100日で死ぬカウント

ナタ

第1話



 ある日、人の頭の上に100の数字が浮かんだ。



 その数字は老若男女問わず、無差別に人々の頭の上に出現した。半透明の幻のような黒い数字は頭上から数センチほど浮かんでいて、誰にでも見ることはできても、誰にも触れることはできななかった。そして数字は日が経つと一つずつカウントが減っていき、昨日までは数字のなかった人にも唐突に数字が現れる。


 世界中でこの不可思議な現象は発生し、けれど誰にも解明することはできなかった。そして100の数字の答えは100日後、必然的に明らかとなる。


 頭の上の数字が0になった人間は、死亡する。


 事故死であったり自殺であったり病死であったり、死因は様々だったが、例外なく頭上の数字が0になった24時間以内にこの世を去る。世界中で数字のカウントが減っていく人々が注目されていたため、同時多発的な死亡現象は単なる偶然ではなく、恐るべき悲劇として人々に観測された。


 それからは恐怖の時代が訪れる。


 まるで恐怖の時代を予見するかのように、100カウントを持つ人間は増加した。カウントが刻まれた人間たちはパニックに陥り、頭上のカウントを消そうと宗教的祈祷と科学的実践とが試行されたが、誰にも触れられないその数字を誰にも消すことはできなかった。頭を水中に沈めてみたり焼いてみたり、他者に施しを与えたり資産をすべて捨てたり優しい人になっても、数字は一切変化しない。


 その一方で、ある一つの法則も発見される。


 頭上に100カウントが現れ悲観したその人物は拳銃自殺を試みたが、幸か不幸か即死を免れる。意識不明のまま生存し、カウントダウン通りに死亡した。

 またある人物はビルからの飛び降り自殺を試みたが、奇跡的な突風に煽られ激突を回避し、両足を骨折する大怪我で生存した。しかし退院した直後に上空から落下した飛び降り自殺志願者と激突し、カウント通りに死亡した。


 つまり100日経つと確実に死んでしまうのと同時に、100日経つまではどんなことをやろうと、決して死ぬことはできない。


 恐怖と共に、混沌と暴力の時代が訪れた。


 どうせ100日に死ぬのならば、好き勝手にやってやろう。

 街は頭に幾多の数字の浮かんだ者たちの暴徒で溢れ、破壊と略奪の限りを尽くす。官憲による暴力の鎮圧と拿捕、逮捕や勾留とが行われる。その間にも頭上のカウントは減っていき、当然の如く0になった者たちは後悔を募らせたまま、死の宣告を頭に浮かべながら、同じく0のカウントたちと共に死んでいった。

 より多くの100のカウントを浮かべる人間が、治安維持に関わる者が多数であったため、社会秩序の維持は困難となった。


 また数字を持たない人間たちの間にも平穏は失われていく。

 「カウントを受けた者は罪人である」という噂が沸き立ち、必然的に宗教的な教義として利用されていく。100のカウントが始まった人間は罪人や不信心者とみなされ追放される。

 さらには「100の数字は感染するものである」とデマが広まり、カウントを持つ人間への迫害と暴力が加速した。100日で死ぬような病理にかかっているかもしれない。ウイルスを保持しているのではないか。死の宣告の数字を持つ者は害悪であるから、その親近にいたものや家族も当然のように排除されていく。


 そして、より暴力と混沌が蔓延する社会にこそ、100カウントを持つ人間が爆発的に増加していった。社会から排除されたカウントたちの群れが大衆となり、建造物や社会やコミュニティは尽く破壊される。いくつもの数字を浮かべた者たちが武器を手に暴れ回る地獄が世界各地に広げられた。



    ◆



 それからしばらく経つと、沈静の時代が訪れる。抗いようのない運命に人々は疲れ果てたのか、あまりにも無益な争いだと人々は理解していく。


 100の数字によって人が死ぬのではなく、100の数字がもたらす偏見や愚行こそが、多くの人の死を招いたことを漸く自覚し始めた。自然淘汰のような諍いと争いが収まると、人々は文明の復興へと歩み始める。


 少しずつ緩やかに、社会は変わっていった。

 100カウントが始まった日から人生は変わる。まず周囲の目が変化した。親しき友人の頭の上に100の数字が付くと、人生の卒業者であるかのように送迎の儀や花束の贈呈が行われた。一足早い人生からのリタイアとして、憐れみと憧れの入り混じった感情混じりで見送られる。


 それからの100日は、各人の自由な生き方を許された。

 100の数字を頭に浮かべたある者は、仕事をやめて余暇へと走り出し、ある者は未練をなくすために旅を始めたり、ある者はいつもどおりの日常を送ることを選択する。人生最後の100日間を、一分一秒たりとも無駄にしないように生きる。


 数字に抗うほうが、悲惨な末路をもたらすことは既知の事実だった。


 カウントが0になる最後の日の過ごし方は人によって違った。通りすがりの誰かがトラックに撥ねられるのを身代わりになって助けて死んだ者がいた。いつもどおりに日常を過ごして、就寝したまま心臓麻痺を起こして死んだ者がいた。痛みを伴う死を恐れて、自ら毒薬を飲んで苦しまずに死んだ者がいた。

 皆が皆、それぞれの終わりを迎える。ただそれだけの日常だ。


 この数字が誰の如何なる目的によってもたらされたのか、終ぞ判明することはできなかった。人々はこの超常現象を神の御業か悪魔の所業か断定できず、その評価は様々だった。

 頭に数字が現れなければ恐怖と暴力で多くの人々が無駄死にしなくてよかったはずだと主張する者もいるし、頭に数字が現れなくとも恐怖さえあれば人々は暴力と悪徳に塗れていただろうと主張する者もいた。

 その答えは永遠に出ることはない。



     ◆



 ある時「私」は公園のベンチで老人と出会った。

 老人の頭上には1の数字が浮かんでいて、自身の年齢が99歳だという。明日死を迎える老人は、パイプに紫煙を燻らせながらこう言った。


「この数字が怖くないかだって? 最後の日がいつなのか教えてくれたから、いろんな未練を片付ける決心がついた。今ではこうやって穏やかに残りの時間を過ごしている。神に感謝したいよ。100歳の誕生日を迎えられないのが一番の心残りだが、こればかりはしょうがない」


 公園の遊具から小さな男の子が駆け寄ってくる。老人は自身の孫と言葉を交わし、曲がった腰で立ち上がる。孫と手を繋ぐと、二人で歩いていった。


 小さな子どもの頭の上には100の数字が浮かんでいる。

 「私」の頭の上にも100の数字が浮かんでいる。夕刻の道行く人々の頭上にも数字が浮かんでいる。今世界中の人間全員には数字が浮かんでいるはずだ。


 「私」は空を見上げる。

 夜の帳が降りつつある南の空には、一際大きく輝く光がある。超巨大隕石は地球へと一目散に向かっているらしい。




 人類が滅びるまで、あと100日。




【終】

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