三章

四十一話 獣神トールと神霊術師

 世界の祭壇のさらに奥に聳える鈍色の山『ヴァルハラ』。その頂きに水が流れ落ちてくる。雲の隙間、つまりは空から落ちてくるその水をこの世界の生物は『神の涙』と呼んだ。そしてその『神の涙』は山を下り大地を這って海へと流れ出る。


 カル達が沿って歩いてきたダリア渓谷を流れる川もヴァルハラの上空から落ちてきたものだ。そして明確な境界線はないが、すでにダリア渓谷は終わりを迎えていた。


「もうすぐだな……」


 見下ろしていた川も今ではすぐ横を流れ、少し先には川を挟むように山が二つ。この川沿いを行けば獣人の里ツバキである。


「獣人はそんなに排他的な種族なの?」

「ニケは獣人とは会った事ないのか……まあ、種族がどうって訳じゃないんだろう。ギンはこれだからな」


 右腕に絡みつくギンに目をやりながらカルはそう言った。何度となく離れろと言ったカルだったがその言葉を聞き入れるつもりはないようだ。

 ニケには以前獣人の里を訪れた時の出来事を説明した為、この後に起こる事を推測していた。


「もしまた襲ってきたらどうするつもり?」

「その時は叩き……」

「ダメです」


 カルの言葉を遮るようにリオナが口を開いた。

 カルは後ろを歩くリオナに視線を向ける、リオナは視線を伏せていたが、そこに映っていたのは地面ではなかった。


「力でねじ伏せるなら、帝国と、あの男と同じになってしまいます」

「でもりおっち……危ないかもしれないじゃん」


 リオナは柔らかい笑みを浮かべて首を振った。


「ありがと……ギンちゃん。でも……私が、必ず説得します」


 そう言ったリオナの表情には決意が滲んでいた。

 カルは肩を竦めてため息を一つ吐き出す。


「皇女様は強情なトコがあるからな。まあ、いざとなったら二、三人ぶっ飛ばしてでも言う事を聞かせるか」

「皇女って……この前まで『お前』って呼んでたのに」


 リオナは誰にも聞こえないほどの小さい声でそう言うと足早にカルを追い抜いていく。鼻先を上に向けて歩く姿勢は明らかに不機嫌だと見て取れた。


「あれ、なんか俺まずいこと言ったか?」

「アナタって意外と……バカなのね」

「は、はあ? あ、おい」


 ニケはそれだけ吐き捨てて、先を行ったリオナの隣へと足を運んだ。

 しばらく考えたカルだったが、結局ニケが言った言葉の意味は分からない。カルは諦めて後ろを振り返った。昨晩の出血から貧血気味のフィガロが重い足取りで歩いている。


「おい、大丈夫かフィガロ」

「……おお」


 大丈夫じゃないな、とカルはもう一度ため息を吐く。いまだ右腕は絡み取られたままで、小さなふくらみと温もりを感じていた。


 *****


 しばらく歩くと川岸の山側に置かれた二台のホバーバイクを見つけた。どうやら王国兵に持っていかれなかったようだ。そこからまた少し歩いた所で獣人の里の入り口が見えてきた。

 そこに立つ二人の獣人がカル達に気が付くと、その内の一人が里の中へと消えていく。


「性懲りもなくまた来たか、人間ども」


 以前の見張りをしていた獣人とは違っているが、その態度はあまり変わらない。手にした槍をカルに向けた。


「長老に会わせてください」

「ここは通さぬ……去れ」

「……そう言うなよ」


 カルと見張りの獣人の視線がぶつかり合う。お互いそれ以上は何も言わず、場の空気だけが張り詰めて重くなっていく。

 見かねたリオナが足を踏み出した瞬間、ある声が張り詰めていた空気を切り裂いた。


「待て」


 そう声をかけたのは年老いた体格の良い獣人だった。以前と同じで灰色と青の生地を重ね合わせたローブに、いくつもの牙を紐に通した首飾りがぶら下がっている。


「ちょ、長老」

「……槍を引け」

「しかし!」


 食い下がる獣人だったが長老の鋭い眼光に渋々その槍をおろした。

 長老は鼻を鳴らしてからカル達に視線を向ける。その瞳に映しているのはギンの姿だった。


「すまなかった。この間の非礼を許してくれ」


 そう言って頭を下げた長老に五人は顔を見合わせた。


「どういう風の吹き回しなんだ」

「あれから、我々も話し合ったのだ。里の未来について、お前達について。いまだその答えは出ておらぬがな」

「だったらどうして頭を下げるのかしら」

「うむ、エルフ……のお嬢さん。私は神霊術師シャーマン、我々が崇めるトール様に答えを委ねる事にしたのだ」

「お嬢さんですって? この長老、なかなか信頼できそうね」

「……本気で言ってるな、ニケ」


 そう言ってカルは苦笑いを浮かべた。


 長老に案内され里を歩いていくと、円形の広場に出た。以前はこの場所で獣人達に囲まれて怒号を浴びせられたが、今はあまり獣人が集まらない。すれ違う獣人も様々で睨み付ける者や、頭を下げる者も居た。話し合いをしたと言うのは本当で、獣人達の中でも意見が分かれているのだろうとカルは思った。


 リオナが神霊術師シャーマンについて尋ねると長老はリオナを一瞥した後、神霊術師シャーマンについて語り始めた。


「何も神を具現化できるのは召喚士だけではない。魔法陣があれば神霊術師シャーマンもまた神を呼び出せるのだ。ただ召喚士のように魔法陣を描く事は出来ないがな」


 長老の話では、祭壇に描かれている魔法陣を使えば神を呼び出せる。そして神霊術師シャーマンの家系が代々、この里の長老を務めてきたと言うものだった。


「して、そこの獣人の少女よ。君はこの里の生まれか?」

「あたし? 分かんない。見覚えがある気はするんだけど」


 唐突に長老から問われたギンは驚いたが、そう答えるとそれ以上長老は何も言わなくなった。


 里のさらに奥へと進むと、辺りには建造物が無くなり木々と道だけになる。そしてその先に石造りの神殿がカル達を待ちかまえていた。火山の神殿と似たような造りの神殿が大きな口を開けている。


「審判の時だ……さあ入れ」


 その言葉に五人は顔を見合わせて小さく頷く。

 そして長老をその場に残し、五人は神殿の中へと姿を消した。

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