スペースアイドル、運びます!!

はじ湖

第1話 金星のアイドル

 暗闇に鼓動が聞こえた。 


 鼓動。それが欲しいと待っている。


 鼓動。鼓動。


 しんと耳を澄ませて。でも熱く。


 何万、いや何億もの。

 鼓動。


 闇の中に、忽然と男は立っていた。


 何億の抑えていた息が漏れる。

 すでに叫び出してしまわぬよう、己の口元を押さえる者もいた。


 長い夜が明けて、舞台は明けの色に染まっていく。

 ぱっと、照明が下りた。光が男に集まった。


 それはスポットライトを浴びるために生まれたような、麗しい男だった。

 太陽のような瞳が開く。美しい金色の髪が、その目元に落ちかかった。


「待たせたな、ビーナス。行くぜ、運命の一曲目……『スーパーローテーション』」


 きゃあああああああ!

 と、抑えられていた声は絶叫に、いや歓喜の叫びに変わる。


 皆待っていたのだ、この瞬間を。


 澄み渡る銀河を震わすような、この歌声を。


 “明けの空 輝き出した まばゆいほどのmorning star

 光射す窓辺に一人君思う”


 きゃあああ!

 流れる旋律の合間に、甘い歓喜が加わる。

 男のステージではいつものように繰り返されることだった。


 ペンライトの波に漕ぎ出すように、男は客席の真ん中へ伸ばされたセンターステージへ。


 “出会いはビッグバン 始まった情熱

 二人のグラビティ 駆け引きも抜きで

 純愛が 君の軌道へと導く”


「アリーナ!」


 指を指された席の観客がくらりと失神してしまうのもいつものこと。もちろん歓喜が頂点に達したゆえの失神だ。

 これが投げキッスともなると客席が大変なことになるため、男は撮影するカメラに向かってしかそうしなかった。……もっとも画面越しに見ている乙女の中にも、この投げキッスでぐらりとなる者が後を絶たないのだが。


 “Ready, go to you  時も超えて遥か君のもとへ

 光が届くよりも速く駆ける みか星の想い”


 男は走る。

 ステージの端から端へ、大きく手を振りながら。

 キラキラと光を照り返す、宇宙開拓時代のパイロットのような衣装をひるがえして。


 客席の熱はいまや最高潮にまで達していた。


 “Please wait, Venus 運命さえも今は僕のもので

 望みが叶うならば 二人いつか星屑の輪の上で”


「愛してるぜ、ビーナス!」


 共鳴のこだまは、決して途切れることはなく。

 惑星間回線上の会場は、皆の『欲しいもの』で溢れていく。


 一人の人間から生み出される興奮、快感、あるいはもっとそれを超える高揚感。


 たった一人のアイドルと、何億の観客で作り出される夢の世界。

 太陽系で最も輝く場所。


 男はそこで微笑んでいた。


 明星ミンシン

 太陽系に輝く、まさに明けの星。

 『宇宙の王子コズミックプリンス』の名にふさわしい、一万年に一人のアイドル。


 その輝きは、決して曇ることはないだろう。

 これから何があっても、彼の金星は煌めき続ける。

 そこにいる皆が信じて疑わなかった。少なくともこのときだけは。


 明星。まばゆい一等星。

 例えその身が誰かのものとなっても、今このときだけは、皆が崇める希代のアイドルなのだ。


 観客のため息とともに、今日も熱の舞台の幕は下りていく。『宇宙の王子コズミックプリンス』の名を呼ぶ声が響く。アイドルはその中で、爽やかに右手を上げてみせた。





 歓喜の叫びが続く、アリーナの天井。

 この公演の関係者すら立つことのできぬ開いたドームの屋根の上で、男達はその様子を見守っていた。

 当然ステージに夢中の観客が気付くことはない。


 ステージの熱とは次元を違えるように、こちらにはひたすらに陰気な空気が流れていた。

 男は四人。全員黒のスーツ姿で、年齢はバラバラ。


 眉一つ動かさず、その中で最も若いと思われる男が口を開く。


「あれが明星……今をときめくアイドルというやつですか」


 その言葉を受ける初老の男は、立派な白髭をたくわえた顎を撫で微笑む。

 浮かべた笑みは、何十年と戦乱を渡り歩いた貫禄に満ちていた。


「ワシも若い頃はあれくらいモテたものだ。毎日毎晩、嬌声の海に包まれてな」


 若い方の男は、冗談めいたその言葉を無視して話を進める。


「しかし婚約を発表してもまだこれだけ客を集めるとは、凄まじい人気ですね」


 彼の言葉通り。黒服の男達の視線の先で、ステージ上のスターは観客に笑顔を振りまき続けていた。

 異性も同性も惹きつけるその瞳は何度となく天の星に例えられ、甘い歌声は宇宙一の媚薬と太陽系中のメディアを騒がせている。

 そんなアイドルを眺めて、初老の男もようやく仕事の顔になった。


「浮き名の多い男だからな。客も婚約に真実味が沸かないのだろう。しかも発表してもう一年……今だ結婚に至っていないならば、婚約が白紙になったのではと疑うゴシップが出てもおかしくはない」

「そりゃ婚約の相手が相手ですから。一般人の結婚とは違って色々と準備がいるのでは?」

「やつの準備はもう整っているさ。問題は冥王星の歌姫の方だ。明星側は式の日取りを相談しているが、どうも返答が鈍いらしい」

「婚約を白紙にしたいのは花嫁のほう、ということですか」

「そこまでかどうかは分からんがな。単なるマリッジブルーというやつかも知れん」

「しかし花婿は冷たい花嫁の態度が解せないようですね。……もうすぐ始まる、太陽系を巡るライブツアー。それにかこつけて、やつは花嫁のマリッジブルーを解消しに行くつもりでしょう。そして、」


 ガシャンと、カメラの機材を組み替えるような無機質な音がした。

 白髭の男が笑う。


「そこを我々が狙うというわけだな」


 機材……否、それはライブ会場には到底必要のない凶悪な代物だった。


 男は覗いていたライフルのスコープから目を離す。

 銃口はステージの上。光輝くアイドルに向けられていた。


「ダメだな。隙あらばと思ったが、ステージの周りに防弾シールドが張ってある。向こうも対策は万全ということか」

「仕方ありません。やつに付いているエージェントがなかなかの切れ者だとか。そのお陰でやつは八十三時間、我々の暗殺から生き延びているのです」

「ハッハッハ! 面白い。宇宙一のアイドルには、宇宙一の付き人を、ということか」

「悠長に構えている暇はありませんよ。やつが目的の場所にたどり着くまでに、我々はこの任を完遂せねば……」

「分かっている。いや、こんなに面白い標的は銀河大同盟の建設以来なものでな」


 ドームの天井でこのような会話がなされていることは知る由もないだろう。ステージの上の星は、本日の公演の全曲を歌い上げ舞台に幕を下ろしていく。

 その様子を何の感慨もなげに眺めて、若い男はここまで黙したままの二人の男に指示を下した。


「次は関係者出入り口だ。隙あらば仕留めろ」

「はっ」


 若い男と白髭の男を残して、二人の男が一瞬で姿を消す。

 残された者達が驚かないのは、その二人が最初からホログラムだったからだ。

 彼らは若い男が指示した通り、このドームの関係者用通路を張っている。


「今日も成果は上がらんだろう。あのアイドルが行く所、どこも警備に穴がない」

「そうですね。しかしあの情報が流れれば形勢はこちらのものかと」

「ふむ。そろそろだな。銀河中の警備会社にあの件が広まるのは」


 不敵な笑いが、白髭の上にこぼれた。





「待て、明星! 一人でどこへ行く気だ!?」

「あんたは俺の芸能活動でのエージェントだ。日常生活にまで口を出さないでくれ」


 某有名ブランドの鞄一つを肩に、青年は今まさにドアをくぐろうとしていた。


 タンクトップにジャケットを引っ掛けただけのラフな姿に、一応素性を隠すためのカラーレンズ。頭には愛用のラウンドハット。髪の色もステージ上とは違う。

 それでも隠しても隠しきれない魅力……オーラというものに、人々は振り返るだろう。

 『宇宙の王子コズミックプリンス』とうたわれるこの青年の輝きに。


 その腕を掴んで引き止める一回り年上の男は、眉間にシワを刻み言葉を続ける。


「分かってるだろう。お前には何通か脅迫文が届いている。いいやそれどころじゃない、三日前には犯行予告があったのを忘れたのか」

「そう言いながらこの三日、何も起きてねえだろ。昨日もライブ終わりで発散したいのにホテルに閉じ込められて……」

「お前に何かあったら、冥王星の婚約者はどうする!?」


 その言葉を聞いたアイドルは再び己のエージェントに向き直った。

 今度は面倒臭そうなけだるい表情ではない。刺すような鋭い視線で。


「言ってるだろ。……俺と彼女のことに口を出すな」


 最後は睨み合いとなり、腕を振りほどかれたエージェントが負けた。

 宇宙の王子のわがままは絶対だった。


 肩を怒らせた背は、金星の最上層に座す高級ホテルのスイートを出て行ってしまう。


「ボディーガードに後ろから付けさせろ。一人で外出なんて、敵の恰好のエサだ」


 うんざりしたように、額に手を当てながらエージェントはソファーに深く沈みこんだ。

 ともに明星に付いているマネージャーの男が彼に水を差し出す。

 その水を一気にあおって、エージェントは盛大にため息をついた。


「わがままなやつだ。犯行予告があったと嘘をついても、全く豪遊をやめようとしない」

「しかし怪しい動きがあるのは事実なんだろう? しかも脅迫文を送って満足するようなアンチじゃない。得体の知れない連中がやつを狙ってる」

「ああ。早い内から警備を付けたのは正解だった。マーズクオリタスとメテオウルブズのボディーガードはやはり優秀だな。身の回りの警護から防弾シールドの手配まで、完璧にこなしてくれている。この後のツアーも、彼らがいれば一応安心だろう」

「まあ、そうだな」


 しかし男達の安堵を断ち切るように、


「エージェント、お電話です。警備会社の方から」


 不吉な連絡は、突然やってきたのだった。

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