21.EXPRESS TO YONAGA

「あ、すみませーん」


 宙港の最寄りのステーションで、まだ久しぶりのGの感覚に慣れずにぼうっとしていると、集団の女の子達がさざめき笑いながら来るのにぶつかってしまった。少女達は何の屈託もなく、そのまま笑いながら通り過ぎていく。

 無論火星だろうが月だろうが、居住地域は1Gに調整されてはいる。なのだが、それでも本当の地球の重力は、長い間外惑星で過ごしてきた身体には違和感のあるものだった。

 だがこのままぼうっとしている訳にはいかない。滞在期間には期限があるのだ。

 さて、と彼は斜め前を見上げる。卵色の標識には、目的地への特急に乗るホームが示されている。朱明は肩をすくめた。

 EXPRESS TO YONAGA。



 「夜長」行き特別急行列車。すう、と音も無くオレンジと緑の車体は、彼の前に止まり、扉を開いた。

 そして音も無く、それは走り出す。シートに身を沈めた彼の視界が、次第に鮮やかな色となって輪郭を無くす。

 一時間程でその都市には着くはずだ。

 特に席を指定した訳ではなかったが、そう乗り込む人が多い訳ではなく、快適な旅行だった。

 前にこの特急に乗った時には、まだこんな車両ではなかった。いや、どんな車両であるかなど見る余裕はなかった。

 サングラスを取り、彼はステーションの売店で買った新聞を開く。写真の多いその紙面には、スポーツとゴシップと……変わらないなあ、と彼は思う。そんなものは、外宇宙も地球もさっぱり変わらない。

 あの時もそうだった。サングラスをして、相棒と二人、あの都市を離れた時。相棒は、外の風景が流れていく様をぼんやりとただ眺めていた。

 何処へ行くとも知れなかった。何処へ行こうとも、何処まで行こうとも、口には出さなかった。

 行く所なんて、その時には無かったのだ。

 今は夜長の君、と美しく呼ばれるあの都市で起きた事件。そしてその事件のかたをつけるために起こした事件。彼らはその後始末をつけてすぐ、逃げるようにその地を離れた。

 実際、その都市に長く居る理由はなかった。

 どちらかと言えば、離れるのが安全だった。あの都市で果たしていた役割のために、周囲の企業から誘いの来た友人達とは違い、自分は、どちらかと言うと、追われる立場になりかねなかった。

 そこには既に自分達の居場所はなかったのだ。

 特殊な状況にのみ成立した一種の支配。それは夢の中のようなものだ、と彼は知っていた。

 だから、自分が最も手にしたいものをその手に捕らえた時、そこからなるべく早く離れるのが安全だ、と彼は踏んだ。

 実際、彼が相棒ともに、友人達と再会するまでには、それからやや時間が空いた。事件が治まってからも、彼らは自分たちの正体が知られることを怖れた。

 放浪とも言える日々の間、相棒は無闇に笑うことは少なくなったし、ちょっとしたトラブルもつきものだったが、それは楽しい日々だったと、今となっては朱明も確実に言える。

 何が起こるにせよ、それは相棒を失う恐怖に比べたら、大したことではないのだ。

 最初からそうだった。それはまだ、ハルが生身の身体を持ち、別の相手が居た頃から。

 彼が幸せであればいい、と思っていた。

 あの泣き叫ぶような声で歌っていた彼が、幸せである姿を見られるのなら、別にそれ以上のことは望まなかった。別の相手が居ても良かった。それで幸せであるのなら。

 だがそれは自分を買いかぶっていただけのようだった。

 閉じこめられた都市の中で、朱明は自分の感情がそれだけでは済まないことに気付いた。そして相手の不可解な行動に困惑した。差し出された手を強く握り、引き寄せてしまった。

 それが正しいことだったのか、間違っていたのかは、今でも判らない。ハルは自分の気持ちを口に出して言うことはまずないから、その時に果たして何を考えて自分にそうさせたのかは、朱明には決して判らないことだったのだ。

 だが判らなくてもいい、と彼は思う。



 ヨナガ市、と名前を変えられたその都市についた時にはまだ陽は高かった。だが彼は駅前のホテルに偽名で宿を取り、夜を待った。

 もはやそんなことをする必要はないのかもしれない。ただの取り越し苦労なのかもしれない。フロントが24時間対応であることを確認してから、彼は部屋へ向かった。

 重いドアを開け、靴を脱ぎ、上着を取り、カーテンを閉め、昼間の光が入らぬようにしてから、ベッドに身体を預けた。眠りたかった。夜中に行動を起こす時には、多少なりとも眠りは必要なのだ。

 あの頃と同じだ、と彼は微睡みながら思う。違うのは、今居るそこがホテルのきちんと整えられたベッドであり、あの頃の仮眠を取るためだけの簡易ベッドの堅いマットレスの上ではない、ということだった。

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