えた。


投票が終わったばかりの放課後――

優佳と藍野は学食で隣り合って据わり、紙パックのジュース片手に菓子パンを食べながら休んでいた。パンのくずがテーブルの上に散らばり、それを包むビニールがパリパリと音を立てる。

「いつクラスTシャツを星彦に見せようかな~」

「まだ手元に届いてもいないのに気が早いわねー」

「できれば体育祭当日まで着たくないんだけど……」

「リハーサルはどうすんの。みんな出来立てのシャツ着てるっていうのに、一人だけいつも通りの体操服で過ごそうっていうの? 目立つわよ~」

「ずる休みするしかないかな。そしていきなり星彦の目の前で見せてびっくりさせるの。星彦、どんな顔するかな? ①恥ずかしくて逃げ出す。②ぶん殴る。③脱がせようとして襲ってきたりして……」

 一人で妄想を膨らませてにやにやしている優佳に、

「そこまで考えてるとは思わなかった・・・・・・。正直言って付き合ってられないけど、やるんならやれば。できるだけ協力はしてあげるから」

と藍野が呆れてため息をつく。彼女は自分のジュースを一気に飲み干した後、パックをぐにゃりと握り潰した。

「でも、鷲尾落ち込んでないかな。せっかくTシャツが届いても、気にいらね~って燃やしちゃったらどうする?」

「え!?」

 優佳の愕いた表情があまりにも真面目だったので、藍野があはははと豪快に笑う。

「冗談よ、冗談。いくらライバルのが気にいらなくてもそこまでしないでしょ」

「も~。藍ちゃんたら!」

 怒り出す親友をよそに、彼女はひーひー言いながらお腹を押さえた。

「せいぜい郷矢に向かって唾を吐く程度じゃないの。次はどんな勝負をしてくれるのかしら。じゃあ、あたし部活あるから先行くわ」

「うん。ゴミは片付けとくからいいよ。じゃあね~」

 優佳はパンの残りを摘みながら、空いている方の手を振った。


夕日が差し込む美術室で、鷲尾と藍野が内緒話をしていた。

鷲尾は窓に背を預けて、備品が収納されている棚の上に腰を乗せていた。スポーツ飲料のペットボトルをいじりながら、足をブラブラさせて遊んでいる。

「お前知ってただろ」

「なんのこと?」

とぼけた藍野は教室の中央に座り、描きかけのキャンパスをほったらかして彼が買ってきた棒つきのアイスを食べていた。

「優佳の背番号だ。77なんだろう?」

「……ばれてた?」

 藍野が舌打ちする。厄介なことになった……という表情だ。

「ま、あんたがわざわざ美術室に来る時点で嫌な予感はしてたんだけど……」

「お前の入れ知恵か?」

「そう思う?」

 鷲尾はしばらく考え込んだ。そして二人はじっと対峙する。

 途中、藍野の携帯が鳴って彼女は着信を止め、内容をさっと確認した。

「優佳にこんなに驚かされたのは初めてだ」

「あたしもよ」

「そうか――お前もか。それだけ聞けば、十分だ」

 鷲尾が棚から勢いよく飛び降りて部屋を出て行こうとする。

「待って。ゴチャゴチャ言うつもりはないんだけど……どうする気?」

「そんなの聞くなよ。悪くはしないさ」

「サッカーのファンが好きな選手の背番号つけて応援するでしょ。あんたユニフォームも背番号も無かったから、優佳もはりきっちゃったんでしょ」

「俺も優佳をびっくりさせるための、お礼をいまちょうど考えてるところだ。お前らにも協力してもらうと思うから。そのときはよろしく!」

 鷲尾は片手を挙げながらそそくさと扉の外に消え、藍野は長い溜め息をついた。

 ほどなく、鷲尾が出て行ったのとは別の扉から、早谷が入ってくる。

「あらあら、大変ね」

「もう! 見てたんなら助けてよね!」

「呼べばいいじゃない。そのために携帯にメール送ったんだから」 

 早谷が挑発するように笑い、さっきまで鷲尾がいた場所に立つ。

「で、彼の答えは満足だった?」

「なんか期待はずれね。迷ってたり、やめさせろって言ってきたら引っ叩いてやろうと思ってたんだけど」

「お手並み拝見ってところかしら」

 藍野と早谷は、二人で高らかに笑った。


 




















第三章 愛のリレー


 13


 週末の放課後――

 鷲尾は土手の道を歩いていた。一日の授業が終わって、すっかり遊び終わって、まだ明るいけど帰宅するところだった。

 途中、優佳と待ち合わせすることになっている。彼女は授業終了後、携帯を買いに行ったらしく、後から新しいメアドで「待ち合わせして何か食べよ~」というメールがだいぶ前に届いた。

 最新機種を早く見せびらかしたいだけだろうに……

 土手下に、まだ選手達の掛け声が飛び交うサッカーグラウンドが見えてきた頃、斜面に腰を下ろしてスケッチブックを広げている女子がいた。

 最初は彼女だとは思わなかった。

 でも、だんだん近づいていくうちに、わかってきた。

長い髪、顔の輪郭、ちっさい肩と胸、そして大きくない背中。スカートの下で折り畳んだ脚、さらに全体の雰囲気など。

 間違いない。

 優佳だ。

 優佳が絵を描いている――

 そのまま挨拶も抜きにスケッチブックを覗き込みに行くと、彼女は最初嫌がる素振りを見せたが、何を思ったのかいきなり「どう?」と聞いてきた。

「どれどれ~」 

 広い河原の端にサッカーゴールが置かれていて、二つのチームのメンバーが敵味方入り乱れて激しいボールの取り合いをしていた。人物の表情など細かく描かれてはいないのだが、全員ボールの方を向くように描かれていて緊迫した様子が伝わってくる。

 ただゴールキーパーだけは、何となく見たことがあるというか、妙に格好が郷矢に似ているような気がした……。

「今度体育祭で走ってる俺の姿を書いてくれよ」

「ええ!?」

「クラスTシャツつきで、できれば後ろから」

 優佳は目を丸くしながら、いいけど……と答える。

「何で後ろからなの? 顔、書けないじゃん」

「いいんだ、それで。恥ずかしいから」

「何それ……?」

 腑に落ちないという表情だったが、彼女はいいこと思いついた! と手を叩いた。

「じゃあ、藍ちゃんに頼んでカメラ持ってきてもらって写真に撮っておこう。ゴールする瞬間、転ばないでね。カッコ悪いから」

「一緒にするな! ほら、さっさとしないと置いてくぞ!」

「そんなに急ぐのなら星彦、一人で帰れば? 私もう少しここにいてもいいから」

 二人は互いに軽い冗談を飛ばしながら歩き始めたのだった。


 14


 鷲尾が藍野・早谷・郷矢を美術室に集めたのは、クラスTシャツが届く前日の放課後だった。

 彼は教卓の前に立ち、席に着いた三人の顔を順に眺めていった。でも、一向に口を開こうとしなかった。難しい顔をしたまま、しばらく黙っていた。

 イライラし始めた早谷が文句をぶつける。

「何よ、こんなところに呼び出して。私、忙しいんだけど」

「今日は部活休みだからいいけど、もう少し事前に言ってよね。急すぎるでしょ。優佳誤魔化してくるのも大変だったんだから」

「織部のことで、何で俺様まで……。別にしゃべったりしねーよ」 

「いいから話終わるまでそこに大人しく座ってろ。あと俺の10番、お前にやる」

「ちょっと何考えてんのあんた。あれだけ欲しがってた番号じゃない!」

 驚きのあまり藍野が叫び、彼女の後に郷矢が続く。

「てめえ、俺様を馬鹿にしてるのか!? 誰が今更、受け取るか」

「もっと欲しいものができたんだ」

鷲尾の口調はあくまで真剣だ。文句を言っていた二人も彼の表情から、いつになり決意のような雰囲気を感じ取り黙り込む。

「で? 今度は何番が良いの? 明日届くっていうのに変更なんかできないわよ」

 早谷の主張に全員もっともだと頷く。

「藍野、優佳の誕生日は?」

「1月7日でしょ」

 それがどうしたのという声に応え、ここがポイントだと鷲尾が注意を促す。

「そう、俺の誕生日7月7日の半年後だ。郷矢、もう一度確認するが、お前名前にちなんでつけるって言ってたよな」

「ああ」

「それは17で間違いないな」

「うるせえな。いくつにしようが俺様の勝手だろう。わかってないみたいだから教えといてやるが、郷矢斉の漢字をちょっと数字に置き換えて遊んでみただけだ……。まさか、織部の誕生日と一緒だから、交換しろとか言うんじゃないんだろうな!?」

 鷲尾が口元を動かしてニヤリと笑い、右手の親指をぐっと立てる。

「そのまさかだ。あと聞いた話なんだが、Tシャツは明日の放課後学校に届くらしい。な、藍野」

「間違いないわ。保管先は職員室か生徒会室だと思う。多分、後者かな」

「そこで早谷にお願いしたいことがある……。きっとダンボール箱にクラスごとに分けられて入れられてると思うんだが、仕上がり具合を確かめるからとか無理を言って、先生達の目を誤魔化して、一枚シャツをこっそり取ってきてほしい」

「ええ!? そんな盗むようなことダメに決まってるじゃない。委員長の私が……」

 早谷の抗議を無視して鷲尾は続ける。

「ちょっとみんなより先に着たいだけだ。たいしたことじゃないだろう。あとこれは教師からの信任が篤い委員長だからこそ可能なんだ。無茶は百も承知。適当に切り抜けてくれ」

「メチャクチャね……、もう。もっとマシな作戦立てられないわけ?」

「しょうがないだろう。俺は優佳よりも先にクラスTシャツを手に入れて、それを見せないといけないんだ。つまり優佳が考えていることと同じことを優佳よりも先にやる!」

「とっても喜びそう! 絶対成功させないといけないね」

 藍野が鷲尾の言葉に感動を込めて頷く。

「だから明日しかないんだ。頼む」

「委員長、あたしからもお願いよ~。いいなー。あたしもそういうことされてみたいな~」

「う~ん。しょうがないなー。手伝ってやるか……」

 二人の説得により、とうとう早谷が折れた。これで残るは郷矢だけだ。

「郷矢の背番号は優佳の誕生日。何としてでも手に入れたい。だから俺の10番とトレードしてほしい」

「もし俺様が『嫌だ、渡さん』と言ったら?」

「そりゃあ決まってるだろう。10と17巡ってバトル再燃だ!」

「またやんのかよ。めんどくせー」

 郷矢と鷲尾は顔を見合わせて互いに笑った。

「惜しくないのか10番」

「両方くれるのなら有難く貰っとくぜ」

「誰がやるか、バカ野郎。やっぱり10は俺様にふさわしい」

 ということで二人のトレードは成立した。


 15

 

早谷が鷲尾のTシャツをこっそりと生徒会室から抜き取ってきたのは、人気の無くなった下校間際の時間だった。

 生徒会メンバーの一人にこっそり頼んでOKしてもらったまでは良かったが、納品の際業者とトラブルがあったらしく、先生達が出たり入ったりしていた。

 それで二時間ぐらい郷矢の元に届けるのが遅れた。案の定、教室で待っていた彼はイライラしていた。

「何やってたんだよ! 遅い!!」

 携帯をいじっていた郷矢が、自分の席から飛び上がる。床が悲鳴をあげた。危うく椅子が後ろにひっくり返るところだった。

「しょうがないじゃない! 入りたくても入れなかったんだから!」

 早谷も負けじと言い放ち、ビニールに包まれたシャツを相手の胸元に突き出す。

「鷲尾から催促のメールと電話が何度も来たぞ。おー、これがクラスTシャツか……」

 郷矢はそれを受け取り、表裏とひっくり返し、さらに何度も何度も繰り返す。自分の描いたイラストが形になって満足しているようだ。ニヤニヤしながら、ビリっと勢い良く袋の口を剥がす。

「何やってんの!?」

 ヒステリックな声をあげる早谷。

「いいだろう。ちょっとぐらい中を広げて見たって」

「他人の物を勝手に開けるな!」

「あ? この背番号は、元々俺様のだったんだぞ。それを鷲尾が――」

「いいからさっさと行け!」

 ごたごたと御託を並べる郷矢に、早谷が蹴りを入れようとする。

 だが、郷矢はひょいっと後ろに飛び退いた。まだビニールに入ったままのシャツを彼女の目の前で左右に振って、挑発し始める。

「本当は見たいんだろ。ほれほれ~」

 委員長の表情がみるみる険しく変わり、彼女がキレて再び手を挙げる寸前、郷矢は急に真面目な顔になった。

「俺様の足を信じてねえのか。鷲尾に連絡頼んだぞ!」

 そう言って別れを告げ、教室を出る。扉の影から一言、笑いながら付け加えた。

「どうせならこれ着て鷲尾のところまで走っていこうか? なーんてな」 

「バカ!」

 早谷は廊下に向かってめいっぱい叫んだ。


 鷲尾は自宅でテレビをつけながら郷矢の到着を待っていた。早谷からようやく連絡があったときは、ほっとした。だが急に郷矢に預けて大丈夫だろうかと不安になって、何度も連絡を取ってみたものの、全く返事が無かった。やっぱり早谷に持って来て貰った方がよかったかもしれない。作戦ミスか――と思ったところで、玄関のチャイムが鳴った。

「おう! 待ってたぜ!!」

 慌てて扉を開けてやると、すっかり薄暗くなった中、両膝に手をついて俯きながら肩で息をしている郷矢の姿があった。顔を伏せたまま無言で、シャツを持った手を動かす。

「ほらよ」

「ああ、ありがとうな!」

 両腕を伸ばして、それをしっかりと受け取った。

とうとうクラスTシャツが手に入ったんだ。あとはこれから藍野に連絡して、優佳のところに見せに行くだけだ。

「なにぼーっと突っ立ってるんだ。着てみろよ。せっかくだから」

 ゆっくりと郷矢は顔を上げながら言った。表情は赤く、汗だくだ。背中もびっしょりだろう。

「とりあえず上がって水飲んで来い。その間に着替えとくから」 

「ちーっす。ついでにハンコお願いしマース。お急ぎ便の着払いで二万円になりま~す」

「高えよ! もっと負けろ」

「しょうがねーな~」

 笑いながらやりとりした後、結局二千円で手を打った。


 郷矢が帰った後、鷲尾は急いで洗面所で髪を梳かし、藍野に連絡を取った。

 彼女は優佳の家にいて、「これから向かう」と伝えると、「おっそ~い!」と電話越しに叫んで文句を並べ立てた。

 途中で通話を打ち切り、Tシャツ姿で外に出た。

 紺色の空に朧な月が浮かびんでいる。

 走って優佳の家まで行こうと思ったが、やっぱりやめた。ぼーっと見ながら歩くにはちょうどいい。

路地には街灯が灯り、家々の明かりが窓から漏れていた。

優佳のところには小さい頃から何度も何度も遊びに行っていた。朝、昼、晩と時間に関係なく、誘い誘われるままだった。

でも、クラスTシャツを着て行くのは、もちろん初めてだ。しかも背番号は優佳の誕生日を表す数字が書いてある。

これを見せたら優佳のやつ、一体どんな顔をするだろうか?

嬉しくって飛びついてくるか。笑いながら「大好き」と口にするか。

「真似したー!」とか言って怒るのもありだな。

いやいや、意外と最初は気付かないかも。肝心なところで間が抜けてるからな~。

でも万が一、泣かれたらどうしよう。いや、ありえる。超ありえる。よくわかんないとこで泣くからなー、あいつ。

なんだか考えるだけで緊張して――

いつの間にか、優佳の家が見えてきた。

走ればすぐなのに、玄関の前まで来るのに大分かかったような気がする。

するとちょうど門が開き、制服姿の藍野が出てきて、目が合った。こっち、こっちと彼女はぴょんぴょん飛び跳ねながら手招きをする。

早く来い!

と言っているようだ。少し腹を立てているのか、しかめっ面をしていた。

だが、小走りで駆け寄っていくと、その視線はクラスTシャツに釘付けとなった。興味深々といった様子で、顔を近づけたり離したり、生地を触ってみたりして仕上がり具合をチェックしている。

「いーんじゃない。あとは明日、明るいところでゆっくりみようかな。そうそう。ちゃんと優佳の誕生日のシャツ持ってきたの? 間違えてなーい?」

後ろに回りこんで番号を確かめる藍野。

「うん、大丈夫。ばっちりね。じゃあ、優佳呼ぼうか」

 そう言って、彼女は門の前に立ち、突然「おーい、優佳ー!!」と叫んだ。しかも目一杯の力を込めて、優佳の家の窓からでも見えるように手を振っている。

「おい、びっくりするだろう。普通にインターホン押せよ」

「こうすると慌てて出てくるから。効果抜群なの」

「近所迷惑だからだろう」

 ほどなく玄関の扉が開き、中から私服に着替えた優佳が姿を現した。裸足にサンダルを引っ掛けていて、キャラクターがプリントされたシャツにスパッツというラフな格好だ。めんどくさそうにしていた。

「なに、大声出して?」

「鷲尾来たよ~。しかもクラスTシャツ着てるー」

「うっそ~。星彦何で!?」

 優佳の声が弾んで、幼馴染の方を見た。じろじろと見ていたが、やがて彼女は上がって、上がって~と、とりあえず家に入るよう促す。

「藍ちゃんは~? やっぱ帰る?」

「うん。あたしは、もう行くね~」 

「じゃあねー」

 手を振って去っていく藍野を、優佳が見送った。

 それから残った二人は、顔を見合わせる。

「優佳……」

「ん?」

 首を傾げ、なあに? と聞く。

「いいだろう、これ~」

 胸を張って真新しいシャツを見せ付けると、彼女は手を伸ばして生地をぎゅっと摑んだ。

「どーしたの? ずるい。私も早く欲しいな~」

「そうだろう、そうだろう。優佳に最初に見せようと思って持ってきたんだ」

「なあに。私に10番見せてどうするの」 

「じゃあ、俺の代わりに着てみるか? きっとよく似合うと思うぞ」

「バカ。こんなところで脱がないでよ。恥ずかしい」

 綻んだ表情で冗談を飛ばす優佳。家の中に入ろうとする彼女を、腕を摑んで引き止めた。

「ちょっと待った。こっち向いてそのまま立ってろ」

「えー? 中入ろうよ~。暗いし。星彦なら遠慮しなくていいよ」

「いいんだ。そっちの方がよく見えないだろうから」

 疑問の声を上げる優佳だったが、素直に従った。

 彼女から大きく二・三歩後ろに離れたところで足を止める。息を大きく吸い込んだ。優佳の視線を感じる。全体に。頭からつま先まで見られている。

 彼女は黙ったままだ。

 そしてゆっくり回れ右をするように、後ろを向いた。

「うそ――」

 途中、声が聞こえる。回った。世界が回った。小さく、早く。

「それ……、私の誕生日――」

 一周したところで、目が合った。

 彼女の瞳は揺れていた。涙が溜まっているのだろうか。何か言いたそうだ。優佳が近づく。彼女の身体が飛び込んでくるのを、両手で受け止めた。

 優佳の頭が、真下にあった。その上に手をのせて髪に触れる。もの凄い近い。ものすごい近いところに優佳がいる。

 顔が見たくて、どんな表情をしているのか見たくて、そっと彼女の肩を摑んだ。ゆっくりと離そうとする手に、彼女も手を重ね合わせた。

「みんなにたくさん助けてもらったんだ」

「そうなんだ……」

 言葉は短かかったが、優しく穏やかな口調だ。そして彼女の温もりが、そういうところからも伝わってくる。 

「藍野にも郷矢にも早谷にも。あとで二人でお礼言おうな」

 うん、と優佳は深く深く頷く。でも、と言いかけて彼女は顔をあげた。

「でも?」

 聞き返すと、優佳はにっと笑って、今まで聞いたことないぐらいの嬉しそうな声を出した。

「星彦、大好き!」

































 第四章 体育祭


 16


 日曜日の校庭。

 熱気の籠もったトラックの上をTシャツ姿の選手達が駆けていた。

【早谷→鷲尾】と繋がったバトンは、先頭走者の郷矢から、徐々に後続との差を広げて現在堂々の一位。

そしてアンカーの鷲尾に全てが掛かっていた。

彼は後ろを振り返らずに、ひたすら走ってきた。足と腕を懸命に振って――

汗が顔中から噴き出て、背中はぐっしょり。

息も荒い。

だがそれももうすぐお終いだ!

俺の前を走るやつは誰もいない!

ゴール直前で鷲尾は高々と拳を振り上げた。終了までのカウントダウンを始める。

三……二……一……

その後、徐々に力を抜いて速度を落とした。一緒にリレーに出場した郷矢や早谷が迎えるなか、校庭の端にある水飲み場へと直行する。蛇口を捻って顔を近づけて、生ぬるい水で二度・三度と喉を潤した。後からゴールした選手達も一人、二人とやってくる。

水を止め、口元を拭って休んでいると、

「練習お疲れ~。私も飲もう~」

 Tシャツ姿の優佳が横に立ち、鞄を地面に置いて背中を丸めた。長い黒髪の下、77の数字が目の前に映った。

 今日が体育祭前の他のクラスも参加した本番さながらの最後の練習だと言ったら、わざわざクラスTシャツを着て観に来てくれた。

 優佳が見ていた。それだけで、なんかいつもと違った。頑張ろうって気になった。いや、今まで以上にそう思うようになった。ただ、格好つけたいだけかもしれない。

 次は本当に優勝してやるからな!

 と、伝えようと思って、彼女が水を飲み終えるのを待っていた。じっと後姿を間近で眺めていた。丹念に手入れされた綺麗な髪、なだらかな肩、かすかに汗ばんだ手足の素肌。

 その小さな身体を、ふいに抱きしめてみたくなって……

気付いたときには彼女に向かってそっと近づいていた。

あと少し。

あと少しだった。 

本当に肩先に触れてしまうんじゃないかと思ったときには、彼女はもう動いていた。

蛇口から顔を離し、急接近していたのにちょっとビックリした後、身を屈めて鞄からスポーツタオルを出して、はいと鷲尾に渡す。

彼は呆けた表情でそれを受け取った。

「あれ、違った?」

「いいや、用意いいな……」 

 なんだか気まずくて彼女からやや離れ、しばらく無言で汗を拭っていると背後で耳打ちする声がした。

「ダメだな~。こんなとこで女の子襲おうとしちゃ」

 びっくりした。

 慌てて振り向いて確認すると、早谷だった。首にタオルを巻き、練習で流した汗で額が濡れ、僅かに頬が上気している。

 彼女は軽蔑したように大声で笑った。

「ガッツポーズなんかしちゃってバカみたい。本番で勝ったんじゃないんだから。みんな力出してないだけ。でも、今日ぐらいの働きは期待してるから」

「そんなこと言われなくても分かってる!」

 鷲尾は怒りに震えて、胸の前で拳を握り締めた。

 くっそー

 ひとのことからかいやがって。

「体育祭の日を楽しみにしてろよ!」

 と言って、彼はいらいらしながら幼馴染の方を向き直った。

「優佳、上着とズボンくれ。更衣室で着替えてくるから! さっさとクーラーの利いたコンビ二でも行ってアイスでも食うぞ!」

 タオルを放り投げるようにして彼女に渡し、汗ばんだシャツを脱いで水飲み場に叩きつけた。そこに僅かに溜まっていた水を撒き散らして不快な音を立てる。

優佳がワイシャツを持つ手を止めたまま、小さく声を漏らした。

 やっちまった――

 焦った気持ちを抑えながら、彼女とそれに対して交互に視線を向ける。優佳の表情からみるみる明るさが消え、クラスTシャツは【77】がぐちゃぐちゃになって流れ出る水の底に沈んでいくようだった。

 動けなかった。

 どうしていいのかわからなかった。

 彼女も無言だった。

ただ、優佳が久しぶりに見せた涙が――

 ああ、もう……、面倒くさいことになった。

 

17


「優佳、着替えに行こー」

 次の授業は体育だった。

 藍野は更衣室に行くため、着替えを持って席を立った。優佳の胸には、もちろんクラスTシャツが抱えられていると思ったが――

「なんで普通の体操服なの?」

 彼女が座ったまま鞄の中から引っ張り出したのは、いつも通りの運動着だった。

 これには鷲尾も驚いたようで、優佳の席の前で足を止めた。

「ひょっとして家に忘れきたのか?」

「ううん、置いてきた。やっぱ学校では体育祭のときに初めて着ようかな~と思って」

「えー!」

藍野が非難の声をあげる。

「あたしに秘密にするなんてひどい。本当にやるとは思わなかった! せっかくお揃いの姿を写真に収めようと思って、今日デジカメまで用意してきたのに……」

「体育祭の日なんてあっという間にやってくるから。そしたらお願いね」

「そんなこと言って、本当はみんなの前で着るのが恥ずかしくなったんでしょう。でも、日曜日に鷲尾達がリレーの練習するからって、わざわざクラスTシャツ着て見に行かなくても」

「ななな、なんで知ってるの?」

 うろたえる優佳。

「有力な情報提供者からタレ込みがありまして」

 幼馴染から睨まれて、鷲尾は「俺じゃない!」と首を振る。

 藍野がさらにからかった。

「もちろん、そのときの写真もこの中に入ってるから。ねえねえ、旦那。奥さんとラブラブのところを収めたネガ、一本一万円で買いません? じゃないと写真部に売り渡して学校中にばら撒くけど。あと新聞部は今度クラスTシャツ特集やるって言ってるからモデルとして推薦しちゃう。ところで練習終わった後は、二人でデート?」

「藍ちゃん!」

「脅迫かよ!? 一緒に帰っただけだ!」

 二人とも火の付くような勢いで怒り出した。特に鷲尾は日曜日のことは、ほじくり返されたくなかった。今ではすっかり機嫌は治っているものの、しばらくへそを曲げたままで宥めるのが大変だったのだ。

 そこへ騒ぎを聞きつけた野次馬がやってくる。

「俺様は、一万二千出す!」

「じゃあ私は一万五千かな。でも情報提供料として三割引ぐらいにしてくれない?」

「あ~、藍ちゃんに言ったの、ひょっとして莢ちゃん!?」

「いいじゃない少しぐらい。私なんか鷲尾のクラスTシャツをこっそり抜き取ってくるっていう大役を引き受けたんだから。ねえ、鷲尾」

「あ、ああ。サンキュー。でも、優佳が着ないんなら今日は俺もやめとこうかなー」

 鷲尾が席に戻って普通の体操着を取り出そうとしたところを

「今更恥ずかしがってんじゃねーよ!」

 郷矢が後ろから蹴りを入れた。派手に机にぶつかった音がする。

「お前は毎回毎回!」

 鷲尾が拳を振り上げるのを見て、郷矢が逃げ出す。

「やべぇ」

 そのまま二人は教室の外へと消えた。

「さて、そろそろあたし達も」

「ちょっと藍ちゃん、お話があるんですけど……」

 歩き出そうとした藍野の腕を優佳がガシッと摑む。

「あ~写真のこと? ウソ、ウソ。わざわざ休みの日にそんなのだけとりに行かないもん」

 ねーと、彼女と早谷は笑いながら顔を見合わせたのだった。


 18


 体育祭当日。

 校庭に全校生徒が集まっていた。

一学年二百人ほど。

そして主役は三年生。

各クラスのTシャツが揃い、開会式の入場・整列はそれだけで熱くなった。

競技が始まってからも、女子は下級生から囲まれて携帯を向けられて写真を撮られていたりした。

 藍野なんかはその典型で多くの部員に囲まれていた。携帯のカメラを向けられるたび、ピースサインを送ったり、モデルよろしく色々ポーズを決めて遊んでいた。

一方、早谷は体育祭実行委員としての仕事があったので、彼女のようにはいかず逆に鬱陶しがって寄ってくる相手を追い返した。その素っ気無い態度がいいらしく、人気はさらに上がったようだった。


プログラムの内容は、



一〇〇メートル走・大玉転がし・綱引き・騎馬戦・リレー



など定番で、お昼には吹奏楽部の演奏、午後にはクラブ対抗リレーと余興も入っていた。

 鷲尾のクラスの戦況は、午前中は三番手に甘んじていたが、午後になって早谷が檄を飛ばした。たまたま得点の高い競技が続いていたこともあり、すぐに二位に浮上した。


「鷲尾と郷矢がクラス対抗リレーの集合場所に来ねー!」

 ヒステリックな早谷の叫びが、優佳と藍野の耳を打った。

 校庭の隅でビニールシートを広げながら休憩していた二人は、呆けた表情で彼女を見上げた。

「え――?」

「いないの?」

 どちらもまだ状況をよく飲み込めていないようだ。ビニールシートの上には菓子袋がちらかっていて、藍野は本日撮影した画像をデジカメで見ながらビスケットを頬張り、優佳は水筒のコップで冷たいお茶を飲んでいた。ちょうど建物の陰になっている場所で、比較的静かな場所だった。

「なんでそんなに呑気なの!」

 早谷は少し息切れしていた。

クラスを真剣に優勝に導こうとしている彼女と違って、藍野なんかはその勝敗にはあまり興味が無く、好きなクラスTシャツの番号は既に手に入れているので、あとは鷲尾達が適当に頑張ってくれればいい――ぐらいの気持ちだった。

「わざわざ鷲尾達なんか探して走ってこなくても……電話かメールくれればよかったのに」

「実行委員の私が、みんなや先生達が見てる前で堂々とそんなことできる訳無いでしょ! どこ行ったのあいつらは!!」

 早谷の怒りがいよいよ頂点に達し、藍野の襟を摑んで頭をぐらぐらと揺さぶる。

「ここにいるならあたし達がちゃんと行くように言ってる~」

「探して! 今すぐ探し出して、グラウンドまで引っ張って来てー!」

 そして矛先は優佳の方に向けられた。

「織部さん! しっかり鷲尾のこと見張っててよ!」

 睨み付けられた彼女は、「ごめんなさ~い」と小さな声で言って、苦笑いするだけだった。

「いくら優佳だって鷲尾の全部見てるわけにはいかないでしょ。今日の委員長滅茶苦茶……」

 藍野が愚痴をこぼすと、早谷は少し冷静さを取り戻したようで、クラスメイトを摑んでいた手を離し、「見つけたら教えてね!」と言い残してその場を去って行った。

「藍ちゃん大丈夫?」

 優佳が親友を気遣うと、彼女は「あ~あ」と大きく溜め息をついた。そして気を取り直して余っていたお菓子のやけ食いを始める。

「どこ行ったんだろうね~。でも、星彦のことだから、心配しなくてもギリギリになったら行くと思うんだけどなー」

「それを委員長に言って信用させる自信が無い」

「やっぱバレてたか。朝からいろんな種目に出場してるから少しは休ませてあげようかなーと思って。ここじゃ、ゆっくりできないみたいだし……」

「あいつって意外と知り合い多いからねー。一緒にいたんじゃ落ち着かないわよー」

 鷲尾は、始めのうちは競技の合間を縫い、ふらっと現れては休んでいった。だが、彼と優佳のことを知る連中がやってきては冷やかすのに嫌気が差し、終いには近づかないようになった。

「私より郷矢君とかと一緒の方が、気が休まるのかな~。このまま避けられたままだったらどーしよ。クラスTシャツなんか作らなければよかったかな」

 優佳が視線を自分の着ているシャツに落とし、物憂げにそれを摘んだ。バスケットボールを噛んだ髑髏が、胸の上で醜く歪む。彼女は服を破り千切るように、思いっきり引っ張った。

 藍野が慌ててそれを止める。

「一時的なものだから、そんな心配すんなって。繋ぎ止めとく自信無いなら最初からやめとけ。そろそろ行くぞ」

「星彦ったら私がこんなに心配してるのに……」

 優佳は藍野につられてようやく立ち上がると、携帯を取り出した。メールを打ちながら、先に歩き始めた親友の後を追う。

「鷲尾にメール?」

「そ。莢ちゃんが怒ってたって。出てこないと全校放送で呼び出すぞ! ってね」

「もし屋上で寝てたりしたら、きっと飛び起きるんじゃない。その間抜けな顔、写真に撮ってやりたい」

 藍野がデジカメを優佳に向けて顔をドアップで映すフリをする。二人は大声で笑いながら、歓声に湧くグラウンドのトラックの方へと近づいていった。

 歩を進めるにつれ、早いテンポで場内に流れている音楽が、気分をこの上なく盛り立てる。

 そこでは、二年生のクラス対抗リレーが行われ、アンカーの選手達がコーナーを回り最後の直線に入ろうとしていた。

 ゴールに向かって駆けて行く彼らの背中を確かめながら、彼女らは下級生達の間を割って入っていった。

 藍野が身を捩ったり、ときにはしゃがんでひとの間を潜り抜けて行った結果、テープを切る瞬間がよく見える位置を押さえることに成功し、しばらく遅れて優佳が彼女の横に並び、そのまま鷲尾達の出場を待った。 

 

 エピローグ


 よく晴れた休日の午後。

 窓からのそよ風が、二階にある優佳の部屋の、隅に寄せられたカーテンを揺らしていた。

大きく開け放たれた窓の前にはイーゼルが置かれていて、まだ乾ききっていないカンバスからは心地好い絵の具の香りがする。

 柔らかな陽射しがそこに大きく描かれた人物を輝かせていた。

 高く上げられた太い脚と力強く張られた腕の筋肉。首に伝っている汗は額から噴き出て、髪は逆立っているようだ。

 彼のTシャツの胸には長く白いテープが巻きつき、先端が宙に靡いていた。

 カンバスの右下には小さく作者の名前があり、裏には題名が書かれていた。

 それは――

「クラスTシャツと背番号」だった。

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クラスTシャツと背番号 祭影圭介 @matsurikage

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