第6話  先輩に──

心音ここねちゃん、帰ろ?」


 練習が終わると、真っ先に杉原先輩の元へ寄る姫坂先輩。


「あー、ごめん。今日は寄るとこあるから」

「えっ、そんなぁ……」


 予定通り、杉原先輩が姫坂さんの誘いを断ると、ひどく残念そうにしゅんとした顔を見せた。

 ごめん、姫坂さん。あとその表情、すっごく可愛いよ。


「…………」

「ホント、ごめん!」


 どうしよう、と困り果てた姫坂さんの姿を見るに堪えられなくなったのか、杉原先輩は手を合わせて懸命に謝った。

 なんか、本当に悪いことしちゃったな。


「ん?」


 二人が話しているのを見ていると、杉原先輩がこっちを見てきた。

 それに釣られて姫坂さんも目線を動かすと、俺と目が合った。


「あっ」


 すると彼女は素早く目を背けた。

 その仕草は可愛いんだけど、やっぱり傷つくな。


「早く行くぞ、杉原」

「あいよ。ってことで、またね?桃子」

「うっ、うん……」


 ヒロが杉原先輩に声をかけると、二人は姫坂先輩を置いて教室を出て行った。

 よし、今がチャンスだ。そう思い、俺は先輩に駆け寄ろうとした。


「先輩──」


 すると、彼女はチラッと俺の顔を見てすぐに逃げるように教室を出てしまった。

 後を追いかけようとしたが、そうすると部内で誤解されて悪い噂が広まりそうなので、俺はつい足を止めてしまった。


「……どうしよう」


 俺、本当に告白に成功したんだよな?

 そのはずなのに、逆に嫌われたのではないかと思ってしまう。

 そんなとき携帯電話の画面を見ると、LINEの通知が来ているのが見えた。

 相手は──姫坂先輩だ。


「えっ? マジで??」


 送信されたメッセージの内容に、俺は声をあげて驚いた。

 おいおい、ウソだろ?



 〇



「あの……、今日は本当にごめん!」


 今日の20時頃、俺はやっと姫坂先輩と顔を合わせることができた。

 そこで先輩は早速、髪をふわっとさせるほどの勢いで頭を下げた。


「大丈夫です! こうやって二人になれただけでも十分です!!」


 俺がそう言うと、先輩はゆっくりと顔を上げて、もじもじとした仕草を見せる。


「私、どうすればいいかわからなくて……」

「先輩……」

「だって私たち、恋人同士になったから……、いつも通りの接し方をするのは違うし。かと言って……」


 先輩はヒロの言った通りの言葉を口にした。

 杉原先輩もそうだけど、もしかして女の人って、付き合い始めはこんな感じなのか?


「それに……、下手したら嫌われるかもしれないと思っちゃって……」

「いや、そんなことは……」

「それで、つい志勢くんを避けちゃって……。でも、そうしたら余計に嫌われると思って、また頑張って近づこうと思ったんだけど、でもでも……」

「大丈夫! 大丈夫ですって!!」


 自分の行動に嘆いて、縮こまる姫坂さんを俺は懸命に慰めた。確かにその件は大丈夫だ。

 ただ、どうして……。


「あの、先輩」

「……なに?」


「えっと、LINEで聞こうとは思ったのですが……どうして俺の家の前で会うことになったのですか?」


 そう聞くと、彼女は「えっと……」と、自分の人差し指同士をちょんちょんとさせた。


 今の先輩は全身がもこっとした素材のパジャマを身にまとっている。

 頭を下げたときに見えたフードが猫耳なのが先輩の可愛さをよりパワーアップさせていて、極度に短いズボンは先輩の細くて綺麗に輝く美脚をさらけ出している。

 おまけにシャンプーの甘い香りがかなり鼻をくすぐる。風呂から上がってまだ間もないのかな? てことは──


「くしゅん!」

「先輩!?」


 たとえ今が夏だとはいえ、のぼせて風邪をひかれては大変だ。

 先輩のくしゃみを聞いた俺は狼狽えながらも、「とりあえず中に入りましょ?」と、自然な流れで家の中に入れた。


「女の子を家に入れるの、初めて!」と思い興奮する気持ちや雑念などなどを捨て、ただ無心に──。



「ご、ごめんなさい! 家にまであげてもらっちゃって!!」


 自分が今、何をやっているのかを認識すると、先輩は顔を真っ赤にして、また慌てふためいた様子を見せた。


「いや、俺は大丈夫ですよ! 全然!!」


 とは言ってみたが、嘘である。

 だって恋人になりたての先輩が、俺の家にいるんだぞ?こんなの、緊張しないわけないだろ。


「おうちの人は?」


 俺の家の辺りを見渡してから、先輩は首を傾げた。


「両親がいるっちゃあ、いるんですけど。どっちも仕事で全然帰ってこなくて……」

「そう、なんだ……」

「で、でも、平気ですよ! もう慣れたんで!!」


 先輩があまりにも悲しげな表情で顔を俯かせるものだから、俺は咄嗟に先輩のことを宥めた。


「それで……なんで俺の家に?」


 本題に戻ると、先輩はボソッと小さい声で──


「二人きりのところ、部活の人とかクラスの子に見られると恥ずかしいし……」


 と、頬を赤く染めながら言った。

 対して「そんなこと無いです」なんて言うと、恥ずかしがりな先輩に無理させるからな。俺は先輩の言葉に「そういうことでしたか」とだけ返した。


「でも、いつまで経ってもそんなんじゃダメだよね……」

「そんなこと無いですよ! そういうの、先輩らしくて良いというか……」


 俺が先輩をフォローすると、「ありがとう」と返す先輩。だけど──


「それでも……やっぱり私、変わらなきゃ!! ううん、変わりたいの!! いつまでも恥ずかしがってばかりで、頼れないダメダメなままなんて嫌だから……」


 先輩の言葉を聞いて、俺は分かった。

 いくら俺が先輩の一面に可愛い、好きと思っても、それが先輩のコンプレックスならば、それを強要するべきじゃないな、と。


「それでね……」


 しばらくして、先輩が少し気持ちを落ち着かせてから──


「歳上の彼女らしく! 余裕と包容力のある先輩になろうと思うの!」


 と、小さな両拳でガッツポーズを作って言った。


「えっと……なぜですか?」

「いや、あのね、前に心音ちゃんが歳下の男の子と付き合ってた時に言ってたの。そうしたほうがいいよって」

「あっ、なるほど……」


 また杉原先輩か。ホントに経験値高いんだな、あの人。

 今後は二人で杉原先輩のお世話になるだろうな。


「それでね、志勢くんにはもっとワガママになってほしいなと思って」

「いや、それは悪いですよ」


 ホントは「喜んで」と言いたいところ。だけど相手は先輩。どうしても遠慮してしまう。けれど先輩は「遠慮なんかしないで!」と、前のめりになって寄ってきた。


「……だって私たち、恋人同士だし」


 かと思えば、今度はすぐに身を引いた。『恋人同士』か。確かにそうだけど、改めて言われるとなんだかくすぐったいな。


「志勢くんは、私にどうしてほしい?」


 身体をもじもじさせながら、先輩は聞いた。

 仕草の一つ一つに彼女の抱く羞恥が伝わってきて、俺まで恥ずかしくなってきた。おかげさまで目が合わせられない。


「えっと……」


 俺は目線を他所に向け、頬を掻いた。


「あっ、でも」


 と、先輩が大事なことを言いそうなので、俺は顔を上げた。すると先輩の顔は真っ赤だ。何を言うのだろう?


「え、えっちなのは……めっ! だからね……」


 甘々な先輩の口調を声を聞いて、俺は口を結び、がっちり固まった。


「わ、わかってますよ」

「それならいいけど……。って志勢くん、顔赤いけど大丈夫!?」

「だ、大丈夫! 部屋が暑いから、そうなってるだけですよ!」


 ホントは先輩のせいですよ? 


「ならいいけど。それで、私になにしてほしい?」


 改めて、先輩が本題に話を戻す。

 事実、先輩の問いにはすぐ答えられる。俺には先輩と付き合ってから、先輩にやってもらいたいと切に願っていたことが一つあるからだ。

 だけど、いざとなると恥ずかしくて頼みにくいな。でもきっと、先輩なら聞いてくれるよな? 大した根拠がない中でそう思った俺は「あの!」と言って、気持ちを整えてからこう続けた。


「せ、先輩に……甘やかされたいです」

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