第4話 奇妙な出来事
俺は漬物屋を辞めてから英語の勉強をしつつビデオショップでアルバイトを始めた。店の大半の商品がアダルトビデオやアダルトグッズなので女性の客は滅多に来ない。働いている店員も男性だけだ。
もっと出会いのある所で働けば良かったのでは、と思いもするが、レジを打つ以外、掃除と棚の整理ぐらいだろうと思い、客が居ない限り英語の勉強や読書、他の就職探しが出来るだろうという考えからここに勤めることにしたのだ。
実際のところ「そういう感じでやってくれてかまわないよ」と店長は言っていた。
確かにレジと掃除、品出しと整理ぐらいで時間が余る場合は結構ある。お金関係さえキッチリしてくれれば後は特にうるさい事は言わないとのことだ。
仕事は忙しくはないが、広い店内を一人で任されているので、他の店員と話をしたりする機会もない。少し孤独を感じるが人間関係の煩わしさも無く、暇な時間は自分の事が出来る。
働き始めてから一か月目で、一人で店を任されることに店長は俺の事を信頼してくれていると勝手に思い込んでいたが、他のアルバイト店員も一か月程で、一人で店を見ているらしい。
もっとも俺は、本当に真面目に働いている。一人で任される様になったのをいいことにレジの金をくすねたり、ビデオの在庫を盗んでクビになる奴もいるが俺はそんな馬鹿な事は絶対にしない。四年間遅刻も無断欠勤もレジのお金をくすねる事も全くした事など無い。それが当然普通の事なのだけれども。
真面目に働くしか取柄のない俺だ、俺の父は真面目で温厚で明るく社交的な性格だから友人も多いし出世も早かったみたいだ。
何より美人の母と結婚出来たのもその性格のおかげだろう。そして俺にも一番明るく晴れたような人になればという願いを込めて晴一と名付けたそうなのだが。
だけど俺はというと、真面目だけが取り柄で、頭が良いわけではないし、性格が明るいわけでもない、特別男前ってわけでもない、まあこんな俺にも二人の親友がいるというだけでも有り難いことだ。
深夜二時半、店の閉店作業を終え、いつものコンビニで弁当を買い帰宅途中、車椅子の車輪が溝に濱って動けなくなっている老人を見つけ慌てて駆け寄り車椅子を引き上げた。
老人は十二時に深夜の散歩で携帯を持たずに家を出たので、俺が通りかかる迄の二時間弱の間、溝に嵌っていた状態だったことになる。朝まで助けは来ないと思っていたから凄く助かったと老人は感謝して帰って行った。まあ深夜に散歩に出かけたくなることもあるのだろう。
翌日、昼過ぎ、バイトに行く途中、横断歩道で手押し車を押している老婆とすれ違い横断歩道を渡り切った所で、何気なく振り返りその老婆を見ると、歩道との段差で手押し車がつっかえ手押し車と老婆は一緒に倒れてしまった。
信号は点滅して赤に変わりかけ、俺は慌てて引き返し老婆を引き起こして横断歩道を渡らせた。しつこいぐらいにお礼を言われて困った俺は「あたりまえの事をしたまでです、お怪我が無くて良かったです」と前回言えなかったキザなセリフをお婆ちゃん相手に使ってみた。気持ち良かった。
お婆ちゃんの後ろ姿を見ながら、どう思われてもいい人には恥ずかしいセリフも照れずに言えるんだけどなあとしみじみ思った。
秋吉さんを含め、連続で困っている人を助けたけたが、ひょっとしてこれは、この人助けを繰り返すうちに、俺にも恋人が出来るかもと、都合の良いように思い込む事にした。
今日のバイトは棚卸し作業があるので深夜十二時で店長と交代して帰る日だ。棚卸しだけは店長自らやるのが通例のようだ。そこでバイトの不正を見付けるみたいだ。
不正行為はしていない俺には関係ない事だけど、いつかは店長と一緒に棚卸しをしてみたいと思っている。
バイトの帰り道、うつ伏せに倒れている人影を見つけて、背中から頭の先まで鳥肌が立った。
行き倒れ! 死体! 殺人!
死んでいるのかと思ったが少し動いたのを見て少しホッとした。
深夜のこの時間帯、ドキドキしながらもこんな時ほど冷静にと思いゆっくり近寄って行くと紺色のスーツ姿の女性だと判り、恐る恐る声を掛けてみた。
「ちょっと、大丈夫ですか? 」
怪我をしているのか、気を失っているのか返事が無い。
「大丈夫ですか? 救急車呼びましょうか? 」少し大きめの声で呼びかけた。
「ううーん」うつ伏せのまま呻く女性。
「しっかりして下さい」
「はーい」
寝返りを打って顔を上げた女性を見て俺はギョッとした。
彼女の顔は砂利と泥だらけでこの時間にはちょっとしたホラー映画みたいだった。
「うーん、少し飲み過ぎちゃったみたいで、気分が悪くなって、そのまま寝ちゃっていたみたい」
彼女は上体を起こし、砂利と泥で汚れた顔で照れくさそうに少し笑った。
倒れるまで飲んでいた女性に少し呆れた。そして恐らく一人で酒を飲んでいたわけではないだろうし、一緒にのんでいた、であろう人達にも呆れた。どうして飲み過ぎた女性を一人放って帰れるのだろう。そして、うつ伏せに寝ていただけでこんなに汚れるものなのだろうかとも思った。
「じゃあもう大丈夫ってことで俺はこの辺で」
言い終わって立ち去ろうとする俺に彼女は
「あの、もし家がこの近くなら始発の時間まで休ませてくれると助かるかなあと」
「はあ、まあ始発までならいいけど」本当は嫌だけど。
「あのぉ、私が誘っていると勘違いされても………」
「大丈夫、間に合ってるから、ホントに」
俺は右の手のひらを彼女の泥だらけの顔に向け、彼女の言葉を遮って返答した。泥だらけの顔の癖に何を言っているんだとは言わなかったが。
バツが悪いのかアパートに着くまで彼女はひっきりなしに喋っていた。
「着いたよ、このアパートだよ」
沢山の出会いと恋人を作る事、満足な仕事に就ける事を夢見て越して来たこのアパートだがまさか初めて部屋に上げる女性がこんな泥坊主だとは………感慨深く二階にある俺の部屋を見つめた。
「どうかしたんですか? 早く入りましょうよ」
彼女は部屋に入ると直ぐに洗面所に向かい程なくして言葉にならない叫び声を上げた。やっと自分の顔の状況に気がついたのだろう。
「なんで? なんで教えてくれなかったのよ? 私、この顔でずっと歩いていたのよ! 」
洗面所から飛び出して来た彼女は怒りに満ちた目で睨みながら俺にグイグイ顔を近づけてきた。彼女の凄まじい形相を見てなんだか怖くなった。
「泥メイクで痴漢よけでもしているのかなと思って、うん、ホントに。でも、結局誰ともすれ違わなかった訳だし結果オーライってことで、ハハハ」
「そういうことじゃないでしょ! こんなに顔が汚れていたら普通教えてくれてもいいじゃないの、黙ってるってどういうつもりよってことよ! 」
「あっああ、うん、それはあそこで泥パックのことを言ってもどうすることも出来なかった訳だし」
「もういいわよ! とりあえずシャワー借りるわよ! 」
俺は黙って、風呂場の方へ手のひらを向けた。俺の服を貸そうかと聞くと、彼女は当然とばかりの返事を返して来た。俺のTシャツとジャージの下を渡すと彼女はTシャツだけをひったくり風呂場に行った。
シャワーを終えて、出てきた彼女のスッピンの顔はとても可愛らしい顔をしていた。
最初、俺の方が立場は上だった筈が泥顔の件から立場はひっくり返った。その流れで結局、彼女は翌日の昼近くまで俺のベッドを占領した。
彼女は、希望していた所に転職が決まり浮かれ倒して友人達と酒を飲み明かし、こういう顛末になったそうだ。泥の件は聞くとまた怒りだしそうなので怖くて聞けなかった。正直とても気になったが。
駅までの道が解らないと言う彼女を送って行ったのだが、前回の教訓を活かそうとは全く思わなかった俺は、彼女の名前さえ聞いていない、聞こうともしなかったし向こうも名乗らなかった。
それでも大した事件ではなくて良かったと、気持ちは軽やかだった。あまり感謝はされなかったが人を助けたのは、助けないで後悔するよりも数倍気持ちがいいものだ。
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