第7話 うたた寝

 炎龍討伐作戦を実行する場所として師匠が選んだのが、ここアルノー火山地帯。

 辺りには蒸気が立ちり、鼻を突く硫黄の臭いが立ち込め、高温の岩から解放された熱が景色を歪めていた。


 その高温の岩に横たわった師匠が口を開く。


「マックス、見事でした。貴方のお陰で炎龍を倒せました」


 師匠の視線の先に目を向けると、そこには頭部を完全に破壊された巨大な炎龍の死骸が横たわっていた。


「師匠! グラハム師匠!」


「泣くんじゃありません。我々は炎龍を倒したのです、王国を、この世界を救ったのですよ。胸を張りなさい」


 優しく微笑む師匠の左腕と胸から下は炎龍に食い千切られ、傷口は炎で炭化している。無事な胸から上と右腕も、いたるところが焼けただれていた。


「光魔法、光魔法で治りますよね」


「さすがにこれは無理です。肺の一部を蘇生しましたが、長くはもちません」


「俺、俺が治します。ありったけの魔力で治します!」


 光魔法で治療を試みるが、回復する様子はなかった。当たり前だ。宮廷魔術師にして王国随一の光魔法の使い手である師匠でさえ、諦めたんだ。

 頭では分かっていても、それでも尚、魔力を注ぎ込む。


「短い間しか教えて上げられなかったのが残念です。本当に申し訳ありません」


 死の間際だというのになぜそんな穏やかでいられるのか分からなかった。

 理解できない。


「そんな事を言わないでください。俺の事を見捨てないでください」


 誰もが、親でさえ扱いに困った俺の能力を、畏怖の対象でしかなかった力を『素晴らしい』と誉めてくれた。

 二年間、まだ二年しか教わっていない。


「視界が暗くなってきました。私はたくさんの死に立ち会ったので分かります。もうお別れです」


「師匠、私は貴方に教わらなければならない事が、たくさんあります。私を……導いてください」


 涙が流れる。大恩ある師匠の顔が涙で霞む。


「そうですね、まだまだ心配です。君は目を離すとすぐに怠けるから」


 涙で滲んで表情はよく分からないが、いつもの様に穏やかにほほ笑んでいるのがその口調から伝わって来る。


「師匠! 諦めないで! 『最後まで諦めるなって』、口癖だったじゃないですか!」


「ありがとう、マックス、ゴフッ――」


 師匠は言葉を途切らせて咳き込むと、口に当てた右手が真赤に染まる。俺は何も出来ずに、その様子をただ茫然と涙を流して見ているだけだった。


「――ひ、とつ、お願いが、あ、あるんですが、聞いて、く、くれません、か?」


「はい、聞きます! 何でも言ってください!」


「これは、私とティムしか、し、知らない、秘密なん、です――」


 師匠とティム・ネルソン連隊長しか知らない秘密。その響きに身体を雷撃に撃たれたような錯覚を覚えた。

 どれ程の秘密なのか想像も出来ない。己の鼓動が耳に響く。


「――私には、隠し子、がいま、す」


「は?」


 あまりに場違いなセリフに耳を疑った。

 俺の戸惑いなど気にも留めず、師匠はその焦点の定まらない目で虚空を見つめたまま淡々と話を進める。


「娘、が成人、するまで、十五歳に、なるま、ででか、構い、ません。か、陰、ながら、見守って、くれませんか? こ、んな事、ティムと、君に、しか頼め、ません」


「何の話をしているのでしょうか?」


 抑揚のない声が響いた。自分の声なのに、どこか遠くで響いているように聞こえる。


 隠し子だって? 師匠に? あれ? 師匠、奥さん――マーガレットさんにはお子さんはいませんよね?

 それに、側室もいなかったはず。

 

 マーガレットさんと相談して子どもの存在を秘匿ひとくしたのか? それを知っているのは腹心であるティム・ネルソン連隊長だけ。

 ありえる。

 師匠の任務を考えれば、妻子に危険が及ぶ可能性だって十分に考えられる。


 師匠の奥さん、マーガレットさんの優しい笑顔が脳裏をよぎる。

 自分に子どもが無いからか、俺の事を何くれと心配してくれた。気遣ってくれた。そう思っていた。お腹は空いていないか、怪我はしていないか、辛くはないか、と気遣ってくれた。

 

 あれは、俺を通して遠く離れた我が子を思いやっていたのか。

 それを思うと胸が締め付けられる。


「ちな、みに、妻の、マーガレット、の子どもでは、あ、ありません――」


 この状況でさらなる爆弾発言。隠し子だけでも十分に驚いたが、更にその先があったのか!


「――ろ、六年、前から、マーガレットに、内緒で、あ、会っていた、女性が、います」


「嘘ですよね?」


 聞きたくなかった。尊敬する師匠があの優しいマーガレットさんを裏切っていたなんて。俺の親父と一緒じゃねーか!


「マ、マーガレットを、悲しませた、くないので、内緒に、して、おいてくださ、いね」


「絶対に言いません」


 言える訳ないでしょう、墓場まで持って行きます。


「あり、が、とう。き、君は、私の、最高、の弟子、です――――」


 △

 ▲

 △


「うわっ! どうしたんですか? 何か嫌な夢でも見たんですか?」


 ニールの声が妙に耳に響いた。


 夢? そうか、俺はいつの間にか眠ってしまったのか。

 ニールの科白せりふで自分が眠っていた事を理解した。十年前の事を夢に見て跳ね起きたようだ。


 落ち着いて馬車の中を見回すと、ファーリー姉妹とロイ・ベレスフォードの奥さんが驚きと不安の表情を俺に向けていた。


「驚かせたようだな、申し訳ない――」


 移動中の馬車の中。

 窓に視線を向けると、夕陽で真赤に染まった空が見えた。十七時くらいか。どうやら二時間近くも眠っていたらしい。


「――ちょっと、昔の夢を見ていたようだ」


「そろそろ、野営の準備に入る頃です――」


 ニールが、同乗している他の乗客――ロイ・ベレスフォード夫妻、ヒルデガルド・ファーリーとその妹のシビルの事を気にするように言葉を選ぶ。


「――私もロザリーさんの予想と同じ意見です」


 東門前の広場にいた怪しげな連中。昼時に確認したときにはきっちりと追跡して来ていた。この駅馬車を狙っているのは最早もはや疑う余地もない。

 問題は襲撃がいつ行われるか、だ。ニールとロザリーの二人は今夜にもヤツラが仕掛けて来ると考えていた。


 俺ものその意見に賛成だ。そうなると、次は誰を信用して協力を求めるか、だ。

 ロイ・ベレスフォード夫妻は、仮に協会の不正人身売買に関与していたとしても、安っぽい盗賊の片棒を担ぐとは考えづらい。ファーリー姉妹にしても盗賊の手引きをしているとは思えない。


 この馬車の同乗者は取り敢えずの味方と考えてみるか。


「護衛をどう思う?」


 同乗者に聞かれる事を気にせずに話し出した事に、ニールは一瞬驚きの表情を浮かべるが、すぐに気を取り直して返事をする。


「駅馬車隊が雇った護衛は優秀ですし、怪しいところはありません――」


 確かに今回の護衛は当たりだ。


「――ですが、今回は味方とは考えない方がいいでしょう。信用できるメンバーだけで対応した方が、結局はいい結果を得られます」


 キョトンとしている女性三人をよそに、ロイ・ベレスフォード一級神官が反応した。


「広場でこちらの様子をうかがっていた男たちですか?」


「お気づきでしたか。昼過ぎに確認したところ、我々の事を追跡して来ている一団がいました。恐らくは広場にいた連中とその仲間だと思われます――」


 案の定、女性三人――ロイの奥さんであるシルビア・ベレスフォードとヒルデガルド・ファーリー、シビル・ファーリーが怯えた表情を浮かべる。

 視線をベレスフォード神官から三人の女性に移して、穏やかな口調を心掛ける。


「――もちろん、悪意を持って追跡して来ている、と決まった訳じゃない。警戒だけは怠らないようにしよう、ということだ」


「先程、護衛の皆さんをあてにしないような話をしていましたが?」


 ベレスフォード神官が俺とニールを交互に見ながら問い掛けると、ちょっと困ったような顔をしてニールが答える。


「これは経験上ですが、極稀に護衛に付いた冒険者が盗賊の仲間という事があります。もちろん、護衛の皆さんに疑わしいところはありません。ただ、その、用心に越した事はないと思いまして……」


 そう言って苦笑いを浮かべた。

 聖職者を前にして、証拠もないのに他人を疑う訳だから、そりゃあ、自然と言葉も濁るよな。


「ベレスフォード神官、我々の命もですが、同行する人たちの命も懸かっています。ですので、どうしても慎重になってしまいます」


 フォローを入れると、ベレスフォード神官はゆっくりとうなずく。


「賢明な判断です。私にも皆さんの命を守る手伝いをさせて下さい――」


 ベレスフォード神官はそう申し出ると、左手で彼の幼い奥さんの肩を抱き、右手で教会騎士団の団員の証となる、紋章の入った長剣をかざして見せる。


「――こう見えても教会騎士団に所属しているので、腕には覚えがあります」


「では、協力して盗賊を撃退しましょうか」


 俺はファーリー姉妹を安心させるため彼女たちに見えるよう、余裕の笑みを浮かべてベレスフォード神官に右手を差し出した。

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