断章・二口女

錦木

断章・二口女

 この世には食らわれるものと食らうものがいる。

 それが逆転するのは難しいことのように思われるがその皿は簡単にくつがえる。

 食べられるのは嫌だろう。

 虐げられるのは嫌だろう。

 だから、私は食べる側に回る。


▢▢▢

「ねえ、聞きまして?」

「あの人があんな性格でしたとは」

「本当人とは見かけによらない物でありますわね」


 いつも聞こえるかしましい声。

 女というのは大抵噂好きだ。

 そして醜聞ゴシップほどよく広がる。


「ねえ、瓜花子りかこさん」

「……ええ、何?」


 あらぬ方を見ていた私は級友の声に振り返る。


「あのお嬢様、誰かしら。初めて見かけたのだけど」


 しずしずと指さす方には美少女が立っていた。

 確かに見たことがない。

 透き通るほど白い陶器のような肌の細面、その中で紅をさしたように赤い唇。

 どこを見ても抜きん出た美しさだったが、一番目を引いたのはその少女の瞳であった。

 夕焼けが眼に反射しているのだろう。気の強そうな吊り目は金色に煌めいて見えた。

 木の陰に立つ姿は何か幻想的な陽炎かげろうのようで。

 そう、まるで人ではないようなあでやかさ。

 はっと私は我に返った。


「どうせ転入してきた方でしょう。だから見たことないんだわ。別に珍しくもないでしょう」

「でも……」

「ほら行きましょう」


 名残惜しそうな級友をせっついて私は足早に歩いた。

 雨でも降りそうな鈍色にびいろに曇っている空の下、いつまでもこんなところにいたくはなかった。


▢▢▢

 面白くない。

 そう、面白くない。

 私が通っている女学校は地主の箱入り娘、はたまた名家の令嬢などが集う。いわゆるお嬢様たちだ。

 そういう中で私は少し毛色が違っていた。

 事業に少し成功しただけの父が見栄張りで進学させたのだ。

 最初は私も誇らしかった。

 でも、それはすぐに劣等感に取って代わった。

 やれ新しい靴だの、髪留めだの香水だの金持ちの娘は持ち物を取っ替え引っ替えして自分を飾る。

 それに引き換え私は入学したときから靴さえ替えたことがない。

 誰かに何か言われたわけではない。噂を耳にしたこともない。

 でも、それが自分では気になってだんだん私は苛苛いらいらし始めた。


「見て、清子せいこさまよ」

「今日もお美しいわねえ」


 ため息交じりの声に私は振り向いた。

 同じ級の清子。

 清純可憐という言葉は彼女を示すために作られたのではないかというほど美しい。

 人には一つや二つ醜聞があるものだ。だけど、彼女の噂は耳にしたことがなかった。

 見目麗しく、学芸に秀で、名家の生まれ。

 私にはない。平凡な私には何一つ。

 そんな彼女が私はねたましかった。

 だから、ないなら作ればいいと思ったのだ。

 噂はすぐに広まった。

 影では人の悪口を言っている。

 物を盗る癖があるらしい。

 さらには春を売っていると。

 噂というのはどんどん尾鰭おひれがついて広まっていくものだ。

 作られた醜聞は瞬く間に拡散した。

 そして彼女はぽつぽつと教室に出てこなくなった。

 ざまをみろ、と思った。

 これは周りに今までちやほやされてきた罰なのだと。受けて当然の報いなのだと。

 同級生たちと同じように彼女の身を案じるふりをしながら私は心の内でわらっていた。


▢▢▢

 本当にうまくいった簡単なものね。

 そう思いながら廊下を歩いて寮に向かっていたときだった。


「もうし」


 声をかけられた。

 前と同じ風景。

 木の陰に少女が立っていて。

 こちらをじっと大きな瞳で見つめている。

 その目は夜も近いのにやはり金色。


「どうして……」


 そうだ、あの日だって。

 夕焼けの色を写していたのではない。あのときの空は鈍色だった。


「なにかよいことでもありましたの?」

「え」

「だって、うまくいったと仰っていましたでしょう。ねえ」


 くすり、と袖で口元を隠し優雅に笑みを浮かべたかと思うと、その口調が一変した。


「女ってのは醜いものだあな。それでお前は何を言われた?」

「なに、って……」

「白々しいぜ、お嬢さん。そうだその顔だいい顔だ。何を言われたか俺に話してご覧。大丈夫。ここには俺しかいないから誰も聞いちゃいない」


 高飛車で地の底から響くような低い声はまるで呪文のようにするすると頭の中に巻き付いていく。

 やがて、私は言葉を吐き出した。


「頭の……。後ろで声がするの」

「うん。それで」

「最初は気のせいだと思った。そう思おうとした。でも、それは直ぐに自分が言われていることだと気付いた」


 あの子恥ずかしくないのかしら。

 お家お金ないんでしょう?本当はこの学校に入る資格なんてないのに。

 どこにも取り柄なんてないのに、ねえ。


「このままだと私は食われると思った。黒い物に食われて何もなくなってどん底。そんなのはいや」


 私はぶつぶつと唱え続ける。


「だから、食べられる側より食べる側へ回ってやろうと思ったの」


 私は顔を上げる。

 そこには真暗闇に婉然えんぜんと立っている少女の姿が見えた。


「なるほど。殊勝しゅしょうな心がけだな。それでどうなった?」

「どうもこうも成功よ!邪魔者はいなくなって気分がいいし、わざとらしくちやほやする相手がいなくなって教室の空気も少しはましになったんじゃないかしら。これからも気に入らないものがあったら私は食い破ってやるつもりよ。噂を流してね」

「そうか。時にお前。その頭の後ろから聞こえる声はなくなったのか?」

「え。ええ、そうね。噂を流すようになってからは。特に気にならなくなったわ」

「噂を流すようになってからは、ね」


 その時少女の口が耳まで裂けるようににい、と開かれたのは私の見間違いか。


「なあ、お嬢さん。頭の後ろに触れてみろよ。そこに何があるか。そうさそこに答えがある」


 わけのわからないことを言われたがなんだか不安に駆られて私は頭のてっぺんから後ろを探ってみる。

 なに?こぶのようなものができている。

 それを触った瞬間肉が割れた。

 ぱかりと箱のように開いたそこから飛び出した鋭いものが私を噛んだ。


「いやあ!」


 慌てて手を引き抜く。

 幻じゃない。

 肉を直に触ったぬるりとした感触、粘膜ねんまくを滑る感覚があった。


「なっなんなのよこれ……」


 手にはべったりとよだれのようなものがついているが、幸いに食い千切られるには至らなかったようだ。

 ばけもの?私が?

 あまりのことにくちをぱくぱくと金魚のように開け閉めする私に美少女は言った。


「嘘や悪口を吸い過ぎて育ってしまったんだな。ただでさえ怪異は人間の負の感情が好物だからな」

「あなた……何を言って」

「まあ仮に名を当てるなら二口女。お前についた怪異だ」

「怪異……?」

「まあなんでもいいや」


 少女は口を開いた。

 ぎざぎざとした鋭い歯が並んでいる。

 獣だ。

 いや、この少女は。少女に、見えるものは。

 化け物。

 食べられたくない。

 そう私は食べる側。

 食べて、食べて、そうこれからも。

 だが私は動けなかった。


「悪い子だ」


 ちろりと赤い舌がのぞく。


「なあお前はうまいかな?お前を食ったら俺は満足するかな?お前を食ったらもっとお前たち人間のことをれるかな」


 何を言っているのか。

 もはや私は逃げることすらできず膝が崩れて座り込んだままだった。


「いただきます」


▢▢▢

暗間くらま、どこ行ってたの」


 そう言って勝ち気そうな目をした少女はつんと真っ黒な――、出で立ちも髪も同じ漆黒の色をした男を見据えた。


「悪い悪いちょっとおやつを探しにな」

「ほんっとあんたって……。いつも何か食べてないと落ち着かないの」

「俺のことを探していたのか。可愛いやつだな」

「そんなんじゃないから。呼びかけても答えないから、私のいないところで面倒でも起こしてもらったら私が困るの。あんたが戻ってきたことだしもう家に帰るわ」

「じゃあ俺もついて帰ろうかな」

「あんたは私から離れられないんだから帰るしかないんでしょ」

「そうとも言える」


 クハハ、と笑って暗間は言った。


「なあ、千代ちよ

「なに」

「お前気に入らないやつがいたらどうする」

「それあんたのこと?」

「一般論だよ。お前の通っている女学校にも嫌みなやつの一人や二人、いや手に余るほどいるだろうに。なにせ年頃の女なんだからな」

「そんなの突っかかってきたら正面から迎え撃つわよ。あんたが何言ってるかわからないけど」

「そっかそうだよな。お前ならそう答えるとこの俺は思っていたぜ」

「嫌みのつもり?」

「足踏むなよ。これでもめてるつもりだぜ?なんならかしずこうか?」

「いやよ、人の往来で。あなた存在自体が邪魔なんだから少しそのでかい図体を小さくしていたら?」

「まったく乙女心はよくわからねえな」


 女学校の門を通り過ぎる。

 幼いとも大人ともいえない笑い声が響いて、消えた。

 暗間はひっそりとひとりごとを口にする。


「俺は概念的なものも喰えるんだな。秘めた思いがあるなら俺の元へおいで。お前の口を塞いで誰にも言えない乙女心ってやつをいただいてやるから」


 赤い舌で口の端をなまめかしくめて。


「秘密ご馳走さま」


                 了

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