1章 第30話 凛のリサーチ
「ねえ、案内してよ」
放課後、終礼が終わると、凛はいきなりこう言った。
彼女はどこか嬉しそうに微笑んでいた。
「どこを?」
「この学校を」
相変わらずにこにことして言う。
思わず俺が「はあ?」と言ってしまったのは、想像にたやすい事だろう。
今更凛にこの学校を案内する意味もわからないし、必要性もない。彼女はもう、この学校で何不自由なく生徒として学生生活を送っているのだから。
「案内、最初にされてなかった?」
ほんの数週間前の出来事を俺は思い出してみた。まるでどこぞの指輪物語のように、途中で護衛の人間が倒れていき、最後の二人が俺に凛を託して帰っていったのだ。
「うん、されたよ?」
「どこかわからない場所とか不自由してる事とかあるのか?」
「え、特にないかな」
「…………」
思わず、訝しむような視線を送ってしまう。
「あー、ごめん、言葉足りなかったよね。場所を案内して欲しいわけじゃなくてさ」
「何を案内するの?」
ますます凛の言っている事がわからない。
「翔くんの、鳴那高校での想い出」
「はあ?」
説明をされてもわからなかった。
「翔くんが鳴那高校で楽しかった事とか、印象的だった事とか、面白い事があった場所とか、そういう想い出話、聞きたいなって」
少しだけ顔を赤らめて、凛は言った。
ああ、なるほど。そういう事か、とようやく彼女の意図がわかった。要するに、彼女は俺の事が知りたいのだ。
「私、まだ翔くんの事知らない事多いからさ……もっとたくさん、翔くんの事知りたいなって。変かな?」
「……変じゃないよ」
そんな事を言われたら、やっぱり嬉しくて。彼女が俺との距離をもっと縮めようとしてくれている事、俺を見てくれている事が嬉しかった。
「でも、ほとんどそんな大層な出来事なんてないんだよな。帰宅部だし、純哉と愛梨でアイビスでダベってる事の方が多かった」
「いいのいいの、大層なものじゃなくて」
「いいのかよ」
「うん、なんだっていいよ? 翔くんの事なら、どんな些細な事でも、知りたいからさ」
凛は俺の手を取って、嬉しそうにそう言うのだった。
その笑顔が眩しくて、雑誌の中のRINよりも全然可愛くて。今、ドキドキと高鳴っている胸の音が彼女に聞かれてしまうんじゃないかと不安になってしまった。
俺達はどうでも良い事を話しながら、校舎を散策した。
とは言っても、基本的には俺の事を話していた。
俺がどんな食べ物を好きなのか、卵焼きの味付けは甘いのか出汁巻きどっちが好きなのか、味噌汁はどんなものが好きなのか、と、事細かに凛からリサーチが入る。
正直、普段あまり意識していないから、そう細かく訊かれてもちゃんとすぐに答えられない。基本的に好き嫌いはないから、出されたものは食べれてしまう。その間に美味いまずいと感じている事はあると思うが、こうして改めて聞かれると、ぱっと答えられないものだ。
「卵焼きは出汁巻き卵が好きかなぁ」
「なるほどなるほど、他には」
「ポテトサラダはしょっぱめが好きだと思う」
「マヨネーズ多めね? 了解っ」
胡椒もちょっとだけまぶしてみようかな、と凛は嬉しそうに言いながら、スマホにメモしていた。
「他には?」
「う~ん……大体なんでも食べるんだけど」
「カレーとかハンバーグとか、シチューとかから揚げとか」
「あ、から揚げ好きだな。ころもがぱりぱりしてるやつ」
「から揚げね、了解了解」
凛は嬉しそうだった。
そう言えば、普段何気ない会話はするけども、お互いの好みだったりといった事を、こうして話した事はなかった。
「ここまで聞いたんだから、もちろん作ってくれるんだろうな?」
「うん、今度練習してからね。お口に合うかわかりませぬが」
なにそれ嬉しい。思わず頬が緩んでしまった。
「ていうか凛って料理できるんだな」
「え、なんで?」
「なんか、作れなさそうだったから」
「あ、わかった。モデルだからでしょ」
「まあ、それもある」
中学生でモデルって、なんかチャラチャラしてそうだし、家にあまりいなさそうで、外食ばかりしてそうなイメージだった。それを伝えたら、凛は両手を腰に当ててお怒りになられた。
「なにそれ偏見~。ひどいなぁ」
すみません。何も知らないもので。
「あのね、モデルは体型維持が命なんだよ? 外食なんてしてたらすぐに太っちゃうから、滅多にできないの。体型を維持するためにも色々自分で作って工夫するわけなのさ」
後半はちょっとどや顔。凛のどや顔は結構好きだったりする。
「そんなに大変なのか」
玲華も同じくモデルとして活動していたようだが、俺と付き合っていた当初も、付き合う前も、特に食事制限をしていたようには思えなかった。いつも甘ったるいコーヒーを飲んでいたし、甘ったるい紅茶を飲んでいたし、甘ったるいパンケーキを食べていたし、ご飯もおかわりしていたし……と、一瞬思い出して、記憶を振り払う。
もうあいつの事はいいんだ、と。
「まあ、中には玲華みたいに何も制限しなくても、全然太らない子もいるんだけどね」
まるで俺の考えを読んだかのように凛が言う。驚いて彼女の顔を見ると、彼女は眉根を寄せて笑っていた。
「あ、『なんでわかったんだ?』って顔してる」
「……そんな顔してねーし、考えてねーし」
少し強がって応えると、凛は面白い事を思いついた、とでも言いたげなように、にやりとした。そして、
「ほー?」
とからかい顔で言ってくるのだった。
俺はこれを聞いて、思わず息を詰まらせてしまった。
この『ほー?』は、元カノ・久瀬玲華の口癖でもあったのだ。発音まで全く同じで言ってくるので、思わず息が詰まって、危うく咳き込みそうになった。
玲華は不機嫌だったり、からかう時によく『ほー?』と言い、なお且つ意味合いによって微妙にニュアンスや発音が変わってくる。これは、玲華が人をからかう時の『ほー?』だった。
「玲華の真似。似てるでしょ?」
また凛はどや顔を見せた。
「似てるだけに、最悪なモノマネだよ」
「他にもあるよ。やってあげよっか?」
「やらなくていいから!」
言うと、凛はおかしそうにころころ笑うのだった。
全く、嫌な特技を持っているものだ。そんなモノマネをされたら、玲華とのどうでもいい日常会話も思い出しそうになるからやめてほしい。
凛といる時は、玲華の事なんてもう思い出したくないのだ。
「と、まあ冗談はさておき……」
「ん?」
「料理も家事もできるし、こう見えて、なかなか良いお嫁さんになると思うんだけど……?」
凛がふと振り向きざまに言ったので、俺はまたしても息を詰まらせた。
凛がウエディングドレスを着ているところを想像してしまって、顔が上気するのを感じた。
「……顔、赤いよ?」
あっけらかんと言っているが、凛自身も顔を真っ赤にしている。
「お前も、な」
「夕日のせいだよ」
「逆光だぞ」
「……あれ? 変、だね」
「変だな?」
言ってやると、凛は顔を隠すように、俺の腕に飛びついてきた。
ああ、やっぱり凛は可愛い。本当に、どうしようもないくらい、凛は可愛いんだ。
そんな彼女が愛おしくて、堪らなかった。
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