その12 傷の記憶

スカート姿の奏音が謎の美女として“デビュー”してから数日が経った。

あれからも僕と奏音は毎日顔を合わせ、放課後には謎の美女を出没させた。

奏音は家庭科準備室から出ることに慣れてきていたものの、やはり普段からスカート姿で登校することはできずにいた。


僕はとにかく一日でも早く奏音がスカートで登校できるように考えていた。

奏音と一緒にいるのは楽しい。

けれど、“余計なこと”ばかり考えてしまうから。


その日もいつものように昼休みは中庭を眺めていた。

やはり図書室だと距離が近すぎるので、四階に場所を移し、僕は「見晴らしのいい東出」に戻った。


その日も中庭の菫屋ハーレムは楽しそうだった。

暮内くんもよく顔を出しているが、僕が助けに行った一件以降は、特に奏音にベタベタすることはなかった。

暮内くんなりに、なにか察したのかもしれない。


中庭の人たちを見て、毎日毎日飽きもせず……なんて思ったりはしない。

多分あれが普通の青春なんだ。

あれに嫉妬するのも、それはそれできっと普通の青春だ。


じゃあ僕は?

青くもないし、春でもない。

灰色の冬か?

おいおい、さすがにそこまでひどくはないだろう、と自分に突っ込んだ。

今は乙華先生みたいな人もいれば、通信技術愛好会の二人もいる。


昔は文字通り景色に彩りを感じなかったこともあった。

父さんと母さんが離れて暮らすことになったときだった。



父さんは角のない丸っこい性格をした人で、叩かれることはおろか、怒鳴られたという記憶もない。

母さんは良くも悪くもきっちりした人で、“デキる女性”といった風だった。

けれど、僕にとっては優しくて素敵なお母さんで、「お父さんとお母さんどっちが好き」という残酷な問いに対して、僕は迷った挙げ句「お母さん」と答える程度には好きだった。


母さんは、父さんの仕事には多少の不満があったらしく、転勤が決まる度に夫婦間で小競り合いがあった。

子供ながらに察するものがあって、おそらくこの二人は僕のことを思って対立しているのだ、と感じてはいた。

僕には妹がいたけれど、おそらく妹も同じ気持ちだったのではないだろうか。


父さんと母さんには仲良くしてほしい。

そう思った僕は「家族で遊園地に行きたい」とねだってみた。

あまりこういったことをねだるような子供ではなかった僕が急にそんなことを言い出すものだから、両親もどうにか都合をつけて遊園地に行くことになった。


その頃は東北に住んでいて、家族で行った遊園地もそこまで大きなものではない。

ただ、僕は家族で来られて楽しかった。


僕は大丈夫だよ。

心配いらないよ。

だからケンカしないでね。


両親を安心させるため、喜びを十倍にも百倍にもしてはしゃいでみせた。



その結果が、右目の傷だ。



顔を強く打った衝撃のせいか、意識が朦朧としていた。

父さんと母さんが見たこともない剣幕で言い合っている。

妹が泣いている。


左目からは涙が。

右目の涙は血で塗りつぶされた。



その後、僕の右目がある程度まで回復すると、両親は正式に離婚した。

妹は母さんについていったので、僕は父さんについていくことにした。

どちらの方がというものではなく、妹が選ばなかった方についていこうと思っていた。

別に経済的な負担とかを考慮したわけではない。

ただ、なんとなく、だ。


父さんからも、母さんからも謝られた。


奇跡的に右目にトラブルはなかったものの、家族がバラバラになってからは、何の問題もない左目から見える景色も灰色だった。

中学校はずっと一人でいたけれど、デカくて顔に傷のある人間が、虚ろな目をしていたからか、不良に絡まれることもなかった。


僕は灰色の虚空を見つめながら、「僕のせいだ」と呪詛を繰り返した。

家族がバラバラになったのは僕のせいだ。


あのとき、僕が余計なことをしなければ。

つまづいて転ばなければ。

転んだ先にコンクリートブロックがなければ。

ぶつかったのが角でなければ。

いっそ僕が生まれて――。


そんな思いが、内側に内側に収束していく。

外側に爆発させて、いっそ見た目通り不良になっていれば、ここまで“こじらせる”こともなかったかもしれない。



僕の見る世界にはっきりと彩りが戻ったのは北坂高校に入ってからだ。

乙華先生が声をかけてくれたからか。

麗と吠場が通信技術愛好会に誘ってくれたからか。

それとも、奏音に絡まれるようになってから……?


奏音がきっかけだと思うと、なぜか悔しい気持ちになるのはなぜだろう。

「お前がきっかけで僕の高校生活に彩りが戻った」なんて言った日には、「なになにー? 惚れた? 私に惚れたの? 一目惚れ?」とか言ってくるに決まってる。


おそらく、その全部だ。

色んな人が気にかけてくれたから、僕はなんとか持ち直したのだと思う。


そう、だから“感謝して欲しい”なんて思うのはおこがましい。

奏音は僕が恩返しすべき相手なのだから。

そう思ったら、急に気持ちが軽くなった。


予鈴が鳴り、中庭の面々がそれぞれの教室に戻っていく。

位置を変えたので、さすがに奏音は僕の存在に気づかなかったようだ。

ただ、なぜか一瞬だけ暮内くんと目が合った気がした。

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