五十六話 ??? ③
トールと契約したリーナ達は獣人の里ツバキにて宴会に参加していた。長老が住む木造の大きな屋敷に集められた獣人達、老いた者や次の世代を担うであろう若者達が、床に広げられた酒と料理に笑い声を添えている。
宴会をしているのは屋敷だけではなく里全体が召喚士の来訪に沸いていた。
獣人達が宴会に盛り上がる中、屋敷から抜け出したグリードはその裏手の壁に背を預けて座っていた。
「どこに行っても宴会だな」
長いため息を吐いた後に、グリードはそう呟いた。立ち寄った街や国が必ずと言っていいほど宴会を催してくれるのだ。グリードの胸に何とも言えない靄のようなものが漂う。
「やっぱり。外に居ると思った」
グリードが声のした方向に目を向けるとそこにはリーナが立っていた。手には水の入った木製のコップが二つ、その一つをグリードに手渡してから隣に腰を下ろす。
礼を言ってコップを受け取ったグリードが喉を潤すと、今度はそこから悪態が零れる。
「宴会、宴会。ったく……何が楽しいんだよ」
「きっと皆、嬉しいんだよ」
「それって……」
グリードはそこで言葉に詰まって、視線を彷徨わせる。次の言葉を探す茶色い瞳は、目立つ黄色い花に焦点を合わせた。
手のひらに収まる大きさの黄色い花が幾つも咲いている。花の半分を占める中心部は黒と焦げ茶色をしていて、何枚もの黄色い花びらが放射状に広がっている。まるで太陽のような花だ。
グリードは立ち上がってその花を一輪摘むとリーナに手渡した。
「勝手に摘んだら怒られちゃうよ」
そう良いながらもリーナは綻ぶ表情を花に近づけた。
「いい匂い。ねえ知ってる? この花の花言葉」
「いや、名前も知らないけど」
「花言葉は『あなただけを想う』よ」
目を細めて花を見つめるリーナに、グリードの表情にも笑みが浮かぶ。
「全部終わったら、毎日その花を届けるよ。リーナがその花で埋もれるぐらいに」
「ほんと?」
「ああ、約束する」
「お父様、何て言うかな」
「無事に帰れたら国王様だって認めてくれるよ」
一介の剣士が王女と結ばれるなど、国を救った英雄でもない限り考えられない。
それでもリーナは小さく頷いた。変わらず笑みを浮かべているが金色の瞳にはどこか憂いが滲んでいて、グリードもそれに気付いていた。
「リーナは死なせない。そして世界も救う」
少し間を空けて「ついでにな」と付け加えた。
旅の終わり、それはつまりリーナの死だ。どれだけ話を合わせてもグリードが語る未来にリーナは居られない。かと言って愛するグリードから離れる覚悟もリーナにはなかった。
だからこそグリードは言葉にしたのだ。その二つをリーナの心から追い出すために。
リーナは吐息混じりにグリードの名を呼ぶ、そして二人の視線が交わり合った。
「グリードォォォ!」
突然響いた声に二人の肩が跳ね上がる。グリードは思わず出そうになった声に、自分とリーナの口を手で塞いだ。
グリードの名前を呼んだ獣人が屋敷の玄関から一歩出て辺りを見回すが、探している人物の姿は見つからない。
「グリードの奴、どこ行ったんだ」
裏手に居るとはいえ、獣人の声が聞こえる距離だ。二人は見つからないようにじっと息を潜めた。
体が密着して二人を隔てるのは衣服だけ、しかしその距離ですらグリードは取り除きたいと思った。壁を背にしたリーナの口元から手を離すと、交わる瞳に誘われて二人は息を潜めたまま唇を重ねた。
「絶対について行ってやるからなぁ」
獣人はそう呟くと屋敷の中に姿を消した。
唇を離した二人は可笑しくて思わず笑ってしまったが、すぐにその笑みも消えた。引かれ合う力に身を委ねて、二人はもう一度唇を重ねる。
今、二人を繋ぐ確かなものは絡み合う舌と熱。
漏れ出た熱い吐息は夜に溶けていった。
*****
リオナの瞳がパッと開く。
何度か瞬きをして、自分が眠りから覚めた事を理解するとリオナは上半身を起こした。
「また、
先程見た夢かどうかも分からない
シヴァと契約してから二日。ビトーからの連絡は無いが、予定通りなら二日後にはフリージアに到着する。それまで待つしかない五人は、三日間ずっと同じ宿に泊まっていた。
あまり体を動かしていないからか、それとも
リオナが視線を落とすと、床で眠るギンが目に入った。三つ並びのベッドの真ん中で眠っていたはずなのに、シーツにくるまって幸せそうに眠るギンにリオナの表情が緩む。
ふと横に目をやると、もう一つのベッドに眠っているはずのニケの姿もない。さすがにギンと同じように床では寝ないだろうと、リオナは床に足を下ろした。立ち上がって気付いたのは寝る前に閉めたカーテンが開いている事だった。
リオナが近づいていくと大きな窓越しにベランダの手すりに体を預けるニケの背中が見えた。窓を開けてベランダへ出ると、窓が開く音にニケが振り返る。
「早起きね。まだ朝じゃないわよ」
そう言って小さく微笑むとニケはまた夜の闇に顔を向けた。
「眠れないんですか?」
「色々考えてるとね」
そこで、あぁと思い出したように口にしたのはその先の事ではなくリオナの事だった。
「リオナちゃんが生まれたのは世界を救う為だって言ったでしょ?」
それは二日前にシヴァと会話するカルに言い放った言葉だ。会話の中にリオナの意思が含まれていなかった。加えて直前にカルの妹であるソニアから兄を危険に晒すなと言われた事も相まって、リオナは自分を抑えられなかった。
「ワタシはね、生まれた事に大した理由なんか無いと思うの。せいぜい愛が結びついたとか、そんなとこよ」
「でも、私だけが……」
ニケが首を横に振ってリオナの言葉を止める。
「何が出来るかじゃない、何がしたいかよ。大事なのは生まれた理由じゃなくて、『生きていく理由』じゃないかしら。リオナちゃんは何をしたいの? 誰と居たいの? ワタシは、アナタに生きていて欲しい……自分の為にね」
ニケは一呼吸置いてから続けた。
「まあ、自分の為に魔女と契約するなら……それがアナタの幸せなら、ワタシは止めないけど」
「ニケさん、私は……」
「ほら、冷えるからもう部屋に入るわよ」
ニケは柔らかな笑みを浮かべると、口ごもったリオナの頬に口づけをしてから部屋へと入っていった。
「誰と居たい……か」
ふと頭に浮かんだ顔を追い出すようにリオナは首を振った。
「違う。私だけが救えるの……それが私のしたい事なの」
そう呟いてリオナも部屋へと戻ってカーテンを閉めた。
頭から追い出された誰かの顔と強がりにも似た言葉だけが、誰も居なくなった暗いベランダに置き去りにされた。
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