第2話 タイガ・ナナセ

「人生には、夢と希望と冒険を」


 うんと長い間、それがナナセの信条だった。


 そしてその信条は大人になった今でも変わらない。

 ナナセの歳で、そんなこと言ってる人は他に見たことがない。

 しかしそれがナナセというものなんだから仕方ない。


 自前のジーパンがきゅっきゅと音を立てる。 


 ナナセには夢があった。

 宇宙を旅する。

 いつの日か、たった一度だけでもいい。

 銀河に出たい。冒険したい。いや惑星を巡るだけでもいい。

 宇宙海賊と遭遇したり、宇宙怪獣と戦えなくてもいいから一回だけ!

 望むなら銀河の外まで。そこまで言わないから太陽系の中だけでも。


 いつの日か出発する冒険のために、特殊な武術も習得した。

 宇宙船の操縦だって通信教育で雰囲気だけはつかんだし、宇宙遺産検定なら二級を持っている。


 しかし……。


 相棒の配達用ホバートラックの操縦桿を強く握る。


 今日も数百件ほどの配達をこなし、気付けばもうクタクタ。

 そしてまーた遅くなった。


「遅い……! 何をやってたんだ三流運送屋!」

「す、すいまっせん!」


 筋肉質の太ましい腕を組むスキンヘッドの男は、眉間に深いシワを寄せ不快そうにこちらを睨む。彼にお届け物の箱を引き渡しながら、ナナセはペコペコ頭を下げた。


「この部品を使って今から銀河中に発送する商品を作らなきゃならねえんだ! お前の安い給料とは比べもんにならない額がかかってんだ、分かってんのか!」


 ナナセは特殊な武術を習得しているが、今はそれを使うときではない。

 使うのは宇宙を旅するときだけだ。そう言い聞かせて、プルプル震える二の腕を押さえる。


 まあいいじゃないか。部品の配達は無事に完了したんだし。

 肩を落とし、うつむいて目に入るのは、己が着ている運送会社の赤いベスト。

 そう、ナナセはまだ宇宙冒険家スペースハンターではない。


 金星の下請け運送会社『モーニングスター運送』で働く派遣社員だ。


 うるさいやつへの部品の配達は完了したが、今日はさらにこれからもう一件、時間指定の再配達を頼まれたのだ。


 ホバートラックを走らせながら、遠くに見えるは金星一の高さを誇るビーナスタワー。

 太陽系中のファッションブランドが軒を連ねる一番星通りと、金融界の強者が集った啓明けいめいビルディング。

 そしてその外れ。堂々と構える惑星一巨大なドーム……確か明星ドームだったか。


 あそこはキラキラしたこの惑星の中心、選ばれた者が集う場所。

 太陽系の超大都会、金星を象徴する偉大な建造物の群れだ。


 一方、ナナセが走るここは高層ビルの群れから取り残された旧市街。

 開発から取り残された落伍者の街、と言われる。


 もっともナナセはそうは思っていなかった。

 背の低い商店街の跡地と、もはや空っぽの雑居ビル。しかしどこか懐かしさを感じさせる狭い通り。

 街に足を運ぶ者も、住んでいる者も減っていく。それでも落ち着く静けさだ。

 昼夜もなく忙しく動く大都会で、ここだけは時間がゆっくり流れている。そんな気がするから。


 さあ、本日最後の配達だ。

 荷物は小さな紙箱が一つ。手の平にすっぽりおさまるそれを、待っているのはカロン老人。


 ナナセも何度か配達に行ったことがある、下街の写真館の主人だ。

 彼のもとへ、三日前留守で届けられなかった荷を持っていくのだ。この再配達の荷物を届ければ今日の仕事は終わる。

 しかし彼の店に再配達なんて珍しい。カロンさんはいつも店にいるので、留守にするのは非常に稀なことだった。


 大通りを離れて、カロンさんの写真館は閑散とした街の、さらに陽の当たらない裏通りにある。

 鉄筋コンクリート造りの四階建てアパート。その一階部分が老人の店になっている。

 看板も傾いてぱっと見営業してるんだかしてないんだか分からない。


 しかしナナセはこの店の外観が好きだった。

 まるで人類が地球に閉じこもっていた頃存在したアジアという地域の……まあそんなに詳しくないけどそんな感じの建物だ。


 店の前に停めたホバートラックを降りて、ゆっくりと入り口へ近付く。


 カロンさんの写真館は、ほぼほぼ彼の趣味のアンティーク置場にされていた。

 傷だらけの棚に詰め込まれた、背表紙のちぎれた写真集の山。……紙に焼いた写真が置いてあるなんて、銀河中探してもここだけだろう。

 そしてビロードのカーテンで仕切られた、こじんまりとした撮影スペース。そこで最後に写真が撮られてから、どれくらい経っているのだろう。

 看板が出ているとはいえ、写真館としてはもう廃業していると言っても過言ではない状態だもの。


 常時店にいるのはカメラマンのカロンさん一人。

 カメラもいつの時代のものなんだか、ずいぶん古そうな物が並んでいる。地球産のカメラだなんて老人は言っていたが、多分冗談だろう。


 ナナセが配達員を始めて結構たつが、この店に客が来ているのは一度も見たことがない。

 カロンさんはいつも一人で、過去に撮ったという大量の写真の山を見返していた。


 その客が来ないカロンさんの写真館の窓には、何十年前に貼られたのか、すっかり褪せた旅行会社の広告が一枚。

 何となく目に入るそこには『さあ君も宇宙へ! スタースプリング社が贈る、往復シャトル旅行に申し込むなら今!』の文字が。


 それを見て、運送会社の派遣社員は今日も抑えきれないため息を一つ。

 ああ、宇宙。どうしてそんなに遠いの宇宙。

 

 どんなに格安でも、宇宙旅行にはナナセに到底手の届かないくらいの費用がかかる。今はその日を暮らすだけでお金は……。


「おおっと、いけない! 今は荷物、荷物! カロンさん!」


 気を取り直して開こうとしたなじみの店の扉は……あれ? 開かない?

 よく見れば窓から見える店内もなんだか薄暗いではないか。老人の姿もない。


「カロンさん? 店にはいないのかな」


 くじけずナナセは写真館の横の鉄骨階段を駆け上がる。このアパートの二階の一室がカロンさんの住居になっているのだ。

 店にいないときはそこのチャイムを鳴らせば、老人は出てきてくれるはずだった。


 階段を上がりながら、ナナセは腰のベルトに取り付けていた電子端末をとり、画面の中の送り状に目を落とした。その日の配達に必要な情報はすべてここに入っている。

 再配達の時間、間違えたかな? いや、あってるな。


 首をかしげながら、アパートの二階の、一番奥の部屋のチャイムを鳴らす。


 部屋からはいつもの眼鏡の、細面で生真面目そうな老人が出てくる……はずだった。

 しかし、


「…………」


 無言と一緒にドアが開く。

 中から人の顔がのぞいた。若い顔だった。


 そう。出てきたのはさらさらと流れるような黒髪をした、青年。


 現れた予想外の人物に、ナナセは少なからずたじろいだ。この部屋の主に、身寄りはないと聞いていたから。

 一体誰だろう? 部屋を間違えた? いや、カロンさんの家はアパートの二階の一番奥……だよな。そのはず。


 それにしても実に風変わりな人だ。


 暗い室内から出てきたのにサングラス掛けてる。

 オシャレな帽子もかぶってるし。今から出掛ける所だったの?


「……なんだ?」


 ドアの向こうの人物が発したぶっきらぼうな、ひどくぶっきらぼうな言葉。

 戸惑っていたナナセはハッと我に返った。


「ああっと、すいません。あの、ここはカロンさん……のお部屋で間違いないですよね? お荷物を届けにうかがったんですが」


 今度は部屋の中から現れた人物の方が口ごもる番だった。サングラスの下の、わずかに透けて見える目が迷う。

 唇を引き結んで、しばらくの間、彼は何か考えているようだった。


 な、何だろう?

 荷物を持ったまま、ナナセはじっと待っていた。二人の間に落ちる沈黙。


 そして彼が再び口を開こうとした、瞬間。

 二人の沈黙を破るものは、突如としてやって来た。


 人生には、夢と希望と冒険を。

 でもその冒険に踏み出せない日常に、ナナセはすっかり慣れてしまっていたのかも知れない。


 自らの予測を超えた『突然』に、しばらく呆然とつっ立っていたのだから。


 音がしたのは部屋の中からだった。バーンと、ガラスを一気に打ち砕くような音。

 サングラスの青年が後ろを振り返る。ジャケットの袖からわずかに出た左手首の、銀のバングルがキラリと光った。


 ナナセは彼と同じ方を見て、しばらく呼吸も忘れていた。

 

 カロンさんの部屋の窓が破れている。それだけではない。

 破れた窓の向こう側から、男の声が聞こえた。


「見いつけた。宇宙の王子コズミックプリンス


 薄闇から現れた眼鏡が、ギラッと光った。

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