第12話 杉並消防署高円寺出張所

「モトキぃ? 飯はまだかー?」


「腹減ったまま出動とかゴメンだからな? 早くしてくれよ!」

 川上 元紀は勤務する杉並消防署高円寺出張所で当直での出動を終えた救急隊員だけでなく火災の出動がなかった消防隊員の先輩に催促されながら朝食を作っていた。


「はい、みなさんお待たせしました!」

 元紀はここに配属されてからというもの、自分が一番の年少者ということもあって当直明けのシフトの際は朝食を作る係になっていた。


 米飯、味噌汁、干物。玉子焼のこれといった変哲のない朝食ではあったが、人数が週休要員を入れると11名とそれなりにいるので大わらわである。


 出張所には、柏木さくらという元紀の2つ上の女性機関員がいて、たまにシフトが重なると手伝ってくれるのだが今日は一人で作らねばならなかった。


「感謝!」

 消防隊の隊長である後藤田が一言唱えると、全員が「感謝」といって食事を始めた。


 話は自然と慎一の話になる。


 後藤田が、救急隊長の山﨑に、

「モトキに瓜二つだったんだって? 要救護者」


「ああ、目を疑ったさ。しかもチャンピオンライダーだったんですよ」

 山崎が応える。


「まあ色々モトキには驚かさせるよな、ヤマ」


「そうですね」

 山﨑がそう答えると、何が、と放水長の亀石が聞く。


「カメさんは、ここはまだ短いから知らなかったですか。コイツは、オレがコイツの友達を応急処置したのを見て救急隊員になったんですよ。コイツが配属されてきたときは顔なんて忘れてましたがね」

 笑いながら山﨑が説明する。沢田が、


「いや、俺もあまりに似てるんで暫く呆けてしまって、隊長に怒鳴られて」

 と頭を掻きながら続ける。


 ようやく元紀も、


「似てたっす」

 とボソッと呟く。


「しかし、あの婚約者の娘、気の毒だったな。こんなことさえなければ、幸せになれていたんだろうに」

 沢田が有紀の事を慮った。


「モトキ、お前ずっとあの娘のこと見てだろ?」

 と沢田が雰囲気を変えようと茶化すと、


「えっ? いや、そ、そんなんじゃないっすよ!」

 しどろもどろになる元紀。


「おー、まんざらでもなさそうだが、さくらちゃんが悲しむな、おい?」


「ちょっとサワ、それオフレコだぜ?」

 と後藤田。


「あ、ヤベつ」

 元紀もさくらの気持ちを知らないでもない。


 誤魔化すように、


「でも、似てたな。あの人。なんか他人のような気がしないっすよ」


「俺は村上健一選手ファンだけど、風戸選手が亡くなったなんてなんか信じられないな」

 村上ファンでモトキを仇扱いしていた週休要員の榊原も慎一を悼んでいた。


 元紀は自分が搬送した風戸慎一についてもっと知りたいと思った。


「榊原さん、風戸選手の事、もっと詳しく教えてくださいよ」


「ああ。風戸選手は本物の「天才」ライダーだった。たたき上げの村上選手とは違う。だから判官びいきで俺は村上のファンなんだけどな」


「天才、ですか」


「ああ、あのレースを俺はこの目で見たんだ」

 榊原は伝説になった慎一のデビューレース、「バイクレースの甲子園」とも呼ばれる鈴鹿4時間耐久レースの話をし始めた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

榊原は、


「このレースは、四時間の制限時間の中で、二人のライダーが交代しながら走って、サーキットをより多くの周回をこなしたチームが勝つルールなんだ」

 と語り始めた。


 ――6年前、慎一は、鈴鹿選手権の中堅選手であった勝呂とペアを組み、川口のチームから出場した。初出場で予選12位につけた。


ファーストライダーの勝呂が徐々にペースを上げて一時間後にはトップ集団に追いついた。セカンドライダーの慎一にチェンジし、ここで慎一は、レースのラップレコードを連発し、ついに3位に躍り出た。


 そこで慎一から再びライダーチェンジし、勝呂はついにトップに襲い掛かった。


 勝呂を「中堅選手」と評したがそれはランキングによるもので、勝呂は速い、強い、巧いを絵に描いたようなライダーだった。しかし度重なる不運でケガに見舞われ、地方選手権レベルに留まっていたのだ。

 

 勝呂は超高速コーナーである「130R」を抜け、カシオトライアングルと呼ばれるシケイン、いわゆるクランクのような難しい部分に差し掛かったところで悪夢が訪れる。


 130R から勝呂とトップを争って並走していた「F.D.D」のエースライダーが駆るHONDA CBR600RRがシケイン飛び込みでインを差して勝呂をかわした。


 しかし不運にもF.D.D.のHONDA CBR600RRのリアタイヤと、勝呂の乗るYAMAHA YRF-6Rのフロントが交錯し、勝呂は転倒してしまった。勝呂が意地を張って自分のラインに固執したからだ。


 スピードも低かったため、幸いバイクは無事だった。勝呂にも怪我はない。しかし、折角上げた順位はまた十位まで下がってしまった。


「あれほど自分をコントロールしろ、って慎一に言ってた俺が本当に済まない」

 と、最期のライダーチェンジでピットインしてきた勝呂は慎一に詫びた。


 ペアを組んだ当初、慎一はべらぼうに速いが、集中力を欠くことがあり自分をコントロールしろ、とよく叱責していた。怪我でシーズンを棒に振ったことのある勝呂の愛だった。


「勝呂さん、大丈夫です。オレ勝ちに行きますから。二人で表彰台のテッペン行きましょう」

 慎一には勝呂の愛がわかっていたが、今はリミットを外すべきだと心に決めた。


 しかし実のところ、優勝は絶望的に見えた。残り五十六分。順位は十位。トップとの差は三十九秒。毎周三秒くらい縮めなければ優勝はない。


 ノービス(新人クラス)とはいえ、トップライダー相手に三秒の差をつけるのは簡単ではないが、やるしかない。


 攻めに攻めた慎一は、あっという間に三台を牛蒡抜きし、二周に一台ずつの計算で先行車両を抜いていった。残り三十分。四位まで上がった。


 さすがに残る上位三台を抜くのは容易ではない。それでも三位をかわし、自らが三位に。


 二位との差は二秒三。一位との差はまだ十二秒あった。


 二位を走行している津村レーシングの横山大樹は駆け引きが巧いうえに、裏の直線の手前、《スプーン》と呼ばれる複合コーナーから立ち上がる横山のマシンはパワフルで、慎一のマシンを簡単に裏の直線で離してしまう。


 裏の直線は、130R  ―― テクニックと度胸を要求される高速コーナー ―― で終焉を迎える。


 トップスピードに達したバイクにとって、半径百三十mの左カーブは、一瞬コースが無くなってしまっているかのような錯覚に囚われるほど鋭角に見える。


 ここでは恐怖と戦いながらバイクを一気にコーナーの内側に倒す必要がある。


 ここでは慎一は横山を完全に凌駕していた。慎一は裏の直線で離された横山との車間を一気に詰めてしまう。一度車速が落ちるとそれを取り戻すためには時間がかかるからだ。


 慎一はカシオトライアングルで横山のバイクの隣に並びかけ、鋭いブレーキングであっという間にかわしてしまった。


 しかし慎一が横山に引っかかっている間に、その先を走るチームとの差は十五秒まで伸びてしまった。


 残りは十五分あまり。普通に考えて絶望的だ。残りの時間を考えると、あと六周できれば良いほうだろう。


 無理やり計算すれば、残り六周で一周につき二秒五ずつ詰めてそれでやっと並ぶことができる。


 仮に六周を超えて、七周目に突入できればどうだろう。もしかしたら抜けるかもしれない、そう思った慎一は、スロットルをさらに大胆に開けた。


 チームモリアキのセカンドライダー、藤吉六郎は、トップを譲るまいと、必死に逃げに逃げていた。


 しかし、二周ほど前からありえないことが起こっていた。


 チームからのピットサインで、エースライダーの東金と接触したはずのチームエグゾーストノートが、五秒差で追いついてきているというのだ。


「オレより一周二秒から三秒速いだと?化け物か?あいつは」

 だんだん追い詰められていくような、そんな感覚に陥っていた。自分だって相当マシンに鞭打って走っているつもりだ。


 しかし、この説明のつかない速さで追いつかれてくると、平常心ではいられなくなる。


 一つ一つのコーナーでのラインが乱れてきた。ラインが乱れるとリズムを失う。そして自分のペースが保てなくなって結果ラップタイムが落ちることになる。


 藤吉は慎一との闘いの前に、自分との闘いに負けていた。気がつくと、すぐ後ろにエグゾーストノートの鮮やかな青いマシンが迫っていた。


 藤吉はここで目を覚ます。


 しかし、これが仇になるとは藤吉は思わなかった。


 藤吉がペースを取り戻し、さらにペースを上げることで残り七分半で五周で終わりのところを両者最速ラップを更新あっていた。


その結果、六周で終わる所、四時間を経過した時点で、考えもしなかった七周目に入ってしまっていたのだ。


 慎一は直角コーナーのような鋭角なコーナーが二連続する通称デグナーカーブの二つ目の出口で藤吉をあっさりパスしてしまった。勢いの差は明確だった。


 慎一はそのままヘアピン、スプーン、裏の直線、130R、カシオトライアングルを抜け、ホームストレートに帰ってきた。


 チェッカー・フラッグが慎一に向かって振られる。


 初出場ながら鈴鹿四時間耐久レースのチャンピオンとなった。レース歴たった三ヶ月の男がだ。


 観客はありえないスピードで走りぬけた若きチャンピオンに惜しみのない賛辞を送っていた――


 榊原が元紀に話しているのを、慎一、コマ、咲の三人が見つめていた。

 


「随分俺に詳しいな、この人」

 慎一は自分の事を褒めつつ詳細に話す榊原に感心していた。


 元紀の居場所がわかったのは、母敬子が病院に慎一を搬送した救急隊員の事を聞いていたからだ。霊安室に搬送されていった自分の亡骸を見届けてからここにやって来たのだった。


「やっと見つけた。ホント、よく似てるな。笑えるぜ」

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