第47話 下着姿の歌川さん
歌川さんはどうやらこの部屋の姿見鏡の前で着替えの最中だったようだ。
このことは俺の人生一番の衝撃を受けた。それ故に思考が完全に停止した。直ぐに扉を閉めるべきなのだが体が動かなかった。
見てはいけないとは思いながらも上下薄紫色の下着を身に着けた彼女の美しすぎる身体に俺の目は引き寄せられ、全く目を離すことが出来なくなった。
早く部屋を出なければいけないとは思っているのだが悪魔の誘惑のように彼女の白く透き通る氷の彫刻のような身体は目を逸らすには美しすぎた。
普通なら目のやり場に困るのだろうがこの世の者とも思えない程の素晴らしい天然作品に我を忘れ見入ってしまった。
俺はまじまじと無遠慮に彼女の身体を上から下までそして下から上までじっくり見上げたところで彼女と目が合った。彼女は全く平気な顔で俺の存在など意に介していない様子だ。
彼女は無表情ながらも俺を射る様な眼光でしっかりと見据えていた。彼女の猫のように鋭く大きな瞳から発する冷気に時が止まってしまったかのような感覚に襲われ無言で見つめ合う俺たち。
ハッと我に返り俺は何とか歌川さんの悪魔のように魅力的な身体を見続けていたいという誘惑を振り切り部屋を飛び出して扉を閉めた。
俺は努めて冷静になるように心を落ち着けようと首にぶら下げた勾玉を握ったが効果は全く無かった。部屋を出てから膝がガクガクと震えが止まらない。
彼女はなぜこんなに早い時間に出社しているのか? 彼女はなぜここで着替えていたのだろうか?
俺はこのままアパートまで逃げ帰りたい衝動に駆られたが、歌川さんに一言謝らないといけない。
俺は恐る恐るドアをノックした。
「はい」
中からいつもと変わらぬ歌川さんの冷たい声で返事が聞こえた。俺は慎重にもう一度ノックして中からの返事を待った。
「どうぞ」
中から歌川さんの冷静な声がした。別に怒ってはいない声の調子だが、彼女のことだ、怒り心頭であっても声色は変わらないのかもしれない。
彼女は様々な武道を習っていたのだから中へ入ってから死ぬほど蹴り回されるかもしれない。兎に角このまま何事もなかったかのような振りをして部屋に入るには恐ろし過ぎる。
俺は覚悟を決め扉を開けた。
「どうも、すいませんでした。あの、着替え中だとは思わなくて」
俺は真摯に謝罪しながら歌川さんと目を合わせないように下を見ていた。彼女の反応がないので見上げると、まだ下着姿のままだった。俺は自分の目を疑った。「なんで? 」と心の中で繰り返し呟いた。俺は驚いてまた扉を閉めようとした。
「何のご用件ですか? 」
彼女は両手を腰に当て下着姿のまま胸を張り、堂々と仁王立ちで俺を真っ直ぐに睨み付ける。後ろめたさで睨みつけられたように感じただけかもしれないが。
「なんでまだその恰好なんだよ」俺は心の中で叫んだ。この人は下着姿なのにどうしてこんなに堂々としていられるのだろう。彼女の立ち姿は後光が差したように神々しくさえ見える。
彼女のあまりに見事な立ち姿に服を着ているこちらが恥ずかしくなるくらいだ。
蛇に睨まれたカエルのように、いや魔性の魅力に憑りつかれたように、また目を離すことが出来なくなった。雪のように白い歌川さんの身体は何度見ても美しすぎた。
歌川さんはグラビア雑誌に出ているどの娘よりも綺麗で美しかった。
脂肪のない引き締まった身体、細くくびれたウエスト、どこまでも伸びる長い脚、細い足首、見たことはないのだが女神のようだ。うっとりと見てしまいそうになったが、またもや、やっとのことで氷の誘惑を振り切り俺は言葉を絞り出した。
「ごめんなさい」
俺はそっと扉を閉めようとしたが
「兎に角、中へ入って下さい」
下着姿のまま彼女は俺を部屋の中へ招き入れた。
俺は一瞬躊躇したが、結局モジモジしながら部屋に入った。
彼女は瞳から発するブリザード光線を俺に浴びせながら俺から目を逸らさずに冷徹に言った。
「入ったら、ドアを閉めて下さい」
俺はドアを閉めると凍てつく視線をまともに見ないように彼女の足元を見た。足元に水着らしき物が複数散乱していた。この人ここで一人で水着のファッションショーでも始めるつもりだったのか?
しかし、何故彼女は下着姿のままでこうも堂々としていられるのだろうか? 彼女をチラリと見ると左手を腰に当てデパートのマネキンのようなポーズで悠然とおれの前に立っている。
許されるならこの芸術作品を永遠に眺めていたかった。やらしい意味じゃなくて、イヤ、やらしい意味もある。
密室で歌川さんと二人っきりになるのは俺には刺激的すぎる。しかも彼女は下着姿のままである。
緊張で心臓が破裂する前にこの部屋から出なければと、俺は彼女の細い足首だけを見ながら考えた。
用件を聞かれたものの、用件など何もない。ただ部署の新しい部屋を見に来ただけなのだから。この部屋は俺と歌川さんに新しい課として宛がわれた部屋のはずだ。
そもそも俺は悪くないんじゃないか? この部屋は俺たち共同の仕事場なのに何故俺が肩身の狭い思いをしているのだろうか? どちらかと言えば共有の場で着替えている歌川さんの方が悪いんじゃないだろうか。
俺は彼女の顔に視線を移しハッキリ言ってやろうとしたが、彼女の瞳から溢れだす強烈なオーラに気圧された。
「あの、新しい部屋を用意してもらって、嬉しくて見に来ただけなんです。ごめんなさい」
俺はただただ謝った。
「先程から何に対して謝罪されているのか分かりませんが? 部屋を見たいなら、どうぞ見ていかれてはいかがですか? 私のことはどうぞ気にしないでください」
彼女は大胆にも俺が部屋を見学している間も着替えを続けるつもりだ。
彼女は俺のことなど全くどうでも良い存在なのだろう。彼女は屈みこみ水着を手に取って着替えを始めようとした。
「ちょっと待って、あの、兎に角すいませんでした、これからは気をつけますので」
俺は慌てて言い終わると部屋から出た。何故だか俺が謝り倒す羽目になったことへの腹いせに出る時に彼女の下着姿を目に焼き付けて出てやろうとした。本音を言うとただもう一度見たかっただけだ、イヤ何度でも見たい。
今までの人生においてこれほど真剣になったことなどないくらい一心不乱にすべての力を使い、生涯で一番の集中力と爆発的な瞬発力を駆使して脳の記憶部屋にしっかりと彼女の身体映像を大事にしまい込んだ。
俺は慌てながらも一瞬で下着姿の彼女の身体を目に焼き付けることに成功した。
部屋を出て廊下を歩き始め、冷静になって考えると下着姿の女性をまじまじと見るなんてとんでもなく失礼な奴だな俺はと改めて思った。これじゃただの変態だな俺は。
歌川さんが特殊なタイプの人だったから良かったものの、一般社員だったら間違いなく俺の人生終わっていたな。いやそもそも一般社員は共有の場で着替えをするような馬鹿なことはしないだろう。
エレベーターの前に着いて、ホッと一息ついたところで、さっき鍵を差したまま忘れて来た事を思い出した。いつもならこんなミスはしないのだが、俺は自分のことを呪い殺したくなった。
今日一日はもう歌川さんと顔を合わせたくないが、仕方がないので出来るだけそっと行って、そっと鍵を抜いて、そっと逃げ戻ることにしよう。
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