8.「わたしはマスターのお花畑に眠らせてあげたいだけなんです」

「……おい!」


 同じ言葉で、彼は起こされた。だが自分の声ではない。重力の無い、相棒の、あの声だ。


「……何」

「何じゃないよ朱明。何だよこの汗…… うなされて」

「うなされて、いたのか? 俺は」


 次第に闇に慣れていく目。相棒は確かにうなづいていた。つと手を伸ばし、肩に触れる。


「……だから何なんだよ」


 ハルは容赦なく声を投げる。だが別段その手を払おうという気配はない。すべらせる指。その輪郭が、夢の中のものと重なる。まさか。


「話くらいなら今つきあってもいいけど」


 そしてようやく、手をゆっくりと肩から除ける。ああ、と朱明はうなづいた。彼もまた、そういう気分ではないのだ。


「お前何か目算ある?」


 ハルはよいしょ、とブランケットの一枚を自分の方へまるごと引き寄せ、その場に胡座をかく。朱明もまた、起きあがり、片胡座になる。


「シファの『お願い』か? ……まあ正直言って、無い」


 そんなことだろうと思った、とハルは肩をすくめる。ブラインドごしの街の灯り程度の、ぼんやりとした暗さの中で、それでもその輪郭は、次第にはっきりしてくる。いつもの姿、いつもの動き。彼は安心する。


「だけど『お願い』されたからにはな」

「全く」


 奇妙な程に共通して、彼等は女性の頼みには弱かった。それが生身の女性であるにせよ、そうでないにせよ。

 それは地球に居た頃からそうだった。朱明にせよ、ハルにせよ、たまたま知り合った女性のトラブルに、何度か巻き込まれている。

 出会うのはばらばらだが、何故か結局二人して事件の渦中に入ってしまい、「仕方ないから」何とかしてしまうのである。

 すると結局、「目立たないで生きていく」のは難しくなり…… あちこちを転々とする羽目になる。

 自分の身体がレプリカントであるハルにとって、目立つのは極力避けたいところだった。

 この火星で、なるべくなら昼間動かないでいる、というのはそのためもあった。夜の世界には、同じ意味で目立つ者は、何処であってもうようよと居るのだ。時には、別の意味で「狂った」レプリカントも。

 あの後、シファは三人に向かってこう言った。


「マスターの遺体が欲しいんです」


 さすがに三人とも驚いた。何をしようというのか、と藍地はまず彼女に問いかけた。それは他の二人にとっても疑問だった。遺体を、メカニクルの彼女が。


「マスターの遺言なんです。自分が死んだら、ある場所へ埋めてほしいと」

「だったらそう親族の奴等に言えばいいじゃないか?」


 朱明はそう訊ねた。藍地もうなづいた。それは至極まともな意見だった。


「言いました。遺言があるということは」

「そしたらがらりと態度を変えた?」

「ええ」


 藍地はそう当たり前の様に言うハルの方を向く。


「わざわざ君に遺言をするくらいだから、何か君が、親族も秘密の財産を受け取った、と思った」

「ええ。でもわたし、そんなもの何一つ受け取っていません。だけどこのままでは、わたし、忘れてしまうから、その前に、マスターの遺言をかなえたいだけなんです」

「忘れてしまう」


 朱明は繰り返す。だがそれは誰の耳にも届かなかったらしい。シファは続けた。


「わたしは、マスターのお花畑に、眠らせてあげたいだけなんです」


 マスターのお花畑、はこのシティとは離れた所にあると言う。そこで彼女達は、あの安価で美しい合成花を作っていたのだという。


「その場所については親族は知らないんだろ?」

「ええハルさん。あのひと達は、マスターのことなんて、何一つ知りません。ただ、そういう習慣だから、親族としては、地球に遺体を持ち帰って、慣習通りの葬儀を出さなくてはならないということです」

「確かにそれは言えるな。彼はそういう文化圏の出身だからな。それをおそろかにすることは考えられない」


 面倒だな、と朱明は長い髪を引っかき回す。


「面倒かもしれないさ。だけど長い間の慣習とか道徳というものはそう変わるもんじゃないよ。向こうにしてみたら、失踪していた親族のはずれ者が急に亡くなったから迷惑している、とも考えられるじゃない」

「藍ちゃんは大人だねー」


 ハルはぼそっと言う。

「あんたね、この歳になって大人もへったくれもないでしょ。だから向こうの言うことはも一理あるんだよ。だけど遺言、か」

「そういう場合は、どっちが優先されるのでしょうか?」


 シファはやや不安気な顔になる。


「数では、圧倒的に君が不利だね」

「おいハル……」

「だけど、遺言だもんね」


 朱明は浮かしかけた腰を下ろす。


「なるべくかなえてやりたいって言う君の気持ちも判るよ。ただ、追ってくる連中は厄介だね。……放っておけばいいのに。だったら」

「そうできない習慣ってのが」

「だけどあの時の追い方は奇妙だったよ」


 確かにそうだ、と朱明は思う。

 あの追い方は。あんなに精巧に作られ、ブレートを髪で隠す程のデリカシイを持つ彼女が、自分がメカニクルであることを傍目にも判るような行動を取らざるを得ないような……


「でも」


 そう言って、シファは黙った。

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