第5話 それは虚像の偶像に過ぎないのか
教室で俺と雪宮の席は隣同士だ。
しかし、俺らは互いに異なる空間にいるかのようにふるまう。それは『パーソナルスペース』とかいう学問的で格式ばったものではない。おそらく俺と彼女は、近づくこと、触れること、それができる間合いに入ることの不安定さを知っているのだろう。
全ての講義が終了して放課後となるとクラス内で学級展示の話題が持ち上がる。その中で話題に参加はしたいが少し忙しそうに身の回りを整理している生徒が2人いる。恐らく彼らがうちのクラスの実行委員なのだろう。
時間があまり無いので大体の片付けをしてから俺は教室を出た。同じようなタイミングで雪宮も教室を出ていたようで俺の少し前を歩いている。
会議室に着くと委員長らしき生徒の他に3人ほどの生徒が会議の指針確認のようなことをしていた。部屋の辺から辺へ視線を滑らすと、集まりは意外と良く、ほとんどの委員は集まっているように感じる。
大体の2年生が集まっているところに座ろうと思っていると飯田先生に呼ばれた。
「おっ、2人とも来たか。君達の席はこっちだ。」
「いや、何でそんな前の方なんすか...別に僕らチーフとかじゃないですよ。」
「そんなことは知っているさ。君達はクラスの委員ではなく実行委員会の補助員としてここに呼んでいる。ひとクラスだけ委員が4人いるのは不自然だろう。」
まあ、言われてみればその通りだ。実行委員会の幹部らの横に設けられた二人分の席に座る。
委員長が会議開始を宣言した。予定時刻より少し早めだが、あらかた集まっているのに何もしないのは効率的ではない。
俺は我が校の学校祭実行委員会は『LOW Task,HIGH Performance』が絶対だと考える。
時間も労力も資金も限られている上に、それらは彼ら個人が思っているよりはるかに少ない。
会議の指針の説明によると今回は実行委員の顔合わせをしつつ、担当部門の確認とスローガンの決定だそうだ。まあ、俺は顔を合わせたところでどうしようもないし、特にメリットがない。むしろデメリットの方が多いのではないだろうか。
俺としては『スローガン』の決定が面倒だ。
俺の意見を言わせてもらえば、そのようなものは『それらしく抽象的で曖昧なフレーズ』ならば何であろうといいのだ。というのも『スローガン』とはあくまでも『理想』を、それに似ている言葉に起こしただけだ。そのようなものは『実際』とは離れているし、『現実』にはならない。現実にしてしまったら、それ以上を考えず、現実となったものが目の前にある満足感と優越感から浮足立ち、思いつかないようなミスが発生する。
だから意味が広く使い場所を選ばない、人により解釈が異なってもいいフレーズで理想を表せば、生徒の指揮が取りやすく事故の可能性を抑えられる。まあ、いわゆる”絆”とか”最高”とか”助け合い”がその内だろう。
要は『スローガン』は生徒全体の意識のベクトルの終点を定めるためにある道具であるべきなのだ。
それを決めるだけで募集をかけて、投票・開票の後に吟味・修正をして限られた時間の多くを費やしたくない。
建前として募集だけかけて、こちらであらかじめ決めたものを公表すれば十分だ。
まあ、そのようなことを言っても何も変わらない上に反感を買って会議の進行が鈍くなるから、黙って決定を待ちながら別のことを考えよう。
そういえば雪宮ならば、何かうまいフレーズを知っているのではないだろうか。そのあたりの言葉の変換にも強そうだ。まあ、これは俺の偏見だし、俺のスローガンに対する考えが彼女と一致するかわからないから聞くわけにはいかない。
30分程かけてやっとスローガンが決まった。
よくもこれ一つ決めるだけでこうも時間をかけられるものだ...
その後、担当の部門に分かれての作業分担や作業予定の確認のため各部門に分かれように言われたが俺らは補助員なので基本的にはどの部門にも属さずに幹部らとの仕事が多くなる。
まあ、大方『協力』という立派な文句のもと泥臭い上に ボリュームのある仕事が回って来るのだろう。
ソースは俺、俺自身の経験でもあるが 周囲の人間を見ていてもそう感じる。
補助員というのは字面よりも面倒なもので、結局はどこにも属さないから与えられる仕事は遠浅だ。
最終的には予想通り、議事録やパソコンを用いたデータの作成・編集、当日の舞台裏・舞台袖の進行という日当たり最悪で日照権を主張できるのではないかと疑う程の作業になった。
すべての部門の打ち合わせが終わり解散した後、俺は教室に向かった。
もう五月だというのにあたりは薄暗くなっている。中々遅い時間まで学校に残っていたということを改めて感じる。すでに校舎に生徒の影はなく、グラウンドからは服の汚れも、汗も、苦しみも、失敗も『青春』という万能調味料で人生の栄光にしてしまう運動部の声が聞こえるのみだ。
教室に入ると、俺の机の上には会議前に置いた教科書や参考書がそのままの状態で置いてあった。
数学と物理の参考書だけを鞄に入れ、他をロッカーにしまう。荷物を入れ終わったのにロッカーの中を何の目的もなく眺める。
もう陽は落ちたのだろうか、ロッカーの中がいつもより暗くて見えにくい。
まるで何かを悟ったかのように息を吐き、窓の外を見る。
通用門に向かって雪宮が歩いている。陽は未だ落ちていなかったが、妙に濁った空気が影を飲み込んでいく闇をより黒く見せている。瞬きをしたら雪宮を見失ってしまいそうだ。
『これは何かの暗示なのだ』とかいう占いにも満たない、根拠のないことは言わないし、言いたくもない。
しかし、その光景が現実になりうるという予知の感覚を俺はすぐに捨てきれないでいた。
” か ば ん ” 幼児の覚えたての発音のように頭の中でつぶやいて我に返る。
もう、窓の向こうに彼女の影は見えなかった。
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