五十七話 別れ ①
「もっと速く進めないの!」
「馬鹿野郎! 全速力で飛んでんだよ! 危ねえから中に入ってろ!」
ニケの要求にビトーの怒号が飛ぶ。
現在カル達を乗せた飛空挺がフリージアから王都アルストロメリアに向かっている。
何故王都に向かう事になったか……それはリオナが
カルが持っている通信機器にビトーから連絡が入った事で事態は慌ただしく動き始める。
「おい、もうすぐフリージアに着くからよ、急いで支度しといてくれ」
予定よりも早い到着だったのにはいくつか理由がある。一つは飛空挺の改良により、飛行速度が速くなった事、そして燃料の補給が必要無くなった事だ。それによってビトーは弟子を連れて止まる事なく飛び続ける事が出来た。だが、それほどまでに急いだのは飛空挺の性能が上がったからではない。
飛空挺に乗り込んだカル達は船内の食堂に集められ、そこに待っていたのは背の高い男だった。短めの茶色い髪に面長な輪郭。少し細めの優しげな目元をしたその男がビトーの元弟子である。名前はラウド・リーベンス、現在王都にて整備工場を営む整備士である。軽い自己紹介の後、ラウドから告げられたのはニケの父親に死期が迫っているという事だった。
「危篤状態? 本当に父なの?」
「間違いないよ……」
カル達は船内の食堂に置かれたソファに腰を下ろしてその会話を聞いていた。顔を少し上げたラウドはどこから話そうかと呟いてから、一度天井に向けた視線をニケに戻した。
「僕は帝都で飛空挺を作っていたビトーさんに整備を教わったんだ」
「え? ビトーさん帝都にいたのか?」
それはカル達も初耳で、思わず口に出たカルの言葉にラウドが頷く。そしてその先の言葉を語り始めた。
「初めて飛空挺を作ったのがビトーさんなんだよ。でも色々あってビトーさんは帝都を去ってね。それで僕も嫌気が差して故郷である王都に戻って整備工場を始めたんだ。と言っても最初は小さいぼろ屋を借りてね、壊れた機械の修理とかしながら生計を立ててたんだ」
そのうちアレクサンドロス城からの依頼を受けるようになり、ラウドの収入は大幅に上がった。仕事も軌道に乗り、王都で一番大きな工場を建てるまでに至った。
「それから何年か経って王国兵がある男を連れて来たんだ。それがヘルフレイヤさんだよ。王国兵から教えられたのは名前と元研究者である事、そして記憶を失っているという事だけだった」
木の壁に囲まれた食堂にラウドの穏やかな声だけが響く。時折頷きながらニケは静かに聞いていた。
「ある日、出先から戻るとヘルフレイヤさんが工場の設備を使っていてね。驚いた僕が止めることも忘れるぐらい、彼は必死に宝玉を作っていたよ。出来上がった宝玉は今まで見たこともないような物で、大気から魔力を吸収し大気に放出するだけの宝玉。正直、最初は無意味だと思った。でも、彼は宝玉を眺めて『ニケ』と呟いたんだ、愛おしそうにね。だからきっとその宝玉はヘルフレイヤさんにとって、とても大切なモノなんだと思った」
「お父さん」
ニケの口から吐息混じりの言葉が漏れる。
「その宝玉の用途に気付いたのはそれからしばらく経ってから。色々と試行錯誤して作ったのが君達に乗ってもらった二台のバイクだよ」
すでにその二台のホバーバイクは走行データを調べる為にフリージアを出る前に飛空挺に積み込んでいる。
それから年を重ねるに連れてヘルフレイヤの老衰は進み、王都襲撃の時にはすでに自らの足では立てない程まで衰弱していた。もう長くは持たないだろうと言われていたところにビトーから連絡を受けたのだ。
「せめて一目だけでも会わせてやりたいと思ってね」
ラウドはそう言うと眉を下げて笑顔を作った。その笑顔には変え難い現実が映っている気がしてニケは視線を落としてしまう。
ラウドもそれ以上何も言えなくなってごめんねと言い残して食堂を後にした。
しばらくの間、食堂を沈黙が包む。
そして沈黙を破ったのはニケだった。
「母は、ワタシが五歳の時に……死んだの」
その言葉を聞いてリオナは視線を膝に落とした。リオナもまた幼い頃に母を亡くしている。
「三十五歳だった。原因は魔力の絶対量が減少した事だそうよ。加えてユリの森は地形的に魔力が流れ込みにくいの……当時はそんな事、誰も知らなかったんだけどね」
*****
三十五年前
ユリの森の外れ、その開けた場所には亡きエルフ達が埋葬されている。木を削って作られた墓標には死んでいったエルフ達の名前が刻まれていた。
その中の『リリー・ヘルフレイヤ』と刻まれた墓標の前でダークエルフの少女とその父親が手を合わせている。
「お父さん……お母さんはどうしたの?」
「お母さんはね、この世界の一部になったんだよ」
「何で?」
「……お父さんのせいだよ。守ってあげるって約束したのに……間に合わなかったんだ」
「もう会えないの?」
目に涙を溜めて問いかけた少女に、父親は膝をついて目線を合わせた。
「目を瞑ってごらん」
少女が目を瞑ると、涙が頬を伝って地面に落ちる。
父親は涙の痕を指で拭うと少女の手を取って少女自身の胸に当てた。
「ほら、ニケの心は温かいだろ? お母さんはここにずっといるんだよ。だから泣いてばっかりだとまた怒られちゃうよ」
「……うん。ニケもう泣かない」
「そうか。ニケはいい子だね。さあお家に帰ろう」
少女は父親の手をぎゅっと握りしめた。ただ、握り返す父の手がいつもよりも強い気がして、少女が顔を覗き込むと父親の目は真っ赤に充血していた。
けれど少女は何も言わずに、繋がれた父の大きな手にもう片一方の手を添えた。
「ニケは……すぐ……迷子に、なるから」
父親は何かを飲み込むようにそう言うと少女と家路についた。
それから五年後。少女の父親は、娘とその友達の胸に宝玉を埋め込んだ。妻には間に合わなかったが、せめて娘は死なないようにと作り出した生命維持装置である。
この時すでに生き残ったエルフはこの二人だけだった。
やがて年齢を重ねるに連れてダークエルフの少女は大人になる。それに伴って父親との会話も減っていった。
*****
「そして十年前。ちょうどワタシの生まれた日に、父は食料の調達に近くの村に出かけて……そして、帰って来なくなった」
「その時に
「ワタシね……出かける父に『行ってらっしゃい』って言わなかったの。父の顔も、背中すらも見なかった」
「ニケさん」
その後もニケは父親を待ち続けた事、イヴが寄り添ってくれた事などを語った。
それが三日前、フリージアから出発した日の出来事である。
そして今、ニケの薄紫色の髪の毛が強い風に流されている。同じ色の焦りが滲んだ瞳には小さな王都アルストロメリアが映っていた。
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