佐藤神の大大大冒険

在都夢

第1話 ケンゴさん←死んじゃったよー(ノ_<)

 一 ケンゴさん←死んじゃったよー



 好きで好きでたまらないものがあってそれが何かと問われると汚くてとても言いにくいんだけど、それはクズだった。

 何というか自分がそうだから親近感を感じちゃってるのかもしれない。でも私にとって大事なクズはたくさんいて、その中でもケンゴさんは一番の友達で、かつどうしようもない酔っ払いが吐いたゲロみたいな存在だった。実際アル中だからゲロばっか吐いてるけどね。

 アル中が原因で奥さんと離婚して自暴自棄になったケンゴさんは万引きを繰り返したらしい。それもお酒ばっかり。自分を不幸に陥れた毒の水なのに止められないんだね。その時は捕まらなかったらしいけど今度は火事で家が焼けちゃった。自分のタバコが元火らしい。それでケンゴさんはもー完全にぶっ壊れて、道ゆく人に泣きながらキスをして抱きしめた(男女関係なく!)。お酒を口移しで五、六十人に飲ませまくって、「ありがとう! ありがとう!」って謎に感謝してた。さすがにケンゴさんは捕まって、二年くらい刑務所にいた。出て来るときにはミイラみたいに干からびていて、でもお酒はやっぱ辞められなくて、近所の人に嫌がられながらも中央公園でお酒を飲んでいたのだ。

 中央公園のジジイといえばケンゴさんで、小学生でも知っていた。

 みんな知ってたけど誰も話しかけなかった。

 だからケンゴさんは孤独で今にも死にそうだった。遊んでいる子供たちを遠くから落ち窪んだ瞳で見ているのだ。ため息をつき、垢まみれの手をすり合わせ、黒いジャンパーに顔を埋めて、絶望したように動かなくなる。でも意外としぶとくて日々を何とか過ごしてた。

 私の大好きなクズがここにも! ということで私はケンゴさんに話しかけ、友達になった。最初はびっくりしてたけど私がいかにケンゴさんと仲良くなりたかったかを説明すると、孤独のケンゴさんは喜んで友達になってくれた。彼の宝物の家族写真も見せてもらえた。彼はまだ家族に未練たらたらで、「俺はあいつらを愛してるんだ!」とぐびぐびお酒を飲みながら言っていた。ウンウン家族って大事だよねー。私は割と感動した。で言う。「愛してるって言えるってすごくない?」

 ケンゴさんは黄ばんだ歯を見せて笑う。

「普通だろ別に。だって愛してるんだ。言わなくてどうすんだよ」

「確かに」私は頷く。

「言葉にしなきゃわかんねーんだよなあ」とケンゴさんはどっかで聞いたことがあるようなことを言う。

「私、ケンゴさんのこと好きかも」

 だって友達じゃん?

「おめえ、学生だろ馬鹿」

 と照れたように顔を背けるケンゴさんを見るのは昨日が最後で、もっと色んなことを話しておけばよかった。私は噴水の中に吹っ飛んでいるケンゴさんの生首を見て思う。


 生首はでろーんと舌を出していて、笑っているように見えるけど、眉間にシワが寄っている。怖かったのかもしれない。安らかに死んだとは思えない。私は噴水の縁にガツガツぶつかっている生首を水から出してあげる。生首になったケンゴさんが私を見返す。じっと見つめていると何だか気持ち悪いので地面に置いておく。

 ケンゴさんの胴体は非常口のマークみたいな感じで、噴水の側に倒れていた。

 私はビシャビシャヌルヌルになった手をハンカチで拭いて、非常口マークの前にうんこ座りする。

 やっぱ殺人だよなあ。

 通報するか迷う。迷うけど気持ち的には通報したくない。みじめなケンゴさんのみじめな死体を他の人に見せたくない。野次馬とか来ちゃって、ホームレス死亡とかツイート拡散されまくってまとめサイトにも晒されるっていう世界の遊び道具にさせたくない。

 ていってもどうしよう。

 私そもそも刑事でも探偵でもないし。つーか死体。隠すのだってどうすんだ。埋めるにしたってスコップすらない。そこまで考えたとこで知らない人が、この状況を見たら私が犯人だって勘違いしちゃうことに思い至る。やばいやばい。胴体と首が離れてしまった猟奇殺人の犯人扱いだ。真っ赤な夕焼けをバックに死体(ケンゴさん)を見下ろしている犯人←私。すごいキマッている......あー馬鹿みたい。馬鹿だけど。

 ケンゴさ〜ん。

 どうして殺されちゃったんだよう。

 何か殺されるほど悪いことしたの?

 いやしてないでしょ。あの人は自分で自分の家族をぐちゃぐちゃにしちゃったけど、今はこうして世捨て人だ。ほとんど誰とも関わっていないし、迷惑だってかけていない。きっとケンゴさんは面白半分で殺されてしまったのだ。世界が自分のものだと思い込んでいるイキりまくりのヤンキーとか、人を殺しちゃったらどんな感じになっちゃうのかなあとか想像力のかけらもない快楽殺人鬼とかに殺されたのだ。

 メラメラする。

 ケンゴさんの仇をとりたい。

 犯人をケンゴさんの目の前まで連れてきて、土下座させてから殺してやりたい。

 私は決心する。


 ケンゴさんのことはとりあえず警察に任せて、家に帰る。チャリで十五分くらいの我が家。佐藤家。築五十年のアパート。錆びた階段を上がって鍵を開ける。誰も帰って来てない。ま良いや。私はお風呂場でシャワーを浴びる。冷水で。燃え盛っていた気持ちと体温が冷えていく。誰も帰ってないってことは、勝手に食ってろデイってことだ。私はお風呂場から出ると、カップ焼きそばを食べることにする。

 カップにお湯を入れて、ぐでえっと横になってると、かやくを入れてないことに気づいた。あ、やば。ポカしてしまった。結構ダメージ受けてるんだなあと自覚する。そりゃそーか。ケンゴさん死んじゃったんだし。

 二分半くらいでお湯を切って、カチカチのかやくをソース、マヨネーズと一緒にぶち込んで、混ぜる。麺を一気に口に含んで、ファンタオレンジで流し込む。シュワっと喉を炭酸が通る。

 かー。

 うまい!

 安いなあ私。人が死んでるのに、こんなので満腹幸せ感じちゃって。もっとしおらしくしてた方が良いんじゃないの? うーん。まあ、私がお腹一杯になることと故人をどう思うかは関係ないか。というわけで麺をすするすする。この体に悪そうなインスタント食品を食べるってのがたまらない。あっという間に食べ終わる。でもまだお腹が空いてるので棚に置いてあるお菓子を適当につまむ。カントリーマア〜ム。これもうまい。五個食べる。切らしてたと思っていた雪の宿が一個残っていたのでそれも食べる。ばりばりばり。

 絶対太るよなあ......。

 罪悪感を感じながらお風呂に入って、速攻で出た後によれたTシャツと短パンに着替える。あぐらをかいてぐらぐら揺れていると玄関がガチャガチャ鳴った。ああ、鍵閉めてたんだ。「開けろ」と聞こえたので私は急いで向かって鍵を開ける。

「お母さんおかえり」

 と言う私の横をお母さんは無視して通りすぎる。器の小ささがむしろ好きだ。

 その後ろからチャラそうな男がやってきた。チャラそうじゃなくてチャラいんだけど。ピアスとかガンガンに開けちゃってるし、鼻にも埋め込んでる。タンクトップで刺青アピールしてるし。

 チャラ男が言った。

「これ誰」

 お母さんがバッグを投げ捨てながら答える。

「娘娘」

「ふーん」

 チャラ男が私のことをジロジロと見る。胸のとこで一旦止まってそこから顔に移った。

「かわいいじゃん」

 独り言のつもりかな。丸聞こえなんですけど。

「何、高校生?」

 チャラ男が私じゃなくお母さんの方を向きながら言う。

「うん高一」

「名前なんつーの?」

「アンジェリーナ・ジョリー」

「え、まじ。ばかみてー」チャラ男がゲラゲラ笑う。

 私もそう思うしでも別に今は何も思わないかも。散々言われてきたからね。いやいややっぱり佐藤神(さとうアンジェリーナ・ジョリー)ってヤバいでしょ。人間に付ける名前じゃないよ。しかもそんな唇厚くないし。絶対初見の人はさとうしんとか、さとうかみって読むよ。

 お母さんがチャラ男の言葉を聞いてムッとした顔をした。それを見て私はほんわかする。お母さんはアンジェリーナ・ジョリーに誇りを持っているのだ。彼女を崇拝するようになった時からお尻の上ら辺に英語でアンジェリーナ・ジョリー神って彫ってあるし、子供には同じ名前を付けようと決心して、実際に実行するぐらい誇りを持っているのだ。お母さんにとってアンジェリーナ・ジョリーは神で尊敬するべき女性でヒーローでヒロインでエロい象徴で黒幕で進むべき道を示してくれる恩人なのだ。

 だからお母さんは言う。

「馬鹿にすんなよ」

 チャラ男はキョトンとニワトリみたいに首を振った。お母さんがキレてる理由を探そうとしている。

「え、何が」

 お母さんはチャラ男を睨みつける。

「アンジェリーナ・ジョリーをだよ」

「え、何怒ってんの?」

「怒ってねーよ」嘘だー。

「ごめんてごめん」

 チャラ男はとりあえずって感じで謝った。でも多分本物のアンジェリーナ・ジョリーか私の名前か、どっちに謝ってるのか自分でもわかってないと思う。

「嘘だろそれ? マジで思ってないでしょ」

 お母さんは歯の上で舌を転がして、クチュクチュと音を出した。多分無認識なんだろうけど、不機嫌なときの合図だ。

「いやマジマジ。許してよー」

 チャラ男が手を合わせた。だけど私もお母さんもチャラ男の目が笑っていることに余裕で気づく。はー何だかなあ。やっぱりチャラ男はチャラ男だなあ。何でもかんでも真面目にできないししようともしないからチャラ男なんじゃないの? まあお母さんも沸点低すぎるけどね。お母さんはチャラ男にティッシュの箱を投げつけて言う。「出てけクソボケっ」チャラ男はまだヘラヘラしてたけど、お母さんが次に包丁を投げつけてきたので慌てて逃げ出した。あーあ包丁、壁に刺さってるよ。

「ほんと萎える男だわー」

 お母さんが言う。

「ツラだけ良くしても駄目だわ。あんなクズ連れて来るんじゃなかった」

 お母さんは文句を言いながら、ぱっぱと服を脱いでいく。もう三十路なのにほっそりとしていて、弛んでるところとかどこにもない。大きな目でまつ毛長くてシュッとしている。かっこいいし笑うと可愛い。そのおかげで今もこうして男をとっかえひっかえして連れ込んだり殴ったり刺したりできるんだ。お母さんの頭は十代の頃からちっとも変わっていなくて、食う寝る遊ぶしかない。中々のクズだよね。

 ガサゴソと音がした後、振り返るとお母さんが怖い顔で立っていた。

「オメー食ったろ?」

「うん?」

「雪の宿、最後だったんだぞ。何勝手に食ってんだよ」

「あー、ごめんなさい。食べちゃった」

「ごめんじゃねーよボケっ」

 お母さんは私のお腹を蹴る。痛い。本気じゃん。

「謝れボケっ」

 さっき言ったじゃん。

「ごめんなさい。新しいの買って来るから」

「別にいらねえ」

「そう? 買って来るけど?」

「いらねえってつってんだろ!」

 お母さんはまた私のことを蹴る。蹴って踏みつける。何度も何度もそうする。そして呟く。「くそうぜえ、何こいつ?」娘じゃ〜ん? 全く私じゃなかったら児童相談所呼んでるよ。児童じゃないけど。いやあれ? 高校生って児童かな?

 お母さんの白い足が離れるのを見計らって私は言った。

「ご飯食べた?」

 お母さんはむっすりとしつつも、「食ったよ。リョージのクソと」と言う。お母さんは沸点が低い代わりに冷めやすくもあるのだ。こっちが普通にすれば、普通になる。これは私が五歳の時に気づいたことで、お母さんはうじうじしている奴が大嫌いということだ。お母さんは小さい私も簡単にぶん殴った。それで私が泣くと、「うるせえ泣くな」と言ってさらに殴る。私はどうしたら殴られないようになるか必死に考えたけど、そんな方法はなくて、結果発見したのはこの人は暴力を振るわずにはいられないということ。私がお母さんの拳に怯えていると、お母さんは舌打ちを私に聞こえるようにする。それで私が「ごめんなさい」と言うと、「何に謝ってんだよオメエ」って私を殴る。スプーンで頭を殴られたこともある。結構硬かったから、頭がパックリ割れちゃって、五針縫った。ドロドロ〜っとあまりにも多く血が出てきたので、私は脳みそが出てきちゃったと勘違いしたっけ。お母さんはそんな時も「ああ〜だり〜」ですませた。

 以来私は痛がるのをやめた。そうするとお母さんは少なくとも追加攻撃はしなくなった。通常攻撃は山ほどするけど。


 毎晩遊んで昼過ぎまで寝ていられる仕事なんて私には想像がつかないけど、とりあえずお母さんはそういう仕事をしているのだった。寝ているお母さんは静かなもので、正しく死んだようだ。私はパラパラーって教科書をめくってさらさらーって数学や英語やらの宿題を解く。

 私は寝ているお母さんの顔が好きだ。じっくり見られるし、変わることもない。変わらないのが大事。お母さんの顔を見ていると、自分の分身を見ている感じになる。若々しくて何も変化しない顔。どん底っていうのがいいじゃん。私の大切なクズたちにもいつまでも変わらないでいて欲しい。ケンゴさんは死んじゃったからね。


 私はこう見えても学校休んだことがなくて、皆勤賞なのだ。でもだからと言って別に誰か褒めてくれるわけでもないけど、コツコツ記録を伸ばしていくうちにこの記録を途切れさせたくないと半ば執念で通い続けてる。

 なのにそれは潰える。チャラ男のせいで。

 チャラ男は私が家から出てきたすぐ側でバンを停めていて、筋肉もりもりの仲間たちと一緒に私を中に引き摺り込んだ。思わず「あれー?」って 素っ頓狂な声が出てしまう。ウィーンとドアが自動でゆっくりと閉まっていく。ガングロな手が私の口を塞いで叫べないようにする。目を動かすと、チャラ男の他に三人いた。運転席と助手席に一人ずつ。後部座席にチャラ男、私、ガングロが。ガングロは私の首に舌を這わせた。バンが走り出す。これってアレかあ。拉致誘拐しかるのち強姦かあ。

 チャラ男たちは一仕事終えたみたいな感じで力を緩める。チャラ男が戯けた様子で言う。「どもおー昨日ぶりじゃん。君のお母さんがヤらせてくんねーから代わりってことで。よろしく!」ゲラゲラとチャラ男以下三名が笑う。私も笑う。「は? 何笑ってんの?」チャラ男が言う。「あのう。もしかして昨日逃げてからずっとスタンバってたの? こんな朝早くから?」チャラ男が一瞬固まって、さっきよりも大きな声で笑う。仲間たちも同調する。誤魔化してんなあー。わざとっぽい感じでどつきあってる。「かっこ悪いーリョージ」「うるせー。お前だってJ Kとヤリたいだけだろうが」うへへえへええへへへえへへ。こういうクズは嫌いだなー。だって報われてなさがないじゃん。人生を棒に振ってないじゃん。いや振ってるかもしれないけど、こいつらは楽しそうだし。でもそれなら振っていることにはならない。虚しさが足りない。全然ない。

「リョージどうすんの?」運転席の男が言う。「じゃあ、人いなさそーな適当なとこ停めて」「運転しながらヤれば良いじゃん」「やだって、酔うし」「だせー」チャラ男が意気込んだ風に言う。「うるせーな。やるっつーの」チャラ男はベルトを外し始める。

「うわっあぶっ」

 運転席の男が急ハンドルを切った。

 人を轢きそうになったのだ。

 車はどじゅあああんと悲鳴みたいな音を出しながら、どこかの家の塀にぶつかって止まった。エアバッグが作動している。それに顔を埋めている運転席と助手席の奴に後部座席から飛んできた私と、ガングロ、チャラ男はぶつかった。痛かったけどなんとか死ぬことを免れた。

 隙を見たり。

 私は痛がっているチャラ男たちの間を這うようにして抜け、ドアを開ける。あ、チャラ男が気づく。必死そうな声で叫ぶ。「ヤベーっ通報されんぞ!」いやいやそこですか。

 チャラ男が私を捕まえようと手を伸ばすと、上から誰かがぐしゃっと踏みつぶした。

「いでええええっ」

「レイプップ〜楽しいね〜。クソボケコラ。お前ら三丁目で掘られてきたら良いんじゃね?」

 そう言う彼女はうちの高校の制服を着ていて、大の男三人相手に凄んでいる。私はその顔に見覚えがある。守川はなだ。


 守川はなはハーフだから女子なのに背がすごい大きくて百八十はあるし、なんかいっぱい格闘技とか習ってるらしくてめちゃくちゃ喧嘩が強い。喧嘩が趣味みたいなところがあって、上級生だろうが男だろうが女だろうが、とにかく売れる相手がいたら突っ込んでいくのだ。もちろん多勢に無勢で負けることもあるけど、絶対に諦めることはないし、骨が折れようが何しようが、それ以上の暴力で相手にやり返す。右腕をナイフで刺された時に、守川はなは刺された右腕で金槌を持って、やった奴らの両手両足をぼきぼきに折った。私もたまたま見ていて、うわーグロ! と思った。手足が青くなってくねくねしてるし。ヤンキーたちが「ふぃーんふぃーん」って泣いているのはちょっと面白かったけど(ヤンキーも泣くのか)。でも、「お前ら、もっと仲間呼んで来いよ。呼ばねーと、玉潰すぞ」と守川はなが言って、実際に潰したのは流石に見ているこっちも身の危険を感じたので、逃げた。

 守川はなは私の記憶にある通りの凶暴性を発揮した。

 指が折れて、痛がっているチャラ男を放置して、ガングロを車から引っ張り出した。優しさすら感じられる口調で守川はなは言う。「おい、大丈夫か。ほら、血が出てる」

「え? うん」

 ガングロは戸惑っている。

「絆創膏貼るから動くなよ」

「え? うん」

 守川はなはガングロの額に絆創膏を貼ると、後頭部を持って車に叩きつけた。ガツーン。車が揺れている。「一発かよ。つまんねえ」気絶しているガングロを、守川はなは、なぜかもう一回叩きつけてから手を離した。

 そこからはあっという間で、守川は残りの二人を車から引っ張り出すと、完膚なきまでに叩きのめし、叩きのめした後にもう一度自分と戦わせた。フラフラ〜って、もはや立っているだけなのに、ボディーにジャブ! ジャブ! まるでサンドバッグを相手にしているみたいだった。チャラ男のことも忘れていなくて、顔をコンクリートに押し付けてジョリジョリ往復させた。痛そー。チャラ男の鼻は魔女みたいにひん曲がり、顔中から血が出ていた。

「これに懲りたらもうレイプとかやめろよ」守川はなは笑顔で言った。チャラ男たちはブンブン首を縦に振る。

「オーシオシ」

 守川はなはチャラ男の腹を蹴り上げた。チャラ男が転がる。それで守川はなは興味を失ったみたいで、私の方に歩いてきた。

「怪我とかしてるか?」

「大丈夫っぽい」

「あ、傷できてんじゃん。ほら」

 と守川はなは私の気づいていない、ほっぺたの傷を見つける。膝を折って私に絆創膏を貼ろうとする。

 思わずさっきの、ガングロのことを思い出してしまう。怖いパターン。優しくしておいてぶん殴る奴じゃん。私は手で顔を覆う。「大人しくしろって」守川はなが言う。そのまま私の手をどかして絆創膏をササっと貼ってしまう。あれっ。意外と優しいじゃん。というか最初から私を助ようとはしていた。あまりにもお母さんそっくりな暴力の人だったので、色眼鏡的なもので見てしまっていたのだ。

「ありがとう守川さん」

 私は言う。

「あ?」守川はながぱっちりとしたディズニーキャラみたいに大きい目を細める。「名前言ったっけ?」

「守川さん有名だから」

「あ〜そう? ま、そうか」

 納得したご様子の暴力の人。

 よかったよかった。

 守川はなは私をチラリと見て、言う。

「助けてやったんだから、付き合えよ」

「どこに?」

「マックでいいや。朝飯食ってねーんだよ」

「学校は?」

「サボっとけ。な?」

 守川はなは私の肩に手を回し、笑った。あのさあ......「もうレイプとか」云々とおんなじ笑い方なのは完璧脅してるよね? まあ良いかあ。恩人だし。つかいつの間にやらチャラ男たちは車ごと消えている。残ったのはチャラ男とその他の血だけだ。あ、壊れた塀の家の人が出てきて「なんじゃこりゃ!」って叫んだ。いやいや私は関係ないですよ悪いのはチャラ男です。

 守川はなが私を連れてズンズン駅に向かって歩いていく途中で言う。

「そういや、お前の名前って?」

 私は私の素晴らしく偉大で尊敬すべき究極的な名前らしい名前を言う。

「佐藤アンジェリーナ・ジョリーだよ」

 私は守川はなの大大大大大爆笑を聞きながらマックに入った。


 守川はながフィレオフィッシュとダブルチーズとテリヤキとポテトとナゲットとコーラを喉に流し込んでいる。私はそれを吐きそうになりながら見ている。食べ過ぎて太るっていうよりはもはや糖尿病を心配した方が良いレベル。バーガーたちを上下の歯で一息に押し潰してあ〜幸せ〜って顔を守川はなが浮かべる度に食欲がなくなってくる。でも別に彼女はデブでもないし、喧嘩ができる健康体そのものなのだ。

 私がポテトを三分の一も食べてないうちに(スモールです)守川はなは自分のを全部平らげて、「お、それくれよ」と言って、私のポテトを私のケチャップに付けてガガガーっとほとんど処理してしまう。別に良いけどさあ。私、ポテトと白ぶどうしか頼んでないんですけど。

「いっぱい食べるね」

「成長期だからな。まだ伸びてんだよ」

 守川はなが言う。

「すご。やっぱハーフだから?」

「まあな、お袋アメリカ人だし」

「すご」

「すごくねえよ、アホか」

「すごいよ。そんだけ背があったら何でもできるんじゃない。バスケとかバレーとかラグビーとか」

「全部スポーツじゃねーか」守川はなは言う。「球技なんか興味ねーよ。球弄って何が楽しいんだ」

 男の球は潰していらっしゃったようですが。

「あはは、いろんな人に怒られちゃうよ」

「知るか。全員ぶん殴ってやる」

 ちょっと凶暴すぎるよこの人。私は時計を見て、「ちょっとうちのクラス二限から数学のテストあるんだよね。これ逃すとヤバいっていうかあ......助けてくれてありがとう」と財布から守川はなの分のお金を出して外に出ようとするけど、彼女の手が素早く伸びて私の右腕を掴んだ。「付き合えって言ったよな」

「付き合ったけど」

「学校サボれとも言ったわ。いいから黙って付き合えって言ってんだよ。ぶん殴るぞ」と女子っぽくないゴツゴツした分厚い拳を私の頬に軽く、チョンと当てる。すごいフェザータッチって感じなのに、本当に殴られた瞬間が頭の中で予測できてしまう。きっとぶばああんあべしっぐしゃぐしゃあああああって奥歯が抜けて前歯は全部吹っ飛ぶと思う。

 守川はなは残ったコーラをゴキュゴキュ飲み切る。私はその間これからどうされるんだろうとか考えていて、実はここまでは上げてから下げるための準備期間で守川はなは私に落差によるダメージを与えようとしているんじゃないかと嫌な想像をする。

「来いよ」

 守川はなのディズニーお目々が私を射抜く。

「はい」


 私を待っていたのはめくるめく地獄的暴力世界なんかじゃなくて、もっと健全な世界だった。守川はなは私を殴ろうとしなかったし、口汚く罵ったりしなかった。嘘。ちょっと罵った。

 行ったのはカラオケだった。守川はなは私のことをほっぽりだしてずっとブルーハーツ歌っているし、そうなっちゃうともうしょうがないから私も歌い出す。私と彼女で交互に歌う。二人だけだったから休む暇なんてない。守川はなはめちゃくちゃノリノリで、正直音程が外れていたりしたけど気持ちよさそうに歌っていて、私まで楽しくなってデュエットもしたりした。何時間くらいいたかな? 十時ちょい過ぎから入ったから多分七時間以上はいただろう。で私は途中で我に返って、私何こんなとこでやってるんだろうなー友達でもない人と、学校サボってまでとか思っちゃうけど、守川はなが私の分の飲み物まで運んできてくれるので、嬉しくなってどうでもよくなる。「わーありがとー」「いちいちお礼とか言うなよ、きもいから」「うんありがと」そんな応酬をして、「はあ」と守川はなはため息をつく。そのついでにLINE交換したりする。

 守川はなは別に私が思うほど暴力的ではなかったし、人に気遣いができたり優しくできたりする普通の女の子だった。いや一般的な尺度から見れば普通ではないかもしれないけれど、人として普通ってことだ。

 喉が枯れ果てて、もう歌えないってなったからそろそろ解散しようかって話になったときに守川はなは、

「悪かったな。無理矢理連れてきて」と言った。

「ううん。別にいいよ私も楽しかったし」

「暇だったんだよ。中学からの友達とかあたしが高校に上がってから全然絡まなくなったし、それにうちの高校そこそこ偏差値いいだろ? あたしのことヤンキーだと勘違いしてる奴多すぎてさぁ、ずっとぼっちだったつーわけ」

「いやどう見たってヤンキーでしょ」

 そう私が言うと守川はなは「うるせえな。喧嘩してるだけでヤンキーっておかしいだろ」と笑って私のことをこづく。わあ! 仲いい友達みたいだね嬉しいなぁ。

「アンジェリーナの家ってどこよ?」

 彼女はずっと私のことをアンジェリーナと呼んでいる。佐藤じゃなくてアンジェリーナ。聞いた話だけど人のことを苗字を呼ぶより、名前で呼んだほうが、仲良くなれるらしい。守川はなはそのこと意識していたのかって結構気になる。もしあっていたら面白いかも。

「商店街の近く」

「んー結構遠いなぁ」

「遠いって何が」

 私が聞くと、

「いやあたしんち。駅またいでるからさぁ。結構遠いのよ」

「ふーん」

「つーかさぁアンジェリーナ。お前今日、あたしんちこいよ」

「今日?」

「うん」

「え〜......」

 別に何かあるわけじゃないけど、何となく面倒くさい。さっきまではすごく楽しかったんだけどなあ。勢いで流されているうちはそのまま着いて行ったと思う。でもちょっと冷静になってしまった今は、私の家に帰りたくなってきている。なんか疲れたし眠くなってきたし、お腹が空いてきたし。

 どうやって断ろうかなー。

 私はキレるなよ〜と思いながら断ろうとすると守川はなは、

「ああ、うん。やっぱいいや。また今度な」

 とあっさり言った。

 え?

 そんな嫌そうって顔してた?

「門限とかあんだろ? 知らねーけど。無理強いはもうしねーよ」

 守川はなは良い感じに勘違いしてくれたけど、何だか申し訳なくなってくる。結構名残惜しそうだし、遊び足りないって感じだ。

 まだ見ぬ守川はなの家を想像する。きっとタワーマンションでお金持ちだ。彼女の部屋にはプレステとエックスボックスとWiiとWii Uと映画のDVDがたくさんとワンピースが全巻あって、いやワンピースはないかも。それで八時くらいまで私たちはぐだぐだ遊んで、ひょっとしたら夕飯までご馳走になっちゃうかもしれない。守川はなの美人なお母さんとうちの娘談義したりしているうちにイケメンのお父さんが帰ってきたりするかもしれない。守川家に私は認知されて、すっごく家族ぐるみの付き合いとかなるかもしれない。

 あるかもしれないし、ないかもしれない。

 でも私はお母さんのことを思い出して行くのをやめる。

「うん、また今度ね」と私は言った。

 守川はなは「そんじゃあな。また明日」と返した。別に怒っていなかった。

 なんかすごい一日だったなー。レイプされかけたと思ったら、喧嘩番長に助けられて半日カラオケして友達になるってなー。

 なんか良いなー。

 私は守川はなのでっかい後ろ姿が人混みに消えていくまでを見てから家に帰る。

 そう。私は家に帰る。

 お母さんと私だけの家に帰る。

「ただいま」

 私は言う。居間の奥から何か聞こえている。お母さんが誰かと電話で話している。

「うそ、ごめんなさい。そんなつもりじゃないの。許してね許してちょうだい。でも本当に私の望みはそれだけなの。ね? 難しいことじゃないと思うわ。あなたが言ったことは全部する。だから......」

 お母さんが汚い言葉を使っていない。私が知る限り、お母さんがちゃんとした言葉遣いになるのはお父さんだけだ。だから電話の相手はお父さんだ。

 お母さんが私を見て、すぐに視線を外す。iPhoneへ捲し立てるように言う。

「え、え、ちょっと待って、切らないで。まだ......」

 通話が切れたようでお母さんは持っているiPhoneを床に叩き付けた。あーあ画面割れたよ。

 浮気してる癖にまだ未練たらたらってどうなの?

 私は洗面所に向かって手を洗った。ジャージャー水を出していると、唐突に頭の中で光が弾けた。

 鏡に傘立てを持っているお母さんが映っていた。

「てめえのせいだ」

 若干錆びているその傘立てはアパートに最初から置いてあったもので、お母さんはそれで私を殴ったのだ。

「てめえのせいで一樹は戻ってこないんだ」

 お母さんはそう言って、傘立てをまた振り下ろした。

 うわあ。お母さんそれちょっとまずいんじゃない? 傘立てって結構重いし硬いしもうそれって立派な武器だよ。

 私は頭を守るために左腕を犠牲にすることに決めて(右利きだから)ガードし続けた。ガツンガツン。

 洗面台の下で体を丸め込んだ。でも赤黒くなってきたし、痛みの中で支え続けるのも限界だったので私は左腕を下ろしてしまう。

「しゃあっ! こらっ! てめえ死ねっ! こらっ!」

 うーんやば。

 私は洗面所から廊下に逃げ出した。洗面所の硬い床にぶつかって、がっしゃんって具合に傘立てが折れた。

 ハイハイで逃げる私にお母さんが飛びかかってきた。

 お母さんは私に馬乗りになって、左手で私の顔をつかんで自分のほうに向けさせた。

 お母さんは怒っていた。怒り狂っていた。たまに怒りすぎて涙が出ちゃう人とかもいるけど別にお母さんはそんなことはなくて、純粋に怒りの感情だけを私に向けていた。犬歯とかむき出しで笑ってるように見えるから、あーなるほど確かに笑うのって威嚇だわって私は思った。

 私は歯を食いしばる。防御のほうに意識を向けているか向けてないかでだいぶダメージが違うからね。

 お母さんは私も私以外の人にも、理不尽な暴力を行ってきたその拳で私を殴る。

 しっかりと痛い。

 長年の積み重ねで人の殴り方ってのがよくわかってますなあ。

 ガツガツガツガツ飽きないのかな。いや飽きないだろうなぁ。この人にとって暴力は感情表現の一種なような気がする。

「お母さん痛いよ」

 私は思わずそんな声を出していた。

 あ、しまった、痛がっちゃった。

「てめえ〜」

 お母さんの目の色が変わった。ギアを一段階上げたのだ。

「馬鹿にしてんのかよ。そんなの当たり前だろ! 痛くしてやってんだからよお〜! あたしのこと馬鹿だと思ってんのかよ〜ぶっ殺すぞ」

 お母さんは私の鼻頭を殴りつけた。私の体はプロレスのリングに投げ込まれたかのように跳ねる。

「てめえこのやろう。少しはやり返してもしてみろよララみたいによおおあっ」

 いやララクロフトはそんなことしないしされないでしょ。

 つーか実の親だよ? 殴れるわけないじゃん。

「お母さんやりすぎだよ私死んじゃう」

 私はかすれた声で言った。

「うるせえーっ指図するんじゃねー、そんなら死ねよ」

「私が死んだらお母さん捕まっちゃうよ?」

「......」

 私のこの発言はお母さんのギアを最大まで上げてしまう。

 お母さんは割れた傘入れの破片を使って私の頭に穴を開けようとした。

 破片が鈍く光った。

 私は折れた左腕も使って全力で抵抗する。お母さんが人殺しになって刑務所に何十年も入っていて欲しくない。

 だってお母さんは私のお母さんでこの世にただ一人しかいない大切な存在なのだ。決して代わりはいないのだ。血がつながっていなくても家族とかそういう場合はあるかもしれないけど、たとえ私のところに娘に嫉妬しなくて暴力を振るわなくて優しくて普通のおしゃべりが出来るようなお母さんがやってきたとしてもそれは私のお母さんじゃないのだ。

 何というか感情が溢れちゃって私は右手でお母さんを抱きしめる。

「おかあさ〜ん」

 大好きだよ〜ぎゅ〜。

 私が小さい頃にお母さんは私の名前の書き方を教えてくれた。まだカタカナがよくわかってなくてアンジェリーナ・ジョリーが書けなくて、悔しくて泣いている私に、お母さんは「平仮名で書いていいよ」と言ってくれたのだ。あんじぇりーな・じょりー。私はそれを覚えている。小さい頃から暴力を振るわれていたけど、そんな中でも大切にしまっておきたいエピソードはいくつもあって、お母さんはまるきりまともなところがないわけではないのだ。機嫌が良い時はご飯だって作ってくれるし、誕生日だって祝ってもらえるのだ。やっぱ暴力なくて優しくて普通にお喋りできるお母さんが欲しいかも。部活なんかで試合に応援しにきてくれる感じの。でもそんなお母さんはいらない。欲しくない。暴力のないお母さんは、もう別人だから、優しくされたって嬉しくないのだ。私は今のお母さんに優しくされたい。

「お母さ......」

 ガツンっ。傘立ての破片が直撃した。はいはいもうどうしようもないね。

 血を流している私を見てお母さんは「気持ちわりぃ」とつぶやき、どこかに行ってしまう。酷い言い草だけど、まあ納得できる。白目を剥いて陸に出た魚みたいにピクピク痙攣しているのは確かに気持ち悪い。

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