1章 第5話 RIN

 高校というものは、案外退屈である。本やマンガやゲームでは高校が舞台となる事が多く、自分も高校生になったらさぞ面白い事が待っているのだろうと思っていた。

 だが実際は、何も起こらなかった。部活に精を出すわけでもなく、勉学に励むわけでもなく、行事に積極的に参加するわけでもなく、ただ惰性に日々が過ぎていっていた。一言で表すならば、それはロクなものではない高校生活だ。今日から二学期なわけで、そんな高校生活がまた再開する。

 東京に住んでいた頃は、そうではなかったような気がする。確かに、田舎には田舎の良さがあると言った。田舎でないと昨日凛と出会った場所はないし、都会の喧噪にいらいらする事も生き急ぐ事もないだろう。

 ただ、そんな田舎の時間に流されるがまま、気が付けばもう高校二年の二学期だ。これはこれで、何か焦る。

 何となく、こんな退屈な町にも慣れ、都会の喧噪を忘れつつあった頃でもある。今では仲良く過ごす友達も居て、特に大きな問題もなく高校生活を送っていた。

 きっと、このまま何もないまま高校生活は終わって、皆それぞれの進路へ旅立ちバラバラになるのだろう……うっすらとそんな事を考えていた。

 きっと、昨日出会った雨宮凛のような悩みとは、無縁の生活だろう。

 そういえば、彼女は悩みに対して答えを出したのだろうか。それともまだ一人で悩んでいるのだろうか。

 もしまだこの町にいるなら……また会いたい。

 そんな事を考えていると、始業式が終わって、今は行き着けの喫茶店『アイビス』(と言ってもこの田舎町には、喫茶店すらあまりないのだが)に立ち寄って、ダラダラと過ごしていた。

 特にやる事もなく、店内に置いてあったマンガ雑誌を手に取る。マンガ家を目指す少年たちのマンガを毎週読んでいるのだが、希望を持って夢に突き進むその姿に俺は軽く嫉妬を覚えた。俺にはそんな夢も熱意もなかったからだ。

 今日何度目かの溜息を吐いたら、隣のテーブルから「えー! マジかよ!?」という驚きの声が上がった。


「あ? なに?」


 そこには、友人・木下純哉きのしたじゅんやが居た。彼とは、昨年転校してから真っ先に絡む様になり、今では大体常につるんでいる。

 俺と純哉は学校帰りにこの喫茶店に寄る事が日課となっていて、今も正に目的もなく喫茶店に訪れてはダラダラと過ごしている最中だった。そんな最中、純哉は喫茶店に置いてあった芸能雑誌を読むなり大声を上げた。本当はもう一人、愛莉あいりという女友達もいたのだが、今日はバイトがあるとかで、先に帰ってしまった。


「いや、これ見ろよ!」


 純哉が差し出した雑誌を手に取ると、『人気急上昇中の女子高生モデル・RIN、失踪したかと思えばブログで芸能界引退宣言⁉ 事務所は大慌て!』という見出しだった。


「ふーん……そんな有名なの? そのRINって子」


 俺はその雑誌を受け取りもせず、返した。

 なんとなく、名前から凛を思い出してしまうからあまり見たくない名前だったのだ。切なくなってくる。

 そもそも、あまり芸能界には興味無い。モデルどころか俳優にだって詳しくない。


「あー、そういや昨日は芸能ニュースでもその話ばっかりだったなぁ。誘拐かとも騒がれてたが、違ったみたいだな。まあ事件にならなくて良かったじゃないか」


 喫茶店のマスターが口を挟んできた。マスターは一日中ここでテレビか新聞見て客と話すだけだから、こういうゴシップ情報については詳しい。


「そういや俺昨日ずっと宿題やってて夜はバイトだったからテレビ見てなかったわ……それにしても芸能界辞めるってマジかよ」


 純哉は週に何回か、ガソリンスタンドでアルバイトをしている。何でもバイクを買う為らしい。確かにこんなど田舎に居たらバイクか車でも無いとやってられないかもしれない。


「純哉、その子のファンだっけ」

「うむ! RINちゃんとセックスできるなら死んでもいい!」


 発言からしてファン失格過ぎる。

 こいつと友達なのを今すぐやめるべきだろうか。たまにぶっ飛んだ発言をする時に思う事なのだが、今は本気で思った。


「RINちゃんのミニ写真集は常に持ち歩いてるんだぞ? 見よ、俺等と同い年にしてこの完成された容姿を!」


 バンッとテーブルにRINとやらの持ち運びサイズの写真集を叩きつける。(うわ、気持ち悪っ⋯⋯)と言い掛けたのを何とか喉元で押しとどめて、その写真集を手に取ってみた。


「可愛いだろ?」

「……え?」


 表紙を見て思わず固まってしまった。すごく見覚えがある女の子だった。そして、記憶にも新しい。これは何の冗談だ? 


「これで俺等と同い年だぜー。有り得ねぇよな。可愛いっつより綺麗だぜ。大学生モデルと一緒に大学生向けのファッション誌にもよく出てるし」


 ページをめくる手がふるえる。


「どした、翔? あまりに美くしすぎて鼻血出そうか? 鼻血出すのはいいが、この写真集にだけは掛けるなよ」

「……この子、本当にRINってモデルなの、か?」

「あ? そうだよ。どうしたんだよ」


 どうしたもこうしたもない。

 ここで色んな服を着て着飾ってこちらに向けて笑顔を振りまいたり決めポーズを取っているのは──昨日俺と話していた、雨宮凛だったのだ。


「会った事が、あるんだ」


 そこで、純哉が沈黙する。

 暫く沈黙した後、殴りかかってきそうな勢いで肩を掴んできやがった。


「なぁにぃぃぃぃぃい⁉」


 テーブルがガタンとふるえ、上に乗っていたコーヒーがこぼれそうになる。


「バカ、離せ!」

「離すかアホ! いつ、どこでだ⁉ 東京に居た時か? 会ったのか? 話したのか? 殺すぞ!」


 ゆっさゆっさと揺さぶってきて気持ちが悪くなってきた。

 最後の文章だけ意味がわからない。なぜ断定的に脅されなくてはいけないんだ。


「昨日、この町でだよ! 音慶寺の近くで話したんだ!」

「は?」


 それを聞いたとたん、純哉は深い溜息を吐いて、俺の服の皺を直した。


「いや、すまなかった。お兄さんちょっと取り乱したよ。えーっと、翔くん何か飲むかね? お疲れの様だから何か奢ってあげよう」


 物凄く哀れんだ(というか蔑んだ)視線を向けて、財布から五百円玉を出しやがった。


「いや、ほんとだって! 昨日見たんだから」

「あのなぁ、翔?」


 純哉は静かに首を振った後、


「国内ティーンズトップモデルがこんな糞ど田舎にいるわけねぇだろうがぁぁぁぁぁああ!」


 耳元で大声で叫びやがった。キーンと耳が痛む。


「いや、でも」

「でもも糞もあるか! おまえどうせ徹夜して宿題終わらせたんだろ⁉ ならその徹夜の中で見た夢だ! 幻だ! 幻影だ! 錯覚だ! そして虚無だ!」


 さて、今の中で一つだけ意味の違う単語があります。その語句を選びなさい。とか試験で出そうだ。確実に最後のやつは、使い方間違えている。


「いや、案外有り得る話かも知れんぞ」


 俺達の騒ぎを呆れながら聞いていたマスターだが、読んでいた新聞を置いてカウンターから出てきた。


「へ?」

「昼の情報番組でな、その子の祖父の家がここ鳴那町だという話が出てな。実家は東京で騒がしいからそっちの家に行くんじゃないか、なんて言われてたぞ」

「マジかよ! え、じゃあこいつが会ったのRINなの?」

「それはわからんが、確か雨宮工務店のお孫さんがモデルやってるっていう話は前に聞いた事があったな」


 その名前にビリビリっと電撃が走った。


「じゃあその子だ! 昨日、あの子は雨宮って名乗ったし!」


 嘘だろう? 有名モデルだったのかよ。信じられない。


「じゃあ、ほぼ黒だな。信じがたい話だが、どうやら本当にそのモデルはこの町に来ていたのか」

「ま、マジかよ……お前、知らないであのRINと会話してたのかよ。羨ましいんだか勿体無いんだか……ちくしょー」


 純哉がへなりと崩れる様に椅子に座った。 

 いや、確かにそれで昨日疑問に感じていた辻褄が全て合う。彼女の異様な警戒心、俺が彼女を知らないことを知った途端に解いた警戒、でもちょっとそれは残念そうでもあったのも頷ける。

 自分の知名度について知られていなかったのは、彼女のプライドを傷つけたのかもしれない。あと、東京で自由に遊べず監視されてると感じるのは……モデルで有名人だからだ。

 じゃあ、ちょっと待てよ?

 昨日の悩み相談って、まさか──


「何話したんだよ、裏切り者め」


 純哉は恨めしそうな視線で俺を睨んでくる。


「な、何も無いって。ちょっと話して自己紹介したくらい」

「ぐっ、自己紹介だ⋯⋯⁉ 聞かなきゃ良かったぜ」


 純哉の右手がぷるぷる震えている。

 しかし、俺は別の理由で震えを止めなければならなかった。

 想い出せ。昨日、彼女は俺になんて相談した?


『例えば、ね? 自分が憧れてた世界に、たまたま入っちゃって、好きな事だから色々犠牲にして頑張って、それなりに成功したとするじゃない?』

『でも、もっと上にいくには絶対に自分がしたくない事まで要求されちゃったとして、その世界そのものに嫌気が差しちゃった場合……君ならどうする?』


 明らかにこれ芸能界じゃないか? この引退の話じゃないのか?

 ちょっと待て、では俺の不用意なアドバイスが彼女をこんな行動にさせてしまったっというのかだろうか。勘弁してくれよ。俺はそんな大それたアドバイスなんてする資格はないし、芸能人一人を辞めさせる権限なんてない。何を考えているのだ、あの子は!


「まあ、落ち着けよ、二人とも。雨宮さんとこのお孫さんがこっちに来てるならまだ会える可能性もあるだろ? それに、昨日ブログで引退報告したなら本人はまだここにいる可能性だってある」

「そ、そうか! じゃあ早速町中捜して山狩りでもするぜ!」


 言うや否や、純哉は代金だけ払って飛び出して行った。

 きっと、こういうファンがいるから凛は警戒したんだろうな、とつくづく感じた。


「あ、相沢君もRINと会えたなら友達になってこの店連れて来てね。店が流行るかも知れないから」


 にやりとして答えるマスター。

 それが狙いかよ。しかし、もしこの話が事実ならこの町も騒がしくなりそうだ。田舎町に住んで知った事は、都会では考えられないくらいに田舎の住民は噂話やゴシップネタが好きな事だ。そんな彼らがこんなネタを見逃すはずがない。

 ましてや、田舎は人の出入りがわかりやすい。凛は特に目立つオーラを放っているし、見つかるのも時間の問題だと思えた。

 というより、雨宮工務店の前で見張ってれば嫌でも見つかるだろう。


(どうしよう……俺も行って彼女に引退宣言撤回させるよう説得すべきか?)


 こんな事になるならもっと相手の素情を探ってから言うべきだった。だから相談なんてしたくなかったのだ。こっちは善意で相談にのったのに何で他人の人生を背負わないといけないんだ。

 俺はそう心の中で愚痴り、苦いコーヒーを一気に飲み干した。

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