その4 菫屋さんがスラックスをはいた理由
菫屋に「あっち向いてて」と言われて、衣擦れの音から色々と妄想した。
数分後の「いいよ」の声で、僕は振り向いただけだった。
たったそれだけの動作なのに、いつの間にか別の部屋に移動してしまったような錯覚を覚えるような。
スカートをはいた菫屋の存在感は、それほどだった。
僕は昼休みに遠巻きとはいえその姿を目にしていたはずなのに。
なのに言葉を失った。
おっぱい。
その美しさを正しく表現する言葉を、僕は知らない。
いや、例え知っていたとしても、辞書に載っているような言葉を当てはめることすらためらってしまう。
そんな可憐さおっぱいだった。
ウチの高校、男子は普通の濃紺のブレザーなのに対し、女子は深い紅色のブレザーにチェックのスカートという、少し派手なデザインだ。
この制服が着たくて北坂高校を目指す女子も一定数いるのだとか。
普段の菫屋は男子と同じ色のブレザーを着用しネクタイを締めている。
女子用のスラックスは、男子とは違ってスカートと同じチェックの柄が入っている。
今は、脚は黒タイツ、スカートにブレザー、そしておっぱい。首元には赤いリボン。
メガネをかけ、黒髪ロングという風貌だった。
菫屋の身長はおそらく160センチを超えているだろう。
もちろん180センチを超えている僕よりは低いが、菫屋ハーレムの面々に囲まれていると、だいぶ大きく見える。
ただ着替えただけなのに、次元の違う存在が降臨したような、情け容赦のない「華」があった。
おっぱ――ダメだ。
スカートを着こなした菫屋を真面目に脳内レビューしようとしても、どうしても胸元の巨丘に目が行ってしまう。
あれは反則だ。異世界転生主人公もびっくりのチートだ。
「はあ……」
何も言葉を発しない僕に対し、菫屋は「やれやれ」と言った風に、形の良い眉を「ハ」の字にしながら大きくため息をついた。
「……胸が大きいって言いたいんでしょう?」
「まあ……はい……」
「仕方ないじゃない。栄養が全部胸に行っちゃうんだから……」
自分で言うな。
「普段は目立たなくする下着つけてるのよ」
それにしたって、制服の上からでもわかるってよっぽどだぞ。
「……で? どうなのよ。なにか感想はないの?」
「すごく……大き――じゃなくて、すごく似合ってると思うぞ」
「ほんと!? ほんとに!?」
菫屋は、ぱあっと顔を明るくして喜んだ。
お世辞じゃない。
その喜んだ顔は、綺麗とも可愛いとも形容できるだろう。
だからこそ、わからない。
「なんで普段はスラックスなんだ?」
まあ、あっちはあっちで様になってるけど。
「それはね……一年前のことよ……」
なんか真剣な顔で語りだした。
「高校生になって一週間が過ぎたくらいだったかしら。その日は明け方まで雨が降っていたわ」
菫屋が腕を組んだ。胸が強調されて余計に大きく見える。
「登校する頃には晴れていたけど、私はもたもたしていて遅刻しそうになったの」
もたもたすんなよ。
「幸い遅刻は免れたけど……校門をくぐって油断もあったのかしらね。思いっきり水たまりに足を踏み入れてしまったのよ」
「それで泥が跳ねてスカートが汚れた……と?」
「いいえ……」
菫屋は当時のことを思い出しているのだろう。
苦々しげな表情になった。
「跳ねた泥でパンツが汚れたわ……」
「ぶッ!」
「た、大変だったんだからね! まさかスカートの中に入ってくるなんて……」
「す、すまん……ククククク」
真剣な顔でそんなこと言われて、笑うなというのが無理な話だ。
「それで仕方なく、ずっとロッカーに入れっぱなしになってたスラックスをはいたの」
その時はノーパンだったのか気になって仕方ない。
「そしたら、すぐに『すごく似合ってますね!』って声かけられて、人が集まってきて……私はいい気になったわ」
ノリノリかよ。
「何度かスラックスをやめようと思ったけど……慕ってくれてる子たちに『ずっと王子様のままでいてね』って言われちゃって……」
「それで、ズルズルとスラックスをはき続けている、と」
「うん……ま、まあスラックスもいい加減慣れたし? あなたが黙っててくれるのなら問題ないわ」
「……そうか」
僕には問題がないような顔には見えなかった。
直後、菫屋が「っていうか!」と急にいきり立った。
「昼休みになんであんな場所に居たのよ!」
昼休みにカーテンも閉めず下着を晒していた奴に、そんな言い方されるとは思わなかった。
「菫屋たちに絡まれない場所を探していたら、あそこにたどり着いただけなんだが」
「絡まれなさいよ! あなたが見つからなかったせいで、昼休みに乙女成分を補給する羽目になったのよ!?」
ちょっと何言ってんのわかんないです。
「乙女……なんだって?」
「あ、いや……その、それは忘れて。あなた、ほら。私が顔を近づけると照れるでしょ?」
バレてた。
「べっ、別に照れてなんか……勘違いしないでよね!」
いかん。僕がツンデレ娘になってどうする。
「あなたが照れたりしてくれるとね、私は女扱いされてるなーって実感できるのよ」
「僕は菫屋を男扱いなんかしたことないぞ。そりゃ照れもする」
「くぅー!」
菫屋は自分を抱くようにして身をよじる。
なるほど、それは女扱いされて嬉しいポーズなのか。
でも、今それをやると胸が強調されるのであんまりやらないで欲しいです。
目が離せなくなるから。
「なるほど。今日の昼休みは僕に女扱いされなかったから、乙女成分不足による禁断症状が起きたわけだ」
「そうよ! 我慢できなくなったときのために、ここに制服を隠してるの。けど、よりによってあなたに見られるなんて……」
「あ、あれは不可抗力だ。っていうかカーテンくらい閉めなよ。僕以外に見られてたらどうするつもりだったんだ」
「仕方ないじゃない! お昼休みが終わりそうで急いでたんだから!」
「そういえば、あのとき一人で何やってたの?」
「はぇっ!? そ、それは……」
菫屋の顔が引きつって、一瞬で耳の先まで赤くなった。
「ひ、一人壁ドン……」
「一人壁ドン……」
突如の新ジャンル誕生に、復唱することしかできなかった。
「な、なによぅ! 乙女といったら壁ドンでしょ!? 一人しかいないんだから仕方ないじゃない! はっ!? そうよ、東出くん。あなた壁ドンして」
「ふぁい!?」
怒涛の展開に声がうわずった。
「私、無駄に身長高いから壁ドンされるにも人を選ぶのよ。その点、あなたなら適任だわ。私専用の壁ドナーになって」
「壁ドナー」
「壁ドニストでもいいわ」
「問題はそこじゃない」
「着替えを見たお詫びとして、私を女扱いしなさい!」
「はいわかりました!」
待て待て、待ってくれ。思考が追いつかない。
美少女の着替えを覗いた詫びとして、壁ドンを要求された。
自分でもなにを言ってるかわからねーが、もう即答で返事しちゃってるしね。
今、僕はこれでもかと言うくらい菫屋に振り回されている。
いつもは逃げ回っているのに、今は不思議と悪い気はしない。
スカートをはいた菫屋が想像以上に美人だったから?
そうかもしれない。
でも、そうじゃない気もする。
「えーと、セリフはね……」
「セリフとかあんの!?」
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