丘を越えたり、下ったり(仮)
ムギオオ
第1話 丘にある壁画
「なあハル、明日、壁画を見に行かないか? 」
須藤 恭也からの電話の第一声目だった。奴とは高校一年からの付き合いである。
どういうことか理解できずに黙っていた俺に、恭也は続けた。
「壁画っていうのは解るよな。壁に描かれた絵の事だぞ。隣の県だから、高速に乗ったら一時間半程で着くんだけど。その壁画は村にあるんだ。オオトリ村って所でその村に洞窟が幾つかあって。まあ洞窟っていうか小さい
何故だか話しにくそうに途切れ途切れ喋り終えた恭也。
「遺跡とかそういうことか? 」
「そうそう。有名な場所でもなくて人に知られていない場所らしいんだけど」
俺はと言うと寧ろそういう隠れ家的な所の方が、行ってみたいと思った。恭也にしてはそういった物に興味を示すのは珍しいと感じたが俺は特に何も言わなかった。
「行くとしたらいつだ? 」
「だ・か・ら、明日な」
恭也が念を押す。
明日はアルバイトの予定は無い。が、明後日のTOEIC試験の為、英語の勉強と好きな映画でも観て一日過ごそうと思っていただけだ。
なので、もちろん壁画を見に行く事にした。
「涼介は仕事があるから急には無理だと思うけど。とりあえず俺は明日なら大丈夫だ」
「分かった、じゃあ明日、車でお前のアパートまで行くから。昼の三時前に行くからな。一応、涼介には仕事終わりで会えるか聞いておくよ。久しぶりに三人で飯でも行こうぜ」
俺の返事を聞いて、ホッとしたような声で恭也は言った。
それからアルバイト先から朝の三時に帰ってきた俺はわくわくして中々寝られなかった。
次の日、時刻は午後二時五十分、インターホンの音で目を覚ました俺は、ゆっくりとベッドから起き上がり玄関へと向かった。
誰が訪ねてきたのかを知っている俺は確認もせずいきなりドアを開けた。そこには、百九十センチ近くある長身の須藤 恭也が立っていた。
「おまっ、何でまだ寝ているんだよ。俺、三時に来るって言っておいただろ」
恭也は俺の今起きたであろう様子にあきれている。
「いや、起きてたぞ」
俺はとりあえず嘘を言ってみた。
「昨日遅かったのか? 」
いつでも冷静な恭也は、爽やかな笑顔で俺の嘘を流した。
「涼介はやっぱり来られないのか? 」
俺が聞くと恭也は「あいつは仕事が終わってからいつものファミレスで合流になった」と言った。
「そうか、じゃあすぐに支度するからちょっと待っててくれ」
俺は洗面台に向かった。出かける準備をしている最中、恭也の鼻歌が聞こえている。かなり上機嫌のようだ。
支度が終わり表へ出ると、車にあまり興味の無い俺でも分かる真っ赤なBMWのオープンカーが俺を待っていた。
さすがに浮かれすぎだろと思ったが水を差すのは止めた。
「えーと、これ、この車はレンタカーなのか? 」
恭也は俺の問いかけを無視して、颯爽と車のドアを跨ぎ、車の運転席に乗り込んだ。コイツ、完璧に浮かれている……。ドアを開けないのは流石に乗りにくそうだったが、それは黙っておいた。
俺が呆然と奴の動作を見守っていると「どうした、ハル? 早く乗れよ」と恭也は笑顔で促した。
「お、おお」
いつもクールな恭也のあまりの浮かれように一切水を差してはいけない気分になった俺は、うわずった返事をしながらもドアを開けて慎重に助手席に座った。
「言っておくが車の中は禁煙な」
恭也は笑ってタバコに火を点けた。
こんな下らない冗談を言うほど上機嫌だって事はもうコイツに手の施しようは無い。
恭也は車に乗り込んですぐに今向かっているオオトリ村の漢字は鳳村と書くのだと教えてくれた。
俺はなんだか大層な名前だなと思った。
信号待ちの時間の恥ずかしさを除けばオープンカーはかなり快適だ。
「男同士でオープンカーが、逆にいいんだぜ」
と浮かれている恭也は、運転しながら楽しそうに言った。
俺は恭也の横顔をチラッと見た。何の逆か分からなかったが、とりあえずその言葉は無視しておいた。
「
恭也が髪を靡かせながら言う。
「知り合いってどうせ女の子なんだろ」
俺が皮肉を言うも、恭也は前を見ながら笑って続けた。
「何でもその壁画に願い事をすれば願いごとが高確率で叶うらしいぜ」
「高確率で? ふふ、ふハハハ、じゃあ、なおさら涼介も呼ばないとな」
「あはははは」
二人で大笑いした。
途中外の風景が街並みから田園風景に一変すると、五月下旬の爽やかな風に吹かれて俺も段々と楽しくなってきた。最初はお互いの知る歌を軽く口ずさんでいたが、気が付くと最後には二人で熱唱していた。
「おい! この先もう何も無いかもしれないから、このコンビニに寄っていこうぜ」
恭也は車を止めてさっさとコンビニに入っていった。いきなり歌の最後を邪魔されて恥をかかされたように感じながらも、恭也に続いて降りた。
周りは田んぼだらけのコンビニで客は俺達だけだ。表の広い駐車場には恐らくコンビニ店員の物と思われるスクーターが一台と俺達の乗ってきたこの景色にそぐわないオープンカーだけだ。
店内に入ると直ぐにトイレを借りたいと店員に一言断り、トイレに向かった。恭也と女の店員が何か会話していたようだったが俺がトイレから出てくると恭也は先に車で待っていると言い残し店を出た。
俺も飲み物と懐中電灯だけを買いすぐに外へ出た。
のどかな風景に満足して車に飛び乗ろうとしかけたが、やめた。普通に車に乗り込むと恭也は車を発進させてから
「さっきの店員が教えてくれたんだけど鳳村の近くに
「雲雀の里? 」聞きなれない言葉に俺は聞き返した。
「なんでも剣術か武術か何かで有名だった人達が昔住んでいた里らしいんだけど。今はそこで地酒なんかも販売しているらしいぞ」と恭也が補足する。
「ふーん、剣術道場とか歴史博物館みたいなのもあんのか? 」と俺。
「多分あると思うぞ、そういうの。達人たちの里だろ。興味があるならついでに寄ってみるか? 」
「いや、やめとく」俺は武術とか剣術に全く興味が無い。
「ハハハ、だな」と俺の返事を予測していたような恭也。
「涼介だったら、絶対行きたがるだろうな」と俺。
「ワハハハ、間違いないな」恭也が楽しそうに笑った。
コンビニを出てからしばらくしてガソリンスタンドで念の為にガソリンを補給した。スタンドの店員に聞くとあと五分ほどで鳳村の駅には着くと言う。店員は壁画の事は知らないようだった。
壁画の洞窟に一番近い駅、鳳駅に着いた頃には空は綺麗なオレンジ色になっていた。一応駅前なのだが……兎に角、何もない。只、ジュースの自販機が一台有るだけだ。
平日だからとはいえ、誰一人、歩いていない。
駅を正面にして丁字路に道があり、右の方にはまだ水しか張っていない棚田が遙か奥の方まで見えた。
夕焼けの下の棚田はとても綺麗だ。駅正面の道が壁画洞窟へ続く道らしいのというのがなんとなく解った。
「ここから歩きで十五分から二十分位だと思う。もう少し先の方まで車で行けると思うけど。ここからは散歩がてら歩いて行こう。懐中電灯を忘れるなよ」
恭也は車を道の端に停め、念を押すように懐中電灯を差し出した。
車を降りて、俺達はきっちりと整備された平らな道を進んだ。田舎道なのにかなり丁寧に整備されている。しばらく歩くと広い開けた広場に到着した。広場の左手には橋があり浅い川が流れている。正面にはまだずっと道が続いていた。
広場では車が何台か置けるほどのスペースがある。恐らくここで停めて橋を渡ったり向こうから来た車とすれ違うためだろう。ここに着いてから全く車など見ていないのだが。
丘へは橋を渡って行くようだ。
俺たちが橋を渡り始めると、川のせせらぎの音が心地よく聞こえた。
幅三メートル位の短い橋が有り、橋を渡ってから歩いて行くとなだらかな坂道が続いている。
道は土だが大きな砂利はなくきめ細かい黄色い土だ。本当に長閑で綺麗な場所だと思った。
「里とか村って聞くと薄ら寂しい風景だと思ったけど、寧ろノスタルジックで好きだな、俺は」
最初、着く前は廃れた田舎だと想像していたが、この素晴らしい景色の中、俺は誰に言うでもなく大きな独り言を言ってしまった。自然と口に出た俺の言葉に恭也は大きく頷いた。
「俺もホントに同じこと思っていた。なんか懐かしい感じがするよな」
恭也の共感を得て俺は嬉しくなり顔は自然とニヤケていた。恭也も楽しそうに、微笑んでいた。
「こんな綺麗な景色だって知っていたら、カメラ持って来ればよかったよ」
「お前、カメラなんて持ってんの? 」
「まあ持ってないんだけれども……」実際買ってくれば良かったと後悔した。
「何だそりゃ。そう言えばもうじき携帯にカメラ機能を付けるとかって聞いたぞ、いやもうあったっけかな」
「嘘だろ、いったい何のために? こんな小さな画面で写真を見ても仕方ないだろ」
「まあ、メモ代わりぐらいにはなるんじゃねえの」
ゆるやかな坂道を歩いている途中、丘の頂上が見えた。
頂上だと思っていた丘だが他にも沢山丘が連なりそれぞれの丘に三つの洞穴の入り口が見えた。穴が見えたというより穴の周りに柵がしてあるのが見えた。
丘全体に短い芝生が生えており卵色の道がその間を通りとても自然に出来た丘に見えなかった。
丘の頂上に着くとそこは開けた場所で樹々が無く、周りが全て見渡せた。空は広く高くどこまでも見渡せた。夜になれば綺麗な星空を見る事が出来るだろう。
なぜこんな素晴らしい場所に誰も人が来ないのだろうと素直に不思議に思った。そして観光客が来る訳でもないのに、なぜこんなに丁寧に整備されているのだろう。
「ここ、本当に勝手に入っていいんだろうな? 」不思議に思って俺は恭也に訊いた。
「管理人みたいなのも守衛みたいなのも居なかっただろ。立ち入り禁止の看板もなかっただろ」
恭也は、タバコに火を点け、俺の不安を打ち消した。俺もタバコに火を点けると恭也がポケット灰皿を出して「お前、こういうの、持っているのか? エチケットだぞ。持っとけよ」と言いもう一つ色違いを取り出すと俺へ投げた。
誰ともすれ違いもせずに先に歩いている人影もまったく無い状況に、本当に知られていない場所なんだなあと感心している内に、一つ目の洞穴の入り口にたどり着いていた。
丘の頂上にぽっかり穴が開いており人がすれちがえる位の幅の石の階段が穴の下へ続いている。穴の周りは鉄の柵で囲ってあり階段の部分だけは柵が無かった。柵が無いといきなり落ちる奴がいるのだろう。
「おいおいおい。携帯見てみろ。電波が圏外になっているぞ。さっき駅の所でみた時は大丈夫だったのに。すんげーテンション上がってきたぜ」
恭也が自分の携帯電話を見ながら嬉しそうに言った。
確かに俺の携帯電話も圏外になっていた。それを見て俺も気持ちが高揚してきた。
「ここには何かがあるな、霊的な、いや神秘的な、そういう怪しげなものが。うん、この丘は、希望の丘だ。いや、夢始まりの丘だ! 」
ファンタジー映画の世界に来てしまったような風景とノスタルジックな雰囲気に舞い上がった俺は、普段なら絶対に言わないことを口走ってしまった。しまった、調子にのりすぎたと思った。今言った言葉を取り消したかったが、遅かった。
「勝手に名付けるな。しかも何だ、そのダサい名前。とっとと入るぞ! 」
恭也が割と軽く流してくれた事に命拾いをした。俺は恥ずかしさに押しつぶされそうなのを、グッとこらえ、ヘラヘラと照れ笑いをするしかなかった。
夕日を背に二人で石階段をゆっくり下りた。
下へ降りると洞穴の中は奥行き五メートル幅三メートル程の長方形の小部屋になっていた。高さは俺がギリギリ天井に手が届かない位の高さだ。そこは、薄暗く洞窟の中なのに壁や床は乾燥した土で乾いた匂いがした。
洞穴や洞窟と言えば普通、歪んだ丸い形やごつごつと歪な形を思い浮かべるだろうが、この壁画洞窟は普通の部屋の空間の様に長方形だった。
「すげえな、これ」
お互い独り言が同時に出た。
部屋の右側一面に絵が描かれている。絵は壁の半分ほどの場所で違う場面の絵に分かれている。
部屋の中は薄暗いが、一人の若者が崖の上で太陽に向かい何か剣みたいなものをかざしており、崖の下の草原からは沢山の人達がその若者を見上げているのが解った。
若者は小さく描かれていたが、この若者からは、何か解らないが力強さを感じた。壁の半分で草原は途中で区切られ、壁の残り半分は建物が描かれその中に一人の老人と沢山の食べ物が大きく描かれていた。
「これさっき俺が言っていた事もちょっと本気にしてしまうよな」と恭也が壁画を眺めながら言った。
「願い事が叶うっていうやつか? 」と俺。
「圏外にもなっているし、それっぽいかなと、この雰囲気がな。とりあえず、ハルお前、何か願い事してみろよ」
俺は笑い飛ばす気になれなかったが、俺の気持ちを隠すために無理矢理、笑い声を出した。二十六歳でアルバイト暮らし、預金は、困らない程度には有る、が、正社員ではない、特技と言えば走りが早いだけの未来の無い俺には、叶えてほしい願いは山程ある。
壁画の中の崖の上に立つ力強い若者に向かって俺は、恭也に気付かれないように手は合わせずに眼を瞑り一心不乱に頼み込んだ。
「僕は彼女が欲しいのです。本当に欲しいんです。僕に彼女が出来ますように。彼女と呼べる人が欲しいです。
可愛くなくてもいのです。僕は今まで恋人ができたことがありません。ただの一度もです。一度も付き合った事など無いのです。ですからどうか、何卒どうか。
もしも僕に彼女が出来たら就職探しももっと頑張れるような気がするのです。ですから何卒、何卒どうか僕に恋人と呼べる人を運命の出会いをお願いいたします。」
俺が必死に目を閉じ頼み込んでいる時、瞼の裏がピカッと光った。まるで俺の必死の願いを叶えてやろうという返事のように思えた。驚いて目を開けると恭也がニヤニヤしながら俺の顔に懐中電灯の光を当てていた。おまえかっ!!
「ハル、お前、何の願い事したんだ? 」
「別に。何も。眼を閉じていただけだぞ、俺は」と冷静な態度で誤魔化せたと思う。
「へえー、それにしては随分長い間、眼を閉じてたてたなぁ、お前」
まだ恭也はニヤニヤしている。俺は照れて赤くなっているであろう顔を見られまいと、懐中電灯の光で恭也の顔を照らして奴の眼を晦ませ、早く次の壁画を見に行こうと促した。奴は眩しがりながらも上機嫌で階段を上がって行った。
階段を上がり終えて、急に当たりが暗くなり始めた事に気が付いたが、残り二つの壁画も見て帰ろうということにした。二つめの壁画も三つめもどれも味わい深く、俺はまたここに来たいと心から思った。
最初の壁画で願い事をした時、三つの壁画全部に願い事をしようと思っていたが、また恭也に、からかわれそうなので、やめておいた。後から考えると、壁画を眺めるだけなのにかなりの時間を費やしていた事に気がついた。
帰り道もう一度、丘を見たくなり振り返って丘を見上げた俺に恭也は「もう一度来よう、今度は涼介も誘って」と言った。
こうして俺達は壁画洞窟の丘を後にした。帰りの車の中、俺はまた壁画と丘の風景、駅前からの景色を思い出し、その余韻に浸りながら明日から何かいい事が起こりそうなそんな予感がしていた。
待ち合わせのファミリーレストランに着くと涼介はすでに向かい合わせ四人席のソファに座っていた。
「おーい。こっちだ、こっち」
会社終わりにそのままの恰好で駆け付けたのであろう紺色のスーツに派手目のネクタイの森元 涼介は、俺達を見つけると嬉しそうに立ち上がり手を振った。
「おいおいおい、よく来たな。なあ、おい。俺の関羽と張飛よ。」
「恥ずかしいから声のトーンを落とせよ」
恭也が、冷静に言いながら席に着く。
「ちょいーおまえ、親友二人に会ったんだから声も大きくなるっての。なあハル、そうだろう」
少しはしゃぎ過ぎの気もするが、俺は涼介のお調子者なところが好きなので、笑顔で頷き席に着いた。逆に恭也は、会ったばかりの時の涼介の調子者ぶりが気に入らなかったみたいなのだが。
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