1章 第8話 転校生・雨宮凛

「は……?」


 今目の前にある光景が信じられなかった。俺の前でにこにこ笑っている雨宮凛がいた。

 うちの担任がいるのはわかる。呼ばれたのだから。校長もわかる。ここは校長室なのだから。

 で、もう一人は何だ? 夢か? 俺は何か悪い夢でも見ているのか?


「今日からうちに編入することになった雨宮凛くんだ。君は知っているだろう?」

「え、ええ……まあ……」


 そりゃ知っている。いや、俺だけじゃなく皆知っている。有名モデル・RINだ。

 そう、存在だけなら知っている。昨日も会った。が、彼女はもう二度と会わないかも知れないと言っていた。それが……


(それが何でここに居るんだぁぁぁぁぁあ!?)


 俺の心の叫びを読み取っているのか、凛は相変わらずニヤニヤしていた。


「まあ、知ってるだろうが、芸能界での騒動があって引退してからお祖父さんの家に引っ越してこの学校に通うことにしてな」


 担任が理由を話している。知らない。そんなこと全く知らない。知っててたまるか。


「で、訊いてみたらお前の東京の知り合いらしいじゃないか。あの世間を騒がしていたモデルと知り合いとはお前もなかなかやるもんだな」

「いえ、あの時はまだまだ私も無名でしたので。翔くんとは塾が一緒で、よくお勉強を教えて頂きました」


 急に丁寧な言葉を使いやがる。そして横目でこっちを面白そうに見てやがる。

 なんだそれは。なんだか話が捏造されてる。俺がお前と知り合ったのは二週間前だ。塾ってなんだ。塾は通っていたけど、お前なんざ全く記憶にないぞ。あってたまるか。


「まあ、雨宮も今は大変な時期だろうから、しっかりサポートしてやるんだぞ。お前しか頼りになる奴がいないと言うからわざわざうちのクラスに編入させることにしたんだ。頼むぞ」

「は、はぁ」


 何を頼まれてるんだろう。え、てか同じクラス? もう意味がわからない。


「じゃあ、お前は先に教室戻ってろ。ホームルームで雨宮も連れて行くから」

「よろしくね」


 賞状やら楯を背景に、にこりと綺麗なスマイルを見せる凛。


「あ、ああ……」


 そのまま校長室から出て、空っぽの頭を引きずりながら教室に戻る。

 単純に驚いた。人間、心底びっくりしたら、本来すべき反応が全く出来なくなるのだ。嬉しいとか嬉しくないとか、問いつめるとか問いつめないとかそういう話ではなく、ただ信じられなくて固まる他なかった。

 正直、話の半分くらいは覚えていない。

 教室に戻ると、純哉が「なんだったー?」と心配してくれていたが、乾いた笑みを返すのが精一杯だった。

 教室に戻って気付いたのだが、よく見れば窓際の一番後ろの席に机が一つ増えている。ちなみに、そこは俺の席の横だったりする。

 それにしても、凛はどういうつもりなのだろうか。何でモデル辞めてこんな田舎の高校に来たんだろうか。それに、昨日言っていた話はなんだったのだろうか。もう会えないんじゃないのか。訊きたいことが多過ぎて頭がこんがらがる。


「あ? おい、どうした? 顔色悪いぞ」


 珍しく愛梨が心配してくれているのか、のぞき込む。


 俺は「ははっ、大丈夫」と返しているが、全く大丈夫でない。

 何だろう。ほんの数十分前まで凛と会えないことが寂しかったのに、会えたのに嬉しくない。いや、嬉しいと感じないほどに動揺しているのか、びっくりさ過ぎて嬉しさ感知センサーが麻痺してるかだ。

 友人達は首を傾げているが、わざわざ今説明しなくても後数分もすればわかる。

 そんな時に担任の香田が教室に入ってきた。香田が入ってくると皆静かに座る。教室がやかましいと香田はうるさく怒鳴るのだ。旧体制な教師だが、田舎だからこそ許されるのかもしれない。

 早速香田から転入生が居るという言葉が入り、教室は一気にざわめく。純哉達が何かを察したのかこちらを見るが、俺は敢えて気付かないふりをして視線を窓の外に向けた。

 香田は『雨宮凛』と黒板に書いてから凛を教室に招き入れ、彼女が入ってくるなり、教室内は更なるざわめきを見せた。


「え、あれRINじゃね?」「

嘘? そっくりさんじゃないの?」「RINがこんな学校に来るわけないじゃん」「でも名前同じだし」「てか細っ!」等のひそひそ話が聞こえる。

 まあ、それが普通の反応だ。純哉は目を血走らせながら、彼ご自慢の持ち歩き写真集と教室の壇上に上がっている凛とを見比べている。


「おーい、雨宮が自己紹介できんだろ。静かにしろよー」


 ぱんぱん、と香田が手を叩いて静粛にする様教室に促す。

 そこでようやく教室が気持ち静かになった。

 凛は表情からしてかなり緊張している様だった。芸能人で色んな人間ら見られているはずなのに、たった四十人足らずの人間に見られて緊張しているのは意外だった。

 凛は咳払いをしてから、ぴっと背筋を伸ばして、品のある佇まいを見せてから、自己紹介を始めた。


「雨宮凛です。東京の堀之内高校からきました」


 堀高だったのか、と彼女の素性を知っていると、納得の高校名が出てきた。

 堀之内高校は、通称・堀高。芸能人御用達の高校で、芸能科という芸能人の為の学科まであるくらいだ。学業よりも芸能活動を優先できる場である。ミーハー憧れの高校で、中学の友達では普通科や特進に入って芸能人と友達になろうという奴まで居た。今活躍している芸能人の多くもここ出身だ。


「知ってる人も多いと思うけど、私は少し前まで芸能活動をしていて……その件ではお騒がせしました。でも、今はもう辞めちゃったし、普通にクラスメイトとして接してくれると嬉しい、かな。宜しくお願いします」


 凛が恥ずかしそうに笑って一礼すると、あっけにとられながらも拍手がパラパラと起こる。その後担任が「いろいろ雨宮にも事情があるんだから、仕事に関することは訊かない様に」と念を押していた。


「じゃあ、雨宮は相沢の隣の席で。相沢、さっきも言ったがよろしく頼むぞ!」


 クラスメイトの視線がこちらに突き刺さる。主に純哉の血走った眼孔が恐い。今だけは愛梨よりも恐い。殺される。

 そんなことを考えているうちに、凛は窓際の一番後ろの席に座った。


「……よろしくね、翔くん」


 凛は、さっきの校長室みたいにからかった様な笑みではなく……申し訳なさそうな、それでも少し照れ臭そうな笑みを見せた。


「よろしく」


 なんだかそんな笑みを見ると、さっきの混乱はどうでもよくなってきた。

 いや、ようやく実感したのかもしれない。

 雨宮凛が、身近な人間になったということを。

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