第7話 虹色

 それから俺は篠崎さんと持田くんに、夢の事を話した。昔からなぜか、以前住んでいたマンションが夢に出てくること。そこは幽霊マンションだったので、怪奇現象の尽きる事の無かった、そのためそうした夢を見ているのだろうと思っていること。……しかし、ある時から夢の中に少女が現れるようになったこと。


「その女の子はアルビノなんだ。それで、ウサギのぬいぐるみをいつも大事そうに抱えている。」

「まんま毎日不思議の国のアリスを繰り返しているみたいね。」

「だとしたら、どこかしらのタイミングで脱出ができるはずじゃ……。」

「あ、それだと、毎回目が覚める時に世界が揺れて消えるって言うのが共通してる。」

「うーん、なんだろう……その女の子が一番印象的なんだよね? 」

「ああ、そうだけど……。でも、人が出てきたらそれが一番印象に残るのは当たり前じゃないか? 」

「……私も、正直似たような経験が無いわけではないけど。でも、その子だけが印象にのこるっていうのも何か意味があるんじゃないかなと思う。」

「……なんでそう言い切れる? 」

「だって、ライオンの唸り声に凶暴なサルでしょう? 自分に身の危険が迫っているのにその印象は残らなくて、道路上で同じくライオンに追い詰められている少女にそれだけフィーチャーして記憶が残るって、不思議だと思わない? 」


と、そこに影が差す。いつの間にか近くに人が来ていたらしい。


「なんだい、面白そうな話をしているね。」

「あ、恩田先生。」

「持田くんはリハビリの時間だよ。優紀ちゃんはレントゲン。」

「はぁーい……良いところだったのに。」

「わかりました……。」


不承不承と言った風に散っていく。この人は恩田先生。この病室にいる三人の主治医だ。

気さくで、若くて、爽やか。……まるで佐々木のように。


「それで、何か悩み事でも? 」

「ああ、……お時間、大丈夫ですか。」

「うん。こいつが鳴るまではね。」


ひらりと呼び出しのためらしい機械を振って見せる。


「じゃあ、お言葉に甘えて……。俺、なんだか変な夢を見るんです。」


               〇


哲也は、何とか首を左に向け、恩田に固定してもらったタブレットを弄って、タンポポについて調べていた。恩田に話を恥ずかしながら打ち明けた時、じゃあ、その子を攻略するにはまずタンポポを調べてみるのがいいんじゃないかな? とアドバイスを受けたのだ。

哲也としては、どちらかというと色彩的な意味合いを考える方が重要そうな気はするのだが……。


ざっと調べてみると、タンポポについて少しずつわかってきた。

別名、鼓草。江戸の頃にはすでに存在し、日本に生息するその種類は凡そ十種ほど。花言葉は、「真心の愛」「愛の神託」「神託」「別離」。

そして誕生花となる日付の中で、目についたのは——三月、二十三日。


本当は、本当は哲也だって薄々気が付いていた。あのウサギのぬいぐるみも。「ママはよく知っていてよく語り聞かせてくれた」という言葉も。——タンポポに固執する、その理由も。


わかっていて、わからないふりをしていた。本当に、どこまで行っても、駄目な奴だ、俺は。


つう、と涙が伝って落ちる。後悔と悔恨が実体を持って現れる。そのまま、ゆらゆら視界は揺れて輪郭を失っていった——。


                  〇


四月一日、水曜日。


哲也は二〇九号室、その玄関内に立っていた。現実で流した涙は、今もなお止まっていない。とめどなく出てくるものをそのまま放置しながら、家を見て廻る。

今は錆色だが、物置にトイレ。キッチン。居間。和室、クローゼット。洗面所、お風呂。そして——子供部屋。


やはりと言っては何だが、少女は子供部屋に一人佇んでいた。こちらに背を向けて、ウサギと遊んでいる。その小さな小さな後姿に、どうしてこうなってしまったのだろうかと、問いかける当てもない疑問が頭をもたげた。


「——それは考えても仕方のないことよ、パパ。」

「……やっぱり、君だったんだね。僕とみやこの、子ども。」

「そうよ。パパったら全く気が付いてくれないんだもの。やきもきしちゃったわ。」

「それで、最近はピリピリしていたのか。」

「もうすぐで堪忍袋の緒が切れるところだった。」

「はは、ぎりぎりセーフか、良かった。」


しん、と一瞬静まり返る。少し気まずくて、小さくて可愛いベッドに背を預けて座った。ベッドの木材がギシリと音を立てた他には、音が無い。


「……それで、たんぽぽの件は理解した? 」

「あ、ああ。みやこ——君のママは、タンポポが好きだった。よく俺にも聞かせてくれていたよ。それでお腹にいた君にもママは話して、それを聞いていたってことだろう? 」


この世に生れ落ちる前に召された君の、数少ない、思い出だ。だから。

どうにか、その言葉は飲み込んで堪えることができた。


「——それだけじゃないわ。」

「やっぱり? 」

「もう、出し惜しみしないで。ここにいられるのも時間の問題だってわかっているでしょう? 」

「あ、ああ、そうだな。君がタンポポに拘るその理由は——『真心の愛』という花言葉」

「っそうじゃ、」

「うん、それもわかってる。」

「何よ遊んじゃって。」

「悪い悪い。それで、君がタンポポにこだわる最大の理由は——ママが大好きなあの花が誕生花になるはずだったからだろう、菜々。」

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