第111話 30代の終わり・父の病状

父が心不全で最初に倒れた時、医者には次に発作起こしたら危ないと言われていた。


入院中に、カテーテルでの検査を勧められたけれど、私はそれを断って父を連れて帰った。

発作で倒れ、何とか助かったばかりで、父はだいぶ消耗した様子だったし、もともと腎臓が悪かったので、検査の薬剤の影響で、以後、透析になる可能性があると言われたのだ。

もちろん、心臓にカテーテルを使用するので、そちらの危険もあった。


検査をするとしても、少しゆっくり養生してからにさせたかったし、私自身もやっと父が危険を脱して安心したところで、また不安になるのがつらかった。

そういうわけで、とにかく一旦、家に連れて帰りたかったのだ。



その後、何ヶ月か経って、体力も戻ったようだったし、そろそろ検査をしてもらおうかと父に聞いた。

ところが、入院中はぼんやりしていたのか、それとも突然の話だったからあまり考えていなかったのか、検査の話をされてもそうですかとしか言わなかった父が、今度は検査をしたくないと言い出した。


もしかして、入院中にあまりにも私が恐ろしがったのがいけなかったのかと、その後も何度か、病院に通院するとき、2〜3ヶ月に1度くらいは、


「検査入院してみない?」


と勧めてはみたのだが、


「透析にはなりたくない。

それくらいなら発作でぽっくり死んだほうがいい」


と言う。





私は困惑した。


もしも、もっと強く、何が何でも検査してくれと言い張ったら、したかもしれない。

でも私は、あまり強くは言えなかった。

それにはいくつか理由があった。




まず、私の友人のお父上のことがあった。

透析治療で病院に通っていたけれど、透析から帰ってすぐ倒れ、病院に逆戻りしてそのまま亡くなってしまった。

若い人でも大変だろうけれど、年配の方に透析は体の負担が大きい。




また、父の友人も、こちらは手術をして、手術自体は「技術的に」成功したけれど、手術中の脳梗塞で亡くなった。


1カ所だけが悪い若い人ならともかく、歳をとるとあちらこちらが悪いから、手術等の危険性は倍増する。




母を追うようにして亡くなった我が家の飼い犬も、脱腸の手術をして、手術自体は難しくなかったけれど、もともと悪かった腎臓が一気に悪化して、手術後2週間ほどで亡くなってしまった。





そんなあれこれが頭をよぎり、検査自体も負担の上に、検査で悪いところがわかっても、その後の手術で結局、心臓発作を起こすよりも早く亡くなることになってしまうかもしれない。

そんなふうに思うと、本人が嫌がっている検査を無理に進めることができなくなってしまったのだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る