第8話 罠
夕食を終えた俺たち――俺とニール、ベレスフォード神官夫妻、ファーリー姉妹にロザリーを加えた七人は、本来の野営地から二十メートル程街道を戻ったところで足を止めた。
地面は岩盤が適度に交じって硬く、周囲は開けていて見通しがいい。
視界を遮る高低差のある場所までもっと近い西側の岩場で五十メートル、東側の岩場までで八十メートルといったところだ。
「この辺りに罠を張るか」
俺の提案にニールとロザリーが即座に同意を示す。
「あまり離れても
「左右の岩場までの距離も手ごろだし、風向きもいい感じ。おあつらえ向きですよ」
六十三人の武装集団が夜陰に紛れて寝込みを襲うという、およそ作戦とは呼べないような攻撃を仕掛けて来る事が予想される盗賊に対して、こちらは囮と罠を設置して待つ。
囮に引っ掛かったところで、魔法と飛び道具による遠距離攻撃で仕留める。
その囮と逃亡防止の罠を仕掛ける場所として、ここを選んだ。
「『囮を用意する』と言われましたが、まさか我々七人が囮ですか?」
ベレスフォード神官が、不安そうにしている女性陣に代わって聞いて来た。
ニールとロザリーには作戦の内容と俺の特技を教えていたが、他の者たちは知らないので不安になるのも分かる。
「まあ、見ていて下さい」
口元に笑みを浮かべてそう言うと、地表に右手をついて大地に魔力を流し込む。
地面が低い音を伴って小刻みに震える。
「キャッ」
「な、何ですか?」
「怖い……」
ファーリー姉妹が小さな悲鳴を上げて抱き合い、ベレスフォード夫人がベレスフォード神官の背中に隠れるように身を寄せた。
「マクスウェルさん、一体何を……」
緊張したようすのベレスフォード神官の声が途切れた。
構わずに魔力を注ぎ込み続けると地面が盛り上がり、大柄な男性程の岩の
次の段階へ進む前に周囲に視線を巡らせるが不審な気配も魔物や人のものと思われる魔力は見えない。
ニールは俺以上に周囲に向けて警戒の視線を巡らせている。
ロザリーに視線を向けると、警戒よりも驚く四人の方に興味が向いているのがすぐに分かった。ベレスフォード神官をはじめとした四人を楽しそうに見ていた。
予想通りだな。
俺は内心で苦笑しながら、さらに魔力を注ぎ込む。
岩の塊は次第に丸みを帯びて岩の彫刻へと姿を変えた。毛布を掛けて横たわっている俺自身を模した岩の彫刻だ。
続いて、寝相の悪いニールの彫刻を作ろうとする矢先、ベレスフォード一級神官の緊張した声が耳に届く。
「いったい、何をしたのですか?」
作業を中断して声のする方を見上げると、思索的な灰色の目を見開いて蒼ざめるベレスフォード一級神官の顔が月明りに浮かんでいた。
「土魔法を使った俺の特技です――」
そこら辺の本職の彫刻家と比べても、
「――器用なものでしょう?」
「いや、マクスウェルさん、器用という言葉で済ませるような魔術ではないでしょう。これ程精密に土魔法を操れる魔術師など噂にも聞いた事がありません」
「恥ずかしいから、誰にも言わないでくださいよ」
そう言って中断していた作業を再開する。
寝相の悪いニールの彫刻に続いて、寄り添うように寝るファーリー姉妹、さらに静かに眠る夫人を月明りの中で見守るベレスフォード神官、と次々と岩の彫刻を造成していった。
「凄い!」
「嘘、信じられない」
「なんと素晴らしい」
彫刻を作成している間は押し黙っていたが一通りの作成終えると、ファーリー姉妹とベレスフォード夫人から驚きのつぶやきが漏れた。
「信じられないだろうが、この特技を活かして彫刻家になる事を夢見た時期もあったんだ」
「マクスウェルさん、素晴らしいです。これなら今すぐにでも彫刻家になれますよ」
俺の軽い冗談にベレスフォード夫人が即座に反応し、
「こんな素敵な彫刻初めて見ました」
「本当、そっくり」
食い入るように彫刻を見ていたファーリー姉妹が、さらにため息を漏らした。
「例えばこれ、君たち二人の彫刻だ――」
自分たちの彫刻を興味深げに覗き込んでいたファーリー姉妹に声を掛ける。
「本物の芸術家なら出せるだろう、生き生きとした躍動感がない」
「そんな事ありません。私の母は魔道具職人でしたので、私も芸術的な細工を見る機会がたくさんありました。マクスウェルさんの作った彫刻はそれに負けていません。服の質感とか細部まで素晴らしい出来です」
ヒルデガルドが真っすぐに見つめ返す。
「そうか? 俺には君たち姉妹の美しさや愛らしさの、百分の一も表現出来ていないとしか思えないんだがなあ」
男から褒められる事に免疫がないのか、ヒルデガルドの真剣な表情は一瞬にして戸惑いの表情に変わった。
「え? あ、あの、ありがとう、ござい、ます」
「ありがとうございます、嬉しいです!」
対照的に妹のシビルの方は少しだけ恥ずかしそうにしてはいるが、嬉しそうに笑みを浮かべていた。
二人の姉妹の声に交じって、ニールの呻く様な声が背後から聞こえた。視線を向けると、ベレスフォード神官を見るような目で俺の事を見ている。
あれは絶対に誤解しているな。
「ねぇ、マックスの旦那、私の彫刻も作って下さいよ――」
俺とファーリー姉妹との間に強引に割って入ったロザリーが、猫撫で声で腕を絡めて来た。
「――それで私にも『君の美しさの万分の一も表現出来なかった』って言ってくださいよー」
百分の一から万分の一に変わっているぞ。
「ロザリー、時間が無いんだ。さっさと罠を完成させないとならないから、邪魔はしないでくれ」
「うう、冷たい。旦那は私にだけ冷たい」
◇
「まさかこの短時間に人数分の彫刻を作ってしまうとは――」
ベレスフォード神官は力なく笑いながら、
「――これを
「これと、後は馬車の彫刻を三台作成します。馬車と我々六人の彫刻が囮です。その後で罠を用意します」
「聞くのが怖いですね」
「大丈夫ですよー。優しい罠を用意していますから」
ベレスフォード神官とロザリーのかみ合わない会話はさておき、皆に向けて罠の説明をする。
「盗賊は風下から近づいてくる事が予想されるので、風下に向けて微量の
俺の傍らに立っているロザリーが、麻痺薬の入った小さな革袋を目の高さに持ち上げてほほ笑む。
「麻痺薬……ですか」
ヒルデガルドが強張った表情で真っ先に反応した。視線は麻痺薬を持つロザリーでなく俺に向けられている。
「ロザリーさんは薬師でしたか」
「はい、若いけど実績はあるつもりです――」
ロザリーがベレスフォード神官の言葉を深読みして答える。
「――病気や怪我の治療薬だけでなく、冒険者として魔物の討伐で利用する薬もお手のものですよ。騎士団の討伐隊にも同行した事があります」
「まあ、騎士団の討伐隊に! それは素晴らしいです」
「その若さで騎士団の魔物討伐に同行するとは頼もしいです。よろしくお願いします」
夫人が感嘆の声を上げる側でベレスフォード神官が人の好さそうな笑みを浮かべて右手を差し出した。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「シビル、何でもないの。薬を使うって聞いたから……盗賊たちと戦っている間に魔物が来たらどうするのかな? ってちょっと気になっただけよ」
ヒルデガルドの視線がロザリーの持つ薬の革袋から俺へと移った。
あの強張った表情と悲しそうな瞳は、魔物と戦う上で薬の効果範囲を気にしてなのか、麻痺した盗賊たちを気にしてなのか。さて、どっちだ?
「もし魔物が途中で襲ってきたら、そのときは動きの悪くなった盗賊たちを守りながら魔物を撃退するさ」
「盗賊たちを助けるんですね?」
「え? 盗賊たちを動けなくするんじゃないの?」
「使う薬は弱いものだ。調整もしてあるし動けなくなる事はない」
シビルの質問に答え、それが間違いでない事を示すようにロザリーへと視線を向ける。
「動きが鈍る程度ではあるけど、後ろにいる護衛たちと戦えない程度には動けなくするから大丈夫よ」
「こちらの命を奪おうとする相手だ。殺すのを躊躇うつもりはないが、無駄な殺生をするつもりもない。抵抗しないなら捕縛はするが、命は助けるつもりだ。それは魔物が襲って来ても変わらない」
「魔物から守ってあげるんですね」
念を押すようなヒルデガルドの言葉に静かに首肯する。
「盗賊とはいっても同じ人間だ。犯罪者だろうと、こちらの作戦で身動き出来なくなった者たちを見捨てる事はしない」
彼女の表情が変わった。安堵のため息と共に優しく穏やかな表情を取り戻す。
「素晴らしい! マクスウェルさん、ご立派な心掛けです」
瞳を輝かせたベレスフォード神官が俺の手を取った。
「ありがとうございます。一級神官であるベレスフォード神官に褒められるとは光栄です」
「お恥ずかしい話ですが、昨今では教会でも慈悲の心に乏しいものが増えております。こう言っては失礼ですが一般の方でそのような心根の優しい、志の高い方とお会いするのは久しぶりです」
「褒めすぎですよ、ベレスフォード神官――」
助けを求めようとニールとロザリーに視線を向けるが、ニールはわざとらしいくらいに周囲の警戒に忙しそうな素振りを見せ、ロザリーは『甘ちゃん』と口の形を作って見せた。
だめだ、孤軍奮闘かよ。
「――作戦はまだ先があるので説明を続けても構いませんか?」
「おお、これは申し訳ない」
手を放して夫人の下へと戻るのを確認してから、説明を再開する。
「もう一つの罠は落とし穴です。軽い爆発で穴が開く程度のものを俺が土魔法で作成します」
天を仰ぐベレスフォード神官に夫人が再び抱きつく。俺の眼前にいたファーリー姉妹がそのエメラルドグリーンの目を大きく見開いた。
さて、そろそろ土魔法の精密操作から魔力量へと、驚きと感心が移って来たな。
一般の人に驚かれるのは慣れたが、『収納の指輪』に長距離旅行の道具や移住に必要な道具を詰め込めるような魔力量の持ち主に驚かれるのは久しぶりだ。
◇
その後、俺が必要な岩の彫刻と落とし穴を作成し終えると、ロザリーが香に混ぜて麻痺薬を焚く。
「さあ、これで準備完了ね」
最後の香に火をつけると、パンッと手を叩いて上機嫌で振り向いた。
さあ、後は盗賊がのこのことやって来るのを待つだけだ。
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