第5話 須藤 恭也
泥顔の彼女を送った帰り道、水笠神社を通って帰る事にした。駅からアパートへの通り道には水笠神社という名の大きくはないが存在感たっぷりの神社がある。
俺はこの神社の中を通り抜けて帰るのが近道という訳ではないのに好きなのだ。三年前に引っ越して来た当時、ここを見つけて直ぐにお気に入りの通り道になった。
水笠神社は周りを幹が太くて背の高い
森の一部と街の一部を切り取って、それを交換した様な、街中にいきなり森が現れた様な不思議な空間だ。
空中から見るとビルや家、建物群が立ち並ぶ中この神社の部分だけ急に緑色に、大きなブロッコリーがあるように見えるだろう。街中にある神社は大概そういう感じだろうけど。
水笠神社の鳥居をくぐると社までの距離十メートル四方ぐらいの乾いた土の更地、社の前両サイドに二体の狛犬、その横に燈篭が二つある。そして横には手や口を清める手水舎がある。この手水舎にはいつも水がいっぱいに満たされている。
社の横を通り抜けることが出来るが道には割と高さのある雑草が生い茂っていてその中を歩いて通らないといけない。夜は真っ暗なので通ったことは無いし通ろうとも思わない。
因みに参拝している人を見かけたことはこれまで一度も無い。たまに本を読んでいる人を見かけるくらいだ。
俺がちょうど社の後ろを通り過ぎようとした時後ろポケットの携帯の着信メロディーが鳴った。恭也からだった。
「よう、あれから何かあったか? 」恭也のいつにも増して落ち着いた声が聞こえた。
「えっ? あれからって、三人で飲んでから三日位しか経ってないだろ。何もあるわけないだろ。いやあった。あの日、結局TOEICの試験受けられなかったんだよなぁ」
と歩きながらこの間の試験会場へ向かう途中の出来事を話そうとしたが
「そうか。ハル、ちょっと今から会えるか? 」そっけない返事の恭也。
「何かあったか? 」と俺。
「うん。まあ」
「今、俺、アパートに戻っている最中だから何処かで落ちあおうか? 」
「いや今お前のアパートの前に居るから」
「おいおいお前、俺に用事あったらどうしてたわけ」と言いかけたが止めた。なんだか恭也の真剣なトーンに気圧された。
恭也に何か悪い事してしまったかな、などと考えながら急いでアパートに着くと、びっくりするような大きく長い高級車が停まっていた。
車の運転席から運転手が下りてきて後ろのドアを開けると、スーツ姿の恭也が降りて、片手を上げてこちらに向かって歩いて来た。運転手はこちらに軽く会釈をした。
非現実的な状況に呆然と立ち尽くしている俺へ高級そうなスーツ姿の恭也は高級そうな包みを俺に渡した。
「はい、これお前の好きなカステラ」
俺にカステラを手渡すと恭也は真剣な表情で話しだした。
「俺の母親のこと知っているだろ」
俺は黙って頷き、続きを待った。恭也の美人の母親とは何度も会ったことがある。
「昔、俺が母親は金持ちの愛人だって言っていたの、覚えているか? 」
「うん」としか言えなかった。
「あれは俺に嘘ついてたんだよな。しっかり籍も入れて結婚していたらしいんだ」
「おお! 」何だか恭也の境遇が良い方に変わった気がして少し嬉しかった。
「その後、母親から俺の父親は死んだって聞かされていたんだけど、離婚していただけだったんだな、これが」
「うん」としか言えなかった。
「俺には親父からの保険金がかなりの額あるから心配するなって言っていたけど多分きっちり養育費をもらっていたんだろうな」
「おっ、おおそうか」としか言えなかった。
「だけどその親父ってのも三日前に死んだんだ」
「ん? んん………」
「三日前にお前のアパートから帰ってすぐ、母親と葬式に行ったんだ」
「そっ、そうか」
「で、こっからが本題なんだけど」
「まだあんの? 」もう充分色んな情報を聞いた。
「今まで言わなかったけど、その俺の父親っていうのがビーンズグループの会長、立花 和也なんだ」
「ビーンズグループって、あの大会社の? 」にわかに信じがたい俺は確認せずにいられなかった。
「うん」
「あの世界中にある? 」
俺は俺の知っているあの大会社なのかもう一度確認した。
「うん」
「世界富豪ランキングに入っている? 」
「ああそうだ」
「あの大会社が沢山集まって、それこそ色んなジャンルの会社を沢山持っている? 」
「そうだよっ! もういいだろ! 」
恭也は面倒くさそうに俺の矢継ぎ早の質問に答えた。
俺にはも最早、何も言う事は無い。
「で、簡単に言うと、三日前に事故で亡くなった会長の代わりに俺がビーンズグループを継ぐことになったんだ。暫く落ち着くまで前の様に頻繁には会えなくなると思って」
「おおおまえぇ、良かったな。いや良くはないのか、親父さんが亡くなったことは」
「いや、全然、全く父親に思い入れなんか無いからな。会社の手続きとか面倒事はほぼ解決済みだが、まあこれから色々と大変なんだが」
喉から手が出る程、目から血が出る程、こいつの事が心底、羨ましいと感じたが、俺の変な意地とプライドに賭けて絶対に羨ましがってやらないと決めた。発狂しそうな自分を何とか抑え込んだ。
今は堪えて、意地でも羨ましがっている素振りを一切見せないように努めた。
「そうか。お前の事だから全部要領良くこなしていくんだろうけど。あんまり心配はしてないけど、何にもないだろうけど何かあったら言ってくれ。俺に出来る事なんか何もないだろうけど」
ただただ羨ましいという気持ちを何とか押し殺しどうにかこうにか言葉を絞り出していた。そして動揺している割に言葉を滑らかなに話す自分自身に驚いていた。
返事の代わりに恭也は俺の眼を真っ直ぐに見て何処か申し訳なさそうに頷いた。
衝撃の展開すぎてその後の会話はあまり覚えていない。どうやって部屋に戻ったのかさえ。ベッドの上にうつ伏せに倒れ込み自分自身が情けなくなってきた。
須藤恭也、あいつがいたから、今のこの生活に不安を感じながらもどうにか不安を和らげる事が出来ていた。アルバイト暮らしで就職先も見つからず彼女もいない俺が日々の生活に焦りを感じつつもやってこれたのは、同じく仕事をしていなく、毎日をだらだら過ごしている恭也がいたからこそだ。女に不自由していない点は俺とは違うのだが。
ついこの間まで恭也と俺は一緒だと考えていた自分がいたが、その考えは全く違っていた。奴は俺とは完全に住む世界が違う人になった。あいつはメジャーリグでサヨナラ大逆転満塁ホームランで大優勝、俺はまだどこのチームに入団さえもしていない状態だ。
恭也のこれからの事に対する妬みと嫉み、アルバイト生活を続ける自分の生活の不安が一気に押し寄せた。
「なんなんだよそれ! そんなことってあるのかよ! なあ俺は? 俺はどうなんの? 俺もビーンズグループに就職さしてくれよぉ! 下請けの下の下の中の下っ端でいいから! なあ! たのむよぉぉぉ! 」
恭也との会話中に言えなかった本音を大声で叫んで悔しがった。独りでもの凄く悔しがった。大声で騒いだら、ちょっとだけ落ち着いた。
あいつにはこれから映画の様なドラマティックで充実した忙しい人生が始まり、俺はこれからも毎日平凡で退屈な生活が続く。友人の幸せを妬むようになったら、人生お仕舞だ。
「よし! バイトに行こう」
口に出して落ち込み、ようやく踏ん切りをつけてからアルバイト先へ向かうことにした。
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