現代にTS転生したけど馴染めないから旅に出た

漆間 鰯太郎【うるめ いわしたろう】

第1話 ハッピーバースデイ

「生えてない……マジか……」


 呆然ぼうぜんとしたまま、オレはそこにあった姿見を眺めながら視線を上下に往復させる。

 イ○ンタウンとかに入っている、意識高い系女子が好みそうなショップで売ってそうなシンプルな白のワンピース。

 その胸元をそっと指で持ち上げて見下ろせば、凹凸のほとんどないノーランジェリーな女体。

 控えめに言って浮世離うきよばなれした無表情の美少女が鏡の中にいた。


 生えてないと愕然したのは主に2つの意味でだ。

 ひとつはアンダーなヘアが生えていない。つるつるだ。

 そしてもうひとつ、これが重要なんだが、元々あったはずの、27年のオレの人生で慣れ親しんだ男性器が消えている、この二点である。


「……ううっ変な感触がする。女っていつもこんな風に感じてたのか」


 呆然としたまま、二つの微妙な高さな桃色の頭頂部をつつき、股の間の魅惑の渓谷けいこくをなぞる。

 全身がブルルと震えるような未知の感覚がしてすぐに手を引っこ抜く。


「どうすんだよこれ」


 とりあえずボヤく。当然それに返事はない。

 笑う。イーっと歯を剥いてみる。

 そこにはやはり、艶々つやつやの銀髪が美しい少女がいる。


 かわいい。でもこれ、オレなんだ。

 前髪ぱっつんの美少女。

 年のころは……顔は整っているが、若干釣り目がちのため、クールな印象。

 目はまつげが長く切れ長。通った鼻筋に、淡い桃色の薄い唇。


 感覚だがおそらく身長は170をぎりぎり越えたくらい?

 女としては長身だな。身体はガリガリだけど。

  

 日本人なのは日本人なんだろう。瞳の色が茶色かかった黒だし。

 けど髪の色を思うと、どこか外国の血が入っているのかもしれん。

 しかし銀髪ねえ。ウィッグでもないし地毛なんだけど、染めた様な違和感も無い。

 だって整っている眉毛も同じ色だもの。

 ただ肌は黄色人種ってよりは白人系に近い白だ。


 元のオレの職場は外資だったこともあり、身近に欧米人が多くいた。

 その時の感覚から言えば、白人で目の前の少女……ってオレだが、こんなに肌がきれいな人は見たことがない。

 何というかよく見ると毛穴が目立っていたり、思ったより産毛うぶげが濃かったりするんだ。

 でも今のオレはそう言うんじゃない。綺麗過ぎるんだ。

 言うなれば、まるで血の通っている人形ってイメージだな。


 でもコレ、オレなんだよなぁ……。

 もうじたばたするのはやめた。

 現実をきちんと見よう。


 整理すると間違いなく今朝までオレはオレだった。

 久慈直人くじなおと、これが本来のオレの名前。

 身長は180ちょうど。

 ガキの頃から水泳をやっていたからガタイはよかった。


 年齢は27才で恋人はいたりいなかったり。

 仕事は外資系の製薬会社。

 オレは営業部で、医学界で影響力のある団体や個人への売り込みが主な仕事。

 新薬を紹介したり、大型の医療機器なんかの導入をプレゼンしたり。


 だからほぼ毎日どこかしらのお偉いさんにすり寄って接待だ。

 休日は好きでもないゴルフに勤しみ接待プレイ。

 なのでほぼ年中仕事をしていた記憶がある。


 今日は土曜日で、朝から栃木へと向かっていた。

 去年買ったアウディA6で。

 行先は国際大会も開催される歴史ある名門のゴルフクラブ。

 都内の有名医大の教授への接待だ。


 経費はぜんぶうち持ち。

 不況の最中に時代錯誤が過ぎるが、そういう業界なのだ。

 教授は宇都宮でパーティをしているとのことで前乗りしており、今日は現地で待ち合わせだった。

 因みに二十代でアウディとか生意気だと思うだろうが、この業界、身に着けるアイテムは大事だ。


 アウディにしてもA6なのは、A4だと安っぽ過ぎるし、けれどA8だと生意気になるからだ。

 A6が中途半端に高級で足元を見られない。

 医学界ってのはとにかく見栄っ張りが多い。

 権力欲が強く、ちやほやされたい人種が多いというか。

 平成の世も駆け抜けつつある時代に、今だ昭和の気質きしつを持つ人間が多い。

 もちろん医療の発展に全てをかける尊敬すべき医者も少なからずいるにしても。


 だから付き合う相手のレベルが低いと見下される。

 身に着けている服や小物、そう言うのも含めて、それなりのステイタスを持っているとみられないと駄目。

 個人的にそういうのはナンセンスだとは思うが、実際そう言う業界なんだからいかんともしがたい。

 で、ああ……思い出して来た。


 朝の4時に品川のマンションを出て、高速にも乗らずにのんびりと一般道で栃木を目指す。

 これはちょっとした反逆だな。

 シフト上、オレは休日なのだ。

 なのに仕事をしている。

 ならゴルフ場につくまでの三時間弱、ちょっとしたドライブ気分を味わおう的な。


 でもそれがダメだった。

 まもなく宇都宮市街に入るだろうって地点でそれは起こった。

 田園風景が続き、高速のバイパスが視界に入った辺り。

 ちょっと先にあるラーメン店の味噌は絶品で、本場札幌を越える美味さだ。帰りに寄りたいな、そんなことを思っていた。


 けれどこの頃はすっかりと日の出は過ぎ、周囲は明るくなったが交通量は少なく、見える範囲に車はいなかったはずだ。

 だがふと気が付くと、センターラインを大きくせり出した大型トレーラーが目の前にいた。

 そこで衝撃────次の瞬間、オレは見知らぬ部屋の中に座っていたというのがこれまでの流れ。


 オレは事故を起こしてこうなっているらしい。

 その結果が見知らぬ女になっている――意味が分からない。

 しばらく混乱していたオレだが、暫くして冷静になると、部屋の中を見渡す。

 いつまでも座っていても仕方ないもんな。


 元のオレの部屋とは違うが、どこかの小奇麗こぎれいなマンションの一室ってことはわかる。

 部屋の間取りは大きなリビングにキッチンがあり、奥に何部屋かある感じ。

 女一人が住む規模じゃなく、ファミリー用な間取りだろう。

 ただそれにしては家具が驚くほどに少ない。

 少ないというか、不自然に無い感じか。


 リビングには白いふかふかのラグカーペットが敷いてある。

 でも応接セットやローボード、テレビと言ったリビングにありそうな家具が無い。

 モダンな洋風の内装で、壁紙は濃いグリーン。

 ラグの上にちょこんと載る古風な丸いちゃぶだい。

 あとは知る人は知っている例の大手雑貨屋が売っている、人をダメにするとウワサのビーズクッションが一つ。


 顔を横にずらす。ベランダへと続く大きな窓。

 日当りはかなりいいが、カーテンはなくブラインド。いまは下ろされている。

 それを開けてベランダに出ると、どうやらこのマンションは池のある公園が箱庭のようにあって、その四方を五階建てくらいの横長マンションが囲んでいるようだ。

 オレが今いる部屋はどうやら最上階で、公園では複数の母娘が遊んでいるのが見える。


 リビングに戻り今度は玄関に続く廊下に向かう。

 そこにはいくつかのドアがあり、一番手前から順番に見ていく。

 最初の部屋以外は空っぽだった。

 その手前の部屋って言うのがこの娘のベッドルームな様だ。


 ベッドルームに入ると中にはダブルベッドが一つ。

 カバーやシーツ類は濃い茶系。これも例の雑貨店のだろう。見覚えがある。

 地続きで広めのウォーク・イン・クローゼットにはシンプルなデザインの服がいくつか吊ってある。 

 この白いワンピースもこの女の趣味なんだろう。


 クローゼットは4畳間程度の広さがあり、段数の多い引き出しのついた物入れがいくつもある。

 順番に見ていくと下着や靴下、小物の類が几帳面きちょうめんにしまってある。

 と言っても下着もまたシンプルで飾り気のないものばかり。

 デザインよりも機能性重視というか。パンティ的な奴よりもボクサーショーツのローライズ・タイプが多い。


 だからいわゆる勝負下着的な煽情的せんじょうてきなデザインのやつはない。

 ブラにしてもスポブラっぽいやつしかないな。

 後はブラのいらないカップ一体型のキャミソールとか。

 まあ、うん、このサイズだとそうなのかもだが。


 それにしても本当に調度品が少ないな。

 唯一目立つのは、ベッドルームの壁にある銀枠のシンプルな額縁がくぶちに収まったイミテーションのポスター。

 これはオレも知っている奴だ。

 サイケデリックなカラーのモンローの顔。アンディ・ウォーホルの有名作品。


 リビングに戻り、そして冒頭につながる。

 壁際にあった姿見、それを眺めて自己確認。

 結局さっきまでオレは確かに男で、現在が女。

 それも見覚えのない美少女、これが結論だ。


 もう一度ベッドルームに戻る。

 そしてクローゼットの中にあった引き出しの開けていないところを探す。

 家探ししているみたいでいやな気分だ。

 でもそれ以上に今の状況を深く知りたい。


 ――――あった。


 運転免許証だ。やはりここは日本でオレという美少女も日本人だ。

 銀行の通帳なんかもある。

 一歩前進。これは素晴らしい手掛かりだ。

 小説の探偵みたいに心躍らせての謎解きではないが。

 オレは引き出しごと抜いてリビングに戻る。


 そしてザバーっとちゃぶだいの上に中身を出した。

 免許証の名前は「高科たかしなさくら」とあった。

 免許の項目には普通自動車と大型自動二輪。


 痩せっぽっちの癖に大型バイクって意外だな。

 教習車を起こせたのか?

 免許取得の初年度は……2027年7月!?。

 おい、突っ込みどころが出てきたぞ。

 今年は2019年なんだが……。


 溜息が漏れる。

 女になった上に未来だと?

 思いっきり息を吸い込む。

 どうやら無意識に息を止めていたみたいだ。

 呼吸が荒い。なんだこれ、すごい怖いぞ。


 ふと見ればコンパクトなスマホがあった。

 リンゴのマークのアレだ。

 ただオレが持っていたモデルとは全然違う。

 えっ!? オレが使っていたのは7。

 でもコレ……何世代先のモデルだ?


 それのホーム画面を見ると2028年10月1日。

 そうなるとオレこと高科さくらの年齢は19歳?

 住所は品川区高輪〇〇。このマンションがそうか。


 うーん……。

 オレは高科さくら19歳。

 大型バイクにも乗れてしまう謎の美少女。

 それが分かった所でまだピンとは来ない。


 だったら次はスマホだ。

 オレの感覚でもスマホは個人情報の宝庫だしな。

 連絡先には……見覚えのない女友達だろうか?

 複数の女性名があるが、やはりピンとは来ない。

 同じ高科姓が二人。高科ゆりと高科ひまわり……姉妹か母親か判別がつかないな……。

 男性の高科はいないが、父親は死んでる? 離婚? わからない。


 そうして悩むこと数時間。

 オレは考えることを放棄した。

 あとはクローゼットにあったノートPC……これもリンゴ製だが、あれを確認して情報収集するしかない。自分の情報集めっておかしな話だが。

 とはいえ、このままじゃオレの脳みそが爆発しそうだ。


 なのでビーズクッションに体を投げ出し、眠った。

 目が覚めたら元に戻っていますように。

 そうつぶやいたら、自分の口から聞こえた、あまりにもか細い声でうつになったオレである。


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