どこにでもあるエピローグ

いご

第1話

 朝、カーテンの隙間から差し込む陽光で目が覚めた。

 ゆったりと体を起こして息を吸い込むと、心にぽっかりと空いた大きな穴に、冬の冷たい空気が抜けていった。

——ああ、そうか

「私、失恋したんだ」

 そう呟くと、私の胸から悲しみやモヤつきが溢れ出し、瞳からは涙がこぼれた。こみ上げてくる嗚咽を飲み込むこともしないまま、私は泣いた。



 どれほど時間が経っただろうか。

 涙も枯れ果てた頃、私はゆっくりとベッドから降りた。

 カーテンを開けると、雲間から差し込んだ光が部屋を包み込んだけれど、その光はすぐに、雲によって遮られてしまった。換気のために窓を開くと、灰色の世界から冷気が流れ込んできた。

 ぐっ、と伸びをしてみたけれど、胸のモヤが晴れることはなかった。

 時計を見れば、その短針はもう既に十の数を指し示していた。

「今日は……なにしようかな」

 生きる意味を失った屍はゆっくりと歩き出し、部屋の扉を開いた。


 居間には誰もおらず、付近を通る車のエンジン音だけが遠く響いていた。

 そういえば、お父さんとお母さんは地域の懇親会に行くと言っていた気がする。お姉ちゃんは遊びに行くって言ってたっけ。

「それなら一人か……よし」

 そう口に出して、私は身支度を開始した。


 網膜は日光で焼けるため、自分達が見ている景色は年々色褪せていくらしい。あなたはそう言っていた。

 それならば、私の歩いているこの道もあなたに恋をした日より、今はずっと色褪せて見えているのだろう。

「たしかに……そうかもしれないな」

 ふと、道端の駄菓子屋が目に入った。

 そういえば、あの店であなたと偶然出会ったことがあったな。あの時は嬉しくて、にやけを抑えようと必死だった。

 ズキリと胸に痛みが走る。前は、昨日まではこんなことなかったのに。

 堪らなくなって、その店が見えなくなるように私は入り組んだ路地へと足を踏み入れた

 すると、小さな公園が目に映り込んできた。学校の帰り道、あなたや友達と一緒に立ち寄って他愛もないお話をした公園が。

 胸の痛みがさっきよりも激しさを増し、目尻から雫がこぼれ落ちた。

——ああ、だめだなぁ

 散歩に出たのは失敗だった。

 この町には、あなたとの思い出が多すぎるから。

「あれ、雪音?」

 名前を呼ばれ、振り返ると、私の大親友がそこにいた。

「美華ちゃん」

 思わず駆け寄り、私よりも身体の小さな彼女に思いきり抱きついた。

 少し遅れて、彼女はゆっくりと私の身体を抱きしめ返してくれた。

「話、聞いたげるから。少し座ろっか」


「そっか。フラれちゃったか」

 人のいない公園のベンチに座って、私達は話をした。

「うん。フラれちゃった」

 未だ溢れ続ける涙を拭って、私はゆっくりと言葉を紡いだ。

「ねえ、美華ちゃん」

「ん? どうしたの」

 少し、息を吸った。言いたいことなんてまとまりはしないけど、今だけは、許してほしいな。

「私、私ね、どうすればいいのかわかんないの。息を吸っても、吐いても、泣いても、喚いても、胸のモヤモヤがなくならないの。心に大きな穴が空いたみたいな、全部なくなってしまったみたいな。そんな感覚が……なくならないの」

 大粒の涙が濁流みたいに溢れ出して、私は顔を伏せた。

「ごめんっ……ごめんね。私、泣いてばかりで」

 美華ちゃんの腕が私の肩に回され、ぎゅっと抱きしめられた。彼女の体からじんわりと温もりが伝わってくる。

「大丈夫。大丈夫よ。泣きたいならいくらでも泣いていいからね。私には甘えていいから。強がらなくて、いいから」

 そう言われた私は身体から力が抜け、意図せずか意図してか、自分でもわからないけれど彼女に身体を預ける形になっていた。

 いつの間にか大きくなっていた泣き声は、少し曇り始めた冬の空へと消えていった。


「あ、雪」

 私が泣き止んだ頃、美華ちゃんがそう呟いた。

 顔を上げてみると、確かに。白い煌めきが曇天の空から少しずつ降り始めていた。

「積もるかな」

 なんて私が言うと、美華ちゃんはそっと微笑んで「どうだろうね」と応えた。

——ああ、どうせなら

 どうせなら、私の心にも降り積もって、この穴を塞いではくれないだろうか。そうしてくれたならどんなに楽になれるだろうか。

 私は、そんなことを考えながらぼんやりと空を見上げていた。

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