第13話 ゴブリン
火の山の地下の洞窟で、フルートは溶岩のたぎる裂け目に飛び込んでいきました。
岩棚の上で右往左往しているゴブリンのところまで、まっすぐに岩壁を滑り降りていきます。
「おた、お助け、お助け!」
ゴブリンが叫びながらフルートに飛びついてきました。
「ぼくの背中に上がって!」
とフルートは言って周りを見回しました。
岩棚の上は手がかりがほとんどない岩の急斜面でした。下りることはできても、登ることはできません。
溶岩はますます激しく煮えたぎり、大きな炎を何度も噴き上げてきます。
「ひっ、ひえぇぇ……!」
ゴブリンはまた悲鳴を上げると、フルートの背中から頭の上によじ登りました。
フルートは二メートルほど離れた場所にもうひとつ岩棚があるのを見つけました。
そちらは壁の傾斜が少し緩やかで、手がかりになりそうな岩のでっぱりが亀裂の上までいくつも続いています。
フルートはゴブリンに言いました。
「あっちに飛び移るんだ。あそこからなら上に登れる」
「そっ、そんな! わしには無理だ! とても飛べない!」
とゴブリンはまた叫びました。
人間にはほんの2メートルほどの距離でも、小さなゴブリンには何十メートルも離れているように感じられたのでしょう。
フルートの兜にしがみついてきたので、フルートは無理やりそれを引きはがしました。
「大丈夫さ。行くよ!」
フルートはゴブリンを両手で抱えて頭上に持ち上げると、隣の岩棚めがけて思い切り投げ飛ばしました。
「ひゅぅぅーぐるるる……」
無事に飛び移ったゴブリンは、大きな目玉をぐるぐる回して
それを見届けてから、フルートは岩棚の端まで下がりました。助走をつけて隣の岩棚へ飛びます。
その瞬間、ゴワッと下から大きな炎が噴き上がりました。
フルートの体が炎と激しい風に包まれます。
フルートは勢いを失って岩棚の手前で落ちそうになりました。
「うわっ!」
とっさに伸ばした手が岩棚の端をつかみましたが、その拍子に留め具が外れて
フルートがあっと思ったときには、籠手は荒れ狂う溶岩の中に呑み込まれていました。
とたんに、じゅうっ、と嫌な音がして、フルートの右手に激痛が走りました。
魔法の籠手がなくなったので、焼けた岩の熱が直接手に伝わるようになったのです。
みるみるうちに指や手のひらが焼けただれたので、フルートは悲鳴を上げて右手を離しました。
すると、すぐに右手の痛みが消えて
フルートは岩棚からぶら下がったまま、困り果ててしまいました。
岩棚に上がろうにも、右手が使えないので上がれません。このままでは左手もじきに疲れて体を支えられなくなります。
「ゴブリン――」
フルートは小さな怪物を呼ぼうとして、びっくりしました。ゴブリンは岩棚の上のでっぱりを手がかりにして、ひとりでどんどん上へ逃げていたのです。
「助かった助かった。ひゃっひゃっひゃ……」
甲高い笑い声が聞こえてきます。
自分さえ助かってしまえば、もうフルートなどどうでも良いのです。
ところが、そこにまた大きな炎が噴き上がってきました。
今度は溶岩の大波も一緒です。
フルートがつかまっている岩棚は半分崩れ落ち、炎が岩壁をはい上っていきます。
「熱い熱い! ぎゃあ、熱い――!!」
ゴブリンは炎にあぶられて、岩壁の真ん中に宙ぶらりんになりました。
今にも落ちていきそうです。
手を離せばそこは煮えたぎる溶岩の中。絶対に助かりません。
「ゴブリン!」
フルートは思わず素手の右手で岩棚をつかみました。
また焼けつく痛みが走ります。
けれども、フルートは歯を食いしばると必死で岩棚の上にはい上がり、焼けた岩壁をゴブリン目ざして登り始めました。
魔法の金の石はフルートの右手の火傷をまたたく間に治します。
けれども次の岩を握ると、そこはすぐにまた焼けただれました。
フルートは際限なく繰り返される激痛に歯を食いしばりながら、斜面を登り続けましたが、ゴブリンのところにたどり着いたときには、痛みのあまり意識がもうろうとしていたほどです。
「う、上に乗って……早く登るんだ……」
フルートはそれだけ言うと、岩壁にしがみついてゴブリンの踏み台になってやりました。
ひいひい言っていた小ずるい怪物は、すぐにフルートの頭に飛び乗ると、力一杯蹴って裂け目から飛び出していきました。
そして、案の定、それっきり戻ってきませんでした。
それでも、フルートはちょっとほほえみました。ゴブリンが無事に助かったのが嬉しかったのです──。
それから、フルートはまた必死で岩壁を登り始めました。
火傷の痛みで気が遠くなるのをこらえながら、じりじり登っていって、ようやく亀裂の上に這い上がります。
とたんにフルートはばったりその場に倒れました。
うつ伏せになったまま、ぜいぜいと荒い息をつきます。
右手から痛みが急速に消えていました。
金の石が傷を治しているのです。
痛みが完全に消えると体に力が戻ってきたので、フルートは大きく息をして、ゆっくり起きあがりました。
すると、フルートのすぐ近くにゴブリンと炎の馬が立っていました。
フルートはゴブリンが逃げたものとばかり思っていたので、目を丸くしました。
小さな怪物は、魔法の馬に向かってこんなことを言っていました。
「人間というのは非常にずるくて自分勝手なもんだ。自分が困ったときには盛大に助けを求めるくせに、いざ自分が助かると、あとはもう知ったことじゃないと、知らんふりを決め込む。そんな奴らのために戦っても、奴らは感謝もせんぞ。それでも、あえて戦おうと言うのか」
すると、炎の馬が答えました。
「この子は感謝など求めていませんよ。見ていておわかりになったでしょう」
何故だか
ふん、とゴブリンは鼻を鳴らしました。
「まったくな。あきれた小僧だ。自分が大事な使命を負っていることも忘れて、こんなつまらん怪物を命がけで助けようとするんだから。こんなことでは、いくつ命があっても足らんだろう」
「だから、泉の長老はあなたにこの子を引きあわせたのですよ」
と馬が答えます。
フルートには、やりとりの意味がわかりません。
すると、ゴブリンが突然フルートを振り向きました。
大きな目玉をぎょろぎょろさせながら、鼻の頭にしわを寄せます。
「確かにな……。この子には強力な武器が必要だ。その勇気に見合うほどの、強い強い武器がな。さて、わしが誰かに仕えるのは何年ぶりのことだ?」
「二千年ぶりですよ」
と炎の馬が答えました。金色の目にほほえみを浮かべています。
「よかろう。この子どもに、わしを委ねよう」
そう言ったとたん、ゴブリンの体が大きな炎に包まれました。
ゴウッと音を立てて金の火柱が燃え上がり、あっという間に消えていきます。
炎が完全に消えると、ゴブリンの姿はなくなっていて、代わりに一本の剣が落ちていました。
黒い鞘に赤い宝石をちりばめた大きなロングソードです。
炎の馬がフルートに言いました。
「その剣をお取りなさい。それが伝説の炎の
フルートはびっくりして剣と馬を見比べました。
「ってことは、あのゴブリンは……」
「もちろん炎の剣の化身です。
フルートは何も言えなくなりました。
おそるおそる剣を手にとって鞘から抜いてみると、美しい刀身が現れます。
大きいのにフルートの剣より軽く、握るとしっくりと手になじみます。
馬が、ひらりと裂け目に飛び降りていって、フルートの鎧の籠手をくわえてきました。
煮えたぎる溶岩の中に落ちたのに、籠手は元の形のままで、傷ひとつついていませんでした。
「さあ、戻りましょう」
と炎の馬が言いました。
「あなたは旅を急がなくてはなりません。黒い霧はますます広がって濃さを増しているのです。敵の力が手に負えなくなってしまう前に、阻止しなくてはなりません」
フルートは大きくうなずきました。
籠手を手にはめ直し、炎の剣をゴーリスにもらったロングソードと交差するように背負います。
炎の剣を背負うと、魔法の鎧を着ているのに、ほのかに背中が温かくなったような気がしました。
フルートは炎の馬に飛び乗って言いました。
「戻ろう。そして、北の峰を目ざすんだ!」
馬は一声いななくと、地下のトンネルを飛ぶような速さで駆け戻り始めました。
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