4章 第3話

 凛の撮影シーンが終わると、入れ替わるように玲華と陽介のシーンの撮影が始まった。

 時刻は既に20時を回っている。その間凛は休憩らしく、撮影場所からちょっと離れたい、との要望もあって、手軽な場所を探すことにした。

 この付近は俺の生活圏内ではないので、あまり縁がない。スマートフォンのGPSをONにしてマップアプリを開くと、少しだけ離れたところに公園があった。徒歩5分と表示されているので、それほど離れた場所でもないので、そこに向かってみた。


 そこには、全く人が使った痕跡のない、古びた公園があった。雑草も生えてきていていて、忘れ去られたかのうような空間だ。

 その公園は森の近くにあり、ぼんやりと照らす外灯だけが頼りだった。周りには何もなく、他の明かりもない。少し離れたところに住宅があるだけだ。

 この空間はどこか異質で、幻想的だった。


「はぁ~疲れたぁ⋯⋯」


 ベンチに腰掛けるなり、凛はぐったりと項垂れた。

 お昼休憩以外は初めての休憩と言っていた。今日はずっと撮りっぱなしだったらしい。

 撮影のスケジュールを考えれば、おそらく全体で1週間は遅れている。

 凛が丸1日撮影をしたところで、追い付くわけではなさそうだった。


「衣装汚れるぞ」

「あ、そうだった」


 言うと一度立って、おしりのあたりを手で払っている。


「汚れてない?」

「うん、大丈夫」


 今度はちゃんとハンカチを敷いて、その上に座っていた。

 俺もその横に並んで座ると、彼女はこてっと頭を肩に乗せて腕を絡ませてくる。


「翔くん補給タイム」

「またかよ」

「うん。枯渇してて干からびちゃいそうだった」


 凛は笑って、俺の首に顔を埋めると、鼻いっぱいに息を吸って「あー、幸せ」と呟いた。

 なんだかそんな風に言われると、無性に照れくさい。


「撮影楽しい?」

「うん。すっごく楽しい」


 凛の表情は見えないが、きっと笑っているんだろうな、と思った。


「監督も役者さんもスタッフさんも、みんな優しいし。玲華もいるしね」

「さっき火花散らしてたじゃないか」

「あれは、玲華のせい。翔くんの嫌がることしたから」


 どうやら彼女は俺の為に怒ってくれたらしい。


「っていうのもあるけど、ほんとは別のこと」

「え?」

「なんだか『私ショーと仲良いですけど何か? こんなことしても平気なの』って顔に書いてあった気がしてさ、そこに腹立ったの」

「⋯⋯⋯⋯」


 それは⋯⋯その⋯⋯やっぱり不穏な空気になってるんじゃないか?


「こう見えても私、結構直情型なのさ♪」


 こちらを見て、にっこりと笑う。

 それが少し怖かった。


「あ、でも玲華とイチャイチャしてたら私も足踏んじゃうかも」

「やめて」


 なんだかここにきて俺の立場がものすごく弱くなっている気がした。"達也"の気持ちが痛いほどわかる。


「凛ってさ、なんか演技経験あるの?」


 話の方向を変えたいので、話題を変えた。


「レッスンに通ってたくらいかなぁ」

「へえ⋯⋯」

「事務所に所属すると通わされるの。玲華も一緒に受けてたよ」

「じゃあ、その指導の先生が良いわけだ」

「かもね。私も役者には興味があったから、演技のレッスンは好きだったし」


 凛も玲華も過去に映画などの演技経験はなかったという。紛れもく、今回が初めて。それでも、二人ともそろって演技が評価されているというなら、才能だけでなく、きっとそのレッスンの先生の腕も良いに違いない。


「私さ、今回引き受けてよかったって思ってる」

「⋯⋯⋯⋯」

「楽しいのもあるけど、私がこれまで頑張ってきたことが報われてるんだなって⋯⋯そんな風に思えた」

「そっか」

「絶対良い作品になる。ううん、良い作品にする」


 彼女の意識はもう変わっていた。

 ここにきてからのように、後ろ向きではなくて。はっきりと前を向いていることが手に取るようにわかる。

 彼女はもう逃亡者ではない。

 そして、追跡者と戦っているわけでもなかった。

 自分でしっかりと行先を見据えて、自身の力で開拓して進んでいる。

 それは、逃げ切るより、追跡者と戦う事よりも困難だと思う。それでも、凛はそれが出来ている。俺が出来ない事を、すんなりやってのけている。

 今の凛は、俺には眩しすぎるように感じた。


「これも、翔くんのお陰。ありがとう」


 すごく輝いた笑顔で、お礼を言ってくる。


「⋯⋯俺は何もしてないよ」


 本当に何もしてないから。

 そんな風に輝いた表情で、言わないでほしい。

 凛の演技が上手いのも、凛がセリフを間違わないのも、監督から認められているのも、こうして今立ち向かっているのも⋯⋯全部俺は何も関わっていない。彼女がこれまで努力をしていて、その努力が今回実っただけだ。

 彼女は、今日俺が撮影に来る前の事を楽しそうに話していた。

 ヘアメイクさんの山野さんがお菓子をぶちまけた話や、監督が案外気さくだったこと、監督に振り回される助監督のこと、緊張していた自分を笑わせてくれた陽介さんのこと⋯⋯俺が机に向かって授業を受けていた間に起こったことを、教えてくれた。

 同じ時間軸に生じていた事とは思えないくらいたくさんの出来事が生じていて⋯⋯別の世界線のように感じた。

 いつもなら、同じ教室で同じ授業を受けていたはずなのに。

 凛の声はいつも以上に弾んでいて、心から楽しそうだった。こんなに何かを楽しそうに話している凛を初めて見たかもしれない。

 彼女の話を相槌を打ちながら聴いている最中、俺はやはり疎外感を感じていた。彼女の衣装やメイクから、普段より大人っぽく見えるからかもしれない。

 そのせいで、今の凛は、別世界の凛⋯⋯いや、これが芸能人のRINで、普段俺と話している凛とは別人なのではないかと思ってしまう。

 すると、凛の携帯電話が鳴った。


「あ、はーい。わかりました。すぐに戻ります」


 どうやらタイムアップのようだった。


「そろそろ戻ってこいって」

「うん」


 本来凛といる時間は貴重なはずで、一緒にいて嬉しいはずなのに。

 昨日あれだけ一緒にいる時間を大切に思っていたはずなのに、今は早く終われと思っていた。

 これ以上、別世界の凛を見ていたくなかった。


「次のシーン撮ったら今日は終わりだから、一緒に帰ろ?」


 俺は無言で頷いた。

 あたりが暗くて助かった。きっと、俺は今笑えてなくて⋯⋯顔を引きつらせていたように思うから。

 俺なんかがいなくても、凛はもう、1人で戦えているのではないだろうか。そんな気がしてならなかったのだ。

 それでも、俺はそんなしょげた顔を見せられない。凛がやりやすいように、頑張りやすいように彼女の背中を押す。それが俺に出来る唯一の事なのだから。


「凛」

「ん?」

「かっこいいとこ、たくさん見せてくれよ」


 精一杯の強がりを見せて言うと、彼女はにこっと笑って、


「まっかせて♪」


 ドヤ顔でトンと自分の胸を叩いてからくすっと笑うと、また腕を組んできた。

 そんな凛が見れるなら、俺はいくらでも無理できる。いや、しなきゃならないんだ。

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