四十七話 握りしめる拳 ①

 何かが軋むような音。


 トールは後方から聞こえたその小さな音に振り返った。ミョルニルを振り下ろしている最中にも関わらず振り返ったのはその音のせいではない、自分に迫る危険を察知したからだ。

 カルの放った風が土の壁に亀裂を走らせる。


「おおおぉ!」


 直後に土の壁が大きな音を立てて砕け、無数の破片が猛々しい風と共にトールを襲う。


《ぐっ……》


 叩きつけるような風にトールの体は土の壁へと打ちつけられ、さらにその壁も砕いて後方へと吹き飛ばされた。その軌道を追うように粉塵が漂う。

 フィガロは口を開けたままそれを目で追った。自分を攻撃しようとしていたトールが鈍い音を立てて自分の真横の壁を突き抜けていったのだ。


 一呼吸おいてカルが石畳に着地すると両手をついて背中を揺らす。


「フィガロ、大丈夫か」

「お、おう……助かったぜ。死ぬかと思った……お前こそ大丈夫かよ」

「大丈夫……じゃないな……力が入らない」

「ほら、つかまれ。……やったなぁカル」


 フィガロは息の荒いカルに肩を貸すと、リオナ、ニケ、ギンが二人のもとに駆け寄った。その表情は明るい。


「やりましたね」

「さっすがぁ♪」

「やったわね」


 三人の言葉にカルは小さく頷いた後、右手に持った短剣を掲げて叫んだ。


「勝ったぁぁぁ!」


 カルの声に歓声が沸く。

 ニケとリオナはハイタッチを、ギンは短剣を鞘に納めたカルの右腕に抱き着いて少し固い胸を押し当てた。

 皆がトールの出した条件をクリアした事に喜んでいると粉塵の中から低い声がした。


《今の攻撃は、なかなか良かった》


 カルがその声に視線を向けると散っていく粉塵の中からトールが姿を現した。体には複数の傷跡が赤く色づいている。飛ばされたはずみで手放したミョルニルが石畳に転がっているが、それには目もくれずその視線はカルに向いていた。トールの表情には明らかに怒りが滲んでいる。


《皆……殺しだ》


 ぞくりとカルの腕を何かが這い上がる。


「約束と、違うだろ……」


 カルの声に耳も貸さずトールはゆっくりと歩き始めた。やがてその距離が近くなると、ギンが二人の間に割り込んだ。両手を広げて自分と同じ瞳を真っ直ぐに見つめる。


「いいかげんにしてよ! 約束したじゃん!」

《スルーズ! い、今のは油断しただけだ》

「約束守らないならもういい! 二度とここには来ないから」

 ギンはそう言ってプイと顔をそむけた。

《ちょ、ちょっと待てスルーズ! 分かった! お父さんが悪かった! ちゃんと守るから! な? 一緒に旅しよう》

「……知らない!」

《ス……スルーズゥ……》


 情けない声を出すトールにカルは苦笑いするしかなかった。


 ――最初からそれでいけたんじゃ……


 *****


《なるほど。つまりお前達はそんな関係ではないと……ならば何故最初からそう言わなかった》

「お前らが勝手に話を進めたんだろうが」

「いいじゃん、この機会にそんな関係になれば」

「ああもう、ギンが居るとややこしくなるからあっちに行ってろ」


 カルが右手で追い払うとギンは頬を膨らませながらフィガロとニケのもとへ歩いていく。その垂れた耳と尻尾に少し可哀想かなとカルは思った。

 カルの隣でその様子を見ていたリオナが口を開く。


「認めて欲しいから頑張ってるのかと思ってた」

「お前まで何言ってんだよ……俺は」

「嘘ですよ。分かってます……ふふ」


 微笑むリオナは口元を手で隠した。黒い髪が小さく揺れる。細めた目の隙間から覗く金色の瞳に自分を見つけて、カルは視線を逸らした。

 それを見たリオナはもう一度小さく笑った後、口を隠していた手をおろして呟いた。


「ありがとう」

「……おう」


 どこか気恥ずかしさを感じたカルはごまかすようにトールに視線を送った。先程までとは違い満面の笑みを浮かべたトールがギンに見惚れている。


「いつまで見てんだよ」

《可愛い愛娘を眺めて何が悪い。大体お前に俺の気持ちが分かるか? 何千年もの間、離れ離れになった娘とやっと再会出来たんだ。この喜びを表すならそう……》

「ああもう分かったよ! 俺が悪かった! なあ、それより魔女について何か知らないか? 目覚める周期が長くなった理由とか……」

《それは契約の際に剣士が割り込んだからだろう。変化点と言えばそれぐらいだからな》

「やっぱりそうなのか……」

「その後どうなったかは知りませんか?」

《俺達は契約主が死んだ時点で繋がりも消える。リーナと魔女の契約以降は分からない》

「そう、ですか」

「そもそも魔女ってのは何で生まれたんだよ」

《エデンは知っているな?》

「ああ、イフリートも言ってたけど確か神々が居た場所だろ?」

《まだ俺が生まれる前、エデンには数多の神々が居た。その中にひと際強く美しい女神が居たんだ。それが女神マアト……魔女だ。マアトは創造神であるゼノグラーシスと番いになろうとしたが拒否され激怒した。そして神々を引き連れゼノグラーシスに反旗を翻したそうだ。だが結局マアト率いる神々は全て滅ぼされた》

「じゃあ何で今、魔女が居るんだよ」

《ゼノグラーシスは女神マアトからクリスタルを生み出し、その中にマアトの一部を残したのだ。やがて俺達と一緒にクリスタルもこの世界に落とされたんだが、何かの拍子に砕けてマアトが魔女として目覚めたんだろう》


トールは一息ついた後、一度リオナに視線を向けた。


《ある日、俺の前に男が現れた……それが始まりの召喚士だ。その男は神からのお告げを聞いたらしい。そのお告げ通り六神の力を借りて魔女を眠らせた……それ以降、千年周期で魔女が目覚めるようになった。という訳だ》

「魔女と契約する以外に選択肢はないのか? 倒すとか無視するとか」

《魔女といえども神だからな……お前達では傷を与える事は出来ても死を与える事は出来ない。無視したとしても魔力を全て失って今の人間が生きていけるとは思えないがな》

「トールなら……六神ならマアトを殺せるのか?」

《いくら俺でもマアトの絶対防御魔法を貫く事は出来ない。だが……いや》

「何だよ、教えてくれ」

《俺やルドラが同時に攻撃すれば貫けるかもな》

「本当か? なら……」

《だが、過去に六神を同時に召喚出来た者は居ない……未だかつて、な》

「そんな……」


 トールの言葉を黙って聞いていたフィガロはただ拳を握りしめるしかなかった。

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