第6話 宇宙、旅立ち1
「一体どうしてあんな所にいたんだ。スリしか出ないぞ、あのさびれた街」
「言ってるだろ。俺のプライベートに口を挟むなって」
「まあ、街がさびれていたお陰で奇跡的に死傷者が出ずにすんだが」
穏やかな口調にも苦い表情を隠さないエージェントに横顔を向けて、青年は窓際で腕を組んでいた。これ以上質問には答えない。その意思を込めて。
はあ、と大きなため息が聞こえた。
この惑星では誰もが知る、超が付くスペースアイドルだ。
だから多少意地を張っても、最後には相手の方が折れる。そういうものだ。
あの事件から数日。すべては静かに流れていた。
事件を受けて明星の警備はさらに強化され護衛も増えたが、今日まで襲撃どころか、特に何事も起きていない。
今もリハーサルをこなすために現場に来て、こうして休憩室でエージェントと話し込んでいる。恐ろしいほど、普段通りだ。
襲撃の犯人は捕まっていないし、相手の正体すらいまだに不明なのだが。
「そっちこそ何であのとき俺の居場所が分かったんだ? まさか……」
「ボディーガードと連絡を取り合ってお前の行った先を探しただけだ。発信機は付けていない」
そうだといいけど。明星は呟いて再び窓の方に向き直る。
エージェントは小言を続けた。
「近頃はダウンタウンでの麻薬の受け渡しが話題になってる。あんな場所にいたと知れたら世間が何を思うか……」
「そういう発想になるのは、あんたが日頃から俺を疑ってるからだ」
「それだけじゃない。女性と一緒に事件に遭ったなんて書かれたら、大スキャンダルだぞ。今度のツアーも中止になるかも知れない」
「はいはい。大事なのは俺じゃなくてツアーなのね」
「そんなことは……」
チクチクと口うるさい男がぐっと言葉につまる。彼は繕うように先を続けた。
「まあ、素性が知れればお前とスキャンダルになるような相手じゃないがな。偶然あの場所に配達に来ていた、ただの運送屋の配達員だ。敵が送り込んだスパイかとも思ったが、心配するな。ちゃんと派遣会社に籍があった。だいぶ前からな」
「一般人ってんならやっぱり変わってるぜ、あの人。家にも帰れないってのに、あの笑顔……」
明星が窓から見下ろす先。そこには一人の女がいた。
その女は明星のマネージャーの後ろに付いて、キョロキョロ辺りを見回しながら歩いている。どうやらこのスタジオの案内を受けているようだった。
そんなことしなくていいのに。
そうだ。この銀河の誰もが知る存在・明星に、「どなたか存じませんが」と言った配達員が一人。
二つ結びのおさげ髪に、締まりのないにんまりした笑顔。
口元からわずかに出っ歯がのぞいている。
タイガ・ナナセ。
不思議な人物だ。
あの日、カロン老人のアパートで会ったときから。
襲撃者を退けた驚異的な身体能力。ボディーガードかと思われるほどの瞬時の判断力。
しかし本当に一般人らしい。
そして何故一般人の、ただの配達員だった彼女がここにいるかというと。
結局エージェントは、ボディガードになりたい宇宙に行きたいという彼女の押しに負け、何らかの形でスタッフとして雇うことにしたのだ。
あんなに鼻息荒く頼まれたら断りきれない。それは分かるが……。
宇宙に行けると知ってから、あの配達員はずっとあの調子だ。
わくわくソワソワと、瞳の輝きが命を懸けた事件に巻き込まれた者のそれではない。
その喜びようががあまりにも極端で、だんだん命の恩人とはいえ奇妙に思えてきてしまったほどだ。
あの出来事はかなり大きなニュースになった。
死傷者はいないと言っても街中の家に不自然な切り傷が付き、一部のアパートや鉄塔は大崩落したのだから。
彼女はあの後職場にすら顔を出していない。あの事件に巻き込まれて行方不明ということになっているのだ。なっているというか、こちらがそうしたのだ。
エージェントはこの件で、どうやったのか警察と口裏まで合わせて明星と彼女のことを隠蔽した。二人があの場所にいたことも、何者かに狙われたことも。
エージェント本人は、暗殺者の正体をつかむまでの当然の捜査上の措置だとか言っていたが。
しかしそのもやっとする扱いすら、彼女は好都合と捉えているようで、
「身を守るためとはいえ、会社支給の端末をぶっ壊しました。しばらく顔を出しづらかったから助かります」
なんて言ってたくらいだ。
「肝の据わった子リスちゃんだな」
思わず口に出すと、聞こえたのかエージェントは「お前も肝が据わってるのはいいけど……」とため息混じりにぽつり。
「明星。ボディーガードが二社、警備から外れた。頼むからもう一人で出歩かないでくれ」
「分かってるよ。ツアーまでは大人しくしてるつもりだ」
ホントだろうなと、疑わしげに呟き返される。
そしてソファーから立ち上がったエージェントは、会話を打ち切って部屋を出ていきながら、あることを思い出したようだった。
「ああそうだ。あの事件の現場に落ちていたとかいう箱が警察から返ってきたんだが、あれはお前のものか?」
ついでのように何でもないその問いに、アイドルは思わず目を見張った。
「はあ……。カロンさんに謝らなきゃ」
こぼれたため息が風に流れる。
ここは超スペースアイドル・明星専用の特設リハーサルスタジオ。
その裏口の階段に腰掛けて、ナナセは一人頬杖をついていた。
機材を運ぶ音響スタッフのバタバタした足音。踊りの確認をするバックダンサーが流す音楽。すべてがナナセを通り過ぎていく。
ひょんなことから出会ったアイドル・明星の襲撃に巻き込まれて数日。
警察の事情聴取も終わって、エージェントの言った通り、ナナセは明星の近くで警備会社の保護を受けていた。
保護を受けていると言ったが、太陽系ツアーのリハーサルのために毎日このスタジオに来る明星のついでに守ってもらってるようなものだ。具体的にはこのスタジオの管理人室の仮眠スペースを借りて生活している。……いやなんとも好待遇だ。
まあそれはいい。ゆくゆくは守られる方じゃなくて守る方になるのだから。
そうだ、頬杖をついているのはそのためではない。
明星襲撃のとき再配達しようとしていた荷物のことで気が重いのだ。
あのとき明星とナナセの命は助かったが、カロンさんに配達しようとしていた荷物をなくしてしまった。
いや一応カロンさんの部屋の入り口までは持って行ったが、突然の襲撃のせいでどこかに落としてしまったのだ。
しかしカロンさんのアパート周辺……事件現場は警察が囲み、一般人は立ち入れなくなってしまった。だから確かめたくともあそこには近付けないし、荷物の行方は誰も教えてくれない。
結局あの後カロンさんに会うこともできなかった。
暗殺者に狙われるナナセが会いに行くわけにもいかないが、老人は今頃どうしているだろう。アパートに帰ってきたのだろうか。
帰ってきたとしたらびっくりするだろうな。あ、そういえば最後に会ったとき冥王星がどうとか言っていたような。だとしたら遠出してるのかな。それならそのお陰で老人が事件に巻き込まれずに済んだともいえるけれど。
そういえば明星はあのとき何故カロンさんの部屋に……。
次々疑問と憶測が浮かんで忙しいナナセだったが、
「ああ、ここにいたのかタイガさん」
頭の上から聞こえた声に顔を上げる。
そこにはポロシャツ姿の小太りの中年の男が立っていた。
明星のマネージャーだ。
高級な雰囲気のただよう近寄りがたいエージェントとは違って、彼は人の良い気さくな人物だった。
「すいません、勝手にこんな所に座り込んで」
「いや、いいんだ。このスタジオの中にいてくれたら警備の目も届くだろう。それより、君に伝えることがあってね」
「はあ」
「君が配達にきてたアパートのお爺さん。なんでも旅行に行っててしばらく帰ってこないらしい」
いきなり彼はナナセの疑問の一つ、カロンさんの行方について答えてくれた。
「そうですか。でもしばらく旅行って……おかしいな。あの時間に再配達の依頼があったのに」
忘れて旅に出てしまったのだろうか。几帳面で細かいあのカロンさんに限ってそんな。
「それは警察の人から?」
「いや、明星がそう言ってた。なんでもやつはお爺さんの友達らしい」
「友達、ですか。だからあのときカロンさんの家にいたの。いやでも……」
本人不在の家にあがり込むなんて、ずいぶん仲のいい友達だ。カロンさんは銀河中に知り合いがいて、届く荷物や手紙は多かったが、まさか歳の離れたアイドルの友達がいたなんて。ありえなくはないけど何だかモヤモヤする回答だ。
そのせいで疑問が晴れるどころか更に色々引っ掛かってしまったが、今はこれ以上聞きようがない。だって、
「とにかく、君は心配しなくていいと伝えておいてくれと頼まれてな」
それだけ言うと、マネージャーは言葉を切った。そう、今までのは全部アイドルからナナセへの『伝言』だ。
明星。さすが超スペースアイドル。別名
やはり一般人が安々と対面できない存在だ。
あの事件の後は、警察の事情聴取以外まったく顔を合わせていない。すべての必要事項は彼のマネージャーが伝えにくる。何というか、すごい世界だ。
そういえば最後に顔を合わせたとき、またナナセが宇宙に行ける行けるとはしゃいでいたらものすごく渋い表情でこっちを見ていた。
だから多分、彼からナナセへの印象は最悪のはずだ。もしかしたら宇宙狂の変な人として積極的に避けられているのかも知れない。ま、まあいいけど……。
とにかく、意思疎通は明星からナナセへの一方通行ということだ。
そう、せっかくの頼れるボディーガード候補だというのに、明星をはじめここの人達はナナセに何もかも秘密にしておいてくれている。そんなことしなくていいのに。
そりゃ太陽系のツアー前でみんな忙しいのは分かるけど、そろそろ警備の持ち場の話とか報酬の話とか色々詰めてくれてもいいのに。敵はまたいつ襲ってくるとも限らないのに。
ため息をつきかけると、
「それで、君の仕事のことなんだがな」
「え、お仕事!?」
不意に、マネージャーが話の続きを口にした。
顔を上げて、待ってましたと目を輝かせる。
今までこのスタジオの中でほぼ放置されていたが、やっとその話が聞けるのだ。
仕事の話。つまりボディーガードとしての待遇の話だろう。わくわく。わくわく。
出っ歯を外に出して、これ以上なくにんまりと口元を緩ませる。
そんなナナセに伝えられた、それは予想外の残酷なお知らせだった。
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