第28話 お星さま
通りの向こう側で車が行き交う音が低くにぶく聞こえてきた。
でもあたしがいるこの通りには、車の音はなかった。建物の壁や歩道の石畳は色をなくして、暗がりと見分けがつかなくなりはじめていた。敷きつめられた石が冷たく、着ている服を通して、横たわるあたしの体から暖かさを奪いとっていった。あたしはお腹を抱えたまま動けずにいた。
殴られた頬が、じんじん、と痛んだ。蹴られた背中やお腹が、ずきずき、と痛んだ。あたしは時おり吐きもどした。もうお腹にはなにも残っていなかった。それでもあたしは吐きもどしを止めることができなかった。透きとおった水のようなものが、あたしの唇から頬をつたって石畳に流れ出ていた。
あのおじさんはあたしのものを持っていってしまった。あれは全部、あたしのものだった。あたしがもっている数えるほどしかないものの一部だった。あたしの食べものの、全部だった。あたしのお金の、全部だった。
もう一度、あのお店へ行って、同じような買いものができるだろうか? あたしには、もうカードも黒い長方形をしたものもなかった。それに、あたしは前よりも一層みすぼらしくなっていた。今の自分にとてもそうできるとは思えなかった。多分あたしは乞食のように見えることだろう。おまけに、もう起きあがることすらできそうになかった。
こんなとき、お話の中でなら、誰かが必ずやって来て助けてくれる。マントを着たかっこいい人が現れて、悪者を追っ払ってくれる。でもあたしには、だれもやって来てくれはしなかった。あたしには、どこからも救いの手は差しのべられなかった。
横たわった姿のまま、お空のお星さまに、こんなあたしを助けてくださいと一生懸命にお願いした。こんなあたしを救ってくださいと一生懸命にお願いした。どうかあたしを導いてくださいと一生懸命にお祈りした。でも、お星さまは何も言わなかった。お空は雲に覆われていた。
お星さまは、どうしてあたしを助けてくれないのだろう? あたしがみすぼらしい子だからだろうか? あたしが何もできない子だからだろうか? あたしが迷惑ばかりかけている子だからだろうか?
大きな雷の音がきこえた。
雨の粒が横を向いた顔に、ぽつりとあたった。体にもあたった。あっという間に、お空からいっぱい雨の粒が落ちてきて、歩道にはねかえりはじめた。雨は、あたしの口から出たものを洗い流していった。石畳に横たわって、ずぶ濡れになりながら、あたしは、自分の気持ちが、しき石の隙間にそって流れ、歩道の端に開いた暗いみぞへと吸いこまれていくのを、なすすべもなく見ていた。
しばらくして、お空の上で、誰かが、じゃ口の栓を閉じたのか、雨の粒はもうやってこなくなった。あたりはかなり暗かった。石畳から、雨が運んできた寒さが、体を駆け上がってきて、あたしは震えた。
着ている服はずいぶんと濡れていた。このままでいては、だめだ。そう、思った。あたしは、体のなかに灯る、芯のほそい一本のろうそくのことを、思った。炎は小さくなって、消えいりそうに瞬いていた。でも、まだ、消えては、いなかった。
あたしは、長い時間をかけてどうにか腹ばいになると、こわばった二つの腕をのろのろと動かして、すこしずつ這った。建物の壁際までたどりつくと、やっとの思いで、上半身を起こし、壁に背中をあずけ、できるだけ体を縮こめた。
この通りには街灯はほとんどなかった。あっても壊れているのか明かりが点いていなかった。暗かった。背中とお尻がしびれるように冷たかった。髪の毛も冷たかった。闇の中で手を伸ばし、震える自分の肩を抱きしめた。肩はまるで、こおり水を吸った雑巾みたいに濡れていた。歯と歯がかみ合わず、壊れかけたカスタネットのように、カタカタと鳴った。あたしは、それを止めることができなかった。指先がしびれて、何も感じられなくなった。
背中も脚もお腹もだんだんと感じられなくなった。もう、あたしは、そんなに震えていない。そんな気がした。
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