第22話 新たな不安

 結局、盗賊と衛兵隊を捕えるための罠として利用した『飯の美味い宿屋』には宿泊せず、『銀狼亭』に宿泊をした。

 その『銀狼亭』の廊下に響く軽快な足音に続いて、若い女性と少女の声が聞こえる。


「シビル! 廊下を走らないの、危ないでしょう」


「大丈夫よ! それにもうお昼よ、早く食事にしましょう」


 隣の部屋に泊まったファーリー姉妹だ。扉の前で足音が止まったと思うと、ノックの音と続いてヒルダとシビルの声が重なる。


「おはようございます、叔父様。ヒルダです」


「シビルです、おはようございます。マックス叔父さん、起きていますか?」


「ああ、今起きたところだ」


 ベッドから降りて椅子に掛けてあったズボンに手を懸け、『着替えたすぐに行く』と続けようとしたところで、


「マックス叔父さん、おはようございます」


「シビル、あなた、勝手に――」


 部屋に飛び込んで来たシビルが頬を染め、彼女を追って部屋に足を踏み入れたヒルダが慌てて背を向ける。


「――、ご、ごめんなさい!」


「シビル、君も回れ右だ」


 手早くズボンを穿いて、頬を染めているシビルにそう告げながらファーリー姉妹を部屋の外へと押しやる。

 

「おはようございます、マクスウェルさん――」


 丁度ニールが隣の部屋から出て来たところだった。

 俺の恰好と頬染めたファーリー姉妹とを交互に見ながら小さくかぶりを振る。


「――上半身裸でズボンのベルトも絞めず、若い女性二人を部屋の外へ追い出す姿は誤解を招きそうですよ」


「まったくだ。知らない人が見たら俺が悪い大人に見える」


「私が心配しているのはファーリー姉妹に変な噂が立たないか、です。マクスウェルさんは、今更噂の一つや二つ増えても傷つく場所も残っていないでしょう?」


 酷い言い草だ。

 だがニールの言う通り、彼女たちに悪い噂が立つ事までは気が回らなかったのは俺のミスだ。


「二人ともすまない。何か言ってくるようなヤツがいたら俺に言うんだぞ」


 くれぐれも勝手に報復したりしないでくれよ。


「あ、い、いえ! 私たちが悪かったので、叔父様はお気になさらないでください!」


「お嫁に行けないような噂が立ったら、責任、取って下さいね」


「シビル! 悪ふざけが過ぎます」


 こちらを見ないように気にしながらシビルをしかるヒルダと、彼女の鋭い声に首をすくめながらも、然程さほどこたえた様子に見えないシビルから、

  

「すまん、ニール後を頼む」


 ニールへと視線を移してそう言うと、着替えるために部屋の扉を閉めた。


 ◇

 ◆

 ◇ 


 ニールとファーリー姉妹と共に『銀狼亭』を出ようとしたところで、憔悴しょうすいした様子のジェフリーと鉢合わせた。


「おはよう、ジェフリー」


「おはようございます、ジェフリーさん」


 俺とニールに続いてファーリー姉妹の明るい声が響く。


「ジェフリーさんおはようございます」


「おはようございます」


「え? ああ、こんにちは。皆さん」


 こちらに気付いていなかったようで、ジェフリーは一瞬キョトンとした表情をし、慌てて挨拶を返した。

 相当重傷だな。


「これから食事にしようと思うんだが、一緒にどうだ?」


「もうそんな時間ですか?――」


 取り出した懐中時計に視線を落とすと、深いため息を吐く。


「――間もなくお昼ですね。お誘い頂きありがとうございます。申し訳ありませんが、立て込んでいるので遠慮させて頂きます」


 会釈をして西門に停めてある駅馬車へと足早に向かうジェフリーの姿を目で追いながらニールが問い掛ける。


「随分と疲れていたようですが、昨日の件でしょうか?」


「そうだろうな」


 このクラーレン市で合流する予定だった二つの駅馬車隊が、期日から丸一日以上経っているにもかかわらず到着していなかった。

 それが分かったのが西門を潜って三十分ほどしてからだ。


 さらに、昨日の昼間に来るはずの次の目的地であるアロン砦との定期連絡も到着していない。

 その事を俺たちが夕食を終えた頃、ジェフリー本人が蒼い顔をして告げに来た。


「ダングレン市とベルクド市からここへ向かっている駅馬車隊、両方ともまだ到着していないようですね――」


 ジェフリーの向かった先に新たな駅馬車が停車されていない事を見ると、ニールが眉をひそめる。


「――アロン砦から定期連絡もまだ到着していないようですし、アロン砦で何かあったのでしょうか?」


 どちらもアロン砦経由で来る予定の駅馬車隊だ。

 加えて定期連絡が途絶えているなら、アロン砦で問題が発生している可能性は高いよなあ。


「考えたくはないが、可能性はあるな」


「捕らえた衛兵と盗賊たちの引き渡しが出来る状況でない、かもしれませんね」


 そのときはクランダム砦まで連れて行くしかないだろうな。


「面倒な事は食事を済ませてから考えるとしようか」


 ロザリーとコンスタンスが待っているはずの向かいの食堂を見やると、三人とも口々に力なく賛同して足を踏み出した。


 ◇


 食堂に入ると、ロザリーとコンスタンスだけでなくマーカスも同じテーブルについている。

 ロザリーたちを視界にとらえると同時に、昨夜の迎撃戦に参加してくれた五人の護衛がテーブル二つ離れた席で食事をしている姿が目に入った。


 五人は俺たちが店に入ってきた事に気付くと食事を中断して会釈をする。

 ニールはその五人をわざとらしく見やると、さわやかな笑顔をマーカスに向けた。


「あれ? マーカスさんは部下と一緒に食事をしないんですか?」


「ニールさん、俺は皆さんに報告があるからここで食事をしているんです。決してうら若い女性たちと一緒に食事をしたくてここにいる訳じゃありませんよ」

 

 三十代後半の男がねても可愛げなどない。むしろ悲哀さえ感じる。


「それで、わざわざこのテーブルで食事をとってまで知らせたい事ってのはなんだ?」


 椅子に腰かけながらマーカスをうながす。


「アロン砦にかんする噂?」


 間髪入れずにシビルが口を開き、彼女の言葉で渋面となったマーカスにニールが苦笑しつつ追い打ちをかける。


「遅れている駅馬車隊の情報でも入りましたか?」


「何だ、知っていたんですか? せっかくの情報と思ったのになあ」


 残念そうに天井を仰ぐマーカスに声をかける。


「そう残念がるなよ、マーカス。俺たちも正確なことは何も知らないんだ」


「本当ですか? ――」


 そう言ってマーカスが目を輝かせてシビルとニールを見やると、二人とも申し訳なさそうな顔で首肯した。


「――じゃあ、昼食を摂りながらご説明しましょう」


 得意げな表情でそう言うと、アロン砦と遅れている二つの駅馬車隊にかんする情報を語りだした。


 ◇


「――――という事で、アロン砦からの定期連絡どころか商人や旅人、流民すら、誰一人アロン砦方面からは来ていないそうです」


「何よ、勿体ぶった割には正確な事はほとんど分かっていないのね」


「厳しいな、ロザリーさんは」


 冷ややかに半眼を向けるロザリーから視線をそらし、力なく笑うマーカスに助け舟を出す。


「だが、有用な情報もある。前の定期連絡ではダングレン市からの駅馬車隊は無事にアロン砦に到着している、と連絡係の騎士が言っていた事だ」


「何らかの事情で出発できずにいる?」


 コンスタンスが誰にともなくそう口にする横でロザリーが口を開いた。


「ダングレン市からの駅馬車が出発する日とベルクド市からアロン砦に到着する馬車が同日の予定で、ダングレン市からの駅馬車隊が出発できずにいるという事は……」


 言い淀んだロザリーの言葉を継ぐように、ニールが静かに口にする。


「ベルクド市からの駅馬車隊の安否は不明、ですね」


「嫌な予感しかしないな」


 個人的にはアロン砦に急行したいところだが……さて、どうしたものだろうな。


「実はまだ情報があるんですよ――」


 全員の視線がマーカスに注がれた。

 真っすぐに俺を見るマーカスに視線で先をうながすと、彼はニヤリと口元に笑みを浮かべた。


「――合流した商人いましたよね。旦那が騙し討ちして壊した護衛の雇い主」


「不意打ちだ。それに五人の護衛はベレスフォード夫妻が光魔法で治癒済みだ」


 即座に間違った認識を修正すると、マーカスは『じゃあ、そういう事で』とさらりと流して続ける。


「その二人とシビルさんと揉めた二人の商人。シビルさんと揉めた方はバラノフ兄弟というちょっと有名な商人なんですが、この二組の商人の取引相手がそれぞれダングレン市とベルクド市からの駅馬車隊にて、このクラーレン市で商売をする予定だったそうです」


「あら、お気の毒様」


「いい気味ね」 


 ロザリーとシビルの弾んだ口調とセリフにマーカスは苦笑しながら話を再開する。


「ところが、笑い事じゃなくなっているんですよ――」


「――この四人、強欲な商人らしく『取引相手に貸しを作る絶好の機会』と考えたようで、ジェフリーさんに次のアロン砦へ早く出発するよう急かしている真っ最中です」


「え? 合流した商人さんはそもそも駅馬車隊が違いますよね? バラノフさんたちにしてもここまでの契約では?」


 世間慣れしていない純真な少女らしい疑問を口にしたヒルダに、


「そんなのお金と権力次第よ。あの四人、それなりに影響力あるみたいだったし、駅馬車隊の雇われ責任者じゃ拒否なんて出来ないでしょ」


 ロザリーが汚れた現実を教えた。

 続くヒルダが俺に向けた、問い掛けるような視線に静かにうなずくと、ほぼ同時にニールの問い掛けがマーカスに向けられる。


「それで、結局アロン砦に向かう事になったんですか?」


「時間の問題でしょう」


 力なくそう口にしたマーカスを擁護ようごするようにコンスタンスが補足する。


「本来は乗客の安全第一です。このクラーレン市に駐留して、その間に数名の護衛でアロン砦の様子を確認する、というのが正解なのは分かっています」


 アロン砦に向かうことになるな、これは。

 俺としては願ったり叶ったりだが、安全を考えると護衛の人数を増やすようにジェフリーに進言しておいた方が良さそうだな。


「それと、これも噂の域をでないんですが――」


 もの凄く言い難そうに切り出した。


「――ここ二・三カ月の間、魔物の被害が増えているそうです。それでアロン砦に駐留する騎士団を強化したという話を耳にしました」


「恐鳥が五羽もまとめて出るなんておかしいなあ、とは思っていました」


 マーカスの言葉にコンスタンスが妙に納得した顔でそう言うと、即座にニール、ロザリー、ファーリー姉妹と視線が交錯した。


 聞きたくなかった。


 嫌な予感しかしない。

 俺、もの凄く大変なところに赴任してきたんじゃないだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る