第2話 期待

 想定外だった。まさか臓物ぶち撒け変死体と更に続けて焼死体まで見た後に、これほど平然と内臓を食べられる一般人がいるとは思わなかったのだ。助手として試用期間も二週目に入った彼を試すのに丁度良いからとこの店へ連れて来てみたのだけれど、少しばかり考えが甘かっただろうか。もし誘いを拒否したり途中で食欲を失うようなら今後も御荷物になりかねないとして手を切る予定だったのに、これではまるでそんな仮定こそおかしかったかのように思えてきてしまう。いや、凄惨な光景に慣れている私でさえこの取り合わせには幾らか抵抗が有るのだから、そんなことはないはずなのだけれど。

「探偵さん、さっきから話してばっかで肉取ってないみたいですけど、もう食べないんですか?」

「君を見てるだけでお腹一杯になっちゃったんだよ……」

 もしかしたら先に見たものを連想するにまで至っていないのかもしれないと、追い討ちで今日の事件の話ばかりを被せてみていたのだけれど、結局意に介す素振りなど微塵も見られはしなかった。それどころか、こちらの方が幾らかグロッキーになってしまったわけで、とんだお笑い種だった。

「そういうもんですか」

 とりあえず聞いただけだったのか、あっさり納得した彼は机に埋め込まれた焼き網の上にまた肉を追加していく。別物とはいえ蛋白質の焼ける匂いにうんざりしていると、そういえば、と呟く声が聞こえた。

「ここに入る前なんですけど一つ推理を思い付いたんで聞いてくれません? 探偵さんが今日この店を選んだ理由についてなんですが」

「……! ああ、うん」

なんだ。奢ると聞いた瞬間「やったあ」と口に出し、着いてからは黙々と食べ続けているその姿があまりにも自然だったから何も考えていないのかと思っていたけれど、こちらの目論見を理解した上で乗っかっていたのか。それなら私に全く悟らせなかった点でも彼はかなりの食わせ者ということになる。当初の目的にも俄然期待が膨らむというものだった。

 身を乗り出して聞く姿勢になった私に正面に座る青年は箸を止め、不敵な笑みを浮かべるとゆっくりと口を開いた。

「無意識ってのは結構強いものなんだそうですが、今日見た現場には内臓の溢れた人と焼けた人がいたでしょう。どっちも強烈なインパクトがあったのは確実です。つまり探偵さんは今回あれらが無意識の部分に染み付いていたからこそ、ホルモン焼きを食べたくなったんですよ。その証拠に、探偵さんはここに来てからその話ばかりしているんですが、どうです?」

 どうです、と言われても。今の私の感情を何と言えば表わせるのだろう。彼のその自信に満ちた態度が居たたまれないだけではない。

間違っていた。私も、この青年も。彼は試されたことに気付いていないどころか、あの死体達と目の前の肉を最初から結び付けて尚、平然と焼いて食べてを繰り返していたのだ。

「あっ。『さて』って言い忘れた……」

小さく上がった残念そうな声はどうでも良い。

 思い返せば出会ったときからそうだった。おそらく私を殺しに来たくせに、よろければ手を差し伸べ、食事に誘えば喜んで奢られる。それでいて時折見せる殺意の瞳も健在で、状況に応じて態度を使い別けることに別段苦労している様子も見受けられない。元来のお人好しと後付けの害意を無理無く両立させている、その根底にあるのはきっとこの、類稀なる図太さだったのだ。

「……その牛の第三胃、美味しいかい?」

「これそんな名前でしたっけ? 美味しいですよ、御馳走様です。そんで俺の推理、合ってましたか?」

「それなら良かった。ところでさっきの事件なんだけど、被害者がまだ生きている状態で胃や腸を引きずり出されてた件、どう思う?」

「は? 滅茶苦茶痛そうだし酷いやり方だと思いましたよ。でもあの被害者が加害者に長年加えていた仕打ちを思えば、あれくらい仕方無いんじゃないですかね。で、俺の推理─」

加えて彼はドライなわけではないのだ。むしろ被害者加害者問わず誰にでも一度は共感を寄せてみようとする傾向さえある。私に比べれば遥かに善人。しかしそれでいて何か、どこかがおかしい。どうにもばっさりし過ぎてているとでも言おうか。

 いい加減そわつきだした青年のために、それなんだけどね、と前置きすれば警戒したようにきゅっと口元を引き結ばれた。

なるほど、察しが良いのは助かるな。こちらも遠慮をしなくて済むし。

「悪いけど全部間違ってるよ。探偵小説あたり囓ったことが有るようだけど語り口もいまいちだ。事の真相はもっと明快でね! 私が君をここに連れて来たのは、君が先に見た人肉を連想させる状態の畜肉にどう反応するかで精神の鈍さをテストするためだ。もし過敏なら今後のためにも追い出すつもりだったけど、君はこの私が驚くほど図太かったよ。良かったね」

「……性格悪っ」

「そう言う君は口が悪いな」

とは言えその媚びない態度は嫌いじゃない。どうせすぐばれるのに下手に取り繕われたりするよりは、清々しくてむしろ良い。

一言の棘に一言で応戦して手元の梅酒を啜れば、グラスの中でぶつかり合う氷は明るい音を立て、フルーティな甘みが口内を満たす。ふと、目の前の青年がここに来てまだ烏龍茶しか飲んでいなかったのを思い出しながら視線を上げると、件の彼の不貞腐れた顔が視界に入って思わず吹き出しそうになった。

 表情を隠さない人間は見ていて気味が良い。その割り切りが良過ぎる性格だって、幾らか寒気を覚えはしても好ましくないわけではない。ああ、そのむっと寄せられた眉間を見ているだけで、不思議なほどにおかしくて堪らなくなって、腹の底から奇妙な笑いが込み上げてくる。

と、ここで私はようやっと調子の狂いを自覚した。人嫌いの自分にしては、彼への評価は加点ばかりに傾いていたのだ。それこそまるで無意識に、雇い入れるのに乗り気だったかのように。いやしかしこのテストの結果は予見出来なかったのだから、贔屓目などではないと思いたいのだけれど。しかし本当にそう言い切れるだろうか?

 昼間、死体を見た瞬間の彼は、その申告を信じるならば初めてであるにも関わらず、恐怖の色など大して浮かべてはいなかった。ただ犯人に腹を立てていただけだ。それなら私は、ほぼ確実にこれを通るだろうことも予見できていたはずじゃないか。

仕方無い、認めよう。薄々わかってはいたし、実際のところそうなのだろう。例の期待を抜きにしてもこの二週間、彼の隣はなんとなく居心地が良かった。どう考えてもこの青年の、他人に嫌われ難い性質故なのだけれど、私は基本的にろくでもない人間としか接点が無いのもあって、こういう経験におそらく弱かったのだ。誰かを贔屓したくなるなんてことも、ほとんど初めてなのではないだろうか。

……参ったな、予定より気に入ってしまっていたらしい。これではこれ以上粗探しに臨んだところで結果はきっと変わらないだろう。

 睨み合う私達の間で細切れにされた家畜の内臓が焼けている。青年はそれを摘もうと箸を伸ばし、私はポケットの中のものを握り締めてその前に拳を突き出した。

「君にあげる」

「何をです? 肉取るんでちょっと待ってくださいね」

「うん」

拳を宙に浮かせたまま私は待つ。程無くして青年はその下に手を広げ、私はそれを譲渡することに成功した。

 青年の手の中で小さな金属片が光る。彼の目が大きく開いていく。

「えっ、ちょ、これって……!」

 いつ決めても良いようにと持ち歩いていた時点で、答えなんかとっくに出ていたのかもしれない。

「事務所の合鍵だよ。正式採用の証と取ってくれて構わない」

「良いんですか、今ちょっと喧嘩みたいになってたのに、しかもこんなに早く!? マジか、図太くて良かった!!」

目を輝かせてはしゃぐ彼に、連られて私まで胸が温かくなる。しかしその下に秘められた魂胆を知っていながら、喜ばれて良かっただなんて思えてしまったのは倒錯も甚だしい、宜しくない傾向だった。どうせ同調するならそれぞれ計画に近付けたことを彼と共に、しかしそれぞれでこっそり喜ぶとしよう。

「年明けまで持ち越したくなかっただけだよ。まあ、そういうわけだから改めて。これからよろしくね、助手くん」

「呼び方が変わった! こちらこそよろしくお願いします!」

 私が伸ばした右手を青年の右手ががしりと掴み、焼き網の上で文字通り熱く煙たい握手を交わす。それは些か情緒に欠けるシチュエーションではあれど、私達にはまさに記念すべき一歩だった。

しかし感慨に浸る私を他所に青年は手を離した瞬間新たな肉を並べ始め、呆気にとられる私を見つめてふと、不思議そうに首を傾げてみせた。

「……ところで探偵さん、俺の名前とか全然呼ばないですよね。忘れたんですか?」

「見事なまでのブーメランだね! 君も私の名を呼ばないけれど、それにも何か特別な意味が?」

「あ、いや特には! ……なんとなくですよ、なんとなく」

へらりと笑って濁そうとした、その目はいっそ正直なほどに泳ぎきっている。語りも下手なら誤魔化しも下手だな! 嘘を吐くのに向いていないくせにそれを自覚していないらしいのが滑稽で、ともすればからかい過ぎそうになっていけない。程度を見極めて控えなければ。気付いていることに気付かれてはいけないのだから、用心するに越したことは無いのだ。

「あっそう。私はね、覚えてるけどしっくり来てないんだよね。履歴書で見たあの名前は君そのものに比べて凡庸過ぎるし、画数も悪い」

「凡庸……画数……」

 盲点だったのだろう。助手くんは呆然と復唱したけれど画数については適当に言っただけで、それより初日にその名字を呼んだ際、怖ろしく反応が遅れていたことの方が問題だった。あれでは呼ばれ慣れていないのが丸わかりというものだろう? いったいどれほど頑張って考えたかは知らないが、大っぴらに偽名を呼んでやることはさすがに私の自尊心が許さない。

「だから今後は助手くんと呼ばせて貰うよ。嫌でも何でも慣れてくれ」

「別に嫌ではないですし。……それで良いですよ、探偵さん」

完全に腹を括ったらしい普段より重く力強い声は、頼もしい限りで何よりだ。是非その調子で、全力で、私を殺しにきておくれ。

 さて、私はと言えばこの契約が良きものとなるよう、帰る先を違えた一組の鍵にでも祈りを捧げておこうじゃないか。

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