第7話 SISTER



「さくらちゃん、びっくりしたんだからねっ」

「ごめん。悪気は無かった」


 リビングにいたら急に廊下へ続くドアが開き、見覚えのある女性が血相を変えて入って来た。

 それと共にガッチリとホールドされる。

 驚く暇はないが、相手がだれかは直ぐに気が付いた。

 内心では心臓バクバクだけど、取りあえず相手に話を合せる。


「いやうん、少し元気になってくれたみたいで安心したけどさ。お母さん、毎日さくらちゃんの動画見てるんだよ?」

「……それは恥ずかしい」

「なら気をつけてね。アイスの回のさくらちゃん、エロいとか凄い言われてるから」

「うう…………」


 そう、姉であるひまわりが襲来したのである。

 見覚えがあるのは、さくらの記憶がとかじゃない。

 目の前の女性の容姿が見慣れているからだ。主に毎日オレが覗き込む姿見の中で。

 その日は放送の予定も無く、久しぶりに遠出して買い物に行こうと出かける準備をしていた午前中だ。


 と言っても女の身体には随分と慣れ、髪も色々セットしたりもできる。

 服もいくつか通販で買ったかな。

 さくらが持っているアイテムだけだと、毎回似たような恰好になっちゃうしなあ。

 だから少し増やしたのだ。


 元の自分でも服は嫌いじゃ無かった。

 基本的にはスーツだったけれどテーラーメイドのオーダースーツを集めたり、シャツの襟や袖、タイの結び方、アレンジはいくらでも出来た。

 だからそれが女の服に置き換わっただけで、それはそれで面白いのだ。


 下着に関してはそういう物だと割り切った。

 あれは乳首が痛くならないサポーターなのだと。

 最初はノーブラのままいたけれど、例えAカップでも擦れりゃ痛いのだ。

 でも服の素材によっては透けたりするから、そう言うのも考慮して、出来るだけ服に合う様な色やデザインを購入した。


 お洒落と割り切ると、肩口から見えてるブラの紐だって差し色として使えるから、キャミとブラの色合いとかも考えると面白い。

 だからランジェリーもそれ用にレースの奴や、デザインの凝った奴を購入したのさ。


 元々あったのは洒落っ気が一切ないのばっかだし、全部捨てた。

 服も無地に近いワンピース系が多い。チュニックとか。

 だからもっと遊んだデザインのを揃えてみたり。

 ネットを介して買うとノーブランドでも面白いのが色々あったりして安く買えた。


 こういうのも自分をリセットするって意味ではいいのかも。

 断捨離ブームとかあったが、それに似た感覚だなぁ。 


 さくらとしての事は一通り把握できたのが大きい。

 このマンションの住人専用の駐輪場には、3年落ちの黒いスポーツスターがあった。

 ハーレーダビッドソンの定番モデル。

 いわゆる883パパサンってやつだね。


 さくらは車は持たずこの単車一台持ちだった様だ。

 まあ東京に住んでいれば車より単車の方が便利だろうし。

 前世でもハーレーではないが、ヤマハの大型バイクを持っていたからそこは問題無い。


 既に何度か乗ってみた。

 ちょっとリアサスが硬すぎたので、スマホで見つけた世田谷にある直営店で調整して貰った。

 ついでに買い物にも使えるように、タンデムシートの横に荷物を積むためのフレームをつけたり。

 アメリカンと言えど、映画のイージライダーみたいに、広大なアメリアの大地を旅するために、キャンパー用の部品とか豊富だからね。


 まあそんなんで、買い物じゃー! とシングルの茶色いライダースに黒いスキニージーンズというバイカーファッションで出かけようとしていたオレ。

 そんな時に手にういろうの紙袋を下げた、オレとそっくりな銀髪美人さんこと姉さんがやって来たのだ。


 さくらちゃん! と叫ぶと、思いっきりハグされたわ。

 唖然とするオレ。

 見た瞬間理解したさ。身内だって。

 母親じゃないなら必然的に姉のひまわりって事になる。


 実際姉妹なんだろうってのは容姿でわかる。

 身長はオレよりも頭二つくらい小さいけれど、顔や髪はまんまさくらだもの。

 ただし明確に違う部分がひとつある。

 それはバルンバルンと動くたびに揺れる凶悪なまでのヒマラヤ山脈の存在だ。

 中身は男のつもりだが、無性にイラっとした。


 まあそうして、ひとしきり姉にモフられ続けた後、近況の話になる。

 姉が突入してきてから小一時間経つが、オレの口調に違和感は無いらしく、特に怪しまれる事も無い。

 ただ酷い罪悪感がある。


 なあ姉さんよ。

 さくらはな、死のうとしてたんだ。

 おそらく死んだんだ。

 だからオレが上書きされている。


 だからと言ってそれを素直に言った所でどうなるんだ?

 姿かたちは高科さくらのまま。

 口調もそのまま。

 声も、身体も。


 けどさくらは死んで、別の男の精神がここにいる。

 どうやって死んだことを信じさせる?

 現在進行形で【高科さくらの肉体-彼女の魂+オレの魂=現状】なのに。

 オレがカミングアウトしなきゃ姉も母親も気が付かない。

 そして伝えられてどう気持ちを処理する。できる?


 結局、オレは言わない事を選んだ。

 気持ちはもやもやするけれど。

 これは言った事で生じる問題やストレスから逃げたいと言う、オレ自身の現実逃避も無いとは言わない。

 むしろかなりある、そう思う。


 でもそれ以上に、目の前の優しそうな姉や、オレのこざかしい動画を楽しんでいる程に心配しているらしい母親を傷つけたくないと言う気持ち、両方存在しているのだ。


 二律背反? 違うか。でもそんな感じ。

 オレは確かに高科さくらだが、本来のさくらの一番の味方のつもりでいる。


 それで近況部分では、ピアニストとしての挫折は挫折としてしんどいけれど、それ以上に何もしない時間が辛いと思ったんで、とりあえず身近で出来る事って流れで配信をしてみたと素直に伝えた。

 自分を変えるにしても、急に普通の人みたいな生活に戻れる感じもないし。

 これは方便と言うより本音だ。オレが無理だもの。


 すると姉は嬉しそうに微笑み、今度はメールだけじゃなく声も聞かせてほしいと言った。

 直ぐには無理かなと言うと、スマホのラインアプリを入れさせられ、家族のグループに入れられた。

 テキストのやり取りだけじゃなく通話も出来るからって。

 ならいいかって感じ。


 ただその一方で、酷く安心したって気持ちが今は強い。

 いずれはきちんと家族と会わなきゃいけなかった。

 その心の準備は出来る気がしなかったけど。

 でもこうして来てくれたおかげで、胸のつかえがひとつとれた気持ちになれた。

 感謝だ。姉に。胸は気に入らないけれど。


 ただ冒頭の様に怒られてしまった。

 顔を隠していようと、身内にはすぐ分かるらしい。

 そしてやはりアイスの回はエロかったらしい。

 そうしようと思ってやった訳じゃないから複雑だが。


 さて姉だが、年齢はオレの2つ上で今は名古屋大学で修士課程に進んでいるらしい。

 今は夏季休暇中で、それを利用して来たと言う。

 数日観光して帰るつもりだったが、目の前で母さんに電話をし、休みいっぱいここにいると宣言。


 大学生って2か月近く休みあるじゃん。さすがに居過ぎでは?

 姉いわく、失った可愛い妹との時間を取り戻すとか。

 まあいいか。スキンシップの多い姉だが嫌悪感は感じないし。


 そんな感じで、家族との邂逅は思いがけずに済んだのだ。

 本当にほっとした。


 天国にいるさくら、お前の残りの人生はなんとか続けるよ。

 お前もオレが演じる高科さくらの実況、そこから見ていてくれよな。




 ☆☆☆☆☆☆☆☆




「ほらさくらちゃんっ! こっちで写真取ろうっ!」

「あーはいはい今いきますよー」

「もうっ! ノリが悪い!」


 姉さんのはしゃぐ姿にまるで娘でも連れている父親の様な気持ちになる。

 実際、150センチほどの小柄な姉さんが、オレと同じ長い銀髪を、幼さを感じるツインテールにして跳ぶ様に手を振る姿は子供にしか見えない。

 オレより2歳年上の筈なんだけどなぁ……。


 現在のオレ達がいるのは東京タワーの真下。

 赤錆びた色をした東京観光と言えば真っ先に名前の挙がるあそこだ。

 今でこそ高さではスカイツリーにその座を奪われたが、オレはこっちのが好きだ。


 というかスカイツリーの凄さは理解出来るよ。

 大きいし。

 けど世界を見渡せばあの手の近代的な高層タワーは、日本以外にも多くあるんだ。

 

 東京タワーは何というか、日本の歴史の中で建設されたって言う赴きがある。

 焼け野原になった東京が復興し、日本一の人口密度を持つ都市に変貌していく過程を、タワーはじっと眺めて来たのだ。

 それってとても浪漫を感じる。


 だから東京タワーが好きなんだ。

 凄いよな。

 上の方にはアメリカの戦車をスクラップにした鋼材が使われてるんだとさ。

 正式名称は日本電波塔。

 

 まあいいや。

 そんなオノボリさん丸出しの観光地になぜいるかだが、姉さんがデートをしようと騒いだからだ。

 オレも昨日は、彼女が来るまでは買い物で外出する予定だったし、なら特に断る理由も無い。


 けどバイクにタンデムでは無く、歩いて来た。

 高輪のマンションを出て第一京浜に出る。

 ここは毎年箱根駅伝で大学生たちが走る場所でもある。

 それを新橋方面に向かい、札の辻交差点を左に折れ、後は慶応大学の前を舐める様にのんびり歩く。

 

 ここは国道一号線。

 この通りに入った時点で視界には東京タワーが見えている。

 両側にビルがあり、それでも新宿や丸の内ほど高層ビル群でもない。

 結局到着まで50分ほどの散歩になったけれど、姉なのに妹みたいな無邪気な姉さんの好奇心の赴くまま、シアトル系カフェに入ったり、地元には無い店を指さしてはしゃいだり。

 そりゃ引率気分にもなるさ。


 ここはオレの生前の生活圏でもある。

 現在の高輪と違って、オレの家は三田にあったからな。

 なので食事は概ね田町界隈で済ます。

 慶応大学の周囲には、学生を狙った店も多かったし、個人経営ながらスーパーやドラッグストアもあった。

 田町の駅前にはレンタル店もあったし、暇つぶしにはパチンコ屋だってある。


 都会と言うステレオタイプが強い東京は、住むのには向いていないってイメージが大きいだろう。

 特に地方に住んでいる人には。

 けど住めば都じゃないが、娯楽以外の物価は、実はそう高くも無い。

 前世のオレは地方出身者だが、地元と比べても大した気にならなかったな。


 それに高級店にさえ行かなければ、安い飲食店も山ほどある。

 そりゃそうだ。飲食店の総数が多いんだ。生き残るための価格競争は地方より大変なんだし。

 オレが個人で夜遊びするのは主に新宿だったけど、一万以内でたらふく呑んで気分よく帰れるもの。

 あとは大井とか蒲田、赤羽、上野なんかも庭だった。


 東京と言う街はごった煮というか、都会と田舎が混在した場所だ。

 だってそうだろう?

 徳川家康が開発しなきゃ、ここらはただの荒地だったらしいし。

 それまでの政治の中心、経済の中心は関西だったのだし。

 

 なので東京の土着の人間は多くいる。

 結果的にここが都会になっただけで、東京には東京の地方文化がある訳だ。

 知っているか? オフィス街でもある品川界隈。

 ここに住んでいると夜とか連休中は人の姿が消えてゴーストタウンに見えるんだぜ。

 それこそ第一京浜沿いなんか特に。


 なのでビジネスに関わる地域と、いわゆる下町と呼ばれる地域の風景は別の国ってくらいに違う。

 正月近くに下町の裏路地でも歩いてみればいい。

 ステテコ姿のオッサンがねじり鉢巻きをしながら餅つきをしている風景が見れるから。

 そう言うのもあって東京が好きなんだ。江戸文化が今だ息づいている。


 だから姉さんの思いつきのお出かけも、実は結構楽しんでいる。

 ほらあそこが慶応大学だよ。

 ここのジンギスカン屋は結構オススメ。

 まるでハトバスの添乗員さんみたいな気分で。


 昨日と同じくバイカールックのオレの右手に腕を絡ませながら手を引く姉。

 スマホのカメラで撮るらしい。

 ほらさくらちゃんピースしてピース。

 言われるままに引きつった笑顔でピース。


 それでも姉さんは心底嬉しそうに出来上がった写真を眺める。

 昨日の夜は結構遅くまで話した。

 ビールを一緒に呑んだからかな? 結構オレの方が饒舌に。

 

 姉さんは静かに聞いていた。

 酒のせいかボロが出ることを気にしないままに台詞を垂れ流すオレを見つめながら。

 きっときわどい事も言ったかもしれない。

 

 ただベッドで一緒に眠る時、姉さんは言ったんだ。

 さくらちゃんが生きているだけでいいのって。

 姉さんは少し泣いて、本当に嬉しいのって言いながらオレの胸に顔を埋めてそのまま眠った。


 なあさくら、もう少しだけ我慢できなかったのかい?

 オレは姉さんの頭を撫でながら、益体やくたいもなくそう思った。

 きっと母親も同じ様に心配してたんだろう。


 ねえさくら、君にとってピアノしか無かったのかな。

 別の生き方、探す余裕は無かったのかな。

 もし君が生きていた時にオレが出会えていたなら、そんな事も思ってしまう。

 全てはもう過去の事だけど。

 さくらはもういない。それがとても悔しかった。


「姉さん」

「ん?」

「天気もいいし、このまま歩こう」

「わーい。一日中デートだねえ」

「そうだね。でもとりあえずはご飯を食べよう。五反田で歩いて。とびきりのステーキでも」

「ステーキっ!」


 だからね、さくら。

 オレが君の分も愉しんでみるよ。

 人生って奴をさ。

 

 不安は多いけれど、オレもまた、君の様に空虚だったから。

 うーん、世間に疲れたオッサンと、十代の苦悩を抱えた君と一緒にしたら怒るかな?

 それよりもまあ、今は五反田でステーキを食べたいな。


 昔みたいに、ライスなしの500gサーロインは食べられないけれど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る