第12話 火の山

 炎の馬は燃える体にフルートを乗せて空へ駆けていきました。

 それはとても不思議な体験でした。何もないはずの空なのに、まるで足下に固い地面があるように、空の高みへ駆け上がっていくのです。

 星明かりを浴びて、森は黒い影のように足下に広がっていました。

 それがどんどん遠ざかり、やがて黒い霧におおわれた場所が見え始めます。

 霧は夜よりもなお暗く森をおおって、彼方までずっと続いていました。フルートがやってきたロムド国の方角は、見渡す限り一面黒い霧の海です。


 フルートは思わず身震いをしました。

「すごい……」

 これほど大量の霧が、どうやって発生しているのでしょう。まるで、霧自体が邪悪な生き物で、ロムド国を呑み込もうとしているように見えます。

 こんなことができる敵の正体はいったい何なのでしょう。絶対に並の力の持ち主ではありません。

 ぼくに本当にそいつが倒せるんだろうか……?

 フルートの胸に不安が湧き上がってきます。


 すると、炎の馬が言いました。

「今のあなたの力では倒せません。敵が強大すぎます」

 フルートはどきりとしました。馬にまた心を読まれたのです。

 弱気になった自分を恥じていると、馬は話し続けました。

「先程も言ったとおり、いくら金の石の勇者でも、敵に合った装備がなければ充分に戦うことはできません。これからわたしたちが行くのは、エスタ国の南にある火の山という場所です。そこに炎のつるぎと呼ばれる伝説の剣があります。それを手に入れて、あなたの武器にするのです」


「つるぎ? けんじゃなくて?」

 とフルートは聞き返しました。

「つるぎはけんの古い言い方です。いにしえの時代に作られた魔法の剣は、つるぎと呼ばれるのが習わしなのです。さあ、急ぎますよ」

 言うだけ言うと、炎の馬は上昇をやめて前へ進み出しました。

 空を風のように駆け抜けてぐんぐんと進んでいきます。

 はるか足下を、黒い霧の海や夜の景色が飛ぶように流れていきます──。

 

 やがて、行く手に大きな山が見えてきました。

 火山です。

 頂上の火口からは火柱が上がり、黒煙が吹き出し、夜空にきらきらと赤い火の粉をまき散らしています。

 ゴゴゴゴ……と体を震わせるような音が、あたり一帯に響き渡っています。


 炎の馬はフルートを乗せたまま山の中腹に駆け下りると、斜面を蹄で蹴りました。とたんに、岩肌にぽっかりと洞窟が口を開けます。

「炎の剣はこの奥にあります。行きましょう」

 と馬は洞窟の中に入っていきました。噴火中の火山でもまったくためらいません。


 洞窟の奥は長いトンネルでした。

 むっとするような熱い空気がフルートたちを包みます。

 魔法の鎧を着ていなければ一分といられないような蒸し暑さです。

「ここには有毒なガスも充満しています。魔法の金の石を手放してはいけませんよ」

 と馬は言いながら、フルートを乗せたままトンネルを下りていきました。


 トンネルはところどころで岩に亀裂が入っていて、幅が広いところは深い谷間になっていました。

 馬が飛び越えると、下のほうで、熱い溶岩がたぎりながらガスや水蒸気を吹き上げているのが見えます。

 落ちたらいくら魔法の鎧を着ていても助からない、文字通りの灼熱地獄です。

 とても暑い場所なのに、フルートは思わず背筋が寒くなりました。

 

 すると、山鳴りの音に混じって、どこからか人の声が聞こえてきました。

「おぉいぃぃ……だれかぁぁぁ……」

 助けを求める声です。

 こんな場所に誰がいるんだろう、とフルートはびっくりしました。

 炎の馬も耳をぴくぴくさせて声のする場所を確かめていましたが、やがて、ひとつの亀裂の前で立ち止まりました。

 今までの亀裂はトンネルの道を横切っていましたが、これは道の左側に沿って広がっていて幅も広いので、まるで崖のように見えます。


 馬の上から亀裂をのぞき込んだフルートは、はっとしました。

 崖の途中のでっぱりに誰かがいます。

 人のような姿をしていますが、もっと小さくて年とった、小人のような生き物です。それが岩の上でぴょんぴょん跳びはねながら叫んでいました。

「誰か来てくれぇぇ……! 助けてくれぇぇぇ……!」

 でっぱりの下の方では溶岩が煮えたぎっていました。

 フルートには感じられませんが、かなりの熱さに違いありません。

 生き物は焼けた岩の熱さに飛び跳ねているのでした。


「ゴブリンですね。小さな怪物です。伝説のつるぎを盗みに来て、ここに落ちたんでしょう」

 と炎の馬はつまらなそうに言うと、亀裂を避けて先に進もうとしました。

 フルートはあわてて馬のたてがみを引きました。不思議ですが、この馬の体は火や炎でできていても、つかむことができます。

「待ってよ! 見捨てていくの!?」

 炎の馬はちょっと驚いた顔をしました。

「あれは闇の生き物ですよ。あんなものを助けてどうするんですか」

「だって……!」

 放っておけないよ、とフルートが言おうとすると、馬は真面目な口調になりました。

「闇の生き物を助けて良いことはありません。闇をはらんだ霧に敵が潜んでいる今は、なおさらです。あのゴブリンはきっとあなたにわざわいをもたらします。無視して先に進みましょう」


 馬がまた歩き出したので、フルートは亀裂を振り返りました。ゴブリンは叫び続けています。

「助けてくれぇ! 焼け死んじまうよ! 助けてくれぇぇ……!」

 フルートはぎゅっと唇をかむと馬の背中から飛び降りました。

 亀裂に駆け戻ってのぞき込みます。

 

 ゴブリンは黒くてしわだらけの小さな怪物でした。

 目と耳が大きくて長い爪の手足をしています。ゴブリンはよく小鬼と呼ばれるのですが、鬼というよりは目玉が大きな黒い猿というほうがぴったりの姿です。

 ゴブリンはフルートを見つけると大声で言いました。

「ありがたい、天国で闇王やみおうとはこのことだ! おい、あんた! 俺をここから引っ張り上げてくれ!」

 フルートはかがみ込んで手をさしのべました。

 けれども、岩の出っ張りは三メートルほど下にあるので、いくら手を伸ばしてもゴブリンまでは届きません。


 ゴブリンは怒ってキイキイわめきました。

「おい、何やってるんだ! しっかり手を伸ばせ!」

「届かないんだよ」

 とフルートは答えました。

 ロープが必要でしたが、フルートは荷物を全部自分の馬のところに置いてきたので、手元にありませんでした。

 周囲を見回してもトンネルの岩肌が続いているだけで、ロープの代わりになりそうなものは見当たりません。


 すると、ゴブリンが大きな悲鳴を上げました。

「ひえぇぇ!! たっ、助けてくれぇぇ!!」

 亀裂の底で溶岩が急に荒れ始めていました。

 赤く輝くながら渦を巻き、大きな波になって岩壁をはい上がって、熱いしぶきを飛ばします。

 吹き上がった炎は岩棚のゴブリンまで届きそうです。

「あちぃ、あちぃ!! 体に火がつく!!!」

 狭い岩の上を逃げまどいながら、ゴブリンが泣き叫びます。


 炎の馬がフルートに言いました。

「ここから溶岩が吹き出しそうですね。危険ですから離れましょう」

 鼻面でフルートを押して促しますが、フルートは動きませんでした。

 ゴブリンは岩壁に取りすがり、なんとか這い上がろうとしては滑り落ちています。

 どうしても登ることができないのです。

 そこにまた炎が噴き上がってきました。岩棚の端をかすめて、亀裂のすぐ際まで届きます。


 ついにフルートは立ち上がりました。

「さあ、早く乗りなさい」

 と馬にせかされると、首を横に振って言います。

「ごめん、やっぱりほっとけないんだよ」

 フルートは亀裂の中に飛び込むと、急な斜面になった岩壁を滑り降りていきました――


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