白き獣の少女 8

 朝食を終えて一同。

トモががっつきすぎて喉に詰まらせかけるトラブルもあったが、皿にのせられていた全ての料理を腹に収めて、トモは幸せそうであった。

その目の前に肉球マークが描かれたマグカップが置かれた。

中からは湯気が立ち上り、甘い香りが鼻をくすぐった。


「あ!ココアだ!僕も飲みたい!」


トモの前に置かれたマグカップの中を覗き込んでいたマァゴがルインに言った。

するとルインは無言で立ち上がると、机に置かれた電子ケトルを手に取った。

トモは目の前に置かれたマグカップを両手で包み込むようにして持つと、ゆっくりと中身を口に含んだ。

しかし熱かったようで、すぐに舌を出してカップの縁から口を離すが、すぐにまた口をつけた。


「さて、腹も膨れて落ち着いたところ悪いが、すこし嫌な話をする」


唐突にディメがそう切り出した。

ディメはテーブルの上に腕を置いて手を組み、マァゴは興味津々といった風にディメの方を見つめた。

ファジーは興味なさげに頬杖をついて明後日の方向を眺めていた。

そうして席についている面々(ケトルを台にセットして電源を入れたルインも含めて)の顔を見回した後、トモに視線を向けた。


「トモ、記憶が戻ったらしいが、その内容を俺達に話してくれないか?」


トモは少しビクリと肩を震わせた。

うつむきながら自分の手で握っているマグカップの中を見つめた。


「…無理にとは言わない。だがお前の過去が少しでもわかれば、それが記憶を取り戻すことへと繋がるかもしれない」


そう声をかけられ、何分か経過してからトモは思い立ったように決意した顔で悪魔達の方へと顔を上げた。


そしてその小さな口を開いた。







トモは昨夜思い出した記憶のかけらを少しずつ悪魔達へと伝えていった。



廊下に立っていたディメと同じ空気を纏っていた男のことを除いて…







トモの話を聞いてまず最初に口を開いたのは、意外なことに興味なさそうにしていたファジーだった。


「そんなの誰が聞いたって、そこは“孤児院”だって答えるね。もしくは腐った上層部が支配する教会か?」


ファジーは嫌味っぽく言った。

沢山の子供達がいて質素な生活をしている。

そうくれば、孤児院というのは間違った予想では無いだろう。

ディメはファジーの意見に賛同するかのような首を縦に振った。


「よほど劣悪な環境のようだな。ろくに子供の世話もせずにいたんだろうな」


チラリとトモを見てディメはそう言った。

確かに、最初にトモを拾った時、その姿は薄汚れてボロボロの服を着ていて一目見てみすぼらしいと言える見た目をしていた。

保護した際に体を拭いたり(勿論女性の悪魔が)、傷の手当て(一応女性の悪魔が)はしたが、今もまだ少し汚れた髪の毛と埃っぽい服を着ていた。

よく見ればその服は昨日倒れていた時に着ていた服で、病院患者が着ているような質素なものだった。


「…それで?孤児院から勝手に出て来て行き倒れとなると、そこに送り返した方がいいんじゃないか?」


そうファジーは言いながら、トモをジッと見つめた。

トモはうつむきながら自分の腕で自分の腕をかかえた。

そして縮こまって肩を震わせた。

それはファジーに見つめられたことに対してではなく、それ以外の何か、施設へと戻されることに対して恐怖しているかのようだった。


「…ファジー…」


「…なんだよ、事実だろ?…このままこいつを匿ったとして孤児院の奴らが探していたら?厄介ごとを引き入れるつもりか?」


ファジーの言うことも正しい。

もしトモが脱走したのならば、それは保護したとしても、勝手に連れ帰ることは許されることではないだろう。

正式に引き取ったわけでもない子供を連れ帰ったとなると、誘拐犯に仕立て上げられるかもしれない。


「…だがこいつは異質な存在だ…。なら人間や他の種族と一緒に置いておくだなんてできない」


ディメ達悪魔の寿命は長い。

そしてもしトモの寿命がほか生物よりも長かったら…

化け物と指を差される未来が来ないとは言い切れない。


「それに、まだこの子の素性もわかっていない…こちらで保護すべきだ」


ディメはファジーの目を真っ直ぐに見つめた。

それに対してファジーはディメを睨みつけた。

そうした膠着状態が続く中、ルインがトモに近づいた。

そしてその肩に優しく手を置いた。

トモはビクリとしてルインの顔を見上げた。

ルインは確認するようにしてその様子を見ると、睨み合う二人の方へと顔を向けた。


「…保護するのも元の場所へと送り返すのもどちらも俺は賛成だ。だが、お前らは大事なことを忘れている」


そう話すルインへと顔を向ける悪魔二人。


「この子が、この子自身がどうしたいかだ」


悪魔二人は顔を見合わせた。


「…たしかに、こいつは子供とはいえ一人の…人間だ。意思を尊重すべきだな」


「…」


トモはその言葉を聞いて大きく目を開きました。

納得するディメに対してファジーの方はまだ納得していない様子だった。

ルインはトモの前に片膝をつくと、同じ目線でその小さな顔の真っ赤な瞳と目を合わせた。


「…君はどうしたい?施設に戻るか、俺達の仲間になるか…それとも…全てを忘れてどこかで静かに暮らすか…」






「それを決めるのは、君自身だ」







その時トモの脳裏には、自身の全てを支配され、全てを否定された過去が蘇った。

寝る場所も、食べる物も、仕事も…それらを与えられ奪われ、押し付けられ…


トモの頬を涙が伝った。




今、自分は、“自分で決めることを求められている”。






自分の着ている服の裾を握りしめる。

握りしめるその手は、鱗のようなもので覆われ、鋭い爪が生えていた。

この手を見た人々は、気味悪がり、化け物の手と蔑まれた。

雑用を押し付けられ、自分の容姿を気にすることもなく、ただ毎日を生きているだけ。

言われたことだけをする生活。


命令をする施設の人々と違い、この人達は、自分の話を聞いてくれる。

そう思うと、涙が止まらなかった。


自然と口から言葉が紡がれた。








「わ、わたしは…お、恩返しがしたい…です…」








「恩返し?」


マァゴがトモの言葉を繰り返した。

それに続くようにしてトモは言った。


「わ、わたしは…倒れてたわたしを、助けてくださった、み、みなさんに…恩返しがしたい…です…」


トモが自分の思いを、精一杯振り絞った声で口にした。


「ふん、どうせ施設に戻りたく無いだけの口からの出まかせだ」


「ファジー!」


ファジーがトモの言葉に難癖をつけると、感動して泣きかけていたマァゴが怒ったようにそれを非難した。


「…し、施設には、も、戻りたく無いです…で、でも、恩返しが終わった後なら…わたしは、施設に戻っても、どこか別の場所へ行くことになっても、わ、わたしは、言うことを聞きます」


トモは静かに目を伏せると、涙を流しながらはっきりした声で言った。


「ここで、恩返しをしないと…ずっと、後悔すると思うんです」


ディメはそれを聞くと、一つ目だけの顔でニヤリと笑った。


「それと、俺達といれば自分の過去のことをもっと思い出せるかもしれないからだろ?」


トモはそう聞かれると、慌てたようにして手を振った。


「そ、それもあります…でも、一番はお礼がしたくて…」


すると、慌てるトモにマァゴが抱きついた。

その目からは涙が溢れ出していた。


「感動したよ〜!まさか現代に、それも辛い思いをしてきた子供にこんなに優しい心があるなんて…!」


トモの背中を軽く叩きながら、マァゴは感極まって泣き叫んだ。


「僕は決めたよ!トモちゃんの記憶が全部元通りになるように助けてあげるよ!なんだって僕は君の一番の親友だからね!」


「あ、ありがとう…ございます…」


トモは急なことで面食らっていたが、それでも助けるという言葉に、嬉しそうに頷いていた。


「…恩返し…か…優しいな」


ルインがトモの頭を優しく撫でた。


「…無理はしなくていい。少しずつ思い出していけばいい。俺も応援している」


ルインが優しい声でそう呟くと、トモの心にその声が染み渡り、涙がまた溢れ出した。


「…へっ!泣いてばっかりの弱虫毛虫がんなことできるわけねぇ!」


ファジーが顰めっ面を浮かべながらそうもらした。


「まったく、君はどうしてそう捻くれているんだい?」


「俺は、ガキが、嫌いなんだよ。特にピーピー泣き喚く小娘なんかがな!」


そう吐き捨てると、ファジーは席を立って台所から出て行った。


「…言っておくが俺は一切世話をしないからな」


そう言い残してドアを閉めると、廊下を歩いて離れていく音が聞こえた。


「…要するに、反対しないってわけだな」


「居候のくせに態度がでかいんだよあいつ」


「お前も居候だろうが」


悪魔達がそう談笑していると、ディメが改まった様子でトモに向き直った。


「これからよろしくな、トモ」


手を差し伸べられた。

トモはその手を取ろうと手を伸ばす。


しかしその脳裏を、自分を罵る声が通り過ぎていった。


手が届く前に手を引っ込めて両手を合わせて握り込んでしまった。

マァゴとルインは顔を見合わせるが、ディメは肩をすくめた。


「…ま、無理はしなくていいってルインが言ったばかりだしな」


そう呟くと、ディメは台所を出て行った。

その後ろからは、マァゴの賑やかな声だけが響いていたが、とても楽しそうな雰囲気を背中で感じられた。












◇◇◇◇◇◇







はあ…はあ…


どうしてこうなった…


組織で高い地位を手に入れて、支部を任されて、大金持ちになって…


それがどうしてこんな暗い場所で追っての恐怖に怯えながら逃げなきゃならんのだ!?





田中サンは地下の基地から一人脱出し、暗い隠し通路を進んで行った。

すると、目の前に薄らと光が見えた。


死に物狂いでそこに向かうと、コンクリートで覆われたトンネルのような場所にたどり着いていた。

下はデコボコしていて歩き辛かった。


ここはいったいどこだ?


田中サンが辺りを見回すと、遠くに人影があるのを見かけた。


ちょうどいい、あそこにあるやつに出口を聞こう。


そう考えながらその人影のある方まで進んで行ったが、ふとおかしいと思い至った。

自分が通って来た隠し通路は緊急脱出用。

つまり、たどり着いた先に追手がいないような安全で誰もいない場所のはずである。


あと少しで手が届くといったところで、人影が振り向いた。

田中サンはその姿を見て絶句した。

そこには、先程襲撃して来た悪魔と名乗る連中と同じ様な人ならざる姿をしていた。


「おー、ディメの言う通りだ。本当に誰か来たよ」


そう喋り出す目の前のスーツを着た男は、頭がおかしな形をしていた。

U字型をしたそれを田中サンはどこかで見たことがあった。


そうそれは、馬の蹄につける蹄鉄だった。

頭のあるはずの場所には蹄鉄が浮かんでいた。


「初めまして。俺は幸運の悪魔ラック、逃げて来たあんたを始末するように言われている」


始末という言葉に反応して、田中サンは肩を震わせた。

この人外は俺を殺しに来たのか、と。


「か、金ならやる!だから見逃してくれ!」


「うーん…そんなこと言われてももう遅いね」





「賽は投げられた」



地面が振動し始めた。

そして徐々に振動が大きくなっていった。


「な、何をしたんだ!?俺をどうする気だ!?」


「さっき言った通り、始末しに来たんだよ。まあ、俺は念のために確認に来てるだけだけどね」


「何を言っているんだ!?」


すると突然、揺れが大きくなり、天井が崩れ出した。

田中サンと悪魔の間を完全に塞いでしまうと、天井がの崩落は治ったが、地面の揺れはいまだに止まらなかった。


「どうなっている!?」


田中サンはトンネル中に響き渡るほどの大声で叫んだ。





「簡単な話さ。俺は運が良くて、アンタは運が悪かった。それだけさ」







田中サンが背後からの明るい光で照らされた。

その光は徐々に強く、大きく、田中サンも含めたその周りを照らし出した。

振り向いて後方に目を向けると、何か高速で接近して来ていた。




それは電車だった。



ここは地下鉄の線路の上だった。




「!?」


田中サンは逃げようとしたが、前も横も後ろもどこにも瓦礫で逃げ場がなくなっていた。


電車は進路を塞いだ瓦礫の山に気がついたようで、ブレーキをかけた。

高い音がトンネル内に鳴り響く。

その音は、声を振り絞った自分の存在を電車に教えようとする田中サンの声をかき消した。


迫りくる巨大な鉄の塊。

ブレーキをかけても殺さない速度で突っ込んでくる。

瓦礫の山を登って逃げようとするが、その山はトンネルの天井まで達していた。




田中サンの体を眩い光が包み込んだ。








大きな音とともに、トンネル全体が揺れる程の衝撃が響き渡った。



「さて、帰るか」





幸運の悪魔、ラック。


彼はとても運がいい。



それに反比例するかのように、周りは不幸になっていく。







そしてトンネルの中から人の気配が無くなった。





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