第4話 白


 それから少し意識のはっきりしている時を見計らって、医師が説明しにやって来た。曰く、俺は運転している途中に横から一時停止無視の車に突っ込まれたらしい。通行人が救助を試みたものの、足が挟まって上手く救助できなかったそうだ。事故相手はその間、真っ青な顔で腰が抜けて何もできなかった、と。


ざっくりのあらましではあるが、その付近の記憶が飛んでいる哲也にとってはそれで十分だった。今回はもうお腹いっぱい勘弁して。といったところである。


——ああ、そういえば、もう少しだからがんばれと鼓舞してくれていたあの男は通行人だったのか。

哲也は素直に、凄いな、と思う。今の怪我の様子からして車内も大変なことになっていただろうことは容易に想像がつく。そこに怖気づかず、果敢にも救助にやってきた……。自分にはきっとできない善い行いだな、と自嘲する。


ああ、そうそう。もちろん車も廃車だ。運転席側から突っ込まれて。ぐしゃりと変形したそれはもう当然ながら使い物にならなくなってしまった。みやこと共に乗ったあの車とも決別の時が来たというわけだ。


ちなみに哲也の怪我の状態と言えば、頭に擦過傷、打撲、砕けたガラスによる切り傷。右腕と肋骨、右大腿骨の複雑骨折、左足脛の骨折。左半身の打撲。

——文字通り、全身ズタボロだった。まるで動けやしない。ただできる事と言ったら、眠る事。それだけだった。


                  〇


「げぇ。また来たの。」

「よう。そんな言い方ないだろう。」


少女に物凄く嫌な顔をされるが、仕方がない。現実の俺は全く動けず睡魔に襲われやすいことを考えれば、仕方がないというものだ。


「こっちに来ないように、って言ったのに、性懲りもないのね。」

「? ここはただの俺の夢だろう。それをなんでそんな風に言われなきゃいけないんだ。」


そうだ、そのはずだ。現に夢占いは当たっていたし、このマンションは以前実際に住んでいたマンション。心霊話と相まってこんな不気味な仕上がりになっている——ただそれだけ。そのはずだ。

すると少女はきっ、とこちらを鋭い目つきで見上げて、ぬいぐるみ越しに何かをごにょごにょと呟いた。


「うん? なんて言ったんだ、今。」

「なんでもない! なんでもないの! 」

「いいじゃんか、君は俺の夢の住人だ。それくらい教えてくれよ。」

「もうっそんな調子だから嫌なのよ、もっと疑うってことをして頂戴! 」


そういって少女はぼふんと顔にウサギの後頭部を押し付ける。すると心地よいふわふわ具合に誘われてか、すうっと意識が遠のく——。


                〇


 パラ、パラ、と穏やかにページをめくる音がする。なんだろう。

不思議に思いながら目を開けると、そこには成績を張り合っていたあの佐々木景人が椅子に腰かけて、本を読んでいた。いるはずのない人物に呆気にとられていると、佐々木は流石に気が付いて本を置く。


「霧島さん! 体調はどうですか。」

「……良いと思うか? 」

「それはご尤もでしたね。」


思わずと言った風に佐々木は苦笑する。二言三言ばかり話して、沈黙が下りる。ただ鳥のちゅんちゅんといったさえずりと、ガラガラと点滴台を転がす音だけが響く。

——静かだ。こいつはこんなにも静かだったろうか。


職場にいたころの記憶を思い出す。確かしょっちゅう同期の猪端とふざけて、上司の粕谷さんに怒られていたっけ。いや、ふざけて、じゃないな。正しくは多分、巻き込まれてだ。そういえば朝礼に出損ねて大目玉食らっていた日もあったような。……あの頃は俺も元気で、みやこもいて。幸せだったなぁ……。


ぼんやりとした考えをそのままに、佐々木に目をやる。すると意外にもこちらをただじっと見つめて待っていた。


「……どうした? 何かついているか? 」

「いえ。ただ、気分は悪いわけではなさそうだな、と安心したまでです。」

「お前、そんな殊勝なことを言うやつだったっけ……。」


なんかほら、いつもこう、猪端とわいわいやっているだろ、と言ってみると


「あれは巻き込まれているだけなので! 誤解です! 」


などと必死に弁解するものだからつい笑ってしまった。肋骨が痛い。

痛む姿を認めて、即座に佐々木はナースコールを押した。……早とちりにも程がある!

すぐに看護師がやってきて、「どうしました⁉ 」などと聞いている。俺自身はさらに笑ってしまって肋骨が痛いというのに、「突然苦しみ始めてしまって、」とおろおろしてさらに追い詰めてくる。正直、今ここで殺す気かと思った。


「い、いえ、わら、ちゃ て、ろっこつ いた、 」

「ああ、なるほど。」


お見舞いの方、一つお伝えしておきますね、と前置きをしてけがの状態を説明して看護師は去っていった。佐々木は恥ずかしいのか、ゆで蛸のようになっている。いい気味だ。


「はー、もう今ここで殺されるのかと思った。」

「く、詳しく知らなかったんだから仕方ないじゃないですかー! 」


ひいひい言って笑いが収まった頃合いに冗談を飛ばすと、むきになって反論してくる。なるほど、確かにからかいたくなる奴だ。猪端の気持ちもわかるというものだ。


「それにしても……命が無事でよかったです。」

「んー……そうだな。俺自身はその辺事故の記憶が無いから実感が薄いんだが……」


そこでふと、少女の泣きっ面が脳裏をかすめる。


「とりあえず、生きていてよかった、とは思えるよ。」

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