白き獣の少女 6
わたしは記憶の中でどこか薄暗い場所にいました。
しかしそこは全てが真っ白な寂しい場所でした。
そこはさっきわたしが見た、白い廊下でした。
しかし、そこの様子は先ほどまでとは違って、カーテンで隠された窓や、しまっているドアなどが等間隔で並んでいました。
広くどこまでも続く長い廊下のような場所にわたし一人で立っていると、目の前に誰かがやって来ました。
その人は私を指差すとこう言いました。
「…お、まえ…は…役…立たず…だ…」
場面が変わりました。
今度は少し古びた建物の中にいました。
わたしの後ろにはわたしと同じくらいの歳の子どもがたくさん並んでいました。
わたしはどこか夢うつつで、頭に霧がかかったような感覚でした。
すると、わたしの目の前にまた誰かがやって来ました。
その女の人は少し太っていて、エプロンのようなものをつけていました。
そうしてさっきもされたように、わたしは指を指されました。
「役立たずの」
その女の人がそう言うと、後ろにいた子供達も一斉に叫び出しました。
「無能!」
「社会のゴミ!」
「ただ飯ぐらい!」
「いらない子!」
「役立たず!」
『こ の 役 立 た ず』
わたしは涙を流して泣いていました。
どうして涙が溢れるのか分からなかった。
それでも心の中は悲しさでいっぱいでした。
近藤サンが突如泣き出した少女に驚いていると、
ディメが引き金を引いた。
その銃口からは先程放たれていた弾丸よりも小さく、それでいてそのどれよりも速い弾が飛び出していた。
その弾はただただ真っ直ぐに飛び続けた。
近藤サンが目を見張って弾丸を認識した頃には、
弾は少女の眉間に当たっていた。
少女の目はどこか虚空を見つめていた。
生命の危機に瀕したことによって、その脳内には記憶にない記憶が呼び覚まされていた。
その記憶はどれもが悲しく、残酷なものだった。
「『イギュニューイ社製6.5発回転式魔道拳銃』」
少女の頭から血が流れることはなかった。
いや、その眉間からは少量の血が流れ出していたが、それは“頭を撃ち抜かれて出る血の量”にしては少なすぎた。
立ち続けている少女の後ろから、何かが倒れたような音が部屋に響いた。
それは、腹を押さえて痛みに耐える近藤サンだった。
近藤サンはなぜ自分の体にこんな激痛が走っているかまるで分からない様子だった。
しかし徐々に冷静になっていくと、この痛みには身に覚えがあった。
それは昔、軍人時代の無鉄砲な若手の時。
戦場の流れ弾に当たって運ばれた時のことをありありと思い出していた。
「な…がはっ…」
「何故子供を盾にしていた自分が弾に当たっているのかって?その上どうして子供の方が無事なのか…言いたいことはこんなところだろう」
ディメは銃を懐にしまうと、少女に近づいた。
すると、その体がゆっくりと前に倒れていった。
その小さく細い体を受け止めると、近藤サンの方へと顔を向けた。
「冥土の土産に教えてやる」
ディメは少女の足と首の後ろを持って体をゆっくりと持ち上げるながら続けた。
「俺の使った『イギュニューイ社製6.5発回転式魔道拳銃』は装填された6発の弾丸の他に、魔力と呼ばれる摩訶不思議なパワーを注ぎ込むことによってそれまで存在していなかった0.5発目が装填される」
ディメの後ろで机の上に座ってずっと様子を伺っていたファジーが、机から降りてディメの元へと近寄って来た。
「その0.5発目の弾は、魔力の込め方次第で様々な特性を持たせることができる。自動追尾弾に焼夷弾、体内に入った瞬間に爆発するなんてこともできるが…他にも、設定した時間の間、実体を消す、なんてこともできる」
つまりディメの放った0.5発目の弾は、少女の眉間に当たった瞬間にその弾丸は実体を消した。
そしてその間も弾は進み続け、近藤サンの体へと到達した瞬間に実体化したのだった。
「銃で撃たれて立ってられるなんてのはやっぱり映画での演出なんだなぁ」
「ぐ…くそ…」
近藤サンは呻きながらも、その視線はディメを真っ直ぐに射抜いていた。
「さて、このあと自分がどう処理されるかわかるかな?」
「…こ、殺したきゃころせ!」
「殺す〜?」
ディメは近藤サンの発言に対して、つまらない冗談でも言われたかのように肩をすくめて失笑した。
「殺すなんて非生産的なことはしないさ」
そう話すディメが指を鳴らすと、近藤サンの後ろにドアが現れた。
ドアが開くとそこには、形容し難い姿をした虫のような生き物が大量に蠢いていた。
「もっと生産的に処理をするだけさ」
「!…ひ、ひぃっ!?」
ドアの向こう側から虫の足のように甲殻で覆われた手が伸びて来て、倒れている近藤サンの足を掴んだ。
その途端、徐々にドアの方へと近藤サンを引き摺り込んでいった。
「た、助けてくれ!なんでも言うことを聞く!だから…!」
「生憎人間の人手は必要ない。それも元軍人で野心マシマシ、性格趣味の悪さコッテリのろくでなしなんざ誰も必要としないね」
近藤サンの叫び声でトモが目を覚ました。
「誰もお前を必要としない。なのになんでこんなそこそこの地位に立てたのか?それは簡単な話だ…お前が人から役に立てる奴に見えるように他人と自分を騙していたからだ」
ディメの言葉にハッとしたように、少女がその顔を上げてその光景を見上げた。
「役立たずは必要ない」
トモが目を見開くのと、近藤サンがドアの向こうへと引き摺り込まれるのはほぼ同時であった。
「うわあああああああああああああああああああ!!!?」
ディメはその真っ黒な顔に一つだけある目玉でニヤリと笑った。
引きずり込まれた近藤サンを少女を抱き抱えながら眺めるディメの目は、人が死ぬのを楽しんでいるかのように残酷で冷たい目であり、その目は最早近藤サンへの興味を完全に失っていた。
少女はその顔を下から見上げながら、背筋が凍るような思いをした。
虫の蔓延るドアの中に引き摺り込まれ、その内部で全身を喰い尽くされている近藤サンの見るも無残な姿も、それを眺める悪魔の姿も、自身へ向けて容赦無く放たれた弾丸も、“役立たず”という蘇った記憶の中で響く言葉も…
その全てが怖かった。
人が死ぬ光景も。
人をまるで物のように扱う悪魔も。
自分が役立たずと言われている過去も。
これからの自分の行く末も。
それらを思うと、ただただ悲しくなった。
目を伏せて、涙を流す。
目を瞑ると自然と睡魔がやって来た。
少女は静かに眠りについた。
その少女の顔を眺める悪魔の顔は、どこか穏やかで、安心した顔をしていた。
◇◇◇◇◇◇
トモが目覚めると、そこは悪魔達の住むアパートのリビングの中だった。
そのソファの上に寝かされていたようだった。
横に目を向ければ、ディメが静かにスマホをいじっていた。
ディメはトモが起きたことに気がつくと、スマホを机の上に置いた。
「おはよう。よく眠れたかい?」
その言われて側にあったスライド式のガラスの窓に目を向ければ、外は少し明るくなって鳥が元気良く外で鳴いていた。
トモは寝そべっていたソファに、体にかけられていた毛布を膝にかけて座り直した。
「昨日は散々だったな…しかしなんでまた急に出て行ったりなんかしたんだ?」
ディメの質問に対し、トモは下を向いて俯いてしまったが、意を決したようにディメの方へと顔を向けた。
「わ、わたしが来た時、お、お二人が喧嘩して…わ…わたしが原因だと思って…それで…」
「自分が悪いと思わせたとはね…そりゃあ悪かったよ」
ディメはすまなさそうに頭の後ろに手を回した。
「あの…ど、どうしてわたしを…引き取ってくださったん…ですか…」
「どうして…か…」
トモの質問に対して、ディメは天井に目を向けた。
「…倒れてるお前を見つけた時、最初は何も感じなかったのさ」
ディメは少しずつ言葉を続けていった。
「ただボロい服を着た見すぼらしいガキが倒れてる…そうとしか認識してなかった。そんなやつは街中探せばいくらでもいる。だが俺は…お前を“可哀想”と感じた」
ディメはトモの顔を見つめながら続けた。
「自分の気持ちを不思議に思いながら倒れてたお前を顔を見ると、どうしてか守ってやりたいって思ってな…そうしたらいてもたってもいられなくなって、連れてきたってところかな…」
ディメはトモを見つめる目をそらすと、自分の足元を見つめた。
「…毎日血生臭い生活を送って、それを当たり前と思ってた中で、こうしてお前の寝顔を見た時に、なんだかこう…穏やかな気持ちになれた」
もう一度トモに目を向けると、トモは静かに話に長い耳を傾けて聞いていた。
「その後、お前が俺達と同じ悪魔だと分かったが…もしそうじゃなかったとしても…いや、今のは忘れてくれ」
ディメは首を横に振って話を切り上げて立ち上がると、ソファに座るトモの前まで歩き立ち止まった。
「改めて…ようこそトモ、俺の城へ」
右手を差し出し、上半身を下げてお辞儀をする。
「過去の記憶も自信もないお前を俺達は歓迎する。たとえその体に刻まれた名前が分からなくとも、お前ならきっと俺達の助けとなるだろう」
トモはディメの差し出した右手を見つめた。
「今後ともよろしく、トモ」
恐る恐る手を伸ばすと、あと少しで手が届くというところでトモが顔を上げてディメの顔を見ると、目が合った。
そして互いの手が触れ合ったその瞬間、トモの脳裏に昨夜蘇った断片的な記憶が再び現れた。
その記憶の中の、薄暗い廊下に立つ男の顔が、冷たい目をしたディメと重なった。
『役立たず』
どこかからそう言われた気がした。
思わず手を引っ込めて胸の前で右手を左手で覆い隠してしまった。
ディメは自分に怯えうつむくトモを少し驚きながら見下ろした。
そして目を伏せため息をつくと、近くにあった窓のカーテンを閉めた。
「朝食までまだ時間もある。もう少し眠っておくといい」
そう言い残すと、ディメはリビングから出ていった。
後に残ったのは、自分の手を見つめながらうつむく白い毛皮の一人の少女だった。
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