第93話 30代・憎悪

あえて被害額、ではなく、奪われた金額、と書いた。


奪われた金額がイコール、被害の全てではないからだ。




川口の、古いアパートで寝泊まりしていた時期、私は夜中に何度も飛び起き、Yの家まで走って行って、さし殺してやりたい衝動を抑えた。

まず、妻と息子を。

大切な相手を傷つけられる苦しみを十二分に味わわせてから、Yを殺す。


幸いにして、Yの自宅は、川口から走って行ける距離ではない。

荒川区東尾久にあったので、まぁ人によっては走っていけるかもしれないが、とりあえず私が夜中に行くとしたらタクシーでも呼ぶしかない。

それが、心理的に多少、足枷になった。

それでも、日本がアメリカのような銃社会だったら、私はおそらく今頃、塀の中だろう。

やはり、銃とナイフでは、心理的ハードルの高さが違う。


鎌倉に引っ越してからも、弁護士に渡すために、それまでの被害をまとめた資料を作成しながら、毎日毎日、憎しみを堪え続けた。



そもそも、この詐欺のせいで、父の名義で買ったことにされた物件の整理もできなかった。

H不動産が破綻してすぐだったら、まだ事情を知っている社員も残っていたし、証拠も多く残っていただろう。

すぐにまともな弁護士を雇っていれば、もちろん、父は仕事を辞めなければならなかっただろうが、自分のものでない多額の借金を背負わされ、貯金を差し押さえられ、何年にもわたって振り回される事はなかった。



その他にもまだある。

父は、母からバブル期前に購入したリゾートマンションを相続していたが、これはリゾートに良くある管理費の高いマンションで、父は相続してすぐ売りに出すと言っていた。

バブルがはじける前にローンは返し終えていたし、病を得た母が、よく静養に行っていたので、それまで売却せずに持っていただけで、母が亡くなってからは誰も行かなくなっていた。

それを、詐欺話の財団とやらが自分たちのところで請け負うので、売らないでくれと言いやがったらしい。

自宅を放り出された時には、未納の管理費が膨れ上がっていた。



そして地主との裁判だ。

弁護士を名乗ったYが、自分がやるなどと言わなければ。

もしも、こちらはこちらの件で手一杯なので、その裁判は別の弁護士を雇ってくれとでも言っていれば、あんな悲惨な結果にはならなかった。

父は、それなりの立ち退き費用をもらい、私も妹もゆっくりと自宅に別れをつげ、普通に、穏便に引っ越ししていたのだ。

他の弁護士を雇われて、自分たちの詐欺が明るみに出ないかと不安だったのかもしれないが、父はYの作り話をすっかり信じていて、言いなりだったのだから、こちらの件はよそに漏らすと大変なことになるので、言うなとでも言えば、父は絶対に口にしなかっただろう。


詐欺師なら詐欺師らしく、父にマンションを売らせて、その金をとりあげればよかっただろう。

詐欺師なら詐欺師らしく、父が、まともな立ち退き費用をもらってから、それをとりあげればよかった。




私はYを憎んだ。

爪一枚一枚を剥がし、指一本一本を折り、端から刻んで、苦しみ抜かせたのちに殺してやりたいくらいに。


単純に金をだまし取られただけだったら、もちろんそれだってつらかったろうが、そこまで、そこまでの憎しみではなかっただろう。


よくもここまでやってくれた。


日本では、なぜ経済犯はこんなにも罪が軽いのか。


年老いて、もはや働くこともできない父は取り返すことができない。

それだけではない。金の問題だけではなかった。

ここまで、それは失敗もあったろうが、それなりに尊敬も勝ち得てきた父の生涯の最後に、よくここまで泥を塗ってくれた。




絶対に絶対に絶対に許さない。



奪われた金額が被害の全てではない。

だから私は一生、死んでも、Yを許さない。

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