第95話 30代・その年は

その後も、何度か川口まで1人で往復した。


どうしても鎌倉の部屋に入りきらないけれど捨てたくないものや、事務所の書類でまだ捨ててはいけないものを寝泊まりしていた部屋に残して、その他全て、事務所の残りの荷物と合わせて、もう一度業者を頼んで処分した。



それまで、契約業務だけをお願いしていた不動産屋さんにアパートの管理業務もお願いして、契約し直した。



鎌倉に運んだ書類は、整理した端から弁護士のもとへ送り、何度か浦和まで父と一緒に通って、相談しながら追加でまた書類を整理して送ることを繰り返した。


川口から運んだ荷物は、ざっくり整理して減らしたつもりだったけれど、一軒家に入っていただけあってアパートの部屋には多過ぎて、また何度か整理し直して減らした。



合間に、いちどだけイラストを描いた。

イラスト賞に応募するために。

結果がどうなろうと、これを最後にするつもりだった。

もう、自分でも、憎しみ以外に何の感情も湧いてこず、暗い絵になった。

我ながら、ひどい出来だった。


その後、何年も、年賀状くらいしか、私は絵を描かなかった。

私なりに本気だったから、私なりに挫折感を味わった。

だから趣味で描けるようになるまでに、時間がかかった。



恨みを捨て、自分の夢を選ぶこともできただろうけれど、私はそうしなかった。

胸の中は真っ黒に塗りつぶされて、憎悪と怒りしか存在しなかった。


父や、状況のせいで夢破れたとは、私は思っていない。

どんな時でもあきらめず、明るい道を選べる人が夢を叶えていくのだろう。

私はそうじゃなかった。


私に絵の才能があったかなかったか、それは分からない。

才能のある無し以前に、心構えで、土俵に上がることもできなかった。

それだけ。





弁護士の指示で、父の判断力が落ちていたことを証明するために、20年近く前の脳溢血や、数年前の脳梗塞の診断書などを取るようにと指示され、その相談に、かつての主治医に会いに行ったのは年末くらいだったろうか。



そんなふうに、ろくでもない用事で出かけ、足取りも重く、気分も沈んでいたけれど、どうしてか、その頃のことを思い出すと、その時々に食べた食事を父が喜んでいたのを一緒に思い出す。




弁護士との打ち合わせに、浦和に行ったときには、父の希望で鰻屋に行ったことがあった。

私は鰻にしなかったが、久しぶりの鰻を父は嬉しそうに食べていた。


主治医に相談に東京に行ったときには、日程の都合から一泊、ホテルに泊まった。

終わって、もう遅い時間になっていたので、外で食べる気もせず、ホテルのレストランに行ったが、何を食べたのかすら覚えていない。

けれど、主治医と会った時はさすがに落ち込んでいた父が、

「久しぶりにうまいもの食べた」

満足そうにそう言ったところだけ、なぜか覚えている。

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