第4話 家主のいぬ間に……
人型に戻った花奈は服を着ないまま、家の中央と思われる廊下に立っていた。
床に手を当て、妖力を込める……。
すると結界魔法陣が展開され、夕翔の家全体が結界に囲まれた。
——よし、これで保護と隠匿は完璧。あとは……。
リビングに戻った花奈はドッグフードが入った袋に手を突っ込み、鷲掴みにして口へ何度も運ぶ。
口いっぱいに含んだドッグフードを急いで咀嚼し、皿に入った水で喉に流し込んだ。
消耗した妖力を回復させた花奈は、次に髪を4本抜き、掌の上にのせて妖力を込める……。
それぞれの髪は徐々に膨らみ、掌サイズへ拡大。
最終的に犬の花奈と同じような体型に変化し、花奈の視線の先で横一列に並んだ。
「姫様——」
4匹の犬——花奈の式神は同時に頭を下げた。
顔や体型がそっくりな4体の式神は、それぞれ異なる額の模様で見分けがつくようだ。
「半年も待たせてごめんね。ようやくみんなを解放できた。早速だけど、任せたい仕事があるの——」
4体は少し顔を赤くしながら頷いた。
極力、花奈の顔だけを見るように……。
「——イチは、ゆうちゃんの元へすぐに行って。護衛をお願い」
「畏まりました」
額に赤い点の模様を持つイチは、男性の低音ボイスで返事をした。
花奈の式神のリーダーで、最も頼れる存在だ。
イチは頭を深く下げた後、その場から消えた。
「フウは私の護衛を」
「畏まりました」
落ち着いた女性の声で返事をしたフウの額には、縦の赤線が2本。
式神サブリーダーで、花奈の良き相談相手でもある。
頭を下げた後、花奈の首に巻きついた。
「ミツは、ゆうちゃんについて細かく調べて」
「畏まりました」
ミツは漢字の『三』に似た赤色模様を額に持つ式神だ。
少年の声で元気よく返事をし、その場から消えた。
「最後はヨツね。結界の維持と補強、監視をお願い」
「畏まりました〜」
赤色四角形の模様を額に持つヨツは、幼い少女のような可愛らしい声で返事をした。
尻尾を振りながら廊下の結界へ転移する。
「よし、とりあえずいいかな」
花奈は満足げに腰に手を当てて頷いた。
「——姫様、良いわけがありません!」
首に巻き付いていたフウは、体を伸ばして花奈に面と向かって注意した。
「なにが?」
花奈は首を傾げながらフウを見つめる。
「なにもお召し物をまとっていないではありませんか! 式神たちはどうにか無表情を貫いていましたが、内心はかなり動揺していましたよ!」
「えー、今は誰も家にいないよ? どうせすぐ犬に戻るんだから、服着る意味はないよ」
「次期国王になられるお方が……」
フウは短い右足を顔に当て、困った表情を浮かべている。
「まだ神子になっただけで、次期国王は確定じゃないでしょ? それに、あっちの世界に戻らないかも……」
神子とは妖力・妖術が優れ、次期国王候補の人物がもらえる称号だ。
「姫様!? 話が違います! 犬壱嗣斗様より『性格と保有妖力量が優れた人物』を連れて帰ることが目的だったはずです!」
婚約内定者の犬壱家次男——犬壱嗣斗の性格に問題があることはフウも承知しており、彼に権力を持たせることに危機感を募らせていた。
それでも、わがままを言う花奈に対してフウは語気を強めた。
「私の結婚相手を探しに来たのは本当だよ。こうして、ゆうちゃんを見つけた……でも、ゆうちゃんの説得にはかなり骨が折れそうなの……」
「夕翔様に断られたのですか?」
花奈は顔を曇らせ、目を潤ませる。
「うん……。私のこと忘れてた……。毛嫌いされてる気がしてね……」
夕翔は花奈の最愛の人であり、花奈が知る中で最も保有妖力量が高いことがわかっていた。
「まさか……」
フウはショックを受けて口ごもる。
「でも、ゆうちゃんは私にチャンスをくれたの。期間は短いかもしれないけど、ここに住んでいいって。その間に私はたくさんアピールして好きになってもらうつもり」
「無理だった場合はどうされるのですか?」
「……少し考えさせてくれる? まだゆうちゃんと会って1日も経ってないから」
「わかりました。ですが、あまり時間がないことはご理解くださいね?」
「わかってる……」
「はあ……、姫様が戻らねば犬神国の将来はどうなってしまうのやら……」
犬神国と花奈の幸せを願うフウにとって、この展開は頭が痛い。
「
伊月は犬神家次女で、花奈とは異母姉妹にあたる。
伊月の母親——
「ですが……実力差は歴然です」
「私の能力が異常なだけだよ。歴代の国王はみんな伊月レベルでしょ? これ以上犬神国が強くなると、バランスが悪いと思わない? 私は普通の生活ができればそれでいいの……」
花奈の寂しく辛い生い立ちを見てきたフウにとって、花奈の最後の言葉が胸に刺さる。
「フウ、お願い。私が望むことはあっちの世界には何もなかった。しばらくは自由にさせて」
「姫様……。畏まりました……」
フウは諦めたように頷いた。
「さて……」
花奈はバスルームへ移動し、洗面台の鏡の前に立った。
夕翔に見せた人型——15歳くらいの少女へ変身する。
「ねえ、フウはこの外見どう思う?」
「とてもお可愛いと存じます」
フウは即答し、かつての可愛い姿にメロメロになっていた。
「小さい頃の面影が残ってるから、ゆうちゃんは私のこと思い出してくれると思ったんだけど……。忘れてる上に、この外見だと女として魅力を感じないみたいで……。本当の姿の方が良かったかな?」
フウは目を丸くした。
「異な事を……。たとえ幼くとも、姫様を見た殿方は全て魅了されていました。この外見の頃から婚姻の申し込みが殺到していたではありませんか」
「そうなんだよね……。この美貌で落ちてくれると思ったんだけど……なぜか拒否されたの! 犬の姿の方がいいって感じなの! 小さい頃は可愛いって言ってくれたし、結婚しようとも言ってくれたのにー!!!」
花奈はフウを胸に抱き、声をあげて泣き出した。
「姫様……」
花奈はフウに慰められながら、しばらくその場で泣き続けた。
「——姫様、イチです。夕翔様がそろそろお戻りです」
花奈の涙がようやく落ち着く頃、イチから念話が届く。
「……報告ありがとう」
花奈は涙を拭いて犬の姿になり、玄関へ向かった。
*
夕翔が外出したすぐ後のこと——。
戌佐和市のとある場所。
街路樹の枝に隠れるように、白い球体が1つ浮かんでいた。
その球体には目が1つ。
花奈の住んでいた世界——ヨウノ世界の式神だ。
『——主人様、先ほど『神子の力』を探知しました。今は完全に消えましたが……。おそらく、結界を張ったと存じます』
その球体は、声の抑揚がない甲高い声を発した。
『よくやった。早く見つけろ』
主人と呼ばれる者は、若い男の声で命じた。
『畏まりました』
『派手な行動は今後も慎め。彼の方の式神がそちらの世界に放たれたやもしれん。表沙汰になれば我の立場はない。いいな?』
『肝に命じておきます』
指示を出した後、主人——犬壱嗣斗は暗い部屋で俯く。
少年期に起きた嫌なことを思い出してしまっていた。
それは婚約者候補に選出されたことを花奈に報告しに行った時のこと。
嗣斗は当時15歳だった。
『——花奈、俺が婚約者候補に選ばれたぞ』
嗣斗は嬉しそうに報告したのだが……。
『ごめんなさい。私はあなたのことは好きになれない。私には将来を誓った人がいるから。だから、諦めて欲しいの』
「花奈……」
嗣斗は悔しさを滲ませながら歯ぎしりをする。
——なぜだ! この10年は大人しく神子としての修行を受けていたというのに……。花奈、お前は絶対に俺のものにしてやるからな!!!
幼少期から花奈に片思いをしていた嗣斗の目は、嫉妬と怒りで血走っていた。
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