第16話 谷間にて
「よーし! 一羽撃退したぞ! ――」
声のする方へ視線を巡らせると、今しがた馬車の上から爆裂系の火球を放った若い男が、転倒した馬車の傍らで拳を突き上げていた。
「――残りは一羽だけだ! もう少しの辛抱だ、皆頑張ってくれ!」
男の視線の先を振り返ると、爆裂系の火球の直撃を受けた恐鳥がこの空域を離脱しようとしている。
あれは戻って来そうにないな。これで後、二羽。
鹿の端には残った恐鳥が大きく旋回しながら高度を取る姿が映る。
「く、来るぞ!」
転倒した馬車から抜け出した数名に向けて護衛の冒険者から指示が飛ぶ。
「あの岩陰に隠れろ!」
「岩の下に潜り込めー!」
護衛たちが示したのは大きな板状の岩――高さ五メートル幅十メートル程で、地面に斜めに突き刺さったような形状の岩陰に馬車から脱出した乗客たち逃げ込んだ。
いい判断だ。あの形状なら上空からの攻撃は届かない。
さらに逃げ遅れた者たちへ向けて指示が飛ぶ。
「馬車の陰に隠れろ! まだ中にいる者は馬車から出て来るな!」
「ヒッ」
女性の短い悲鳴に続いて、乗客たちから声が上がる。
「攻撃態勢に入ったぞ!」
「陰だ、ともかく物陰に隠れてやり過ごすしかない!」
あれが攻撃態勢に移る準備動作だというのを知っているのか。恐鳥の攻撃を何度も経験しているようだな。
「き、来た、助けてくれ!」
「どけっ、邪魔だ!」
「ここは我々の場所だ、代われ!」
「キャーッ! お、お許しを!」
「うわ、た、助けてください」
混乱するような声に視線を向けると、身なりの良い男二人に突き飛ばされるようにして、三十代半ばの女性と四十代と思しき男が馬車の陰から転がり出てきた。
酷いな、うちの駅馬車隊よりも客層が悪い。あの奴隷商人が善人に思えてきた。
馬車の上に乗っていた護衛の冒険者が大声で叫ぶ。
「来た! ともかく手数で押せ!」
旋回していた恐鳥がまだ距離があるにもかかわらず高度を落とした。狙いは馬車の裏から弾き出されて二人か。
進入角度が浅い。急降下でないのはせめてもの救いだ。
「来るぞ、おっさん! さっきの火球を撃ち込め!」
言われんでも撃ち込む。そうしないと、馬車の陰から追い出された二人が餌食だ。
「参考までに教えてくれ。その大技とやらを次に撃てるまで、どれくらいの時間粘ればいいんだ?」
「十五分あれば十分だ。デカいヤツを練っている間も断続的に小さい攻撃は撃てるから問題ない」
すまんな、坊や。これ以上は付き合いきれん。
「分かった、火球は任せろ!」
俺はより強力な火球を放つため、右手で練っている最中の魔力の濃度を上げる。同時に左手に土魔法を発動させるための魔力を生じさせた。
よし、間に合った。
逃げる事も忘れて地面に伏せている二人に駆け寄り、
「二人ともしっかりしろ。今から岩の壁を造る。俺がいいと言うまでここから動くな!」
地面に魔力を流し込んで岩の壁を出現させる。高さ三メートル、幅五メートル、厚さ二メートルの岩の塊。
岩の壁に身体を隠して恐鳥の様子をうかがうと、目標物との間に突然現れた岩の壁に驚いた恐鳥が、岩の壁十メートル程のところで大きく減速して身体を起こすところだった。
火魔法なら十分に射程圏。
身体を起こそうとしている恐鳥の少し上に狙いを定めて、火炎系の火球を三発撃ち出す。
「火球が当たった!」
グギャーッ!
「おお!」
「命中したぞ!」
恐鳥の頭部から胸にかけて炎が燃え広がる。恐鳥は悲鳴を上げ、周囲からは歓声が上がった。
空中でよろめく恐鳥に不可視の攻撃が襲い掛かる。
恐鳥に向かって真っすぐに飛ぶ風の刃と、弧を描いて上下左右から回り込むようにして恐鳥をとらえる風の刃。
威力はたいしたことないが、不可視の攻撃が四方八方から襲ってくるので魔術を放った者がどの方向にいるのか特定しづらい。実戦では極めて有効な技術だ。
騎士団の魔術師でもあれを出来る者は少ない。
燃え広がる炎と四方八方からの攻撃に混乱した恐鳥は、よろめきながら距離を取った。
よし、いいぞ。そのまま離脱してくれ。
刹那、ニールたちが避難していた谷間で巨大な火柱が斜めに上がり、谷間のへと降下しようとしていた恐鳥を包み込んだ。
自分たちに襲い掛かっていた恐鳥が再び距離を取ったことで余裕が生まれたのか、大勢の視線が火柱に包まれて谷間の入口付近へと落下した恐鳥に注がれる。
今の、ニール、なのか?
火炎系の魔術が使えるとは言っていた。並外れた魔力を持っている事も知っていた。
だが、あれ程の火力は予想外だ。
羽根が焼け落ち、全身に
「ちょっと……今のなに?」
「な、なんだ?」
グ、グギャーッ。
苦しむ様子のわりに悲鳴が小さい。
炎に包まれている最中に息を吸い込んだな。あれは間違いなく
「今の、攻撃魔術なのか?」
「どんな化け物がいるんだよ、あそこには……」
驚きの声を上げた者はごく一部だった。大半の者は声も上げる事すら出来ずにいる。ただ、地面の上で苦しんでいる、大火傷を負った恐鳥を無言で見つめていた。
◇
◆
◇
加勢した二台の馬車から離れて谷間に戻ると、
「お疲れ様です、マクスウェルさん。一人で二羽の恐鳥を仕留めて、さらに二羽を撃退。お見事でした」
「旦那、やっぱりスゲーや。最初の二羽を同時に仕留めた瞬間なんて、鳥肌が立ちましたぜ」
相変わらず丁寧な口調のニールとすっかり砕けた調子のマーカスが、谷間の入口近くで出迎えてくれた。
「二人とも見ていたのか。随分と余裕があるじゃないか――」
最終的にニールが頭を吹き飛ばした恐鳥に視線を向けると、釣られるように二人も恐鳥の死体に目を向ける。
「――恐鳥を丸焼きにしたのには驚いたぞ」
「ああ、あれですか?」
「驚いたのはこっちですよ」
俺の言葉にニールとマーカスの二人がなんとも言い難い表情で視線を交わした。
「ニールが仕留めたんだろ?」
「確かにとどめを刺したのは私ですが……」
言葉を濁してマーカスと視線を交わすニール。二人のやり取りと表情をみていたら急に不安に襲われた。
「違うのか? ……なら、あの巨大な火柱は誰の仕業なんだ?」
◇
ニールとマーカスに先導されて谷間に入ると、大勢の乗客が怯えたような表情を浮かべ、寄り添いあうようにして集まっているのが目に入った。
「あの火柱は彼女が放った火炎系の火球によるものです」
そう言ってニールが視線で示した先――谷間の中ほどでは、姉のヒルダの胸に妹のシビルが顔をうずめて抱き合っていた。
抱き合うファーリー姉妹を乗客たちが遠巻きにし、ファーリー姉妹を背後にかばうようにして、ロザリーとベレスフォード夫人が乗客たちと対峙している。
「まさか、ヒルデガルドなのか?」
「違います。妹さんの、シビル・ファーリーさんの方です」
「おい、まさか皆が遠巻きにしている連中は、シビルを恐れて何か酷い事を言ったのか? ――」
あちらの駅馬車隊の護衛の一人が口にした『どんな化け物がいるんだよ、あそこには……』というセリフが脳裏をよぎる。
「――まさか、それでシビルが傷ついて泣いているんじゃないだろうな?」
ファーリー姉妹に向かって勢いよく歩き出すと、
「そんな事はありません。大丈夫ですから、落ち着いてください」
「旦那、心配は要りません。大丈夫です」
ニールとマーカスが慌てて俺に前に回り込んだ。
「皆さん、シビルさんを怖がってはいますが、特に、その、泣くような酷い事を言った訳ではありません」
「じゃあ、なんで――」
マーカスが俺の言葉を
「シビル嬢ちゃんの攻撃魔術を見てパニックになった乗客がいて……言っちゃったんですよ、その、『化け物』って」
「それで泣いているのか」
姉のヒルデガルドに抱きしめられ、その胸に顔を埋めたシビルに視線を戻す。
「それも違います」
「パニックになって『化け物』って口走った乗客にシビル嬢ちゃんがブチ切れちまったんですよ」
「切れた?」
おうむ返しに問い返した俺にニールが説明を始めた。
「ええ、切れました。ブチッとね――」
抱き合うファーリー姉妹にチラリと視線を向け、すぐに話を再開する。
「――事の
「突き飛ばされてシビルが怒ったのか?」
「いえ、その時は――――」
何とも言い難そうな表情でニールが説明を続けた。
▽
恐鳥に怯えて馬車の陰に隠れようと、自分たちのことを突き飛ばした壮年の二人の男に向けてヒルデガルドが語り掛ける。
「マクスウェルさんが張り巡らせた鋼鉄の線で守られています――」
一瞬だけ上空を飛ぶ恐鳥を見上げると、すぐに二人の男に視線を戻して穏やかな笑みを浮かべた。
「――恐鳥もここへは入ってこられません。ここは安全ですから慌てなくても大丈夫ですよ」
「あんな細い線、恐鳥の体重で簡単に切れるに決まっているだろ!」
「お前たちみたいな能天気な小娘の相手をしている暇はないんだ! そこをどけ!」
手前の男が威嚇するように右手を大きく横に振ると、後方にいた男が進み出てヒルデガルドを押しやるように身体をぶつけてきた。
「キャッ」
「お姉ちゃん!」
小さな悲鳴を上げてよろめいたヒルデガルドをシビルが支え、二人の男に抗議のまなざしを向けた。
「なんだ、小娘。文句でもあるの、うわっ、き、来たー!」
「ヒッ、か、隠れるぞ!」
「あー、情けない。恐鳥の影に怯えてピーピー泣き叫んで。恥ずかしくないのかしら? 挙句に女や子どもを押しのけて、大の男が馬車の陰で震えて」
そう言い放ったシビルの視線は谷間の入口へと向かう恐鳥を追っていた。
「こ、小娘が、何を言うか!」
「子どもだからと甘い顔をしていれば調子に乗りおって!」
怒声を上げて、二人の男が立ち上がろうとするその矢先、上空に向けて巨大な斜めの火柱が上がり、恐鳥を背後から吞み込んだ。
火炎系の火魔法。
放ったのはシビル・ファーリー。
巨大な炎に包まれた恐鳥が苦痛の悲鳴を上げて地面へと落下した。パニックが収まり静まり返った谷間に恐鳥が落下した鈍い音が響く。
この瞬間、何が起きたのか正確に理解出来た者はファーリー姉妹だけだった。
恐鳥に対して半身に構え、右手を突き出していたシビルが壮年の二人の男にゆっくりと振り向く。
二人に向けて差し出された、その右の手のひらには青白い炎が渦巻いていた。
「子どもだから何ですって? いいえ、そんな事はどうでもいいわ。消し炭に変えてあげる」
青白い炎の渦がシビルの美しい顔を明るく照らす。
△
「――――もの凄い高温の炎の渦を手にして詰め寄ったところを、ヒルデガルドさんが取り押さえてくれました。今も、なだめている真っ最中です」
そういえば、気の強そうな娘だったな。妹の方は……
「炎の渦はどうなった?」
予想はつくが念のためニールに確認する。
「突然、消滅しました」
「ヒルデガルドか?」
「まず間違いないでしょうね」
俺とニールのやり取りに続いて、マーカスが口を開く。
「詰め寄られた乗客の方はパニックになって、『殺される』だの『化け物』だのと騒ぎ立てたもんですから、それが他の乗客に広がっちまったんですよ」
あんな桁違いの炎の攻撃魔術を見せられた後で、炎の渦を手に詰め寄られたら
「もしかして、ベレスフォード神官の後ろに隠れているあいつらか?」
ベレスフォード神官の足元で腰を抜かしている壮年の男二人に視線を向ける。
「大当たりです、旦那」
なるほど、あれは泣いているシビルをヒルデガルドが慰めているのではなく、ブチ切れたシビルを取り押さえていたのか。
東門での盗難騒ぎが胸をよぎった。
あの姉妹の馬車を盗んで逃げた盗賊は命拾いをしたのかもしれないな。
自分たちの馬や荷物事吹き飛ばすような、オーバーキルの攻撃魔法をあの場で使おうとしたとは思えないが……慌てて止めたヒルデガルドの表情を思い返すと、否定しきれない。
もしかして、ヒルデガルドがあの魔力を霧散させる高度な魔術を身に着けたのは、もの凄く沸点が低い妹が居たから、ってなことはないよな?
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