2章 第15話 ほんのり甘い微糖コーヒーの味がした

「ハーイ♪」


 林道から降りて近付いてくると、玲華は昨日のように陽気に挨拶してきた。俺はげんなりした。


「⋯⋯なんで気付いた」

「そっちこそ。よくわかったね」

「偶然だよ。じゃなきゃこんなところ来ない。来てたまるか」

「ほー?」


 彼女は嬉しそうに、そして得意げににやりとするのだった。


「休憩30分なの。どっか連れてけ!」

「はあ? ここから商店街まで30分じゃ往復して終わる。田舎ナメんなよ」

「えー? 自転車は? チャリで飛ばしてよ」

「見てわからんのか。乗ってない」

「えー、つまんない。じゃあそこでいいよ」


 彼女は林道から出た先にあった自販機を指を差した。

 昨日奢られた代わりに、今日は俺が奢る羽目になった。

 彼女は缶コーヒー(微糖)、俺は缶コーヒー(無糖)。

 投げて渡すと、サンキュ、と受け取った。

 こんなやりとりすらも懐かしい。一瞬で俺たちを過去に戻してしまう。

 彼女は自販機の横にあった汚いベンチに腰掛けていたので、俺もその横に並ぶように座る。


「お前さ、学校はどうしてんの」


 今日は祝日で休みだが、昨日は普通に平日だ。もちろん、明日も平日だ。


「私は特別に休んでもOKなの」

「なんだそりゃ。海成ってそんなに芸能に理解あるのか」

「ないない。まったく。それを許してもらうだけの成績を収めてるだけ」

「⋯⋯⋯⋯」


 簡単に言ってのけているが、それは容易いことではない。彼女は、国内でも有数の超進学校の中でもトップクラスを維持している、ということだ。

 きっと俺には無理だ。


「それでさ、事務所に戻ることには同意したけど、渋谷の看板とかCMまでバンバン出されるとか聞いてないわけよ。わかる? 私の気持ち」


 凛の代打でバッターボックスに立ったら1打席だけでなくピッチャーもやらされてる感じだろうか。


「学校でもうるさいわ、外でも見つかるとうるさいわ、挙句に公休取るために必死で勉強しなきゃだわ、しかも公休はもらえても、この期間ガッツリ課題は出されるわけ。もちろんセリフも覚えて役作りもして。いつ休めと?」


 今日の彼女は饒舌だ。昨日よりも饒舌かもしれない。もしかすると、さっきの演技の延長でテンションが高ぶってるのかもしれない。


「だから、ショーにはそんな私を休める義務があるわけ」

「ねーよ」


 即否定してやった。間違いなくない。


「そんなにいやなら、どれか断ればよかっただろ」

「それができたらやってるっつーの、あほショー!」


 不満げに答えた。もしかすると、彼女は今、久々に愚痴を言っているのかもしれない。

 なんとなくだか、そんな気がした。少なくとも、付き合っていたときは玲華からこういった類の愚痴はあまり聞いたことがなかった。


「まあ⋯⋯頑張る理由がなくて退屈だったから、ちょうどよかったんだけどね」


 ふう、と遠い目をして溜め息。

 〝 退屈〟は彼女のキーワードだった。彼女は誰よりも退屈が嫌いで⋯面白いことが好きだった。

 そんな面白いことが好きな玲華が今を楽しんでいるようには見えなかった。


「そういう君は? こんなところで何してるの?」

「散歩」

「いいご身分ね」

「ほっとけ」


 本当に。こうしてひたすら頑張っている元カノを見て、俺は自分に惨めさしか感じなかった。


「そんなに暇なら撮影見ていく? 私の華麗な演技を見せてあげよっか?」

「嫌だ」


 即答した。あんな厳かな場でどんな顔してみてろっていうんだ。こっちはただの一般人なんだぞ。


「むー。暇なら来ればいいのに。アホ」

「それが残念なことに、午後は学校で学祭の準備。明日からだから」


 田舎の学園祭は外部から誰も来ないから、ほぼ身内のためだけの学園祭だ。そのため、平日に開催される。東京の高校は土日開催も多いが、田舎はそんなこともない。


「あ、いいなあ。私も学祭やりたかった」

「学祭より500倍くらいすごいことやっててよく言うよ」


 有名監督の映画の撮影で主演女優だなんて、誰が経験できるっていうんだ。


「ちゃう」


 彼女はなぜかたまにふざけているときは片言の関西弁を使うときがある。久々に聞いた。


「何が」


 彼女は黙って缶に少しだけ口をつけて、缶コーヒーを口に含む。


「ショーと、学祭したかったってこと」


 思わず、言葉に詰まってしまった。

 俺達は二人の学祭を経験していない。中学は別々だったし、高校も別々だ。そして、学祭のシーズンが到来する前に、俺はこっちに来てしまった。

 あのまま付き合っていれば、お互いの学校の学祭を行き来していたのだろうか。そんな事をふと考えてしまって、後悔する。全部、俺のせいなのに。俺が海成高校にちゃんと受かっていれば⋯⋯いや、受かっていなくても、不貞腐れずにちゃんと向き合っていれば、きっと俺達はまだ⋯⋯。

 そこで、ハッとしてそんな妄想を振り払う。

 何を考えてるんだ、俺は。


「ま、こんなとこでウジウジしてても仕方ないよね。私はまたこれから自信満々で強気なヒロインを演じるわけだし」


 缶コーヒーをぐびっと一気飲みした。彼女なりに気合いを入れたのだろうか。


「撮影、いつまでなの」

「さあ?」

「さあって⋯決まってないの?」

「わかんないから。監督次第。まだ始まって間もないから、全く予測不能。誰かが足引っ張るかもしれないし、私が足引っ張るかもしれないし。この2日間を見てる限り、癖の強い監督ってことはよくわかったけどね」

「そうなのか」

「うん、怒ると鬼みたいに怖いし」

「それでも玲華はまだ怒られてないわけだ」


 彼女の口ぶりからして、きっと怒られてるのは自分ではないということはわかった。


「まだ、一応ね」


 彼女は缶コーヒーを置いて、立ち上がる。

 休憩時間が30分なら、そろそろいい時間だ。ここから撮影場所に戻るためには、林道をまた上がらないといけない。


「でもさ、ちょっと疲れちゃった」

「⋯⋯⋯」


 俺は何も返せず、黙っている。すると、彼女はこちらを振り向いた。

 向かい合った時にみた彼女の表情は、さっき見せていた楽しそうな表情ではなかった。珍しく、元気がない。


「ショー、ちょっと元気分けて」

「は? どういう──」


 俺が聞き返す前に、彼女は俺の顔を両手で掴んで──そのまま口付けた。

 あの日のバス停みたいに。でも、あの時みたいに冷たい口付けじゃなくて。

 昔した、彼女との口付けのように。甘くて切ない。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 ゆっくりと玲華が口を離す。

 彼女は、ゆっくりと寂しそうに笑って。


「こんなに甘いなら⋯⋯ブラックも悪くないかもね」


 彼女は照れたようにぺろっと唇と舐めて撮影場所に戻っていった。

 俺は何も言葉を返せなかった。


(なにやってんだよ、俺⋯⋯)


 なにやってんだよ。ほんとに。

 凛に会わせる顔がなかった。

 どこからが間違いで、どこからやり直せばいいのか、もうわからない。

 唇からは、ほんのり甘い微糖コーヒーの味がした。

 やっぱり⋯微糖なんて嫌いだ。

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