「春日部遥」



 悟さんに家まで送って貰って、いつものルーティーンで、直ぐに風呂を沸かした。雨に濡れた所為せいで、体が冷えている。風邪を引いては大変だ。しっかりと温まらないと。


 スマホの電源を入れて、「イチゴイチエ」を起動する。ハロルドからのメッセージを何度も読み返して、ニヤけた。ハロルド、そんなに私の事が心配なんだ。ハロルドに心配を掛けてしまったのは、心苦しい。けれど、本当に私の事が好きなんだな、と思うと、嬉しくなる。





 風呂が沸いた。





 ゆっくりと湯船に浸かって、これからの事を考えた。ハロルドの事が好きだ。恐らく、ハロルドも私に好意を持っている。しかし、2人の距離は、宇宙船ですら届かない。その事が、この恋愛の行方を迷わせていた。ゴールが見えないのだ。


 プラトニックな関係でも良いのか?と聞かれると、正直、悩む。ハロルドに触れてみたいし、同じ空間で、同じ時間を過ごしたい。いつか一緒に、お酒が飲みたいな。思考が止まらなくなって、逆上のぼせそうになった。


 いつもより長く風呂に入った所為で、少しフラフラしながら、冷蔵庫を開けた。ビールを取り出して、缶のまま、クイッと飲んだ。美味い。昔は、こんな苦い物、何が美味しいんだろう?と思っていたのに。


 机に移動して、ツマミのナッツと一緒に、ビールを楽しむ事にした。今日は、もう1杯くらい飲んでもいいだろう。正直、疲れた。明日の夜、22時頃まで、ハロルドにメッセージが送れない。どんな風にメッセージを送ろうかな?私は、頭の中で、謝罪の文章を考えた。


 ブブッと、机の上に置いたスマホが揺れた。画面を覗くと、フリーメールの通知が来ていた。クリックする。





『おむらいす』からだった。





「こんばんは!実は私も都内に住んでます。もし良かったら、明日の金曜の夜、2人で会いませんか?もう1人の男性は都合が悪い様です。返信、お待ちしております」


『おむらいす』との、メールのやり取りで、割と近くに住んでいる事が判明していた。異世界人と恋に落ちたと言う、『おむらいす』。彼女の話を聞けば、このアプリを使っていって、将来的にどうなるのか、教えてくれるかも知れない。私は、直ぐに返信を返した。


「是非、会いましょう。おむらいすさんのご都合は如何ですか?私は、明日、仕事は、午後休を取ります。おむらいすさんの都合に合わせます」

「私の家の近くに、お気に入りの和食レストランがあります。そこに19時で、どうでしょうか?」

「和食、好きです。日本酒があると、もっと良いです」

「日本酒とお魚がメインのお店ですよ。お店の住所、送りますね。お店の前で待ってます」


 メールで送られてきたのは、カジュアルな雰囲気の店だった。ホームページを覗くと、日本酒のレパートリーが素晴らしい。私の好みの、辛口のお酒があった。楽しみだ。





 その日の夜は、ぐっすりと眠れた。


 起きてから、シャワーを浴びて、朝食の準備をした。ハロルドとの通話がないので、時間が余っている。早目に出社しよう。私は長い髪をドライヤーで乾かしながら、テレビの電源を入れた。


 朝の芸能ニュース番組で、有名女優と一回りも歳下の若手俳優との熱愛が発覚して、スキャンダルになっていた。芸能ニュースレポーターは、「歳の差カップルですが、お似合いですね」とコメントしていた。


 一回り下でも、こんな風に周りから祝福して貰えるのか。少し、自信がついた。私とハロルドなんて、6歳。たった6歳差じゃないか。


 身支度を整えて、家を出た。今日は少し暑い。もうそろそろ、季節は初夏から夏へと変わろうとしていた。


 会社に着いて、上司の山口さんに、本日、午後休を頂けますか?と聞くと、快く許して貰えた。羽生さんは働きすぎだから、リフレッシュしなよ、と午後休の申請書に簡単に判を押してくれた。こういう時、外資系で働いていて良かったな、と思う。仕事さえ、しっかりとしていれば、どれだけ休もうが文句は言われないし、いちいち休暇の理由を尋ねられたりしない。


 午前中、外回りを1件だけ済ませて、会社に戻り、部下からの報告メールを確認した。部下の1人、春日部かすかべはるかが大手クライアントとの契約でミスをしたらしく、報告書を上げてきていた。レポートを提出する様に、と返信して、昼食を取る事にした。昼食を取ったら、家に帰ろう。


 社員食堂で、焼き魚定食を注文して、トレイに乗せて貰って、空いている席を探した。偶々たまたま、春日部遥の座っている席の隣が空いていた。


「春日部さん、お疲れ様!隣り、いいかな?」

「課長……お疲れ様です」

 春日部遥は、クライアントとの契約でのミスで、少し落ち込んでいる様だった。


「ねえ、春日部さん。私ね、新入社員の頃、春日部さんが今、担当しているクライアントとの契約書を紛失してしまった事があるのよ」

「え!?契約書を!?」

「そうなの。向こうはカンカンで、『だから新入社員なんかに任せるのは嫌だったんだ!』って大目玉食らってね。」

「それで、どうしたんですか?」

「山口さん。山口さんが、一緒に謝りに行ってくれたんだよ。で、クライアントが『担当を変えろ!』って怒鳴った時にね、『羽生ほど優秀な社員は居ません。担当を変えるのなら、御社との契約を打ち切らせて頂いても構いません』って言ってくれたのよ。カッコよかったなあ」

「山口さんって、漢気ありますね!」

「そしたら、クライアントが黙ってしまって、『これからも羽生をよろしくお願いいたします。必ず御社との関係を良好な物にします』ってさ。山口さんが独り身だったら、惚れてたわ」

「山口さん、カッコイイ!」

「だから、私はそんな山口さんみたいな上司になりたいのね。春日部さん。貴方は確かにミスをしたけど、ミスは誰でもする物なの。大事なのは、次からミスをしない様に気をつけること。ミスを頭ごなしに叱るのは、ダメな上司よ。何故、ミスをしたのか、今後どうするべきなのか、レポートを上げて下さい」

「課長、ありがとうございます!スッキリしました。食欲が出てきたので、オカワリしてきます!」

 春日部は満面の笑みを浮かべて、唐揚げ定食を平らげると、トレイを持って、もう一度食堂の注文口に並んだ。


 私は、なんであんなに食べるのに、あの子はあんなに痩せてるんだろう?と疑問を思い浮かべながら、自分の昼食に手を付けた。




 帰宅して、待ち合わせまでの時間を潰すために、「イチゴイチエ」の情報を調べる事にした。まだまだ情報があるかも知れない。しかし、検索ワードを色々と変えても、「異世界人と出会った」と言う話は出てこなかった。


 コーヒーを淹れて、ゆっくりする事にした。ハロルドに送る謝罪の文面を考えて、スマホのメモに書き込んだ。そろそろ身支度を整えないと。シャワーを浴びて、カジュアルな服装に着替えた。


『おむらいす』にメールを送る。


「本日は、よろしくお願いします。私の服装は、Gパンに白いシャツ。オレンジ色のバックです。着いたら連絡下さい」


 少し早いが、待ち合わせに遅れるのは嫌いだ。私は家を出て、店に向かった。


 電車に乗っていると、『おむらいす』から、メールが届いた。5分ほど、遅れそうです、申し訳ないです、という内容だった。私は自分が待ち合わせに遅れるのは嫌いだが、他人が遅れてくるのは、それ程気にならない。


 店の前に着いた。客の入はそこそこで、店の前にあるメニュー表を覗いて、これが食べたいな、と考えながら、『おむらいす』を待った。


 スマホが震えた。メールを確認すると、もう着きます!信号を渡る所です!との報告だった。


 スーツ姿の女性が小走りで、横断歩道から、こちらに向かってくるのが見えた。



 私は、その姿を見て言葉を失った。







 春日部遥だった。


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